ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

火刑都市30年⑨日本橋川・神田川

2016年10月13日 | 火刑都市30年

H大での聞き込みから、「イシヤマ」=菱山と知った中村刑事は、

さらに調べを進め、菱山源一という姓名や、錦糸町のそば屋の養子という素性を知る。

そば屋の主人によると、菱山源一は、かつて働いていた女性の連れ子だったという。

そして、この母子は渡辺由紀子と同じく越後寒川の出身で、由紀子とは深い縁があった・・・


ここで話を戻し、中村刑事が「次の放火の場所」とにらんだ神田(神田橋)を少し語る。

現在の神田橋。江戸時代は近くに老中・土井大炊頭利勝の屋敷があったため、「大炊殿橋」とも呼ばれた

この橋が通るルートは、将軍が江戸城から上野寛永寺に参詣する「御成道」に当たり、厳重に警備されたという

「火刑都市」は、かつての外堀が日本橋川として橋の下を流れている、と記している(注1)。

そこで、その日本橋川をクルーズしてきた

9月21日に東京都公園協会の水上バス「カワセミ」に乗り、日本橋川・隅田川・神田川を周遊した

この日本橋船着場は最近、サントリー「プレボス」のテレビCMに登場したので、見覚えがある人もいるだろう

なお、日本橋架橋100年の2011(平成23)年に整備されたこの船着場一帯は、

故・12代目市川團十郎と4代目坂田藤十郎の東西二大歌舞伎役者が

船乗り込みのセレモニーをしたことに由来して「双十郎河岸」と命名されている

「プレボス」のテレビCMには、このアングルの日本橋も登場する

1911(明治44)年4月に完成した現在の石造二連アーチの日本橋は、

1999(平成11)年5月に国の重要文化財に指定された

その長い歴史の中で、日本の道路網の始点を務めるとともに、

荒俣宏「帝都物語」東野圭吾「麒麟の翼」といった様々な小説・映画で描写されてきた

日本橋川は「火刑都市」の中で、上を走る高速道路(首都高)のせいで陽が差さず、

埋め立てとあまり変わらない、とされている(注2)

確かに隅田川と合流する間際までは、そんな光景が延々と続く

隅田川は次の機会に語ることにして、神田川にふれる

写真は和泉橋が架かる秋葉原の界隈。飯田橋からこの地点までの神田川は、

江戸城の北の防備と江戸市中の洪水防止を兼ねて、本郷台地を掘削した掘割&放水路だった。

本郷台地を削って出た土砂は、江戸城の東に入り込んでいた日比谷入江の埋め立てに使い、大名屋敷の用地とした

現代人が考えても壮大な土木事業だが、これを担ったのが「独眼竜」伊達政宗と伝えられる

このため、神田川はかつて「伊達堀」「仙台堀」とも呼ばれた

この事業については、徳川将軍家と「マーくん」のやりとりをめぐる

面白い逸話がいくつも残っているので、興味がある方は調べてみてほしい

上記の事業の結果、飯田橋から南に流れていた神田川は東に流れを変えた

そして、旧来の川と合流し、「芸妓の街」柳橋で隅田川に流れ込む川となり、現在に至っている


神田橋周辺のビル街をくまなく調べた中村刑事は、とあるマンションが狙われると考えた。

そして、12月1日の夜。そのマンション地下の駐車場に張り込んでいた中村刑事たちの前に、

ついに菱山が現れた。手近な車のルーフに液体を注ぐ菱山。その身柄の確保に動く中村刑事たち。

しかし、次の瞬間、小柄な人影がとび出し、菱山の背に激しくぶつかった。

よろめく菱山の背には、ナイフの柄がのぞいていた・・・(つづく)


注1&注2:「第九章・失なわれた環」359P


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