ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

宝篋山ハイキング 極楽寺・小田城コース

2015年11月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年11月20日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第21回(2015年第32回)、「宝篋山ハイキング」に参加した。
この日の宝篋山「極楽寺コース」は、2013年1月18日(金)以来である。

第一集合場所の乙戸沼公園
銀杏の落ち葉が美しい。黄色い絨毯だ。


第一集合場所の乙戸沼公園には、11名が集まった。
車4台に分乗し、出発地の小田休憩所へ。


9時34分、スタート地の小田休憩所に到着。
途中、雨がパラついていたが、今はほとんど降っていない。
予報は一日曇りとなっている。


既に10名が直接車で来ていた。
この日の参加者は、21名となった。
低山ながらやはり登山ということを考慮すれば、この参加者はまあ妥当な人数か。、


いつものように会長の号令で準備体操をして、


9時59分、Oさんを先頭に出発!
朝方やや気温が低かったのと、雨を気にして、雨具で備える人も。


「極楽寺コース」を進む。


正面に目指す山頂のアンテナ鉄塔が見える。


後に続く女性陣


極楽寺公園
この公園は、忍性記念として、公園所有者と宝篋山整備隊の労力・登山者の協力金等で整備された。
忍性:奈良西大寺の僧で、16歳で出家し87歳で亡くなるまでの70年間、社会福祉奉仕事業を続け、
後醍醐天皇より忍性菩薩号を賜った。
戒律復興と真言律宗の布教のため、大和国西大寺より、宝篋山の三村山静冷院極楽寺に来所し、
十年間止住して活動した)
なお、生誕800年を記念して、2年後の2017年7月16日にこの公園に忍性菩薩の銅像を建立する、
とのこと。(案内板より)


五輪塔へ向かう。


10時15分、石造五輪塔に到着。
この石造五輪塔は、全体として均整のとれた力強い作品であり、
鎌倉時代後期の全国的にも珍しい、本格的な五輪塔である。
鎌倉時代後期の完成された様式の五輪塔の中でも、一連の作風を示すものが西大寺系石工による作品である。
奈良西大寺の叡尊五輪塔、鎌倉極楽寺と大和郡山額安寺の忍性五輪塔がそれであり、
忍性ゆかりの三村山極楽寺の本塔もこの流れに属するものと考えられる。
高さは2.76m。つくば市文化財に指定されている。(説明板より)


身体が温まってきたので、一枚脱いで調節だ。


10時17分、宝篋山山頂を目指す。


沢に沿って上る。ところどころに小さな滝が見られる。
これは「五条の滝」だろうか?


登山道が以前来た時よりも全体的にすっきりしている。
以前は枯れ木や草に覆われて沢の流れは見えなかった。
宝篋山整備隊の方達のおかげである。感謝したい。


登山道は沢を右に左に縫うように続く。
かなり身体全体が温まって来た。


10時34分、水分補給のため、小休止。
『やっぱり水が一番美味いねっ』


「こころの滝」が見えて来た。


「こころの滝」


今度は沢の左へ。


10時42分、「白滝」を通過。
欲を言えば、もう少し水量が欲しいところだが、この時期水量は少ない。


「白滝」を過ぎたところで、下山途中の「まゆみの会」の横張さんとばったり。
もしかしたら、とは思っていたが、まさかここで遭うとは・・・
この日もまた宝篋山に来ていたのだ。
何と! いったん下山してもう一度登るのだと言う。
日に3度登ることもこともあるとは聞いていたが・・・


こちらはマイペースで宝篋山を目指す。


10時48分、「葵の滝」を通過。


「葵の滝」を過ぎると、道は少し緩やかになった。


「太郎こぶし」
胸回は2m70Cmとある。


登山道はまた急勾配になってきた。


10時53分、純平歩道分岐点を通過。
小田休憩所から1.7Km歩いたことになる。
山頂まで1.4Kmの表示に『まだ1.4Kmもあるんだぁ』の声が・・・


突然視界が開けた。
しかし、天気が悪く筑波平野の見晴らしはすっきりしない。


『もうちょっと天気が良ければねぇ』


宝篋山を目指す。


登山道は一段と急になってきた。


岩の間を縫うように上る。


少し平らな部分があった。、
最後尾との間隔が開いてきたので、ここで小休止。


11時25分、「こぶしの森展望所」に到着。
新しく出来た休憩処のようだ。


この時期最期の紅葉を楽しむ。


振り返ると、何と横張さんが上ってきた。
下山中の横張さんとすれ違ってからまだ45分ほどしか経っていない。
小田休憩処からまた引き返して来たそうだが、それにしても速過ぎる!


あっと言う間に我々を追い抜いていった。
確か昭和17年生まれで今年73歳の筈。まさに鉄人である。


11時34分、山頂まで100mの地点に到着。
バイオトイレが1つ増えている。


遅れていた仲間も次々と到着。


最後尾のメンバーも元気に到着。
『良かったわぁ ここまで登って来れて』


ここで呼吸を整えて、


最後の100mに挑む。


山頂の鳥居を潜り


11時48分、宝篋山山頂(461m)に到着した。


筑波山の山頂辺りは雲がかかっている。
筑波山をバックに記念撮影も考えたが、今にも雨が降りそうな雲行のため、弁当を先に済ませることにした。
雨に降られての弁当は最悪なので・・・


弁当タイム


『何とか雨は持ち堪えそうだねっ』


ところが・・・
弁弁も終わり、記念撮影しようとした時には、筑波山はすっかり雲に隠れてしまった。
『やっぱり先に撮っておけば良かった』と悔やんでも後の祭りだ。
『まあ、これも一つの記念になるかなっ』


12時23分、下山開始。


下りは、「小田城コース」である。


12時35分、「山口コース2」との分岐点を通過。


下りは快調なペースである。


12時38分、下浅間神社に到着。


下浅間は、”女人浅間”とも云われている。
昔、山頂は女人禁制のため、女性はここで祈願した、とのこと。


下浅間(女人浅間)神社からの視界は、効かなくなってしまった。
全く何も見えない。


雨の心配もあるので、ここは休まずに下ることにする。
見晴らしも望めないし、他に休めるような場所も見当たらない。


「小田城コース」は至る所が猪によって掘り返されているので、歩き難いことこの上ない。


『猪が多いのは困ったもんだよねっ』


12時47分、七曲に差し掛かった。


道は、右に左に、


まさに七曲りしている。


最後のカーブを曲がる。


13時12分、コース入口まで1.0Kmの地点を通過


「小田城コース」「中世・城の道」へ。


13時23分、「小田城コース」から「中世・城の道」への分岐点を「中世・城の道」へ。
前回と同じコースを進む。


分岐点からものの1分も歩かないところに「舟ガ城跡展望所」があった。


木々が視界を遮っているが、『直ぐ目の前に国道125号が走ってるよっ』


よく見ると、国道125号沿いのラーメン店が見える。


13時32分、「要害展望台」に到着。


『いやぁ ここからはなかなか素晴らしい眺めだねぇ』


少しばかり視界が良くなって来た。
写真中央の道路は、国道125号である。


「要害展望台」を少し下ると、小田城本丸跡が見えた。
近年堀や城塞などが復元され、城址公園として公開されている。


小田休憩処まで、残り800m付近。
ゴールは近い。


お地蔵さんがずらり。
お地蔵さんの前には、湯のみ茶碗が伏せて置かれている。
中には頭の部分が無くなっているお地蔵さんもいくつか見える。


『お茶碗が伏せて置いてあるのねっ』
伏せたお茶碗には、お賽銭も。


お地蔵さんの先には朽ちかけた薬師堂らしき建物が・・・


お堂の中の様子。
祭壇のようにも見えるが薬師如来などの仏像などは見えない。
床下からは竹が生えている。
扇風機と石油ストーブがおいてあった。


小田休憩所まで残り400m辺りまで下ると道は平坦になった。


13時54分、中世・城の道入口に出た。
”ここから左へは行かないように”との注意書きが・・・
この先は行き止りなのだろうか、それとも私有地なのだろうか?


13時56分、小田休憩所にゴール。
この日は整理体操は省略。
今後のスケジュールの説明の後、めいめい帰路に就いた。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


久しぶりに宝篋山「極楽寺コース」でのハイキングだった。
山頂での雨が心配されたが、結局最後まで雨に降られずに済んだのはラッキーだった。

今回の宝篋山ハイキングではそれほどきついとは感じなかったのは、
先週(11月13日)、竜神峡で今日以上の急登を経験しておいたことが逆に良かったのかもしれない。

「まゆみの会」横張さんの超人的な健脚には遠く足元にも及ばないが、
これからもマイペースでウォーキング&ハイキングを続けていきたいと思う。

この日の万歩計は、15,000歩をカウントしていた。

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