美しい地球環境を未来に!

最近の異常な気候はなんだか変だ!
地球温暖化のために「できる行動は?」役立つ情報を発信して行きたいと思っています。

今の地球(自分や家族)、 明日の地球(子供や孫)のためにあなたにできること

2017-03-14 10:07:41 | Weblog
絶滅危惧の私たちの仲間~森の人~をもっと知って
オランウータンアイランドの整備が始ったインドネシアの自然の森から追い出されたオランウータンンを訓練してい入るリハビリセンタ-の一つ、バリックパパン市の郊外にあるサンボジャには半自然......


1997年に当時のバリックパパン オランウータン サバイバル ソサエティー(BOS)を訪問して、
オランウータンの於かれている惨状を知りました。

帰国後、支援している団体を探しましたが、記憶にあった昔新聞記事でみた支援団体を探しましたが、

すでになくなっていました。

そこで自分で支援を始めて20年になります。

自分の身の丈に合ったことをやろうと始めたのですが、

殆どの人が知らないという現実に支援の輪も広げることが出来ずに
時間だけが経ってしまいました。

その間も現地の森林破壊は進んでオランウータンの住める森林がほとんど姿を消してしまいました。

倫理を欠いた経済中心主義の欲望の前には、熱帯雨林を守る活動は無力でした

現在では、奥地で人手があまり入っていない、

ごく限定された森林地域にしかリリースできない状況になっています。

一方でパームオイルの農園に迷い込んで、殺されたり、

捕まえられるオランウータンもまだあります。

自然界に復帰させる、リリースについてはインドネシア政府の方針もでています。

個人的な思いとして、
私たち人類にも安定的な気候を享受するために不可欠な熱帯雨林の

被害の象徴的な存在のオランウータンを知っていただいて

熱帯雨林の保護の大切さを認識していただきたいと願って取り組んできました。

しかし、もう、熱帯雨林の破壊が進んで手遅れ状態です。

オランウータンの支援は個人的には続けますが、

このような事態の中で未来をあきらめないで取り組むべきことは、

地球規模の気候変動の対策とその被害を直接的に受けている飢餓貧困の問題を

効果的に解決するために生きる道を選びました。

それがモリンガという植物を地球規模で育てることです。


モリンガは知れば知るほど素晴らしく、人類生活に役立ってくれる植物です。

危機的な状況の地球環境に生きる

人類に与えられた最後の贈り物ではないかと思います。

モリンガを中心に人類の持つ叡智を発揮すれば、大きな課題を解決できる

そんな思いでモリンガの普及活動に取り組むことにしました。

この活動にはどのような形でも参加できる、だれでもが参加できる

自分で植林する、植林する人を支援する、


製品の加工分野で参加する

できた産物の消費者になって支援し、自分も健康になる

種を配布してモリンガを広める。

みんなで、今の地球(自分や家族)、

明日の地球(子供や孫)をまもるためにあなたにできる行動を

今すぐに始めませんか?

お問合せ:NPOアジア植林友好協会



「生命」をつなぐ行動を

2017-03-09 18:44:45 | Weblog
生き残るための行動を!みんなで!!
オランウータンの悲劇は、人類の悲劇です。かれらの絶滅の次は、人類 だから、自分たち人類の生命を繋いでゆくために、オランウータンを、熱帯雨林を守る行動をみんなで!オラ......


オランウータンの保護支援活を訴えてきたのは、人類存続の危機を感じてきたからです。

1年前はオランウータンの危機をアピールする余裕がありましたが、

もう人間のための行動を起こさないとこの危機を乗り越えられないと
感じるようになったからです。

人間自身の活動を「全て環境改善に役立つ方向に変換」しないと地球人類は

危機に陥るCO2だけではなく現代人類がかけている環境負荷を極小にして

環境を良くするために自然のチカラを借りられるような方向に行動することは

今を生きる大人の責任です。


今を生き、未来に繋ぐ、そこには子供たちがいるから。。

植林は地球に生きる人類社会の基礎であることを認識して行動すること

あなたにも行動する能力は備わっています。


子どもや孫の世界をより良いものにするために、今すぐ行動を!!



生命の木を植える活動


オランウータンの支援活動を休止します。

2017-03-07 18:13:24 | Weblog

1997年7月に
インドネシア東カリマンタン州のバリックパパン市郊外のワナリサットにあった

オランウータンのリハビリセンターを初めて訪問した時から20年余りになりました。

この間さまざまな個人の皆さんや法人の皆さんにご寄付をいただいたり、

会員として支援をいただきこれまで支援活動を続けてこられたこと

心より感謝申し上げます。


現地側も当時はバリックパパン オランウータン サバイバルソ サエティーという

団体でしたが、その後2003年に現在の財団に改組されました。

現在まで継続して支援活動を行ってまいりましたが、根本的な部分で人的、経済的に支援

をつづけてきました(株)ビーボコーポレーションの事業の縮小のなかで

苦しい運営を強いられてまいりました。

この4年余り他の一般個人や企業から十分に活動資金と人材が得にくい状況に陥っており、

存続について腐心してまいりましたが、引き継ぐべき資産もない状況で、

後継に継承していただくことも困難と判断し活動を休止することいたしました。

オランウータンを取り巻く環境はますます困難になってきておりますが、

BOSインドネシア本部が政府にも後押しされて、

これまで以上に自然界へのリリース積極的に取り組んでおります。

オランウータンの保護の問題が解決したわけではありませんので、

休止は断腸の思いですが自身の体制を立て直すために已む得ない決断を

させていただきますことご報告させていただきます。



なお、今後は「オランウータンの森づくり」につきましては

別のNPOアジア植林友好協会に引き継ぎます。

その他の部分は、一個人としてできる限りオランウータンの

支援にはかかわってまいる所存でございます。
(今後は NGO BOS-Japanとして)

長い間にわたりご支援をいただきました

すべての皆様に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

BOS日本 宮崎林司

南方戦没者慰霊碑のこと~あなた日本人なんだから~

2017-03-02 10:24:10 | Weblog

2003年にバリックパパン市を通じて
農民の土地にチークを寄付させていただきました。

その時の市の職員との交流会で
バリックパパン市の観光局の責任者の方から
思いがけず声をかけられました。

「日本軍の慰霊碑があるが手入れされていないで気の毒に思っている。
 あなた方は日本人なのだから、何としてくれないか?」

と言われました。
それまでなんどもバリックパパン市を訪問していたのですが
戦没者の慰霊碑の存在自体を知りませんでした。



日本に帰って早速各方面に問い合わせをし、厚生労働省にも
確認をしましたが、その存在自体が国の資料にないことも判りました。

この立派な慰霊碑は民間の矢倉弾正さんという方が建てられたことが
判りました。

現地の方に管理委託をされていたようですが、その方がジャカルタに転居
されて、管理がされていなかったようです。

初めて訪問した時
結果的にほとんど管理がなされないでいたために周りの農民に敷地に
侵入されて、慰霊碑周辺の花木も貧弱で、板で造られた垣根も壊れて

市の職員の言われたようにいい状態ではありませんでした。

そのような経緯から2004年から植林体験ツアーの皆様と慰霊碑を参拝
するようにしています。

しかし、国が認識していない慰霊碑なので資金支援もないので大きく
改修することもできず、自費で花木の追加植林や現場管理している

女性に管理費をわたすような活動とツアー都度、参加者のみなさんには
慰霊碑を訪問していただくようにしてきました。

この慰霊碑のある所では5000名の捕虜の方が尊い命をなくされ、

オーストラリア軍との激戦や戦いの後サマリンダ方面撤退行軍のときに

尊い命をなくされた皆様は18000名以上であることが、

弊社の植林事業の支援者でもある「拓殖大学山岳部OBの藤原謙二様から

詳しく調民間人により建立された慰霊のべていただき詳細なレポートを
いただきました。

マングローブを植林=藤原さま

以前、私どもで調べたとき、日本の厚生労働省では、戦争の実情も、
慰霊碑の存在さえも把握していませんでした。

そして、彼らが認知していないので、慰霊碑の維持管理に何等の資金も
出せないとのことでした。

大戦の事実を伝承して、再び戦争を起こさないように指導すべき
厚生労働省はこのような事実も掌握していないなんて信じられない思いに
なったことを覚えています。

日本国のために、若くて尊い命をなくされた方々や
そのご遺族の心情を察しますとき無念さを感ぜずにはいられません。

せめて存在を気づかしていただいた私たちだけでもできることを続けようと
考えて、以来、私どもでは植林体験ツアーに参加していただいた皆様は
慰霊碑に参拝していただくようにし、献花をさせていただいています。

★海岸浸食
しかし、慰霊碑の前の海岸が浸食が進んでいて、
わずか5株のマングローブしか残っていたのが、いまでは2株しかない

状況になっています。
海岸線を少しでも植林により再生し浸蝕を止めたいと考えて、

2005年にマングローブ1000本の植林をツアー参加の皆さんと行いました。

しかし、残念ながら波に洗われて、ほとんど枯れてしまいました。
その後2014年にも再チャレンジもしましたが、
すべて波にさらわれてしまいました。



その様な経緯からその後は何もしないで今日に至っていますが
最近の海岸の浸食は気候変動の影響か激しくなっており、何とかしたい

と考えていた所、現在、大学生の方が戦争のときの体験を聞き取り、

現地の当時の関係に聞き取りをし、交流を深める留学を計画している
ということで訪問を受けました。

私は戦後直後の生まれで余命も10数年かと思っていますが、貴重な
彼の想いの実現を後押ししたいと考えて、未完成のマングローブの

植林に真剣に挑戦したいと計画を立ち上げたいと考えています。
マングローブの植林については現地のマングローブセンター長と

を訪問して協力をお願いしていますので、今回は、根付いてくれる
と信じて取り組みたいと思っています。

現在も浸蝕は続いていて、7年前に植えたモクマオも根こそぎ
倒されていて、深刻な状況です。