このツアーに、リングスの4選手が参加していたことは先に述べたが、
この4選手の中で、ツアーの前後で最も印象が変わったのは田村潔司その人である。
この人には当時、Uインター×新日本の対抗戦参加を拒み、
K-1のリングで引退覚悟でパトリック・スミス戦に挑んだ後、Uを退団した経緯から、
「孤高」「ストイック」「赤いパンツの頑固者」というイメージを持っていた。
しかし、スペインで見せた奇行で、そんなイメージは見事に崩れた。
「情熱の国」だけに、行く先々の公園のベンチにお熱いカップルが多かったのだが、
この人ときたら、見つけるたびにいちいち近づいて、堂々とのぞき始める。
んで、カップルに気づかれると、脱兎の如きスピードで逃げ出してくる。
「こうやって海外でも反射神経を磨いているんだ」と涼しい顔でうそぶいていたが、
同じ行為を何度も繰り返しているその姿は、単なる変態に見えた
そして、忘れ難いのが、2月4日夜のマドリッドのイベント。
ツアーのオプションとして、本場のスペイン料理とワイン、フラメンコを楽しむ集いがあり、
ワタシたち夫婦も田村も参加した。
舞台ではフラメンコ、卓上に美味しいパエリア、隣の席に2号、正面の席に田村。
プオタにとっては至福の一夜で、気分よくワインを飲んでいると、田村が声をかけてきた。
①「顔が赤いですよ。大丈夫ですか? 水を飲んだ方がいいんじゃ?」
ああ、優しいなあ。札幌中島でのハン戦では、ハンをひいきしてゴメンよ。
そう思いながら、水の入ったピッチャーに手を伸ばしたところ、
②「ダメダメ~、ちゃ~んと水を飲まないと」(ニヤニヤ)
田村はワタシのグラスになみなみと白ワインを注いできた
・・・え??
しかし、プオタとして、あの田村が自ら注いだ酒を拒むことなんぞ許されぬ。
やむなくグラスを空けた後、延々と①と②の繰り返しが続く中で、
ワタシは田村の異名のひとつを思い出していた。
「Uの遺伝子を継ぐ男」
それはリング上のスタイルのみならず、リング外の酒席を含めた異名だったのか。
気が付いた時はすでに遅く、ワタシの意識はマドリッドの夜に溶けていったのである。
あれから15年。田村はリングスを離れ、個人のジムを持って独自の活動を続けている。
船木や桜庭といった同じ世代のU系の選手がプロレスのリングに戻っている現在、
もうひと花咲かせてほしい選手である。日明兄さんとの確執も久しく続いているが、
こちらもいつか和解してほしいと願っている。 日明兄さんと佐山が和解できたのだから大丈夫
(14話に続く)
- ホークス
先発は四球からピンチを広げて痛打を食らい、打線は相変わらず初物に弱い。
投打に悪癖を露呈して連勝ストップ。今季の残り試合、少なくとも先発で岩嵜を見ることはあるまい
- アパパネ引退
牝馬限定GⅠをほぼ総ナメにした希代の名牝が浅屈腱炎で電撃引退。
エリザベス女王杯のみ、2年連続でスノーフェアリーに阻まれたことが残念だ。
凱旋門賞でオルフェーヴルがその仇を討つ機会があるか?