夕べ一気に読んだ本→ブランド帝国LVMH(ルイヴィトン、モエ、ヘネシー)を創った男 ベルナール・アルノー、語る/日経BP社
『神話に溺れない。常に挑戦と創造を心がける。それがブランドビジネスです』
昔、まだ留学中に、パリのSalle Playelというパリ管弦楽団の本拠地のホールのコンサートの幕間のロビーで、ご家族でいる所をお見かけしたことがあります。特に経済に明るい訳でもないヤザワが「あっ」と認識したわけだから、すでに相当な有名人であらせられたわけです。夫人はコンセルバトワール卒業のピアニストで、アルノー氏もピアノを弾かれることは有名です。
ヤザワの敬愛してやまなかった恩師、クロード・エルフェ先生、指揮者のピエール・ブーレーズ、そしてアルノー氏もエコール・ポリテクニックというエリート大学の出身者です。
エルフェ先生の後輩でヴィトン・グループの総帥で趣味・ピアノ、の人が語った本です。これは読むしかない。
難しい問題や価値基準といったものを、分かりやすく語っているところに頭脳明晰さを感じます。アメリカに住んでいたこともあり、グループは世界的な企業に発展したこともあって、フランス人特有の気取ったインテリ臭というものを感じさせません。ただアメリカ人とは決定的に違う「美意識」というもののバックグラウンドに、歴史があるという自負を感じさせられます。
そういえば98年にNYに住んで、初めてカーネギー・ホールとかリンカーン・センターのコンサートに行った時、観客にスニーカーとジーンズの人というのがけっこういて、「さすがアメリカ」とびっくりした覚えがある。ヨーロッパではドレス・コードがかなりはっきりしているので、オペラ座でスニーカーなんてまず見ないし。そんな人が近くにいたら「スリ?」とかバッグとか押さえて用心されちゃう。向こうのスリもドレスアップしてるけど(笑)
「アメリカのファッションはスポーツ・ウエアです」と言い切ってました。アルノーさん。(笑)でもダナ・キャランはヴィトン・グループじゃなかったっけ?と巻末を見たら:「忙しい女性のためのファッション感覚あふれる日常着」と紹介されてました。ハイ・ファッションとは思ってないわけか。かつてのマダム・グレみたいなエレガントでステキなドレスもあるのに。
グローバル化とはいえ、何でもアメリカン・ナイズされることをグローバリズムにはしない、という気骨はやはりフレンチ気質?という点は日本人も見習うべきかも。
いろいろ考えさせられることもあって、読んで良かったです。
一番、気に入ったアルノー氏の言葉は:「絵画と音楽のどちらが大切ですか?」と聞かれて、「才能ある音楽家の方をより尊敬しています。音楽は並外れた資質を要求します。大した才能がなくても絵は描けますが、ピアノでベートヴェンのソナタを弾いたり、ましてや交響曲を作曲するには長期に及ぶ修練が必要です」って!
これがアメリカだと間違いなく「ヴィジュアル・アーティスト!(だって値上がりするもん)」とか言うわけよ。音楽は著作権が切れたら公共の財産になるから、カネの亡者は絵を買うという。
アルノー氏は音楽家は数学者に近い、と仰ってます。その通りです!クラシック音楽は「情操教育」に使われるので、文系と勘違いされている方が多いと思いますが、「ドレミファソラシド」は、音のデジタル化の最たるもので、楽譜はデータ、設計図というように専門教育では教え込まれています。音像設計図を音響化するという考え方なので、音楽を抽象的とは捉えていないのです。まあこれは1オクターヴを12で分割した平均律を、グローバリズム(世界標準)とした音楽の特徴ともいえますが。
音楽ソフトをいじってみると分かることですが、本当に数字の世界です。ただ、アナリーゼ(楽曲分析)を学ぶまでは「もっとそこは歌うように弾いて」とか「そこの音は温かい音で弾いて」というようなレッスンを、まともに言葉の意味に自分の出す音を近づけようという努力をしていたので、それまでは文系の頭だったと言えるんです。精神論者だったんですね。たとえ曲のタイトルが詩的で、文学的な補注があったとしても、それは曲作りとはあまり関係ない、というのが本当のところではないでしょうか。ただ、曲のイメージに合う言葉を選ぶことは大事なことです。聞くのは専門家だけじゃないから。それを「プレゼン」というのかも。
『神話に溺れない。常に挑戦と創造を心がける。それが音楽(ブランドビジネス)です』
というように重ね合わせて考えて読めたりもして、一気に読めたのでした!
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