ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(神奈川)No.12「丹沢山塊東辺のみち」(再)

2014年07月06日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年7月6日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道」を歩く”では、2011年までは主に茨城県の
「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
茨城県の踏破認定証を受領した勢いで、『次は県外を』と言う声が上がり、一昨年(2012年)は東京都(全7コース)を
次は神奈川県(全17コース)を歩こうということになり、企画・実施した。
その神奈川県の「関東ふれあいの道」も、2014年5月11日に全17コースを歩き終わり、5月30日に踏破認定証を受領した。

第17回目となる今回は、コースNo.12(丹沢山塊東辺のみち:約11.3Km)を再び歩くことになった。
コースNo.12は、既に昨年11月17日に一度実施しているが、その時Mさんは都合が悪くて参加できなかった。
神奈川県の踏破認定賞取得を一緒に目指してきたMさんのためには、何としても完歩して欲しいことから、
道案内役と証明写真撮影役を買って出たという次第である。
Mさんは、今回で全コース踏破を迎えることになる。
なお、体調が優れずにしばらく休んでいたNさんだが、体調も戻り、是非一緒に歩きたいという申し出があり、
お誘いした次第である。

小田急新宿駅
7時1分発の小田原行き急行電車に乗り込む。


小田急線車内
この日の参加者は、自分も入れて3名。
あと2コースだけ未踏破となっているK子さんにも声を掛けたが、難易度4ということに尻込みをしたのか、
参加を見送るとの返事が返ってきたのは非常に残念である。


本厚木駅には定刻の8時3分に到着。


8時40分発の宮ヶ瀬行きバスは5番乗り場で、本厚木駅前の道路を渡ったコンビニの前にある。


コンビニで買ったコーヒーを飲みながら、時間を潰しているところ。
後ろに停まっているバスは、宮ヶ瀬行きではない。
約20分後、宮ヶ瀬行きバスは定時の8時40分に出発した。


9時15分、スタート地点の坂尻バス停に到着。
今回で完歩を迎えるMさん、記念の一枚をパチリ。
気合いが入っているようだ。


9時18分、準備体操は省略して直ぐに出発!


バス停から100mほど進むと、左側に小さな社があった。
この日の無事・安全を祈願し、胸の中で手を合せた。


前回、ここで危うく道を間違えかけて、犬の散歩をしていた女性に道を教えて貰ったところである。


9時27分、一見ホテルのようにも見える障害者支援施設「清川ホーム」前を通過。


おろんど工房
地元の野菜やぼたもち・あんみつ・たけのこご飯・赤飯などが売られていた。


法論堂(おろんど)林道の起点の標識


木好クラブ前を通過
この木好クラブを過ぎた辺りから、法論堂林道沿いには手作りと思しき様々なログハウスが見られる。


「Tree House 丸太小屋」はその一つと思われるが、手作りにしては立派である。


9時49分、リッチランド前を通過
終末をリッチランドで過ごした人たちが、帰宅するため駐車場に向かうところだった。
これから夏休みを迎えることから、キャンプ場も備えているリッチランドは、利用者が増えるのだろう。


「清川しっぽ村」から、五月蠅いくらいに犬の鳴き声が聞こえてきた。
どうやら餌の時間のようだ。
餌が与えられた直後に、鳴き声はピタリと止った。


車を制限している個所を通過。
普通車は通れるくらいの広さはあるので、全くの”通せんぼ”ではない。


ロードサイクルの若者(中にはそうでない人もいた)が法論堂林道の坂道を疾走していく。
『若いってすごいよなぁ』 正直な感想である。


木々の間から形の良い華厳山(602m)などが見える。


林道のあちこちに岩が転がっていた。
雨などで崩れ落ちたものが、そのままになっているが、何時片づけるのだろう。


林道の途中で急に視界が開け、山々が連なっているのが見えた。
『いやぁ なかなか良い眺めだねぇ』


道の側壁が青々とした苔で覆われていて美しい。
苔にとっては梅雨のこの時期が最もよく育つのだろう。


10時47分、半原越に到着。
坂尻バス停から半原越までの4.8Kmをちょうど1時間30分かかったことになる。
前回とほぼ同じ時間である。


半原越は、「コースNo.17 北条武田合戦場のみち」(経ヶ岳へ0.7Km)と


今回の「コースNo.12 丹沢山塊東辺のみち」(仏果山へ2.5Km)の分岐点となっている。


法論堂と半原越の説明板をカメラに納めるMさん。


説明板には次のように案内されている。(概略)
法論堂:昔、修験者(山伏・僧侶)たちが、この地で法(教え)を論じ合ったことから、
この名が起こったと伝えられている。
半原越:昭和の初期まで、煤ヶ谷は養蚕が盛んで、当時糸の町として栄えていた半原へ、
繭を背負ってこの峠を越えたことから、この名が付いたと思われる。


10時57分、一息入れた後、2.5Km先の仏果山を目指して出発!
仏果山へはいきなり急登の丸太の坂道で始まった。


急坂はゆっくりと登るに限る、とNさんはマイペースで確実に歩を進める。


3分ほど急坂を登ると道は少し平坦になった。
『いきなり急坂でけっこうきつかったねぇ』


11時4分、リッチランドへの分岐点を通過


その後しばらく小さなアップダウンが続く。


杉林の尾根道を軽快に進むMさん。


Nさんも直ぐ後に続く。


11時20分、仏果山まで1.6Kmの地点に到着


ここで給水タイムだ。


その後、よく手入れた杉林が続く。


杉林の先には、急な丸太の階段が待ち構えていた。


『いやぁ けっこう急だねぇ』


11時28分、丸太の階段を登りきったところに、仏果山まで1.4Kmの道標があった。
登り始めて約30分で、ちょうど1Km歩いたことになる。
まずまずのペースである。


『半分以上は歩いたことになるんだねっ』


「関東ふれあいの道」の里程標は、坂尻から6.0Km、半原まで残り5.3Kmと表示されている。


少し急な上りを登ると・・・


革籠石山(かわごいしやま 640m)という標識が立っていた。


『なかなか良い眺めだねぇ』


革籠石山からぼんやりと愛川町方面が見えた。


また急な階段が現れた。
登り始めて4度目の急坂である。


Mさん、


そしてNさんが続く。


12時14分、急坂を登りきったところにベンチがあった。
Nさんは少々疲れた様子だ。
『いやぁ この坂道はけっこう堪えたなぁ』
急坂で始まり、それが何度か続くと、段差が大きいので正直言って足に堪える。


『甘いものでも食べて、少し元気を出して下さいっ』
『ごちそうさまですっ』


案内にあったとおり、尾根の道幅が細く、


険しくなってきた。


山岳修験者のはなし
丹沢山塊のうち経ヶ岳・大山を中心とする一帯は昔、山岳修験者の修法の霊場であったという。
ここより東方の八菅神社(愛川町八菅山)には、入峰者の名称・位・入峰回数などを記録した古文書が残っている。
伝説では大宝三年(703)に役の小角が八菅山に来たときから、この地を起点に平山・塩川滝などを経て、
大山まで七宿三十か所をおおよそ四十九日間かけ加持祈祷を唱えながら修法を行っていたという。
煤ヶ谷(清川村)の人々は、修験者が行の途中、村に入るとすすんで接待を申し出たり、「願いごとがかなえられる」
ということから、特に行中で使用した草履などを所望したと伝えられている。
なお、この修法は明治維新の神仏分離令によって廃止された。


道にはロープが張られ、梯子が備え付けられていた。


12時23分、仏果山まで0.4Kmの地点を通過。


尾根道が一段と狭くなってきた。


『なぁるほどぉ、ここは修験道だったんだぁ』


細い尾根の途中で視界が開け、眼下に宮ヶ瀬湖が見えた。


左手には大山方面の山々も展望できる。
あいにく霞んでいて大山は見えなかった。


ヒキガエルか?
『こんな山の上にカエルがいるとはねぇ』
『四六のガマかもしれないねぇ』


道幅の細い尾根をさらに進むと・・・
鎖場が待ち構えていた。


鎖場の中央付近から記念の一枚
『いやぁ 素晴らしいっ! 絶景だねぇ』


鎖場の中央付近から愛川町方面を望む。
晴れて空気が澄んでいれば太平洋が見えるのだが・・・


左手眼下には宮ヶ瀬湖が満々と水を貯めているのが見える。


鎖場を過ぎると、ちょっとした急な岩場があり、仏果山への道はまだ続いていた。


12時42分、ようやく仏果山山頂(747m)に辿り着いた。
半原越を出発したのが10時57分だったことから、2.5Kmを1時間45分かかった計算になる。


先ずは証明写真を撮っておこう。撮影ポイントは展望台前となっている。
展望台をバックにMさんとNさんの証明写真を撮影完了。


弁当の前に展望台へ上ってみることに。
360度のパノラマは、なかなか素晴らしい景色だが、あいにく霞んでいる。


宮ヶ瀬湖


動画で観ると、


13時ちょうど、展望台前のベンチで弁当タイムだ。


『いやぁ 登頂した後の弁当は美味いねっ』


13時17分、弁当タイムも終わり、下山開始だ!
ゴールの半原バス停までは3.9Kmの標識。
半原バス停から本厚木行きバスは1時間に1本、何とか14時50分発に間に合わせたい。


『いやぁ、下りもけっこう急だねぇ』


しばらく急坂の杉林が続く。


『膝が笑っちゃうよぉ』


急坂の杉林を下り始めて約20分、前方の視界が開けて目の前に送電の鉄塔が現れた。
『なかなか良い眺めだけど、鉄塔が邪魔だなぁ』


鉄塔を過ぎると、また杉林の中を下る。
こちらの杉林は手入れが行き届いてる感じだ。
伐採されて木の間隔が広く、幹も太く揃っている。


快調なペースで山道を下る。


山麓の家々が次第に大きく見えるようになってきた。
それだけ急坂を下っていると云うことだろう。


13時53分、下り始めて約35分、半原バス停まで2.5Kmの地点に下りてきた。


一息入れる間もなく半原バス停を目指す。


相変わらず杉林の林道が続く。


雑草の生い茂った細い山道を下る。


『段差が大きいもんだから、膝が笑っちゃうよねっ』


標識の先に道路が見えた。


階段を降りた真上を


県道417号線と思しき道路が走っている。
半原バス停まで、残り2Kmと案内されている。
時計は14時17分を回ったところで、14時50分のバスにはぎりぎり間に合うかという時間だ。


国道419号線の橋下を通過


”ホタルの里”の看板が。
環境庁選定「ふる里 いきものの里」松葉沢ホタル生息地とある。
源氏ボタルは6月上旬頃から、平家ボタルは6月下旬頃から発生する、
とあることからホタルの時期は既に終わっている。


神社らしき建物まで来たところで、前回通った半原山顕妙寺が見当たらない。
『確かこの辺りだった筈なのに・・・』
半原バス停への道標を途中で見失ってしまい、道に迷ってしまったのだ。
近くの家のお年寄りに半原バス停への道を訪ねると、本厚木行きは神社の鳥居の前だと教えてくれた。


目の前の神社が半原神社だった。
御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)で八百万の神様とのこと。


お婆さんの言う通り、神社の目の前にバス停があった。
14時40分、”撚糸組合前”バス停に到着した。しかし、ここは目指していた半原バスターミナルではない。


”撚糸組合前”バス停は、半原バスターミナルの一つ本厚木寄りの停留所だった。
しかし、半原バスターミナルへ行くには、もう時間的余裕はない。
『ここでゴールしたことにしておきましょうっ』 で意見が一致。


待つこと数分、15時50分発の本厚木駅行きバスがやって来た。
乗客は我々の他に数人だけ。
終点の本厚木駅までひと眠りしよう。


15時35分、本厚木駅前に到着。
Mさんの完歩を祝して一杯と思い、駅前の飲み屋を探したが、いずれも営業は17時からになっている。
駅ビル内のレストランを探すことに。


駅ビル・ミロード7Fに「やきとり”鶏陣”」を見つけた。
早速ビールで『かんぱ~いっ』
『完歩おめでとうございま~すっ』


『Nさん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』
『やっぱ 歩いた後のビールは格別だねぇ』


「関東ふれあいの道」1都6県の全160コースのうち、唯一難度4と紹介されている「丹沢山塊東辺のみち」を
無事歩き終えることができた。
これで、Mさんも神奈川県の踏破認定証の申請が出来ることになる。
近日中に踏破認定証を受領することだろう。
道案内役・証明写真撮影役の責任を果たせて一安心である。
今後も未踏破コースを歩きたいという仲間がいれば、道案内役・証明写真撮影役を引き受けることにしたい。


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