美しい地球環境を未来に!

最近の異常な気候はなんだか変だ!
地球温暖化のために「できる行動は?」役立つ情報を発信して行きたいと思っています。

掛け声はいいけれど、がっかりしたこと

2020-12-10 15:11:09 | Weblog
日本の環境省のHPで温暖化の対策というページをみて、がっかりした。
(https://ondankataisaku.env.go.jp/coolchoice/ondanka/ )以下要約を紹介しますと

地球温暖化によるさまざまな影響として、
地球温暖化によるここ数十年の気候変動は、人間の生活や自然の生態系にさまざまな影響を与えています。

たとえば、氷河の融解や海面水位の変化、洪水や干ばつなどの影響、陸上や海の生態系への影響、
食料生産や健康など人間への影響が観測され始めています。と紹介しています。                

気温の上昇という項目では以下の説明があります。

「現在以上の温暖化対策をとらなかった場合、
最高気温が30℃以上となる真夏日の日数は更に増加することが予測されています。
東京の現在の真夏日は年間約46日。
21世紀末には、年間約103日、1年の3割近くが真夏日となります。」
と説明しています。

このことは、数値的なことはともかく、
ほとんどの人が生活の中で実感していることです。

次いで海面水位の上昇についての説明があります。
気候変動が及ぼす海面水位の上昇は、沿岸や低平地、小島嶼(しょうとうしょ)
に住む人々の暮らしに大きな影響を与えます。

台風による高潮、沿岸域の氾濫、海岸侵食による被害をより多く受けることになります。

島の低地の水没が日常の風景になっているという説明でツバル海岸の家の状況写真が掲載されています。

次に農作物への影響についての項目があります。
「食料生産への影響も現れています。リンゴは秋に色づきますが、
その時期の気温が高いと色づきが悪くなったり遅くなったりします。
収穫時期は色づきの程度で判断するため、収穫時期に影響が出ます。」

以上が日本国環境省の地球温暖化によるさまざまな影響としてHPでアピールしている内容です。

これでは今日の危機的な状況について伝わらないし、
国民の意識も大きく変わらないと感じました。

一方でゴールドマンサックスという金融業界の気候変動に関するレポート
[2019年9月30日](https://www.businessinsider.jp/post-199508)による内容は、

「読むとぞっとする」と表現されているように深刻さが伝わってきます。
警告する主なリスクは以下のとおり。

• より頻繁に起きる、より激しい、より長く続く熱波

人間の健康や生産性、経済活動、農業に影響を及ぼす。
「地表温度の上昇によって、永久凍土がとけ、メタンや二酸化炭素の大気放出が進むことで、
温暖化が悪化する可能性がある」という。

• 嵐や暴風、洪水、山火事といった破壊的な気象現象

これはニューヨーク、東京、ラゴスだけではない。

「ほかにも、上海やダッカ、ムンバイ(インド)、カラチ(パキスタン)など、
海抜の低い海岸沿いの都市やすでに洪水が発生しやすい都市は、
それぞれ1500万人以上の人口を抱えている」という。

• 変化する病気のパターン

「気温の上昇によって、病原媒介者が熱帯地域から免疫の少ない人々が
暮らす地域へと移動する可能性がある。

これは、マラリアやデング熱といったウイルスだけでなく、
水や食べ物を媒介とした病気にもあてはまる」という。

※現在世界的に感染拡大している新型コロナのような感染症の拡大も懸念される。

• 変化する農業パターンと食料不足

「家畜は、気温上昇や飲料水の減少の影響を受ける可能性がある。
海洋酸性化は水中生物にストレスを与え、現在の漁業パターンに影響を及ぼすだろう。

こうした変化の一部はすでに起きている。
例えば、気候変動の研究者の中には、
海洋酸性化のせいでサンゴ礁が絶滅するだろうと見る声もある」という。

• 水

ゴールドマン・サックスは世界保健機関(WHO)を引用し、
「世界の人口の半数が、
早ければ2025年には水のストレスを感じる地域で生活することになる」としている。

「水ストレスを感じない地域でも、雨や嵐の増加によって有害物質がしみ出したり、

放出され、水質が悪化する可能性がある。

こうしたダイナミクスが、飲用水へのアクセスから家畜や作物に与える水の不足
(そして食料の供給への悪影響)、水力発電による発電量の減少まで、

全てに影響を及ぼす可能性がある」という。

ゴールドマン・サックスはこれらの要素全てが「経済活動に影響を及ぼし、
建物から交通機関、水、ゴミの処理まで、インフラにダメージを与え、
特に弱者に害を及ぼす」と指摘する。

以上のように気候変動による
一般生活者への危機意識を感じることができるに十分な情報が盛り込まれている。

ここで懸念されているいくつかは、すでに世界各地で発生している事象です。

金融業界誌なので今後について
「都市化への適応は、史上最大のインフラ構築の1つを進める可能性がある。
その規模を考えれば、イノベーティブな資金活用が必要となるだろう」
と締めくくっています。

私たち一般市民生活にどのような影響が出てくるのかコロナで時間に
余裕の機会にしっかり考え行動を始めたいものです。


地球上の緑の減少が様々な気候変動の元凶だから、木を植えよう!
時間との競争状態になっているので、効率の良い木を植える
どこでも育つ、成長が速く、たくさんCO2を吸収してくれる
奇跡の木モリンガ植林を普及する。


モロタイ島と第二次世界大戦

2020-12-06 11:22:45 | Weblog
モロタイ島と第二次世界大戦
第二次世界大戦を覚えている地元の人々は、
1944年から1845年のモロタイでは、数え切れない軍事活動が行われ、

ダルバ湾に沿って機体が離陸して着陸し、数千種類の軍用ブーツが陸を進み、
そして海軍の船舶は、毎日の運搬や武器を運んでいたそうです。

当時のモロタイは、第二次世界大戦中にフィリピンとボルネオで日本軍との
戦いを攻撃した連合軍の戦略的基地だったそうです。

1944年9月15日、米国とオーストラリアの連合軍が
西太平洋の最高司令官ダグラス・マッカーサー大将の指導の下、モロタイの南西の角に上陸した。

モロタイは、日本軍の指揮官はわずか500人の兵士しか島に残していませんでした。

日本がモロタイを捨てたとき、
マッカーサー将軍は日本からフィリピンを取り戻すため戦略的立場にあると
考えていた島を黄金の窓として考えていました。

50,000人以上の連合軍の軍隊をモロタイに定住させました。

ある時点で、モロタイには6万人以上の兵士がおり、
ベット数1,900の大きな病院があり、近くには忙しい海軍基地もありました。

その後、オーストラリア軍はモロタイから北ボルネオへの攻撃を狙いました。

この活動は、1945年に日本人が降伏して第二次世界大戦が終わるまで続きました。

島を離れる前に、連合軍は、すべての構造物を焼失させたと言われています。

1974年、一人の日本人兵士、中村輝夫氏が、
モロタイのジャングルから数十年間戦争が終わったことに気づかずに現れました。

今日、モロタイは太平洋劇場での第二次世界大戦の軍事演習の記憶になっており、
フィリピンの自由に対する戦いの役割はほとんど忘れられています。

53,000人の人口を持つ島自体は、今や熱帯の楽園に戻っています。

第二次世界大戦の結果
島を占領した連合軍は、予定通りに大量の建設部隊を送り込み、基地設営を開始した。

建設作業にはオランダ軍民政班の徴用した現地人も参加した。
日本軍の建設していた飛行場を拡張する計画であったが、
やはり地質的に困難と判明したため、新規に滑走路が建設された。

10月4日には1500m滑走路が大型爆撃機の作戦可能状態に整備され、
ボルネオ島のバリクパパン攻撃などに利用された[。

その後も基地の拡張は進められ、
10月17日には2100mの第二滑走路が完成、
11月には約250機の航空機が展開するようになった。

レイテ島の戦いなどにおいて、
モロタイ島は空襲拠点や後方基地として重要な役割を果たした。

太平洋戦争終戦時の日本陸軍第2軍の降伏式典も、モロタイ島で行われている。

終戦時に660名の日本兵が投降したが、一部の日本兵は日本の降伏を知らず、
なおもジャングル内で生き延びた。

例えば1956年には9人の元日本兵が発見され、日本に帰国した。

1974年末には高砂義勇隊の中村輝夫(本名、スニオン、李光輝)が発見され、台湾に帰国している。

※日本兵として出兵し、戦い、長い期間現地で潜伏していた結果
日本は敗戦し、台湾を手放し、日本ではなくなっていた。
戦争の被害者である中村さんの心境は計り知れませんが、
さぞかし複雑な心境であったと思います。

二度とあってはならない事件です。風化させないためにも
この地で戦争に参加せざるを得なかった人々への哀悼を込めて
木を植えて「平和の森」を後世に残したいと願っています。

モロタイ島で共生の森づくり支援






モロタイ島の青年との奇跡的な出会い

2020-12-04 13:07:05 | Weblog
モロタイ島の青年との奇跡的な出会い
モロタイ島はインドネシアの中でも一番フィリピンに近く佐賀県ほどの島ですが、
インドネシアに於ける大東亜戦争時、日本軍にとって重要拠点地域の一つでした。

大東亜戦争時の日本軍は飛行場を建設し守備隊を強化するも、
アメリカ軍に奪われフィリピンや東ボルネオへの攻撃の基地として
使用されていたようです。

この地に散った英霊は1,712名です。

わずか2年足らずの期間に失われた生命としては
大変な激戦であったと想像されます。

あまり存在を知ることのないモロタイ島ですが、思いがけず、
不思議なご縁5年ほど前に頂きました。

日本に十数年在住しているモロタイ島出身の真面目な青年が、
故郷のモロタイ島に植林をしたいと言っているという話を、
ある会社の社長から知らされました。                     

モロタイの情報を集め始めましたが、
本当に情報の少ない地域であることが判りました。

モロタイ出身のアバス君からいろいろと現地情報を教えてもらい、
地域住民の民生向上のためにも植林が必要であることを知りました。

自分には本当にご縁のないと思っていたモロタイ島での植林は、
奇跡的な出会いとご縁で取り組むことになりました。

モロタイに平和の樹を植える

この植林の目的は、産業の少ない島民の収入機会につながるような
「植林」行うためです。

現地の事情がほとんど分からないので、
2016年8月28日にアバスさんの案内で現地へ行くことになり訪問しました。

自然が豊かで海もキレイで、人々も皆さん親切で牧歌的な島を訪れて、

中村輝夫さんや亡くなられた英霊の皆さんに想いを馳せながら感無量でした。

日本人と知ると必ず皆さんが中村さんの事を話してくれました。
現地の人達のなかでは「中村さんは英雄」として尊敬の対象であるように感じました。

第二次世界大戦の記憶が消えてゆく中で、
オランダの植民地で苦しめられていたとはいえ、
それ以外は戦争をする意味も意義も判らないままに島の人達を
巻き込んだ事実があります。

中村さんが発見される2週間ほどまえに
第二遊撃隊長の川島威伸氏が戦没者の遺骨収集団としてモロタイを訪れて、

現地慰霊祭のあいさつで
「インドネシア政府や軍関係者、地元住民に感謝をささげるとともに、
 島の激しい戦闘でとりわけ無辜の島民の方々の生命、
 財産など失われたものは数多く、真に傷心の至りに堪えない」

と述べられています。

戦争で得られるものはなく、失うものの多さに今更ながら無念を感じます。

しかし、第二次世界大戦があり、

今私たちがその子孫として生かされていることは事実であり、
ただただ先人に「感謝」し、

「世界平和の為に生きる」ことの大切さを再認識しています。


「植林」は、国境を越えて、
人種や宗教や文化の違いを超えてすべての人類にとって、
持続的な生命を維持するために大切な行動です。

植林活動は「地球の大地、自然の偉大さや平和の大切さ」
を教えてくれる学びの機会であり、

平和を希求する人類にとって意識を共有できる貴重で不可欠な活動だと言えます。

そして、今、戦争の為にご迷惑をおかけした島の人々のお役にたてるよう、
微力を尽くしたいと願って植林を翌年から始めています。

戦争ではなく平和のための植林をぜひとも成功させたいと願っています。

すべては生命の継承のために!