4月20日、文学座アトリエでイヨネスコ作「犀」を観た(演出:松本祐子)。
これは私にとって記念すべき「正統派不条理劇デビュー」だった。途中までは冗長な部分もあり、やはりシェイクスピア好きには不条理劇は向かないかも、と思った。例えば二組の友人達の会話が途中から何度か重なっていく場面。作者はそこに面白みを感じたのだろうが、私には退屈だった。アフリカの犀とアジアの犀の違いについての議論も同様。だが後半は、脚本の構成の巧みさに引き込まれ、作劇術のうまさにすっかり心を奪われてしまった。
主演の大場泰正の熱演が清々しい。他の役者たちも皆よく訓練されている。
作品の持つ力強さ、ユーモア、そしてそれを具現化してゆく演技陣の訓練された発声法と体の動きが素晴らしい。
特に後半は、一転してセリフに全く無駄がない。友人が、同僚が、一人また一人と犀に変身してゆく、その恐怖と緊迫感。次第に犀のほうが多数派になってゆき、主人公は孤独と絶望に陥るが・・・。
それにしても、世の中こういう理に叶った(!?)芝居ばっかりだとどんなにいいことか!今は訳がわからなくても、最後まで見ていればきっと何か意味があるに違いない、でなきゃおかしい、と思っていると、いつの間にか終わってしまい、ついに何が言いたいのかさっぱり分からないという芝居を見せられた時の悔しさ、呆然自失、怒り・・・しかもそういう作家の中に、けっこう人気のある人がいるというのだから世の中分からない。
愚痴っぽくなってしまったが、これはもちろん別の日の別の芝居のことだ。イヨネスコと文学座は喜びと深い満足とを与えてくれた。
これは私にとって記念すべき「正統派不条理劇デビュー」だった。途中までは冗長な部分もあり、やはりシェイクスピア好きには不条理劇は向かないかも、と思った。例えば二組の友人達の会話が途中から何度か重なっていく場面。作者はそこに面白みを感じたのだろうが、私には退屈だった。アフリカの犀とアジアの犀の違いについての議論も同様。だが後半は、脚本の構成の巧みさに引き込まれ、作劇術のうまさにすっかり心を奪われてしまった。
主演の大場泰正の熱演が清々しい。他の役者たちも皆よく訓練されている。
作品の持つ力強さ、ユーモア、そしてそれを具現化してゆく演技陣の訓練された発声法と体の動きが素晴らしい。
特に後半は、一転してセリフに全く無駄がない。友人が、同僚が、一人また一人と犀に変身してゆく、その恐怖と緊迫感。次第に犀のほうが多数派になってゆき、主人公は孤独と絶望に陥るが・・・。
それにしても、世の中こういう理に叶った(!?)芝居ばっかりだとどんなにいいことか!今は訳がわからなくても、最後まで見ていればきっと何か意味があるに違いない、でなきゃおかしい、と思っていると、いつの間にか終わってしまい、ついに何が言いたいのかさっぱり分からないという芝居を見せられた時の悔しさ、呆然自失、怒り・・・しかもそういう作家の中に、けっこう人気のある人がいるというのだから世の中分からない。
愚痴っぽくなってしまったが、これはもちろん別の日の別の芝居のことだ。イヨネスコと文学座は喜びと深い満足とを与えてくれた。