最近、二宮尊徳翁の教えについての本を読み始めました。
その中に
「人の人たるゆえんは推譲(スイジョウ)にある。」
という言葉がありました。
★続いて解説されている言葉は、
「樹木を植えて、三十年たたなければ材木にならない。
だからこそ後世のために木を植えるのだ。
今日用いる材木は、昔の人が植えたものだとすれば、
どうして後世の人のために植えないで良かろうか。
鳥や獣は今日の食物を貪るばかりだ。
人間もただ目前の利益をはかるだけなら、鳥や獣と変わらない。
人の人たるゆえんは推譲にある。
ここに一粒の米がある。
これを食ってしまえばただの一粒だが、もし推し譲ってこれを蒔き、
秋の稔りを待ってから食えば、百粒食ってもまだ余りがある。
これこそ万世変わらぬ人道なのだ。」
「推譲」の心の伝統をわたしたち日本人は忘れかけているように思います。
「植林」に参加することで、この心を思い起こさせてくれることを
期待して、「世界平和の森づくり」運動をすすめています。
世界平和の森づくり
★「推譲」の意味は、二宮尊徳の「報徳思想」を構成する要素のひとつ
「分度とはけちをすることではなく、至誠から勤労した結果に自然と
使わざるをえないもののみを使うということを意味する。
そして、最後に分度して残った剰余を他に譲ることを推譲とよぶ。
分度と同様に、推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠、勤労、分度
の結果のこったものを譲ってはじめて推譲になるのである。」
報徳思想について
その中に
「人の人たるゆえんは推譲(スイジョウ)にある。」
という言葉がありました。
★続いて解説されている言葉は、
「樹木を植えて、三十年たたなければ材木にならない。
だからこそ後世のために木を植えるのだ。
今日用いる材木は、昔の人が植えたものだとすれば、
どうして後世の人のために植えないで良かろうか。
鳥や獣は今日の食物を貪るばかりだ。
人間もただ目前の利益をはかるだけなら、鳥や獣と変わらない。
人の人たるゆえんは推譲にある。
ここに一粒の米がある。
これを食ってしまえばただの一粒だが、もし推し譲ってこれを蒔き、
秋の稔りを待ってから食えば、百粒食ってもまだ余りがある。
これこそ万世変わらぬ人道なのだ。」
「推譲」の心の伝統をわたしたち日本人は忘れかけているように思います。
「植林」に参加することで、この心を思い起こさせてくれることを
期待して、「世界平和の森づくり」運動をすすめています。
世界平和の森づくり
★「推譲」の意味は、二宮尊徳の「報徳思想」を構成する要素のひとつ
「分度とはけちをすることではなく、至誠から勤労した結果に自然と
使わざるをえないもののみを使うということを意味する。
そして、最後に分度して残った剰余を他に譲ることを推譲とよぶ。
分度と同様に、推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠、勤労、分度
の結果のこったものを譲ってはじめて推譲になるのである。」
報徳思想について