孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

矛盾に満ちた人間関係だけに…孤独の自由にして己独りが至福を味わうしかありません。

2019年02月21日 | Weblog
万物の長たる人間には思い考え記憶したり物事を意識することができます。

また主に肉体や感情体で生きているところがありますから、それに拘り執着していることが多くなります。

ちなみに体調などの体に悪いことが起きていればそれが常に気になっていますから、その分だけ他のことに手を付けられずにして…思うようにならない体調に拘り執着していることが多くなります。

また様々な人間関係からしてお気に入りの人となればその人を意識している時が多くなりますし、逆に気に障る人の場合でも同じですから…何かと人間関係を意識している・拘り執着していることが多くなります。
…気になっている分だけ他ごとに手を付けられずにいます…
…集中できずにして手抜きとなったり・やる気が失せることにもなります…

何はともあれ…人間は一つの事しか意識できないから…尚更に拘り執着することにもなるのです。

ちなみに複数のことを意識しているときは・あれこれと代わる代わる意識することになりますから・その分だけ集中力に欠けることにもなります。

また満足していることよりも不平不満になっていることに拘り執着するのが人間の特性にありますから、結果的には不満に拘り執着することになります。

だから明るい表情よりも暗い表情や渋い顔をしている時が多いわけです。
ちなみにそれが苦労苦悩となれば尚更です。
となれば…身近な人や周囲の人に迷惑を及ぼすことにもなります。

だから渋い顔をしている人に集まらないが、明るい表情でもって微笑みに満ちている人に集まりたがるのです。

とは言っても…俗に言う八方美人を装う偽善者となれば…それを見抜く賢い人は惑わされません。

そしてもっと賢い人ならば…無駄で余計なことになる矛盾に満ちた人間関係から離れて静かにしています。
…その方が安心安全で無難なのです…

然るに…口は禍の元となり・沈黙は金となるのです。

また矛盾に満ちているから…負けるが勝ち・逃げるが勝ちともなるのです。

然るに人間関係での被害者にも加害者にもならずに穏やかに過ごせるのです。

となれば…肉体や感情体に拘り執着しないで己の精神で生きていくことにもなります。

また欲に満ちた人は数多くの人間関係を求まますが、欲がなければ当然ながら人間関係は必要ありません。
…己の自力と自信でもって何とかやり繰りして他力に頼ることにもなりません…
それだけに…世間に目立つ存在とはなり難いところがあります。

ちなみに人間関係がなければ孤独が孤独感になる人も多いようですが、その原因は他力に依存したがるところがあります。
だから多くの人間関係が必要にもなっているのです。

ちなみに多くの人を集めて壇上に立っている人が苦手なのは己独りになる孤独なのです。
それゆえに日々常に…妄信し信者如くになっている人々に取り巻かれていることで蔓延のほほえみ笑顔を見せています。

またそれだけに集まりが終われば二次会のカラオケ騒ぎや飲み会のはしご酒をしてまで酔いつぶれ・疲れ切らなければ…夜更けの一人寝の静寂・孤独が寂しく苦になるのです。

ちなみに夫婦同伴で集会に参加するくらいの相思相愛ならば、集会が終われば夫婦でいる時間を大切にしますが…それができる先生方はまずいないでしょう…

また真の相思相愛ならば…わざわざ雑多雑踏の中に出掛けることもなく…心静かにして共に寄り添いながら至福の時を過ごすことが多いはずです。

何はともあれ…夫婦相愛なんて元からないから・絵に描いた餅だから…殆どが単身で来ています。
なのに夫婦で来ていれば監視するためにいるようなものです。
ちなみに華やかな社交界であっても似たようなものです。

ちなみに見た目や偏見差別で書いているのではありません。
…矛盾偽善に満ちているのが人間関係だからです…

何はともあれ…相思相愛が如くの関係になることには絶対的に無理がありますから…孤独の自由にして己独りが至福を味わうしかありません。

然るに心身の健全健康にして何の苦労も苦悩もなく精神安定にして時を過ごすしかありません。

だからそのために自己縮小をして・不満と欲から卒業して…欲張らないで生きていくことになるのです。

今まで見失っていた・気付かなかった「生きている価値」を味わうには…

2019年02月21日 | Weblog
人間は誰も皆が<欲>を持って生まれています。

だから好き嫌いで選り好みした結果の恋愛関係は欲にかられた特別な人間関係になります。

ちなみに欲が絡まなければ特別な人間関係は成立しません。

となれば…恋愛にも結婚にも子育て家族にもなりません。

然るに…欲絡みから始まったのが家族なのです。

ちなみに不完全で矛盾がある人情愛情は欲から出た情けや欲情になります。

ゆえにその欲が消えれば・その人間関係も破綻し離別別居離婚や家族崩壊や子捨てにもなっています。

なのにそれに懲りずに同じ繰り返しをしている人も多いようですが、もう懲り懲りとなっている人や面倒なことはいやだとばかりに生涯独身を決め込んでいる人も多いようです。

そこで欲絡みの肉体や感情体に関係のない自然体ならば…皆して共に生きている成り行きからしての「お互い様」と「おかげ様の」見えない離れた関係となり…

また人それぞれが生きていくために個性性格を発揮したり収入を得る働き役割使命を果たすことになりますから…皆して共に生きているだけで十分価値があります。

しかし残念なことに欲から始まる人間関係が多いことからして…様々な欲が絡んだ複雑怪奇で裏表の出る矛盾する人間界になって…どうすることもできないままに混迷しています。

ちなみに豊かな自然界の恩恵でもって生きているだけで十分納得できるのに…
これまた欲張り人為人工的な諸々を発明したり創作したりして文化文明が進化発展するも、その裏が出て自然界の悪化が進み、さらに人類滅亡につながる諸々が増え続けています。

となれば…このまま欲にまみれて生きていくのか、その欲から離れた生活を実践するのか、その二者選択ともなっています。

その選択の結果は己自らが味わうことになるだけに…世のため人のため家族のためならぬ…己のために行動するのが…個人意識を持った人間の道なのです。

ちなみに仲間と一緒になんてことは土台無理なのです。
仲間が集まるハーレムやコロニーとなれば当然ながら人それぞれの欲が絡んで中途半端なままに推移することになります。

だから先ずは己が先陣を切ってやるしか他に道が無いのです。

そして欲から離れてストレスから解放された生活でもって心穏やかに暮らすことになれば…今まで見失っていた・気付かなかった「生きている価値」をはじめて味わえることにもなるのです。

矛盾の人間界だけに諸々の円満を求め続けていると・裏が出て・築き上げた円満が崩壊する

2019年02月20日 | Weblog
この世は矛盾の世界です。
と言うことは矛盾を味わい知り自覚するために生きているようなものです。

ちなみに国家社会が欲張らなければ衰退するばかりです。
となれば侵略され支配されることにもなります。

それを歴史史実が証明しています。

だから人間界では欲張ることが当たり前なのです。
…幸せを求めて欲張ることが当たり前なのです…

また自分さえ良ければの個人意識は誰もが公平にして持っています。
だから個人的に仕事円満・恋愛円満・夫婦円満・家族円満・セックス円満を求めて互いが集まりそして欲張り続けています。

だから人が集まるところには欲が渦巻いているのです。

ところが矛盾に満ちた世界だけに欲張ったことの裏が必ず出てきます。

そして円満な生活の幸せを求めてきたことの裏が出ると…その円満が崩れ不幸になります。
…幸せを求め続けたことが結果的には不幸のどん底にもなるのです…
…それが矛盾なのです…

ちなみに名誉名声肩書や権威権力や財力を成したものが円満生活で幸せだったかと言うと…自己満足を得るための苦労苦悩の連続だったことは明らかです。

何故なら…欲にはキリがないから止まることができなかったのです。

となれば…不平不満と自己満足の繰り返し・喜怒哀楽の繰り返しで老後を迎え死に至り人間を終えます。
…それが果たして幸せだったのか?疑問が残るところです…

ちなみに私は60歳まで自己拡大していましたが…人間関係の理不尽さにふと気付き…このままで大丈夫なのかと疑問・違和感を持っていると…摩訶不思議な必然ご縁の仕組みに流され続けて…やがて月5万円の年金頼りの単身過疎地暮らしとなりました。

と言うことは…求めていた諸々の円満生活から離れる結果になりました。

ところが矛盾の世界だけに…逆は真なりで…
孤独の自由からしていつの間にやら苦労苦悩知らずの心穏やかにして…
喜怒哀楽のストレスから解放された生活を味わっていることに気付きました。

俗に言う…来る者は拒まず去る者は追わずの自然体…追いかければ逃げるが止まれば向こうからくる…逃げるが勝ち・負けるが勝ち・損をして得を得る・捨てることで救われる…となりました。
…まさに逆は真なりです…

そして矛盾の世界から卒業できた現在があります。

そして矛盾の世界だけに…事の始まりからして何も欲張らなければ…すべて良しとなりました。

然るに…事の始まりとなる不満と欲から離れることでグーたら生活になるも…
しかし衣食住に恵まれた生活でもって生きているだけで満足納得となった次第です。

そして何よりも歳負うごとに心身の健全健康が決め手になりますから…万病の元となるストレスをためないことです。

ちなみに心身のストレスからして…引き込もり老人になったり、また医者通いや寝たきりや認知症の原因にもなります。

…私が自己拡大をしている最中は家庭常備薬やサプリメントを愛用していましたが…ストレスから解放された今では自家製のドクダミ茶を飲んでいるだけです。

そして頑張り欲張り無理しない、然るに余計なことをしない、然るに無駄なことをしないでグーたらに過ごしていますから…暇つぶしが一日の仕事になっています。

しかしそれで十分なのです。

もしそこで欲張れば苦と楽の喜怒哀楽を味わいながら・人間関係の理不尽さを味わいながらのストレスまみれの生活に戻ることになります。

世紀末の頃から…人類終末説とアセンション説が…予言が如くに言われているはなぜ?

2019年02月20日 | Weblog
この世は原因あっての結果の世界です。
だから結果と原因は離れていませんから同体です。

そしてこの世は結果であり原因はあの世にあります。
だから結果が消えてなくなっても原因が消えたわけではありません。

だから結果の人間を終えれば原因のあの世に戻ります。
そして原因がある限りまた結果が出ます。
然るに人間として再び生まれ変わるのです。

ちなみに宇宙も星々も地球も結果ですから、たとえ地球や人類が消滅しても…原因である天地創造の宇宙・神・愛の仕組みが消滅するわけではありません。

だから原因がある限り同じ結果が出続けることになります。
それが天地創造の宇宙・神・愛の仕組みなのです。

ちなみに…すべてはひとつ・宇宙はひとつと言われるように…宇宙万物も同じですから…それを自然界の営み・自然界の仕組みともいわれています。

然るに宇宙・神・愛の仕組み&自然界の仕組みを簡単に説明する事例にあるのが「空気」と「水」と「氷」の関係です。
その詳しい説明を省きますが…
空気と水と氷は一体なのです…然るに原因と結果が同体であり…結果の姿形が異なっているだけです。

ちなみに人間の死は…肉体である氷が溶けて水となり蒸発して空気になるようなものですから…その見えない空気がまた見える水になり氷になるようなことが繰り返されているのです。

前置きが長くなりましたが…
原因と結果が離れていないことが理解できたでしょうか…
だから…生まれ変わり転生があって当然なのです。

その転生を繰り返しながら…人間としての役割使命を学び知り見極め見定めるために…私たちがこの世で生きているのです。

然るに人間の持つ肉体や感情体に拘り執着して生きていくことではなくして…人間の原因となる精神体でもって生きながら…肉体や感情体でもって結果を味わっているのです。

なのに結果を味わう肉体や感情体に拘り執着して生きることは…本末転倒なのです。

その本末転倒とならないために…自らが気付くために…精神世界なる形が必然にして形作られているのです。

ところが特別な能力を持ったものが…己の不完全な矛盾意識を棚に上げておいて…我こそ神の子・聖なるものとばかりに…自惚れ慢心からして説く精神世界を本物とばかりに…人に押し付けたり、また己の意に反する精神世界を抑え込むことにもなったのです。

だから不完全で矛盾に満ちた精神世界に惑わされた人が世界中に大勢います。

となれば…惑わされたものを目覚めさすための…必然から…新たな精神世界を説くものが津々浦々に現れ出ますが…
そのミイラ取りがミイラになるのも…人間が持つ「欲」が原因にあります。

だから巷に欲絡みの矛盾する精神世界を説くものがタケノコが如くに乱立しているし、各々が私が正しいとばかりに主張するから、この世に欲絡みの矛盾偽善のある精神世界がまかり通ることにもなっています。

何はともあれ…この世の始まりからして欲と不満に満ちているから…その不満と欲の原因を無くさない限り…此れまでの繰り返しが延々と続くだけだとして…気付き目覚めたのが現在の私です。

しかしながら…不満と欲を無くすることは絶対に無理だから…
ならば…宇宙・神・愛の仕組みに仕組まれ続けて自己縮小となった私同様に…
東西南北の老若男女の誰もが公平にして実践できる自己縮小しかないと・此れしかないとばかりにブログに書き続けています。

何はともあれ…精神世界に関係なく生きている人であっても…
矛盾に満ちた中でもって不満と欲で生きているからには…喜怒哀楽の繰り返しになりますから…
その心身に害するストレスの原因となる喜怒哀楽から卒業して…成り行き任せの自然体でもって精神を安定し…心穏やかに生きていくには…
自己縮小の実践をして欲張ることなく生きていくしか他に道はありません。

ちなみに信じるか否かになりますが…
此れまで人類が6回滅びていて現在が7回目であり最後のチャンスともいわれています。
だから世紀末の頃から…人類終末説とアセンション説が…予言が如くに言われているのです

十分納得できれば迷うことも誘惑に負けることもない・思い残しのない老後と死となります。

2019年02月19日 | Weblog
ブログの中で様々な偉人賢人・英雄勇者・聖者聖女や神の子と言われる人の矛盾を書けるのも…この世人間界が矛盾に満ちているからです。

然るに矛盾の事実を書いているのです。

その矛盾の最たるもの・事の重大さとなるのが…守り闘う矛盾であり…それが極悪非道となる人間同士か殺し合い戦争となっていることなのです。

そのリーダー主導者が先ほど書いたお偉い方々であり…わかりやすい事例がモーセやイエスやジャンヌダルクや天草四郎なのです。

しかも殺し合いしている当事者のみならず大方の人が間接的に関わっている加害者やその被害者にもなっている矛盾の事実があります。

その多くが私は正しいとして守り闘うことになる常識や集合意識が底支えをしているし…
中には人殺し戦争となる武器や便利な道具を発明したり製造販売している・手助けをしていることになる…その矛盾の事実があります。

然るに事の是非に関係なく・己の思いに関係なく…知らない間に・気付かない間に…多くの人が極悪非道に間接的に関わることになるのが…矛盾に満ちている世界だからです。

ちなみに良かれと思って事を始めたことが…良いことばかりではなく裏が出て悪いとこにもなる矛盾の世界なのです。

だから先ほどのお偉い方々も同じなのです。

その矛盾を見極め見定めたのがこのブログなのです。

そして結論付けたのが…矛盾となる事の始まりの原因である…不満と欲から離れるために…欲張らない実践をするしか他に道はないと見極め見定めたのです。

然るに世間一般的な喜怒哀楽の<矛盾>で生きることを卒業するためです。

そして基本となるのが…何を成しても矛盾となるからには…生きているだけで十分と思える意識に修正改革することなのです。

それを事実にして味わっていると…生きていることの価値に気付き目覚めることにもなるのです。

然るにその最たるものが…喜怒哀楽のストレスのない…精神安定にして心穏やかに過ごせること…それが地上の天国が如くに思えるようになったのです。

すなわち自然界の恩恵を受けながら…衣食住に恵まれた生活ができるだけで十分納得できるようになるのです。

然るに十分納得すれば迷うことも無くなり、また誘惑にも負けない、しっかりした精神体・意識体となって日々を過ごし、やがて拘り執着未練もない・思い残すこともない老後と死を迎えることになります。

だから矛盾にまみれたままの中途半端な人生で終えるのか…

それとも不満と欲から離れた人生をまっとうして終わるにか…

その選択を課せられたのが…前もって仕組まれたこの世であり…

その矛盾する世の中で生きている私たち人間の宿命とも役割使命とも言えるのです。

😻あんたが主役となって💓ハッピーエンドとなるには…

2019年02月18日 | Weblog
アダムとイブの頃から欲張り続けた結果が自然界の悪化と人類の命に係わるまでの危機的環境状況となっていますが…

その環境状況を食い止めたり元に戻すならば…

事の始まりの不満と欲を終わらす・無くさない限り…一時の急場しのぎになるだけで根本的な解決には絶対に至りませんし…

欲張ることが続いている限り危機的環境や状況が更に進化拡大し続けますから、人類滅亡のシナリオが言われ続けることにもなっているのです。

ちなみに世界中に原発がタケノコが如くに増え続けている事例があります。

と言うことからして…このブログを読まれた方々の中から…水を得た魚や鬼に金棒となったり、また目覚めたが如くにして…欲張らない実践を始める人が増えていけば…ブログの価値があるというものです。

ちなみに聖書経典や神社仏閣教会や何らかの組織団体に頼ることでもなく、また新たな世直し救世主が現れてくることを思い願い信じ頼る必要も全くないのです。

然るに古今東西の老若男女の誰もが公平にして実践できることですから…

映画ドラマが如くに…あんたが主役!…となって実践し始めることになります。

そして上手い具合にいけば…シンデレラストーリとならなくても…
ハッピーな精神でもって心軽やかに生きて老後と死を迎えますから…
ハッピーエンドとなります。

無理しちゃダメよ、執着してはダメよ、欲張っちゃっダメよ、またお邪魔虫はダメよとなりました。

2019年02月17日 | Weblog
私は精神安定にして暇していますから、何事か起こると、その結果よりも、その大元の原因を深く追求しています。

ちなみに車を運転していて接触事故を起こしたときに、その事故ったことを後悔しても元には戻りませんから…
だから結果の後悔よりも、大本の原因のほうに意識を使う時間が多くなります。

ちなみにそれが暗い夜間の場合だと…夜間に運転しないほうがいいとなりますし、さらに突き詰めれば…生きていくための重要なことではない限り運転しないほうがいいとなり、結果的に運転してまで出かけることがどんどん減ってきましたから、更に暇する時間が多くなっています。

ちなみにガソリンスタンドへ行く回数も減っていますから省エネになり無駄な出費をしないばかりか、当然ながら運転するストレスも減りますし、その分だけ呑気気楽な安心安全な生活ともなります。

そして無理しちゃダメよ、執着してはダメよ、欲張っちゃっダメよ…の結論になります。

また限られた人間関係だけに…先方にお邪魔虫とならないためにも…必然性が薄ければ・急ぎでなければ・出掛けていくことはありません。
ちなみに後回しにしていたことが重なりその必然性が高まれば…仕事帰りのついでに立ち寄り…そして長居は無用の・お邪魔虫にならないためにも…足早に立ち去ります。

そのお邪魔虫とは…先方に余計な気づかいさせることであり…
冬場なら部屋の中でストーブを点けて暖かいコタツの中でテレビを見ているのに私が邪魔することであり…
私が来たためにストーブを玄関まで運んでくるから厚着をしていない先方が寒い思いをするし、お茶や茶菓子を出してまで私の相手をすることになるからです。

ちなみに私方へ重要でもない用件で誰かが来られたら…先方が私に迷惑をかけているお邪魔虫の加害者ともなります。

ちなみに私が神経質だと思うかもしれませんが…大した要件でもないのに来訪者が来たことで…私が気疲れ気苦労のストレスを感じていることは確かなのです。

だから逆は真なりにして…私が急用で重要でもないのに先方へ出かけることを遠慮するわけです。

また…口は禍の元となるし、沈黙は金なりからして心静かに静寂を味わえることはそれだけの価値があるのです。

しかし日々を忙しく立ち回っている人には静寂が孤独感にもなります。

その孤独感からして人様と井戸端会議が如くのおしゃべりでもって満足しながらも、それが無駄で余計な会話ともなり…またそれが相手の思いや感情や心を傷つけることになったり、身近な人の陰口にもなったりして…何かと迷惑を及ぼす結果になっていることに気付いていないかもしれません。

…相手のことを深く思いやって…それほど追求することもないでしょう…

ちなみに私は人間関係がごく限られているだけに…粗相がないように…相手の心情を思いやっています。

だから牛舎のパートで堆肥を袋詰めしていますが、その掃きだめを集めて、ご縁ある農家の方々に何度か運んでいますが、相手が在宅していても気付かれないように軒先に積み重ねて静かに現場から離れています。

ちなみに先方も私の気性を知っているだけに・わざわざ返礼の電話が掛かってきたりしません。

その代わりに…私が香川県の地元に帰る時にお土産代わりに収穫された野菜などをふんだんにもらって持ち帰っています。
ちなみに山の上で栽培された野菜などは特別においしいと評判になっています。

こんな些細な事柄をあれこれと深く掘り下げて無駄なく書いていることの価値が理解できているでしょうか…

集合意識の常識には多くの欲が隠れているから、その欲まみれの時代が続くのです。

2019年02月17日 | Weblog
大多数の思い集合意識が常識となり、その集合意識の常識からして伝統風習が形作られ道徳が言われ、それらが文化芸術や教育指導ともなり、それが政治経済とつながりながら時代が進化発展しています。

然るに事の始まりの常識次第で方向性が右にも左にも上下にも決まるのです。

しかも常識に縛られたり押し付けられたり、また道徳でもって抑え込まれたり押し付けられたりしているのです。

然るに人それぞれの自由が損なわれているのです。

だから人それぞれの性格個性や役割使命までがゆがみ変形してくる原因にもなるのです。

また常識離れすると異人変人奇人や愚か者半端者と蔑まされたり…
また異端児や魔女サタン呼ばわりされて迫害されたり、また生き埋めにされたり絞首刑やギロチンや火あぶりなどで公開処刑されたりした時代があります。

また伝統風習の中にも…崇拝する偉人賢人が死ねば殉死者が出たり、また強制的に道ずれにするような特異な事例があったり、
また災害異変とならないための供養や魔除けに血祭があったり、また処女を生け贄にしたり人身御供や人柱と言った風習さえありました。

然るに常識から事が始まりそれが進化拡大発展して極悪非道の伝統風習にも変わるのです。

ちなみに犯罪者を犯罪者と判定するのも処罰したり処刑するのも元は集合意識の常識が原因だと気付いているでしょうか…

また極悪非道な独裁者ヒトラーが現れた事の始まりは…私は正しいと思う集合意識から始まったことなのです。

ちなみに勝てば官軍負ければ賊軍と呼ばれるのも集合意識が原因なのです。

然るに…たかが常識、されど常識ともなり、大ごとになるのです。

その常識となるには大勢の人が集まらなければなりませんが、人が集まる原因に欲があります。
ちなみに欲がなければ人が集まることは絶対にありません。

然るに欲からして集まった集合意識の常識には当然ながら多くの欲が隠れているのです。

だから欲まみれの時代・闇意識の時代が続くのです。

不満と欲と不確かな<非実在>で生きているところが大いにあります。

2019年02月16日 | Weblog
信仰宗教やスピ系に関わるようになれば…先ずは嘘偽りや騙してはいけませんと偽善を説くことがあっても…この世人間界が矛盾している事実を深く説くことはあまりありません。

ちなみに信じるか否かのある不確かで矛盾のある神々の偶像を崇拝したり祈願したり、また信じる神を正しいとして嘘偽りでもって説教するだけではなくて、欲にかられた人を集めて金儲けや飯の種にしている偽善があります。

だから…偽善や矛盾を深く追求すれば…カチカチ山の狸が如くに己の尻に火が着く人が多いのです。

ちなみに完全真理でもって矛盾を説いていた山田耕栄さんも…
結果じゃないよ原因だよと説くも…摩訶不思議な「結果が出る」と言われているファバラ製品の販売に精出している矛盾があります。

然るに巷の神々や神仏霊魂の世界を説いたり哲学思想や真理を説くものさえ矛盾で生きているということです。

ちなみに世間一般的な人たちが矛盾を深く知り理解納得するにはこのブログを読むしかありません。

ところがこの世人間界が矛盾に満ちていることが理解できても…理解できた本人も矛盾で生きている事実があります。

しかもこの世の始まりの元からして欲張っていますから…その欲を無くさない限り…成す術もありません。
となれば…欲を無くすることしか他に道がないということです。

ところが欲は人間の本能ですから消し去ることは絶対に出来ません。

そこで欲が出ても拘り執着しないでほっとくことができればやがて自然消滅すると書いているのです。

しかし此れまで繰り返し欲張ってきた事実がありますから一筋縄にはいきません。

しかしそれだけではありません。
人それぞれに良い悪いで比較して善悪や損得や優劣の矛盾でもって判断しているところがありますが、それは単なる思い判断であって事実とは異なることに気付いている人も少ないことでしょう…

すなわち判断した人の思いや感情であって…
東西南北の老若男女の誰もが公平にして絶対に納得確信できる確かに見える事実ではないのです。
…思い感情は見えない非実在なのです…

またあなたが悩んでいるようなことでも……人様によってはそれが大きかったり小さかったりあいまいだったり何でもなかったことにもなるのです。
だから確かな事実ではなくなるのです。

またその当時は深刻な悩みだったのに…時がたつにつれ薄れていって…何で深刻になっていたのかと呆れることになったり…やがて記憶にも残らないことになれば…事実と思い込んでいたことが無かったことになるのです。

ところが多くの人は思い感情で生きているところが大いにありますから、結果的には非実在の思い感情で生きていて、今を生きている確かな事実価値を味わえずにいる人も多いことでしょう…

ちなみにこの文書の内容を過去にも何度か読んでいたのに殆ど忘れていたりチョットだけ記憶に残っている人もいることでしょう…

然るに思い考え仮想空想やの想像の世界や過去の記憶などは見ることができない確かではない非実在になるのです。

だから見えている今の事実で生きることよりも…思いの世界の非実在で生きている人が多いとなるのです…

人間として生きている真価価値を味わうなら…

2019年02月15日 | Weblog
人それぞれに性格個性役割が異なっているからには…
しかも…不完全な矛盾する意識を持っているからには…
更に…自分さえ良ければの自己中心の個人意識を持っていますから…

然るに自由平等調和の人間関係でもって生きていくことは…始まりの土台からして無理なことなのです。

となれば…孤独の自由でもって生きていくことが…人間本来なのです。
だから…人間の命魂は自由なのです…

なのに矛盾する人間関係を築き上げて互いが幸せになるはずもありません。

然るに仕事円満・恋愛円満・夫婦円満・家族円満・セックス円満となるはずもありません。
…絶対に無理なのです…矛盾する結果が出るだけです…

なのにそんな土台無理な事を成すには…欲張るしかありません…
となると…矛盾偽善の積み重ね上塗りのストレス人生となります。

然るにその結果が現在なのです。

そして結果的にはその裏が出て自然環境が破壊汚染され人間関係さえも矛盾偽善に満ちた何やらヘンテコな具合になっています。

だから押し付け合ったり、逆に抑え込み合ったりの矛盾関係にもなっています。

然るに束縛制限支配関係や否定反発排除し合う関係にもなっています。

そして人情愛情でもって結ばれるも、その裏が出ると嫉妬憎悪となり、また裏切り合う関係にもなります。

然るに我が子を大切に思うも、その裏が出ると虐待したり子捨てとなります。

またそこまでいかなくても…親の思いを押し付け・子の思いを抑え込むことになっています。

同じく夫婦円満が不倫浮気や暴力沙汰になったり別居別離離婚ともなっています。

またそれに懲りずにして恋愛したり再婚したりしています。

然るに何を成せども矛盾する結果になるのに…始まりからして無理して欲張っているのだから絶対的にうまい具合に事が進むことはありません。

だから無理なことを我慢したり妥協し合ったり、責任を擦り付け合ったり責任転換したり、誤魔化し合って人間関係を維持したり、無理やり守ろうとしていることになります。

そして周りの人をのぞき見しても世間一般的には何やら同じようだからと変に納得したかのようになり、そんな同じ繰り返しを続けているうちに習性や惰性が如くになって、そんな生活が人間ならば当たり前が如くにもなっているのです。

また持ち前の見栄や世間体やのプライドからして欲張ることをやめないで頑張り無理し続けて無駄なことをしているのです。

然るに…もういい加減に気付きなさいとばかりに…書き込んでいるのです。

何はともあれ…この世人間界でもって欲張ることから始まったからには…その欲張りをやめない限り…どうすることもできません。

だからこの世人間界がどうであれ…己がストレスのない精神安定を望むなら…人間として生きている真価価値を味わうなら…欲張ることをやめるしかありません。