栃木戦の白星に浮かれる一方で、29日の大宮戦は断念の憂き目にorz
生観戦はおろかCS観戦も難しい
思えば、改装前のNACK5、もとい大宮スタジアムは、我が家の群馬在住時には
最も近いアウエーの地だった。札幌戦に限らず、よく足を運んだ記憶がある。
その思い出も交えながら、札幌が躍進を遂げた00年を語る。
00年のJ2と言えば、良くも悪くも浦和の降格が注目を集めた。
しかし結局は、かのエメルソンを擁した岡田監督2年目の札幌が優勝。
40戦31勝5分け4敗・勝ち点94(当時はVゴール制あり)。
2位浦和に勝ち点差12をつける圧倒的な戦績だった。
そして、関東暮らしの2年目を迎えた我が家は、3号の成長=遠出OKも重なり、
仙台・大宮・浦和・新潟・平塚と、札幌のアウエー戦に活発に動き回った。
また、札幌を脅かしそうなクラブの試合に赴き、敵情視察を兼ねて、
一心に黒星を願う「呪詛」という行為を始めたのも、この年からである(注1)
ただ、札幌以外のクラブの試合に目を配るようになったのは、
後々の自分にとって、プラスになったと思う(注2)
では、この年の印象的な札幌の試合ベスト3を振り返る。
- 第3位:5・8&8・26大宮戦@大宮(2戦とも2対0)
5月8日が3号2歳&野々村芳和28歳の誕生日であり、
8月26日が岡田監督44歳の誕生日の翌日とあって、印象は甲乙つけ難い。
5月の試合は、エメの終了間際の2点目とゴール・パフォーマンスにしびれた。
「俺の名を言ってみろ!」風に両耳に手を当てるエメに、「VIVA!エメルソン」の大合唱
9月の試合は、アウエーG裏の目の前でとび出した黄川田のヘッドが最高だった。
- 第2位:9・28浦和戦@駒場(2対1・延長Vゴール勝ち)
この年の浦和戦と言えば、伝説の「7・29@厚別」が生まれたが、こちらもなかなか。
1対1で迎えた延長戦。播戸のアーリーからエメのシュート、こぼれ球をアウミール、
ポスト直撃、そこにビジュ! というブラジル・トリオが絡んだVゴールは眼福だった。
4戦1分け3敗。札幌に1勝もできずに沈黙した駒場の浦和サポに向かい、
「檻」から「パーティーは終わりだ!」と、おだって絶叫したことを覚えている(注3)
- 第1位:10・21湘南戦@平塚(3対0)
言わずと知れた昇格を決めた一戦。関東の地で昇格決定の瞬間に
一家で立ち会えるとは、前年に離道した時には思いも寄らぬ幸せだった。
「来季は3号にJ1の札幌を見せられる」 それが何よりうれしかった。
試合経過も、名塚主将が先制点、播戸が2点目、エメがダメ押し、と理想的な流れ。
なお、J2以外で印象に残ったのは、高校選手権の群馬大会。
太田市に近い千代田町の東部運動公園で観戦した前橋育英×常磐の準決勝である。
雨の中でPK戦にもつれた一戦は、当時、前橋育英の主将だった青木(鹿島)の
バー直撃が響いて、前橋育英が無念の敗退。前年に続く全国切符を逃した。
この時は、雨の中で涙にくれる前橋育英の2年生エースFWが、
翌年に札幌入りを表明するとは考えもしなかった・・・(注4)
(第6話に続く)
注1:なぜか浦和×山形@駒場を2戦とも「檻」から生観戦した。
浦和を呪詛した結果は1勝1敗<10月の対戦で岳也がVゴール
注2:上記の岳也も含むが、後に札幌に入る選手が他クラブにかなりいたので
<例:俺王様@大分 和波@湘南 三原先生@鳥栖 磯山@大宮 河合やシンジ@浦和
注3:99年4月10日の新日本・東京ドーム大会で、大仁田厚との電流爆破戦を制した
蝶野正洋の名言。相手が必死で臨んだ試合を「余興」扱いする「上から目線」がたまらん。
注4:99年の第4話でもふれた相川進也のこと。ただ、当時のワタシは
スーパー・ロングスローを連発していたMF里見仁義(ホンダ→草津)に夢中だった。