ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

遡上の鮭に感動 下館の歴史と文化探訪

2015年11月07日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年11月7日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第19回(2015年第30回)、「下館の歴史と文化探訪」ウォーキングに参加した。
この日の訪問先は下館ということで、「ときわ路パス」(2,150円)を利用することにした。
”大人の休日倶楽部”会員は1,650円である。

荒川沖7時30分発の上野行電車に乗り、7時52分、取手駅に到着。
下館へは友部乗り換えの水戸線利用という手もあるが、
「ときわ路パス」なので、行きは常総線を利用することにして、
帰りは水戸線を利用することにした。


取手駅で常総線に乗り換える。


2両編成の車内は、土曜日ということもありほぼ貸し切り状態だ。
この日の参加者は、この時点で21名。


『下館は初めてなので楽しみだねっ』


水海道で下館行(1両編成)に乗り換える。
『常総線の水海道から先は初めて』という人がほとんどだ。


9時38分、下館駅に到着。
取手から1時間30分、水戸線経由よりちょっとばかり時間はかかるが、
水戸線の本数が少ないため、到着時刻は、ほぼ同じである。


下館駅
ここで車で直行したFさん夫妻が合流し、結局この日の参加者は23名となった。


下館駅前


等身大の裸婦像(薄いタイツを履いている)が印象的である。


会長の号令で準備体操をして、


9時50分、Oさんを先頭に出発!


駅前の路地を何度か右左折を繰り返し、


最初に訪問したのは、妙西寺(みょうさいじ)である。
祥雲山妙西寺は、下館台地の最南端の守りとして配置。
もとは善陽寺と称し、真言宗の寺であった。


天正十四年(1586)第6代下館城主・水谷(みずのや)正村が母の冥福を祈るため、
結城の安穏寺から天秀真彗和尚を招き開山とし、母をその開基とした。
これ以降曹洞宗に改宗した。山号の祥雲、寺号の妙西は、母の法名である。
ちょうど法事が行われている最中だったため、中に入るのは控えた。


門前には自由民権の魁「加波山事件志士の墓」がある。
明治十七年九月二十三日、下館の4名の民権家と福島・栃木・愛知の”民権家16人の志士”が加波山に決起し、
山頂に「自由立憲」の旗を掲げた事件である。
これは、維新後十余年を経過してなお、国会が開かれず、明治政府の圧政に抗し
「立憲政府樹立と自由と民主主義」を願った行動であった。
決起は失敗に終わり、政府の不当な罪状をもって厳科に処せられる結果となった。


次の訪問地、北向き地蔵尊に向かうが、場所が定かではない。


10時5分、自作の地図を頼りに、らしき路地を探し回ること数分、
何とか北向き地蔵尊を探し当てて一安心。


江戸時代、下館を訪れて旅の疲れで発病し、地元の人の介抱の甲斐なく亡くなった奥州からの旅人を、
地元の人々が供養のため奥州に向けて地像様を祀ったと伝わる。
安産・五体満足・健康・長寿・知恵・財宝・愛嬌・豊作・神明加護・極楽往生の10の福があると云われ、
今日も信仰が篤い、そうだ。


次の訪問地、薬師古墳へ向かう。


地元の人に教えてもらって細い路地を進む。


見事なくらい蔦に絡まれた建物だ。
窓も見えないほどであるが、果して人は住んでいるのだろうか?


10時12分、薬師堂に到着。
田宮家文書「下館領内神社寺院并縁起日記」によると、慶林寺の薬師如来は、南天竺の理修仙人の作で、
同仙人より薬師如来を得た慶観法師が、大同元年(808)に諸国を行脚し、この地に鳳来山慶林寺を開いた。


天正三年(1575)、僧亮海が北条氏政に謀略を通じたので、時の下館城主・水谷正村の怒りにふれ、
真言宗を曹洞宗に改宗させられた。
明治初期に廃寺となり、今は薬師堂のみが残っている。
藤原秀衡が奉納したと云われる金銅の十二神将のうち二神が現存している、そうだ。


薬師町古墳
昭和45年、大町甲54番地より発見され、現在は薬師堂東側に主体部の竪穴式石室が
移築復元されている。


古墳時代後期のものと推定され、人骨とともに副葬品が出土している、とのこと。
石室らしきものが見える。


薬師町古墳脇の階段を下り、羽黒神社へ向かう。


大きな通りに出た。


10時20分、下館美術館前を通過。
しもだて地域交流センター(アルテリオ)の3階にあり、ガラス張りの空中回廊からは
関東の名鋒・筑波山を望むこともできる。
郷土ゆかりの作家による作品が展示され、常設展・企画展の開催やワークショップ、
作品観賞会などが行われている。


下館美術館を左折して進むと、


突き当たりに羽黒神社の東参道入口があった。


石段を上って行くと、


右側に日限天満宮(ひぎりてんまんぐう)があった。
日限天満宮は、日を限って一心に願掛けすると、不思議にも聞き届けて下さる、というもの。
天満宮は、菅原道真公を祭神とする神社だ。合格祈願の願いを叶えてくれるだろう。


10時25分、下羽黒神社に到着
かつては下館城を中心に5か所の羽黒神社があった。
後に2か所の羽黒神社を創建し、世に七羽黒と呼ばれている。
ここ下羽黒神社は七羽黒神社の中心である。
下館祇園祭は、この神社の祭礼で、毎年7月末の木曜~日曜に行われる。


下羽黒神社鳥居


鳥居の近くに羽黒神社神輿の新調記念碑があった。
平成4年に台座の幅1.4m、高さ3.5m、重さ2トンという、担ぐ神輿としては日本一の大きさの
「平成神輿」が新調されたのを記念して建てられた碑である。


境内の奥に神輿庫があった。
小さな覗き穴から中を覗いてみたが、神輿には覆いがしてあって、殆ど何も見えなかった。
『残念っ』


境内には愛宕神社も祀られている。


下羽黒神社境内で一息入れていこう。


10時35分、次の目的地へ向けて出発!


小高い所に一木歯科医院らしき建物が見えた。
大正11年の建造物ということだが、これもかなり古い建物だ。
一木歯科医院は、外見は洋風だが柱や梁は木造で、診療室を除く患者待合室及び2階の二間が和室である。
当初のイメージを残し、現在も歯科医院として使われている、と紹介されていたが・・・


階段を上って行くと、


一木歯科医院とは違う別の表札が掛けられていた。
これも現役の「堤歯科医院」だった。


どうやら建物を間違ったようだが、この建物も相当古い。
外観だけでも見る価値はありそうだ。


跨線橋から見た国道50号の水戸方面を望む。


跨線橋で国道50号を渡り、次に訪れたのは荒川家住宅だ。
主家は昭和8年に建てられた木造3階、モルタル仕上げで、屋根は宝形状の形態の瓦葺の建物。


隣接する店蔵は明治40年の建築で土蔵2階建て、切妻、平入り、桟瓦葺、桁行5.5間、
梁間3間の建物で、附属屋、内蔵、石蔵と共に国登録有形文化財に指定されている。


板谷波山記念館
板谷波山の生家に開設された記念館。
工房は田端にあった波山の工房をそっくり移築、再現されており、
実際に使われていた三方焚口の倒焔式丸窯やロクロ台、
各種の型類や道具などを見ることができる。
(拝観料:一般200円)


記念館前に板谷波山の胸像が建てられている。


11時5分、勤行川(五行川)方面へ向かう。
少し早いが、五行川の河原辺りで弁当にでもしよう。


皆が見つめる先には・・・


鮭が泳いでいるではないか!
それもかなりな数である。
『こんなところにまで溯ってくるんだぁ』


この辺りは河原に下りるのは難しそうだし、弁当を広げるには適しているとは言えない。
別の場所を探すことにしよう。


五行川に沿って進む。


11時16分、八幡神社に到着した。
八幡神社付近は下館城の本丸跡とされる。
下館城は堀や川が螺旋状に取り巻いていたことから、「ほら貝城」とも呼ばれていた。 


八幡神社の拝殿は下館城の本丸跡にしては質素な造りである。
八幡神社に参拝を済ませ、


11時22分、定林寺(じょうりんじ)に到着。


定林寺は、下館城主水谷家の菩提寺として「水谷家歴代の墓」がある。


定林寺境内は広々としているように見えるが、左側大半は墓地になっている。


境内にある銅鐘は、室町時代の作で、永禄十年(1567)第7代下館城主水谷勝俊の寄進によるもの。
重く荘厳な音色が広い境内に響き渡る。


本堂前に仁王像(阿像)が立っているのは珍しい。


次の目的地へ向かう。
大分お腹も空いて来た。


11時33分、この日最後の訪問地上羽黒神社に到着した。


上羽黒神社
七羽黒神社のひとつで、下館の天門を守る神社である。
下館城主水谷勝氏が下館城を守るために鬼門にあたる稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、
天門の岡斥村、中宮の方位、城の南に羽黒神社を建立した。


参拝を済ませて境内を見渡したが、狭いし、景色もあまり良くない。
ここで昼食を摂るのは止めて別の場所を探すことにした。


地元の人に聞くと、五行川が近くて、河原に下りられるとのことなので、
再び五行川を目指し、坂道を下って行くと・・・


直ぐに五行川があった。
”鮭おかえりな祭”の幟が並んで風にはためいていた。


11時52分、河原に到着。
『ここだったら弁当食べるのに相応しいねっ』


弁当の前に河原へ下りてみた。
『鮭がたくさんいるねっ』
『こんなに近くで鮭を見るなんて初めて』


『産卵してるよっ』
『こんな目の前で鮭の産卵を見られるなんて最高っ』
皆さん興奮気味である。


鮭のサイズは60-70Cmほどはある。
あちこち傷だらけである。


産卵間近の鮭のメスとオス
(産卵の瞬間を捉えることが出来なかったのは腕不足)


ここの河川敷で弁当にしよう。


『途中で我慢した甲斐があったよねっ』


弁当の後、五行川をバックに記念撮影


堰を上ってさらに上流を目指す鮭もいるようだ。


五行川の堰を越えて上流へ行くのは至難の技である。
何度も挑戦するが、堰を越えて行く鮭はなかなか現れない。
『頑張って~っ あとちょっとだよっ』思わず大きな声でエールを送る人も。


真岡鉄道下館二高前駅を目指す。
真岡鉄道には一度乗ってみたいと思っていた。
今日は「ときわ路パス」で乗れるのでまたとないチャンスなのだ。


下館二高前駅を目指す。
『真岡鉄道はもう直ぐだよねっ?』


真岡鉄道の踏切が見えてきた。


12時35分、踏切を渡って左折し、真岡鉄道下館二高前駅に到着した。


次の列車は12時47分、あと10分少々だ。


列車を待つ間談笑して過ごす。
『下館で鮭の産卵が見られるとは思ってもみなかったよなぁ』
『ほんと 感動しちゃったわよねっ』


待つこと10分、下館行列車がやって来た。
列車は1両編成である。


車内はそこそこ乗客が乗っていた。


12時50分、下館二高前から一駅、わずか3分で終点の下館駅に到着。
車で直行したFさん夫妻とは、ここでお別れだ。


帰りは「ときわ路パス」を利用して、友部経由である。
水戸線友部行電車まで約40分。
待合室の椅子に腰かけてしばし談笑。


13時26分、友部行電車が到着。


友部駅で常磐線に乗り換える。


常磐線を待つ間、この日の想い出話で盛り上がる。
『今日は本当に良いもの見せてもらったわねっ』

『今日は大変お疲れさまでしたぁ』

今回は、「ときわ路パス」を使っての下館の歴史と文化を探るウォーキングだった。
下館で間近に鮭の産卵を見ることが出来たのは、いつまでも強く想い出として残るだろう。
下館の歴史と文化はすっかりどこかへ追いやられてしまった感があるが、
それだけ鮭の印象が強かったということである。

鮭が命をかけて産卵する瞬間だったり、上流を目指して必死に川を逆上る姿には感動を覚えずにはいられない。
機会があれば是非かみさんや孫たちを連れて訪れてみたいものである。

この日の万歩計は、意外にも12,000歩を超えていた。

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