美しい地球環境を未来に!

最近の異常な気候はなんだか変だ!
地球温暖化のために「できる行動は?」役立つ情報を発信して行きたいと思っています。

植林のすすめ

2016-12-30 11:16:11 | Weblog
人類はその時々にかかわり方は違っていても、

いつも森とのかかわりの中で歴史を紡いできた

人類の豊かさは「豊かな森の多さ」に左右されてきた。

現実に今も森林率の多い国は、概ね雨量の多さを含め

自然の恵みを頂いて生活の豊かさを享受している。

毎年、植林は無心で、植えなければいけない所があるから植える

この木が立派に育つ頃には、自分はどうなっているかはわからない。

結局、次世代の子どもや孫の時代の安全、安心、平和のために植えていると

考えています。


『木を植える一番いい時期は20年前だった。
 だが、次にいい時期は、今である。』(中国のことわざ)


でも、今を生きる私たちが、種を蒔き、植林をしておかなければ、
芽が出てくることもないし、森も育たない、まして、花は咲かない。

2017年は

地球規模のCO2による温暖化、気候変動対策と貧困飢餓問題解決に役立つ

「奇跡の木」「モリンガの植林」を100億本を目指してスタートします。

一人一人が「呼吸することで排出するCO2をゼロにするためには、
2本のモリンガを植えて育てることで可能です。」

人類の未来の為に今を生きる人として、役割を果たしてほしいと願っています。

あらためて写真を見て驚いたこと

2016-12-28 15:20:15 | Weblog
インドネシアバリ島の火山爆発被災地の植林を始めて10年目

昨年から、これまでにない厳しい環境での植林になっている。

火山礫だけが降り積もったままの土も砂もない環境です。

こんなところで植林しても無理だと思った。

でも、日本人としてなにもしないわけには行かない。

火山礫の台地に「大きな穴を掘り」「堆肥と土」を運び入れる。

苗木の根っこが露出しないように生分解にプラスチック鉢に植えた

苗を使う。

植えた苗木の周りに肥料効果のある草の種をまく
これは乾燥防止、苗木が根を張るまでの保護効果を期待して実施

そんなやり方が良かったようで90%以上の活着率でした。

信じられないような結果、感動です、すばらしい!!

自然のチカラ、植物の強さに感謝でした。


本当に大切なプロジェクトだね!

2016-12-23 20:16:33 | Weblog
2007年にこの土地で植林を始めて今年で10年目を迎えました。

2006年この土地の下見に訪れた時、植林にはとんでもなく厳しい

不毛な土地に驚きました。

始めは1本植えては1リッターのペットボトルを1本の沿えるという

ようなやり方で始めましたが、けれては植え替え、枯れては植えかえる

というような活動から始めました。

昨年からは、火山爆発でできた火山礫層の大地に木を植えるという

常識を超えるような環境での植林にその厳しさをひしひしと感じ

ました。

ここでへこたれるわけにはいかないと何とか知恵を絞り出して

植林の常識ではない発想で昨年は画期的な方法で植林をしました。

その結果、信じられないような成果が得られました。

ほぼ90%が根づいてくれたのです。


関わってくれた皆さんすべてと自然のチカラにただただ感謝の気持ちでした。

そのような土地で今年も取り組みました。

ジオパークに指定されたバツゥル山の火山爆発被災地の

植生を回復させるための植林体験ボランティアツアーと

東カリマンタン州のボルネオオランウータンサバイバルファンデーション

のオランウータン保護施設内で昨年火災被害を受けたエリアの

再生植林などのボランティア植林体験ツアーを

12月9日から15日までの日程で実施いたしました。

今年は日本から18歳から70歳までの9名の参加でしたが、

まとまりよく行動していただきました。

12月9日に成田を出発し夕刻にデンパサールに到着し、

夕食後、植林活動地のある「キンタマニー」のホテルに

11時過ぎに到着しました。

翌10日は朝8時からデンパサールから来てくれた外国語専門大学

STIBAの学生20名と合流し、

昨年も参加してくれた学生が何人か今年も参加してくれて感動の
再会ができました。

また、今年は国立キンタマニー第一高校の日本語コースの

学生100名も参加してくれました。

今年初めて植林する「中バツゥ-ル地区」の住民の皆さんの

協力のもと数年前の米国のジュリアロバーツ主演の映画撮影の

行われたポイント周辺の整備をかけての植林を行いました。

期間中12月5日には、今年異常気象で7月以来、雨のなかった

バリに約半年ぶりの雨が降りました。

作業を始める前には降っていなかった雨が、

昼前には激しくなり皆さん全身ずぶぬれになりながら、

足場の悪い中、

熱心に取り組んで頂き2000本を植林していただきました。

翌11日は、早朝8時より「植林祭イベント」の受付を開始し、

順次植林作業を行いました。

地元のボランティアグループも参加して」AGFNとSTIBA、

キンタマニー第一高校のグループをあわせて約500名で

4500本の植林を行いました。

樹種はこれまでの経験から成績の良い「アンププ」のみを

生分解性プラスチックのBIOPOTで育苗して使用しました。

この苗の活用により活着率がグーンと向上し、

昨年、植林したものも90%以上が生育していて

信じられないほど大変すばらしい結果につながっております。

今年のトピックスは

インドネシア政府の林業総局長がお忍びで参加されて、

熱心に植林をしていただきました。

「本当に大切なプロジェクトだね!」


「奇跡の木」モリンガ100億本プロジェクトを始めます。

2016-12-08 16:26:12 | Weblog
奇跡の木=モリンガを100億本地球に植えよう!
2016-12-08 16:23:10NEW !
テーマ:ブログ
1999年から地味に一生懸命にたくさんの皆様の協力、参加を頂いて、いろいろな形での植林を実行してきました。

①始めは山火事被害を受けた天然おもりの再生のために地場の樹種を二次林内にうえる樹 
 下植林を行ってきました。(累計431535本)

②次に完全に草原に待ってしまった土地には地場の樹種を植林しても育たないので、乾燥、 
  太陽光に強く、しかも付加価値成長が高く、地元の人たちの将来収入につながる樹種とし 
  て「チーク」を植えてきました。(累計621715本)

③NPOアジア植林友好教会として環境再生植林を(累計122,563本)
④NPOボルネオオランウータンサバイバルファウンデーション日本としてオランウータンの森
 づくりとして地場の樹種を植林実行(累計11,043本)

植林を始めた時の目標 百万本を超えることが出来ました。(全累計1,186,856本)
全ては呼びかけに答えていただいた皆様の支援、参加のお蔭様と感謝しております。
しかし、
冷静に考えてみれば、この結果としておよそ868千トンのCO2削減にしか役立っていないことにきずきました。
私たち人間が自然の吸収能力を超えて排出している150億トンのCO2を吸収させるほどの植林プロジェクトを推進したいと「100億本モリンガ植林プロジェクト」を立ち上げました。

モリンガは「奇跡の木」とも呼ばれるほど素晴らしい「樹」です。
スギの20倍以上の成長が期待できて、葉、花、実などすべてが人類の生活に役立つ凄い木です。マメ科で育てやすい木を人類みんなで取り組めば成長過程でCO2を吸収してくれて、そのうえ葉っぱや実の活用により栄養不良の人達の役に立ち、貧困問題にも役立ちます。

人類の抱える問題解決の為にモリンガの100億本植林プロジェクトにあなたもぜひ参加ください。(問い合わせ rinji@agfn.orgまで 

揺らぐ平和 その道は地獄街道と呼ばれていた

2016-12-06 16:34:23 | Weblog
1945年8月現在のインドネシア東マリマンタンの東岸の
バリックパパン市、

海軍第21糧食生産隊の製糧士だった軍属の川崎志郎さん(89歳)

は泥と汗にまみれながら、105キロ離れた街サマリンダを目指して

密林の中を急いでいた。

バリックパパンからサマリンダまでのこの道は「死のサマリンダ街道」

と呼ばれていた。

1945年主にオーストラリア軍の連合軍がバリックパパンに逆上陸してきた。

戦力に劣る日本軍はサマリンダへ敗走。

当時はおそらく鬱蒼としてジャングルで道なき道、食料の補給も何もない

中をひたすらサマリンダを目指して敗走

この街道だけで数千人が戦病死している。

川崎さんの任務は食料の奪還と搬送だった。

武器も援護もなく敵に奪われた食糧庫をめざした。

恐怖と緊張感だけだったと述べておられます。

疲れ切った仲間は、マラリヤや赤痢、脚気などにおかされていた。

川崎さんは食料を担ぎ、ひたすら「地獄街道」を歩きつづけた。

弱り切った仲間に手を差し伸べる余裕はなかった。

生き延びるために仕方がなかった。

川崎さんは8月15日ではなくその5日後「地獄街道」道中で

伝令で知らされた。

未だにジャングルの中で眠っている同級性や徴用で来ていた人が

126名もおられるそうです。


この地獄街道の沿線のサンボジャという地域で2000年から植林を

始められたのも、このような皆さんの尊い生命の犠牲があった事実

のおかげさまで活動をさせていただいているということを考えると

いも言われぬご縁を感じさせられます。

同時に、この地で犠牲になられた先人に今、生かされていることに

感謝の気持ちで一杯になり、

自分が頂いた機会を精一杯真剣に

植林に取り組みたいと考えて継続しています。

結局、人は、次世代に何かを引き継ぐために「今を生きる」

ということが一番大切だと思っています。

尊い犠牲の上に立ち、平和な植林活動をして、次世代に引き継ぎたい

と願っています。

「生命の森づくり」というプロジェクトは、たくさんの皆様のご参加

ご支援を頂いてこの地で実施しています。



バリックパパン市の南方戦没者慰霊碑のこと

2016-12-01 14:53:45 | Weblog
バリックパパン市の南方戦没者慰霊碑のこと

1997年からインドネシアの友人に「遊びに来ないか?」と誘われて
インドネシア東カリマンタン州のバリックパパン市を訪問しています。

2003年9月にバリックパパン市の観光局の責任者の方から、日本軍の
慰霊碑があが手入れがされていないで気の毒に思っている。

あなた方は日本人なのだから、もっと整備してくれないか? 
という助言をいただきました。

それから慰霊碑を探して参拝をさせていただきました。

残念ながら慰霊碑の周りは荒れ果てて、周りを取り囲むフェンスも
倒れかけていました。

どうしていいかわからままに帰国してから、厚労省を訪問して
バリックパパン市の慰霊碑について問い合わせをしました。

厚労省では慰霊碑の存在さえも把握されておりませんでした。

存在が認識されていない慰霊碑を手入れする資金もないという話でした。

気が付いた自分たちで何とかしなければ放置されたままの状態て
荒れ果ててしまうということが判りました。

資金力のない自分たちに何ができるかを考えて、
次の植林体験ツアーの時にみんなで訪問して、

慰霊碑前のゴミだらけの海岸の清掃活動を行いました。

慰霊碑に通じる道路の両側に花木を植えて、整備を行いました。

それから以後、植林体験ツアーで訪問の都度、この慰霊碑を訪れ参拝しています。

海岸の清掃したときに海岸が浸食されていて、
マングローブがわずかに4本だけが残されていた状況を何とかしたい

との想いでマングローブを1000本植林しました。
しかし、残念ながら徐々に全部が波に流されてしまいました。

以来3度植林を試みましたが根付くかせることが出来ないで
今日に至っております。

この慰霊碑のある場所では5000名の捕虜の方が尊い命をなく
されたそうです。
また、戦争中はオーストラリア軍との激戦やサマリンダ方面撤退行軍のときに

道中のジャングルで尊い命をなくされた皆様は18000名以上であることが
わかりました。

日本の厚生労働省では、この慰霊碑を認知していないので、
その維持管理に何等の資金も出せないとのことでした。

大戦の事実を伝承して、再び戦争を起こさないように指導すべき厚生労働省は

このような事実も掌握していないなんて信じられない思いで一杯です。

この出会いを機会に、私たちが平和な社会でこの地で植林活動をさせていただけるのは、

日本国のために若くて尊い命をなくされた方々のおかげさまであることを知らされました。

せめて存在を気づかしていただいた私たちだけでもできることを続けようと考えて、

以来、私どもでは植林体験ツアーに参加していただいた皆様には
慰霊碑に参拝していただくようにしています。

たくさんの先人皆さんの犠牲の上に今の私たちの生活があることを想う時、

先人に対して、ただ感謝し、次世代へ事実の継承を心していきたいと考えています。

今年の植林体験ツアーでも12月12日に東カリマンタンを訪問致しますので

皆様と一緒に感謝のごあいさつをさせていただく予定にしています。