ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

50年前の映画と今

2016年12月29日 | 世の中のこと

サミュエル・フラーの60年代のモノクロ映画に通ってますよ〜@桜坂劇場 

本日「ショック集団」を観たら3作観た事になります。観ます。

2作観たところですが:人類の進化というか退化というか、一体、先進国の人類はどうなっちゃってるんだということを改めて考えてしまった。


まず!登場人物の主役はもちろん、通行人などのエキストラですら、アメリカ人なのにみんなほっそりとスタイルが良く、モデルのようです。誰もジャージの上下などは着てなく、素敵な洋服を着て日常の買い物をしたり家事をしたり仕事をしてます。子どもですら女の子なら品のいいワンピース、男の子でも丈の短いズボンのスーツなどを着ているし。

胴回り90cmの子どもとか、XLサイズの大人とか、歩いてないんですよ


私が初めてアメリカに行ったのが90年で、「ずいぶん肥満の多い国だな〜。ハリウッド映画のスターというのは、やはり別人種なのか」と思ったものです。その一方でヴェジタリアンという人々もいて、国民レベルの極端な国は天才を輩出するというのはローマ時代からの伝統かと納得したもの。

「コーラとかガムとかマヨネーズとかポテチとか食べてるからこうなるんだ」と思ってたけど、60年代のアメリカ人はデブじゃないんだよなーどういうことなんだろう

と不思議に思いながら観てて、家に帰ってキッチンの料理本の棚をふと見て気がついた


小麦だ


 

 
 
 


この本を読んで、自分は小麦アレルギーになったことで、糖尿病やら認知症のリスクを回避したということが分かりました。アレルギーにならない強くて健康な人が、積もり積もって将来的には重篤な病気になったりするんですね。


沖縄もアメリカばりに肥満人口が多いです。アメリカ統治時代のなごりでコーラとかファストフードを食べるからだと思ってたけど、そういえば沖縄の「そば」はそば粉じゃなくて小麦粉なんです。煎餅も米じゃなくて小麦。塩クッキーだろと関東出身者にしてみれば許せない煎餅:笑:なんですけど。


讃岐うどんで有名な香川県民の2人に1人(ということは予兆を含めれば全員だ)が糖尿病という風土病状態というのも、次いで沖縄の糖尿病患者数の高さというのも、ソウルフードが小麦粉の場所。香川県に行ったことがないんですが、やはりアメリカ人のようなヒトが多いんでしょうか?


太ってしまうとオシャレする気もしなくなるから、ジャージに走るのも分かる。そして皆がジャージを着てる中でオシャレをするのも浮いてしまうから、太ってなくてもジャージを着るようになるのかもしれない。ラクだし。そして世界はアメリカ化するのだ。

インドの貧しい農家の女性のインタビューで、とても素敵なサリーを着て農作業をしてる女性が、ブレスをジャラジャラ着けた腕で涙を拭いながら「貧しくて・・」と泣いているドキュメンタリーを観た時にも何か違和感があったのを思い出した。泣いてる顔には素敵なピアスが揺れてました。首にはもちろんネックレス。髪はアップにまとめたり編み込んであったりと自分で手をかけているのが分かりました。


なんだかなー アタシが農作業やってる時のほうが、このインド女性より、よっぽどボンビーな雰囲気が漂ってるはずだ」と思ったんですね。ピアノの練習をしてる時もボンビー臭いはずだと


着用のジャージは・いちお・エド・ハーディだったりするんですけどね。でもそういう問題じゃないんですよ思うことあって:それ以来、ジャージを普段着に買うのはやめました。ユニクロも買わなくなりました。普段着は:古着屋でデザイナーものを買う。そして惜しみなく着て働く60年代のアメリカ人を目指してたわけか 。まだジャージはピアノの練習で着てますけどね。エド・ハーディなんで 捨てられないんですよ、ボロくなっても(とかゆってる時点でボンビー臭いよなぁ。何年目だ?高級下着に手を出したら大変だ!捨てれなくて


新しい粗末な服を買うよりは、セカンドハンドでも良い服を買ったほうがイイ。と思って古着屋を覗いてみれば、着古していない、買った時の値札もついてるような未着用のものもいっぱいあるんですね。自分のボロボロのヴィトンを査定してもらってる間に見て回れば、なんだか「わらしべ長者」になった気分で買えるし


要するにブランドものはバッグとか財布くらいしか売れないんですね。ブランドものは「証明書」がないと引き取ってくれないので、服はほとんどムリ。持ち込んだ:むかーしのバーバリーのトレンチはコンディション良くても引き取ってくれませんでした。

「ブランドの服は買い取りできませんが、デザイナーブランド(ピンクハウスとか)なら買い取りできます」と言われました。バーバリーが売れないのにアルバローザのコートは買い取ってくれたという。不思議な世の中〜

 

そうそう

「チャイナ・ゲート」という映画は戦争映画でしたが、当時からすでにアメリカ軍というよりは多国籍軍で、「プロの軍人」というフリーランスのような軍人が紛争地に赴いて仕事としての戦争をしていたんですね。

殺し、殺されるのも仕事のうちなので、仲間の軍人を見送るシーンを見て「極道の女たち」をちょっと思い出してしまった。軍人と結婚するというのは、こういうことなんだよね。日本の自衛隊員もその家族も、こういう腹は座ってるんだろうか

背骨を破損して動けなくて死を待つ状態の仲間を、他の仲間が囲んでると:「俺はもうダメだ。先に行け。なぜ待ってる」と聞いたら「生きたまま葬れないから待ってる」と答えるんです。死ぬまでの時間つぶし?に色々話して「死ぬのに時間がかかってすまない」とか詫びつつ亡くなると、穴を掘って埋葬してから進軍してました。爆死(木っ端みじん)や奇襲を受けた場合以外は落ち着いて淡々と埋葬をするんですね。プロというか何と言うか。


第2次大戦からは「女と子どもから真っ先に殺す」のが戦争だそうです。軍人同士の闘いというより市民狙い。シリアでも病院、学校が狙われるし。ついでに「神社仏閣(教会など)を攻撃するものが戦勝を揚げる。だから我々(アメリカ)は勝者なんだ」とも。内部告発的な要素が多々ある問題作だったんでしょうね。


50年前の映画を観るというのも面白い。つい先日バイオハザードを観たばかりだったから、余計に面白く感じるのかもしれない。


手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を思い出しました。

 

 
 
 


さてー 今日は「ショック集団」だ!



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