さて、メインの、戦時下の子供たち展
学校日誌には、「英霊出迎え」「遺骨交付式」「志願兵見送り」「空襲警報発令」など、戦時下らしい言葉とともに子供たちは「堆肥集め」「わらびとり」「桑皮はぎ」「南瓜植え」など食料生産にも動員されていたことがわかります。
私の母は、戦時中小学生でした。とにかくおなかがすいていたと、いつも言っていました。そして野草を見つけると、おいしかったと言ってよく料理してくれました。それらが「決戦食」と呼ばれていたとは。
私が子供のころはまだ、川でタニシを取ってきて食べていましたね。
灯火管制下の家の中や
戦時中の人々の服装
千人針
アメリカ軍戦闘機の燃料タンク
孫たちには初めてのものばかり。理解するには詳しい説明が必要でしたが、私も戦争を知らない世代ですから十分な説明はできませんし、時間も足りませんでした。ただ孫たちが興味と関心を持って見てくれただけでも、ここに来てよかったなと思いました。
予定よりもずっと長く滞在してようやく出口に来ました。次は開明学校に行きます。
宇和町は古い建物の残る町。
旅館松屋
そうそうたる著名人がこの宿に泊まっています。
そんな街の、長い坂の続くその先に開明学校はありました。
突き当りはお寺で、その左下にあります。
学校は1階と2階の一部屋は資料室、あと、1室が明治時代の教室をそのまま保存しています。
こんなにひっついた(くっついた)机だったん?
授業に使った掛図にも興味津々
先生のまねごとをしてみたり
見るだけでなく、体験できるというのは楽しかったようです。私は何度か来ているのであまり新鮮味はなく・・・疲れました。
もう少し街並みを見て回りたかったのですが、ウマオがこれ以上歩くのを拒否。それじゃどこかで休んで帰りましょうということになりました。
少しだけ歩いて酒蔵を改造したカフェ「池田や」で休憩。自家製フルーツソースをかけたかき氷がおいしかったです。
ところで、いただいてきた蚕は?
車に放置して熱中症にでもさせたら大変。どこへ行くにも私が大事に連れ歩きましたよ。
愛媛にもいらっしゃったことがあるんですね。宇和町をパスされるのは仕方がないかもしれません。京都、 奈良、どっちか行くというなら京都でしょう? 内子のように街並みがまとまって保存されているわけではないので、全体が地味なんですよ。宇和はシーボルトの弟子二宮啓作が開業していた土地でもあり、シーボルトの娘イネも滞在していた町です。歴史好きの方には興味深いところだと思います。また、夕日で有名な双海町には県内最古の木造校舎翠小学校もあります。今の状況が落ち着いたらぜひ再訪なさってください。お待ちしています。
宇和町をパスしたことが、今、悔やまれます・・・
開明学校、良いですね!
最近の旅では忙しすぎて封印していますが、
実は洋館・近代建築が大好きで、
とりわけ明治の学校は大好物!
開明学校に大興奮でしたw
ご存知かもしれませんが・・・
齋藤美奈子『戦時下のレシピ』(岩波現代文庫)は
太平洋戦争下の食に、たぶん初めて注目した一冊だと思います。
面白いですよ。
松屋旅館はまだ現役です。
蚕は車に放置はできません。人間でも死ぬくらいの暑さですから、冷房の効いた場所へ一緒に連れて行きましたよ。
蚕は大事に持って歩かれたんですね
戦争を体験した時代の方たちはもうすでに高齢になられていますよね
後期高齢者の私でさえ何もわからない赤ん坊でしたから・・
戦後の物のない時代は記憶有りますが~
明治時代の学校
今のコンクリートの校舎とは威厳が違いますね
長椅子に長机
宇和町素敵な雰囲気の街並みですね
歩いてみたいですね