ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧東海道を歩く 第Ⅰステージ第6回 藤沢宿から茅ヶ崎宿

2014年06月29日 | ウマさんの「旧東海道」を歩く
2014年6月29日(日)


当初予定の6月22日が雨で順延となり、1週間後のこの日第六回目(藤沢宿~茅ケ崎宿)約10Kmを歩いた。

常磐線荒川沖駅で電車を待っているところ。
茨城県南部ではこの時間もまだ雨は降っているが、湘南方面は”午前中は曇りで後に晴れる”
という予報を信じての決行である。
『天気予報を信じるしかないねっ』


常磐線車内
この日の参加者は9名、1週間順延したことが響いたのか、若干少ない。


東京駅から8時15分発の東海道線熱海行きに乗り込む。


東海道線車内


JR藤沢駅には定刻の9時5分に到着。
藤沢駅北口を出て、前回見落とした遊行寺へ向かう。


藤沢駅北口
前回の続き(藤沢本町)からであれば、小田急線藤沢本町まで電車を利用することになるが、
藤沢宿の見どころの一つである遊行寺や遊行寺橋を見落としていることから、
JR藤沢駅から約1.2Kmほどの遊行寺へ、直接歩いて向かうことにした。


藤沢駅前の市街地を進む。
少し前まで雨が降っていたのか路面が濡れていた。
しかし、予報どおり晴れ間が広がってきた。
『晴れてきて良かったねぇ』


国道467号線を藤沢橋交差点へ。
JR藤沢駅から小田急線藤沢本町駅辺りまでの国道467号(旧藤沢宿)は、
電柱が撤去されており、すっきりとしている。


道路沿いに設置された東電の分電盤?に藤沢宿の浮世絵などが描かれている。


9時21分、藤沢橋交差点に到着。


藤沢橋から遊行寺橋を望む。
赤い欄干が印象的である。


県道30号を前回見落とした遊行寺へ向かう。


遊行寺入口に到着。
(正門は別のところにあることは後で知った)


遊行寺(ゆぎょうじ)本堂
清浄光寺(しょうじょうこうじ)が正式な寺名だが、
遊行上人の寺ということから、広く一般には遊行寺と呼ばれている。


遊行寺本堂
鎌倉時代後期、正中二年(1325)四代呑海上人(どんかいしょうにん)によって開かれ、
「藤沢道場」といわれ、時宗総本山となっている。
戦国期には焼失し、江戸時代になって時宗総本山となった。


本堂には遊行寺の御本尊、黄金色にかがやく阿弥陀如来が鎮座している。


遊行寺境内のシンボルの大銀杏
境内最大の巨木は、藤沢市内で最も太い木でもある。
『いやぁ 本当に凄いなぁ』 率直な感想である。


かつては樹高は31mあったが、昭和五十七年(1982)8月の台風で地上6m辺りで幹が折れてしまった。
平成20年現在の樹高は21m、幹回り7.1m。
推定樹齢は650年~700年としているが、正確なところは不明とされている。


寺務所の中雀門(ちゅうじゃくもん
安政年間(1854~1860)に建造された。
清浄光寺は創建以来たびたび火災にあっているが、この中雀門は明治十三年(1880)の大火の際にも焼失を免れた。
現在、境内で一番古い建物となっている。
普段は閉じられているが、春と秋の開山忌や正月などには開門される、とのこと。


もう一つの冠木門から寺務所内へ入ってみる。


寺務所の冠木門を入ったところに蓮が植えられた甕が置かれていた。
大輪の蓮の花が今にも咲きそうな状態だ。


こちらは寺務所の玄関にあった蓮の花。


宝生池(ほうじょういけ
案内には以下のように記述されている。
この池は一名「宝生の池」とも称し、江戸幕府の記録である「徳川実紀」(元禄七年十月)の日記によれば、
 金魚・銀魚等を放生せんと思わば、清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、
 かつ放生の際は、その員数をしるし、目付へ届出づべし
古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと
長寿を保つとされている。


遊行寺から遊行寺橋へ向かう。


遊行寺正門
寺務所の門と同じ造り(冠木門)になっている。
こちらには正式名称の清浄光寺と書かれていた。


遊行寺正門から数百m行くと、境川に架かる遊行寺橋があった。
歌川広重の浮世絵で知られる藤沢宿の風景にある橋ということだ。


前回は、県道30号線の藤沢橋を渡ったことで、少し気になっていたので、
今回本来の旧東海道である遊行寺橋を渡れて、気持ちがすっきりした。


藤沢宿を進む。


古い蔵などが当時を偲ばせてくれる。


藤沢宿の本陣跡
現在はラーメン屋となっている。
かつてはこの辺りに徳川三代の将軍、家康・秀忠・家光の専用旅館であった藤沢御殿があった。
藤沢御殿は、広大な敷地を占め、二重の土手に囲まれた要害だった、と云われている。


碑には蒔田本陣跡と書かれている。


常行寺
前回も立ち寄ったが、見どころの一つであるカヤの古木を見落としていたので、
今回もう一度立寄ることにした。


常行寺の門をくぐると2本のけやきの大木が迎えてくれる。
このけやきもなかなか立派である。


本堂の左手に目指していたカヤ(栢)の大木があった。
樹高25m、胸高周囲5m、推定樹齢300年の堂々とした木である。
幹が真直ぐに伸びており、樹勢も旺盛なようだ。
周辺の樹林を含めて藤沢市の天然記念物に指定されている、とのこと。


常行寺の門前で一休みしていこう。
めいめい持参したお菓子や果物を分け合う。
『ご馳走さまぁ』


『この枇杷甘くて美味しいねぇ』
Oさん宅で採れたという枇杷に舌鼓を打つ。


旧東海道藤沢宿を進む。


伊勢山橋を通過。
橋の下は川ではなく、小田急線が走っている。


伊勢山橋を渡ると直ぐ左手に真源寺(しんげんじ)がある。
本堂右手には時宗遊行上人の無縁塔が、また相模国準四国八十八個所の弘法大師像が安置されている。


真源寺の向かい側に上方見付跡の碑があった。
この辺りが藤沢宿の上方側の外れだったということだろう。


粋な名前のラーメン店があった。
街道に相応しい名ではあるまいか。


引地川


引地橋を通過
少しばかり風はあるが、かなり暑くなってきた。
『日傘持ってくればよかったぁ』


10時38分、引地山養命寺に到着。


『仏様にお参りしていきましょうっ』


金色に輝く仏像は、御本尊の薬師如来ではなさそう。
国の重要文化財に指定されている御本尊は、普段は公開されていないが、
12年に一度寅年に公開される、とある。
そういえば今年は午であった。


金色の仏像の両脇には十二神将?などの仏像が並んでいる。


境内の一角には庚申塔などの石造物が残っている。


メルシャンワイン藤沢工場を通過。
そういえば微かにではあるが、ワインの香りが漂ってきた。


メルシャン藤沢工場の正門前を通過。
『工場見学して(ワインを飲んで)みたいねっ』
Webで調べたが、あいにく藤沢工場では見学はやっていないようだ。


旧東海道を進む。
県道43号線城南4丁目付近


『こういう時はうちわが良いよねっ』
うちわを持って来なかったのをちょっぴり後悔した。


県道43号線の四ツ谷バス停を通過
間もなく国道1号線との合流地点だ。


県道43号線と国道1号線の合流地点
東海道と大山道の分岐点で四ツ谷と云い、かつては立場茶屋があった。
『この辺に大山道の道標がある筈なんだけどねぇ』 と探していると・・・


大山道道標(四谷不動)は道路の反対側にあった。
道標には”大山みち”と彫られている。
道標の隣に四谷不動がある。中には石造の不動明王が安置されている、そうだ。
あいにく近くに横断歩道は見当たらない。
国道1号線は交通量も多く、簡単には渡れそうにないので、カメラに納めるだけにした。


旧東海道はしばらく国道1号線を歩くことになる。
国道1号線は交通量が多く、渋滞している。


一里塚跡の碑が立てられていた。
江戸日本橋から13里の辻堂一里塚と思われれるが、塚のようなものは見当たらない。
これも道路の反対側なので、写真に納めるだけにした。


辻堂一里塚を過ぎた辺りから道の両側ところどころに松並木が目立ち始めた。
茅ヶ崎まで4Km辺りを通過。


旧東海道(国道1号線)は茅ヶ崎市に入った。
松並木が続き、旧東海道を感じさせてくれる。


小和田付近を通過。


旧東海道国道1号線の道路脇で休憩。
水分を補給していこう。
『昼飯は茅ヶ崎市内に到着してからだねっ』


時計は11時30分を回ったところ、昼食が気になる時間ではある。
道路沿いの食べ物店が目に付き(気になり)だした。
焼肉店


牛丼店
JR茅ヶ崎駅まで我慢することにしよう。


11時38分、千手院に到着。


本尊の千手観音が有名とのこと。
浜降祭では御輿が境内を練り清める祭事も行われる、そうだ。
浜降祭とは、茅ケ崎市、寒川町の神社の神輿三十数基が西浜海岸に集まり、みそぎを行う。
神輿を担いだ担ぎ手が荒々しく海に入る様子は圧巻。(7月海の日)というから間もなくである。


境内には稲荷明神堂が建立されている。


稲荷明神堂で猫が気持ち良さそうに寝ていた。


稲荷明神堂の前に石像が鎮座していた。


日本橋から56Km地点を通過。


牡丹餅茶屋碑(ぼたもちちゃやひ


説明によると、藤沢宿と平塚宿の間には四谷・牡丹餅・南湖・八幡の四つの立場ができた。
牡丹餅立場はぼたもちが名物なのでそのように呼ばれていた。
また、牡丹餅立場には紀州の徳川家が江戸屋敷と国元を結んだ専用の飛脚中継所である七里役所も設けられていた。
『牡丹餅屋でもあるのかと思ったけど何にもないねぇ』


牡丹餅茶屋碑を過ぎるとまたしばらく松並木が続く。
TOTO工場前を通過。
『この会社の製品にはいろいろと世話になっているよなぁ』
各家庭に普及しているウォシュレットは圧倒的にTOTO製が多いのだ。


日本橋から57Km地点を通過


12時14分、海前寺に到着。
この日最後の訪問地となるので、立寄って行くことにした。


海前寺山門


山門前に石の仁王像が建てられている。


海前寺本堂
天正十九年(1591)の創建。
江戸初期の茅ケ崎村領主で旗本・丸毛家の菩提寺となっている。


石燈籠
淳信院殿徳川第九代将軍家重菩提の為、宝暦十一年(1761)六月十二日従五位下堀長門守藤原直寛
が奉献したものである、との説明があった。
『立派な石灯籠だわね~っ』


茅ヶ崎市街地の本村(ほんそん)辺りを通過


JR相模線を通過
『相模線は単線なんだねっ』


日本橋から58Km地点を通過


平成の一里塚
かつてこの辺りに、現存する一里塚の向かい側にもう一つの塚があったが、
昭和に入って道路の拡張に伴い、取り除かれてしまった、とのこと。


しかし、平成22年に歩道整備工事の一環として、南側の史蹟「一里塚」とともに、
「平成の一里塚」として整備した、ものだそうである。
『昔はここにも一里塚があったんだねっ』


茅ヶ崎駅へ通じる交差点も”一里塚”となっている。


一里塚交差点を渡ったところに「茅ヶ崎一里塚」が現存していた。
江戸日本橋から14番目の一里塚である。


茅ヶ崎駅への通りも「一里塚通り」となっている。
江戸時代にこの一里塚が出来たことから、この辺りの地名となったのだろう。


一里塚通りを茅ヶ崎駅へ向かう。


12時45分、この日のゴール茅ヶ崎駅前に到着。
駅前のビルに中華料理店があったので、昼食を摂ることにした。


『かんぱ~いっ!』
『今日は暑い中、大変お疲れさま~っ』


『やっぱ暑いときのビールは美味いねぇ』
『歩き終わった後のこれが楽しみで参加しているようなもんだよねっ』


この日のゴール茅ヶ崎駅へ向かう。


13時43分、茅ヶ崎駅に到着
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


旧東海道歩きの一応の終点は三島宿までとしているので、今回でほぼ半分近くは歩いたことになる。
この日は家を出る時は雨が降っており、一抹の不安はあったが、湘南は予報どおり晴れとなってほっとしている。
何とか予定どおりスケジュールはこなせているのは、幸運も味方をしてくれているからだろう。
これから一段と厳しい暑さを迎える時期になるが、無事箱根関所を越え、元気に三島宿まで歩きたい。


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