2010年8月19日(土)
成田さくらの山公園で孫と飛行機を見た後、日本100名城のひとつ、「佐倉城」に向かった。
佐倉城は佐倉城址公園内にあり、園内の一角には国立歴史民俗博物館がある。
ここでスタンプを置いてある「佐倉城址公園管理センター」を地図で案内して貰った。
公園管理センターが、城からは少し離れたところにあることを確認し、城内を観て回った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/27/9a9c50dc40abec077a4403ad003370ba.jpg)
佐倉城は地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれる。
先ずは”馬出し空濠”
城門前に築いて人馬の出入りを敵に知られないようにした土手が
馬出しである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/cb/c7173bda1cee380e68f8db1c9f013b31.jpg)
この空濠は明治初期に連隊造営により埋め立てられていたものを
復元したもので、長辺121m、短辺40mのコの字形をしている。
深さは、当時5.6mあったのを現在は3mにしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ba/406f265e7a925d2ea6bc8dbcdf1bd927.jpg)
馬出し空濠の近くに椎木門跡(しいきもん)がある。
門の前面に馬出しが設けられていたそうで、それが馬出し空濠に
続いていたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9a/c4ce22ef4897cb608a1be28ca249149e.jpg)
佐倉城は石垣がなく、帯郭輪や土塁、堀で囲まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/26/7db7fe87788a6d26562a1d326dc53ad6.jpg)
帯郭輪(おびくるわ)は天然の土塁である。
幅4~5m、総延長は260mもある長い郭輪(くるわ)だ。外側は堀になっている。
ひっそりとして薄暗く、散歩道としては、ちょっと寂しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1b/b6ea2da52be961be7fe4200466ab45c0.jpg)
長い帯郭輪の先の坂を上ると台所門跡があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/cf/c36c5a0648ad266d4d2a324c00ea93ba.jpg)
台所門の先に本丸跡が広がっている。
本丸にはかつて南西隅に三重の天守が建っていた。
また、銅櫓、角櫓、御殿が置かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/fc/94ea53b12c450da086c85b81060f43cb.jpg)
角櫓(三階櫓)跡
本丸内にある櫓である。
佐倉城の櫓や門は現存しない。跡地が示されているだけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/47/7906bfe63ab6a8b77d08e5568e1143d2.jpg)
一の門跡
本丸からみて初めての門で、「一の御門」と呼ばれていた。
門内が本丸になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/33/7275fd315a670ef2321c4183476b39ae.jpg)
二の門跡
本丸から大手門にいたる第二の門で、「二の御門」と呼ばれ
武器庫として使用されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/60/f5b140bb37d5148e812c502ce293ea75.jpg)
空堀
佐倉城の城内には、外敵から守るためにあちこちに空堀が見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/2d/be9d2926cf375732f9adc2dfa65944a9.jpg)
城内公園の一角に、日本を鎖国から開国に導いたことで知られる、
第5代佐倉藩主堀田正睦公の像が建てられている。
堀田正睦公は、天保十二年(1841年)幕府老中に就き、安政三年(1856年)には
外国事務取扱に任じられている。
「攘夷」が叫ばれる中、欧米列強に対抗するには、貿易によって国を豊かにする
ことが必要であるとして開国を唱え、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスと
「日米修好通商条約」を結ぶ交渉に全力を傾けた。
上洛して孝明天皇から条約調印の勅許を得ようとしたが、攘夷論者の天皇により、
残念ながら却下されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/4f/1c10d70dda272bf2de40ccdcf3cda7c5.jpg)
佐倉城を見学後、佐倉城址公園管理センターに向かった。
佐倉東高校横の空き地脇のプレハブが管理センターになっているが、
これは聞かないと分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d0/17a83ee0e06c16b595683d0791f56d67.jpg)
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
成田さくらの山公園で孫と飛行機を見た後、日本100名城のひとつ、「佐倉城」に向かった。
佐倉城は佐倉城址公園内にあり、園内の一角には国立歴史民俗博物館がある。
ここでスタンプを置いてある「佐倉城址公園管理センター」を地図で案内して貰った。
公園管理センターが、城からは少し離れたところにあることを確認し、城内を観て回った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/27/9a9c50dc40abec077a4403ad003370ba.jpg)
佐倉城は地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれる。
先ずは”馬出し空濠”
城門前に築いて人馬の出入りを敵に知られないようにした土手が
馬出しである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/cb/c7173bda1cee380e68f8db1c9f013b31.jpg)
この空濠は明治初期に連隊造営により埋め立てられていたものを
復元したもので、長辺121m、短辺40mのコの字形をしている。
深さは、当時5.6mあったのを現在は3mにしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ba/406f265e7a925d2ea6bc8dbcdf1bd927.jpg)
馬出し空濠の近くに椎木門跡(しいきもん)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0f/db480d8bf86049662940d064547d3942.jpg)
門の前面に馬出しが設けられていたそうで、それが馬出し空濠に
続いていたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9a/c4ce22ef4897cb608a1be28ca249149e.jpg)
佐倉城は石垣がなく、帯郭輪や土塁、堀で囲まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/48/4ece215b75e189a85ad86204b3154f67.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/26/7db7fe87788a6d26562a1d326dc53ad6.jpg)
帯郭輪(おびくるわ)は天然の土塁である。
幅4~5m、総延長は260mもある長い郭輪(くるわ)だ。外側は堀になっている。
ひっそりとして薄暗く、散歩道としては、ちょっと寂しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1b/b6ea2da52be961be7fe4200466ab45c0.jpg)
長い帯郭輪の先の坂を上ると台所門跡があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/4f/ae08e697309fbbabf2836dd7eefcddb5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/cf/c36c5a0648ad266d4d2a324c00ea93ba.jpg)
台所門の先に本丸跡が広がっている。
本丸にはかつて南西隅に三重の天守が建っていた。
また、銅櫓、角櫓、御殿が置かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/fc/94ea53b12c450da086c85b81060f43cb.jpg)
角櫓(三階櫓)跡
本丸内にある櫓である。
佐倉城の櫓や門は現存しない。跡地が示されているだけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/47/7906bfe63ab6a8b77d08e5568e1143d2.jpg)
一の門跡
本丸からみて初めての門で、「一の御門」と呼ばれていた。
門内が本丸になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/33/7275fd315a670ef2321c4183476b39ae.jpg)
二の門跡
本丸から大手門にいたる第二の門で、「二の御門」と呼ばれ
武器庫として使用されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/60/f5b140bb37d5148e812c502ce293ea75.jpg)
空堀
佐倉城の城内には、外敵から守るためにあちこちに空堀が見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/2d/be9d2926cf375732f9adc2dfa65944a9.jpg)
城内公園の一角に、日本を鎖国から開国に導いたことで知られる、
第5代佐倉藩主堀田正睦公の像が建てられている。
堀田正睦公は、天保十二年(1841年)幕府老中に就き、安政三年(1856年)には
外国事務取扱に任じられている。
「攘夷」が叫ばれる中、欧米列強に対抗するには、貿易によって国を豊かにする
ことが必要であるとして開国を唱え、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスと
「日米修好通商条約」を結ぶ交渉に全力を傾けた。
上洛して孝明天皇から条約調印の勅許を得ようとしたが、攘夷論者の天皇により、
残念ながら却下されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/4f/1c10d70dda272bf2de40ccdcf3cda7c5.jpg)
佐倉城を見学後、佐倉城址公園管理センターに向かった。
佐倉東高校横の空き地脇のプレハブが管理センターになっているが、
これは聞かないと分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d0/17a83ee0e06c16b595683d0791f56d67.jpg)
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