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何か違う企画でうき特製のお菓子をお送りします♪



正解がわからないなり~







何かさぁ、「KIFMEC生体肝移植手術再開 男性患者が死亡」の話なんかを聞くと、いろいろ考えちゃいます。
↑KIFMEC=神戸国際フロンティアメディカルセンター。
最初、8人中4人死亡と聞いたときには、どんだけの確率なんだ?ヤブか?群馬大学と同じか?と思ったんだけどさぁ。
よくよく聞いてみたら、皆他所の病院で手術を断られてた人達なのね。
今回亡くなられた人が記者会見の場で、「私には8人中4人成功してると思える」みたいなことを言ってたじゃない?
そうかーなるほど、何もしなきゃ数か月以内に100%の死、手術をすれば50%の確率で生き続けることが出来るってことなのね?
私はぶっちゃけ、死に方は本人が選ぶべきだと思ってるの。
だから、本人が危険を承知で挑んでんだから、他人がとやかく言うことじゃないと思ってたの。
ただ今回みたいな場合はどうなんだろう、と少し揺れてます。
生体肝移植、つまり誰かの犠牲(肝臓の一部)で成り立つ手術なわけじゃないですか。
単純に癌を切るかどうかぐらいのことだったら、本人の好きにさせてやれよと思えるんだけど・・・
どうなんだろうねー。
本人もドナーも強く手術を望んでる。
↑本人が強く望んでるから、断れないドナーもいるだろうけど。
それに医者は応えるのか、断るのか。
どっちが正しいんだろう?
病院の手続き上の不備とかいろいろ問題はあるだろうけど、一縷の望みに掛けたいと言う人の受け皿がなくなっちゃうのもなんだかなぁ、と思うし。
やっぱり他人がとやかく言う問題ではないのかなぁ。
たぶん今回の場合は、本人も本望だったと思うし、ドナーの方も後悔してないはずだから正解だったんだろうね。
私だったら?
その場になってみないとわからないけど、今は運命を受け入れて何もしないを選択したいと思ってる。
でも、が患者で私がドナー側で、本人が希望するなら手術を受けさせてやりたいと思うだろうね。(笑
生きてる間中、「あのとき、私の肝臓をあげていたら生きてたかも」と後悔するのだけは嫌だもの。
うん、のためじゃなくて、自分のためにね。
患者や家族、それぞれ事情が違うから難しい問題だとは思うけど、なるべく納得出来る最期を迎えさせて欲しいなぁ。

さて、昨夜からねぇやんが来ています。
のカツサンドは買えなかったみたいだけど、私のマンゴープリンは買って来てくれました。
イチゴの代わって、マンゴーの季節のようです。
ふふふ、嬉しい。
季節と言えば・・・
が大学で生ってた枇杷をもいできてくれたの。
研究室の側に1本だけ木があるんだって。
事務のおばちゃんがもいで来たのを見て、「もういいですかねー(熟してる)」と脚立を持ち出して決死の覚悟で取って来たようです。(笑
↑彼は高所恐怖症なのだー。
小さいけど、なかなか美味しかったのよ。
私、枇杷、好きなんだー。
ただ、何故だかわからないけど、この枇杷を食べて昨夜も今朝もお腹が壊れたのね。
もしかして、枇杷って、めっちゃ灰汁が強いのかしら?
いやーん、今後、枇杷は食べられないのぉぉ???


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