ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

選ばれし民(と東電の幹部は思っている?)

2011年05月03日 | 世の中のこと

この方がフツーに背広でノー・マスクで福島原発に取材に行き、「住民のみなさん、家に帰って暮らしましょう」とネットで書いた時には驚愕のあまり思考停止になりました。著作も3冊くらいは拝読しておりましたのでね。『人生道場』はサイコーでありました。菊地成孔氏の『CDは株券ではない』を彷彿とさせるものがあります。大筋、真実でビミョ~に外すチャーミングさが似てると思う。

 

こういう性格で・容姿が白馬のように(若く)美しければ・ヤザワの連れ合いとして申し分ないのにな~ 

と・妄想を膨らましていた読者なワケです 

 

以下、抜粋とリンクです。

副島隆彦の学問道場気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板


[499](報告文 14) 原発事故の責任者たちを、どうしても裁判(刑事裁判も)に掛けなければいけない。住民が殺処分にされつつあるるのです。私は真剣に深刻にそう思います。

 

原発から20キロ圏内の動物たちはすべて殺処分にされることが決まり(4月26日)、もっか実行に移されつつある。牛が3500頭、豚が3万頭、馬が 100頭、鶏が60万羽(そのように報道された)、そして家畜ではない犬や猫たちまでが、見つかり次第、次々と捕まって薬殺されている。すでに餓死したり衰弱していた動物たちを私は現地で目撃している。

 

金網(封鎖線)が、これから20キロ圏に畑や林のなかまで突っ切って、強引にかつ強制的にどんどん建設されていくであろう。放射能の恐怖で追い立てられてきた人は、たった一度だけ機動隊に連れられて、わざとらしく防護服を着せられて、自分の家に入ってわずか数時間だけ、金目のものだけを拾い集めて、そしてもう二度とこの自分の家に帰ることはないのである。衣類なども放射能で汚染されているからとして持ち出し禁止にされる。

 


すでに小さな子供たちをかかえた若い、貧しい夫婦たちは、将来の子供の健康を心配してさっさと東京などへ新しい職を求めて流れ出している。原発避難者たちは、口封じで何も怒りを表明する道すら絶たれて、ちりぢりばらばらにされ、証拠隠滅されていく。

 

どうやら日本政府(首相や大臣たち)よりも、東電の最高幹部たちのほうが力があって、政治的な実力も持っているということである。勝俣会長や清水社長のあのふてくされた、完全に居直った国会での答弁を見ていれば、そのことはわかる。

 いくら民間の巨大企業であるといっても、政府の大臣たちよりも権力(権限)があるはずがないとみんな思っている。しかし実際はそうではない。電力会社の歴代会長たちが、全国すべての選挙区の議員(政治家)たちを各選挙区で、実質的に選出する決定権限を持っており、その若い政治家たちが大臣になっていくことまでも左右する。さらには、市長や県知事などを差配(さはい)することなどはもっと当たり前のことである。

 だから、いまも勝俣や清水は「民間企業である東電に背負える責任には限度がある。日本国政府が全面的に支援してほしい」という態度を見せている。「今回の事態は、”想定外の”異常事態だった」とはっきりと責任逃れをしている。それで、原子力災害損害賠償法の規定どおり「1200億円までは東電が出す。それ以上は政府が……」という徹底的にふてくされた態度である。だから、原発避難民たち7万人に、そそくさに一家族100万円、独り者には75万円を手づかみで渡した。

 


 

 

まるで旧ソビエトのチェルノブイリの話のようです。やはりソフトバンクの孫社長の仰るように、1企業が独占的に支配(インフラですから)するのは止めさせないと、政治家も官僚も暴走に手がつけられないわけです。

いちお、(だんだん自信がなくなりつつありますが・・)法治国家で民主主義の日本で、東電はどのように処分されるのでしょうか。

 

今日お会いした人に:「今回の地震は、HAARP(地震兵器ハープ)の仕業という説も根強い」ということを伺いました。

 

私はこういう説を全く否定する気はなく、早速、検索してみました。エドワード・グリフィンの本(マネーの怪物)で:「世界の人口を調整している」というのを以前読んだからです。

 

テクノロジーは本当に進歩していますね。「ハープ 地震」で検索してYou Tube 他、ハープの活動と連動した地震のデータなども見れました。

こんなにお金のかかる開発は当然ロスチャイルド絡みだそうですが、ロスチャイルド家の寿命はどうなったのか興味ありますね。永遠の命を手に入れたのだろうか。

 

ここ1年ほどは東電のようにバラマキをした日本人を世界中で哀れんでくれるでしょうが、いつまでも原発が収束しなければ、世界を汚染した国民としてユダヤ人以上に嫌われる民族になるでしょうね。

 

嫌われてもアタマが良ければ:「憎まれっ子、世に憚る」んだけどネ~・・・

 

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no will (noga)
2011-05-03 11:41:04
日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと生活している。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812




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