山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

日本は鳩山学園・友愛高等学校の生徒会長(程度の人物)を首相にしてしまった。

2009-09-27 18:56:27 | Weblog
新政権発足直後からの亀井金融担当相の「モラトリアム発言」、前原国交相の「ダム建設中止・JAL再建問題」と閣僚の突き付けられた対応に不安がよぎる。亀井は与党経験、対官僚操縦にも豊富で老練な政治家であるから、着地点をある程度先読みした政治的発言と見る。前原のふたつの案件では、初動発言がそれぞれ違うところが気になる。(白紙からでもなく、関係者に説明もなしに)「ダム」については“建設中止宣言”から入り、「JAL」については、「破たんさせません発言」から入っている。甘い正直さと言おうか、政治素養不足なのか、(本心はどうあれ)少なくとも相手の話を聞くところから入っていくことが、賢明な日本人的交渉術でもあろうが、(政治家資質以前の)基本的な社会経験則を身につけていないのではないだろうか。民主党のなかでは比較的マトモな方の政治家と見ていたから、この程度では小沢一郎が「いまの民主党(議員)に政権担当能力がない」と言ったこともよく解かる。もっとも口下手の小沢自身に、交渉術としての言語力・会話力などまったくないことは押して知るべきことだが、それでも有力政治家たらしめる日本政界での存在こそが不思議に思われるものだ。鳩山首相が国連(連合国)演説で地球環境問題から、二酸化炭素排出削減25%を提起した。胡錦涛主席との会談で、「友愛外交、東アジア共同体構想」を述べた。鳩山でなく亀井静香が発言したのなら、ウラ読みが必要であろうと感じてしまうが、鳩ポッポ発言にはナイーブな軽薄さだけが残り、まるで日本国民は鳩山学園・友愛高等学校の生徒会長を首相にしてしまったのではと思う。鳩山政権は「脱官僚」を掲げているから、外交知識のブレーンは民間人であろうか。このたびの「東アジア共同体」発言で、三井物産戦研所長の寺島実郎の影響が取りざたされているが、ブログ子には第一次民主党結成に関与した高野孟が大いに気になる存在である。田原聡一朗の仲間としてTVなどにコメンテーター出演しているが、1996.9の民主党結成(鳩山・菅共同代表)で、高野孟が党理念・綱領を執筆し、社民党本部書記局員は民主党事務局要職に移動、鳩山G+菅直人G+社民党系の、第一次民主党結党となる。この協会系スタッフが潜り込んだことが、マニフェストや政策要綱なる部分に「社会主義政策」が色濃く出てくることにつながっている。高野孟の父実は、1950.6の朝鮮戦争勃発でのレッドパージから、7.11「反共民同」の総評結成に隠れ共産党員として潜入、翌1951.3総評事務局長に座り、総評を(親共産)左派路線へと導いた。このことは労組本来の労働運動を「極左偏向」のイデオロギー政治闘争路線に煽動した現在まで尾をひくものである。高野実は一家族で中国共産党の招待を繰り返し受け、親中派としてのめり込み過ぎて、1968.中ソ対立から共産党を除名される。長男の孟は、共産党入党し、早大細胞として学生運動を指揮、卒業後は通信社JPS(細川嘉六・戦後の初代共産党議員団長が設立)に入社。その高野孟が、いま官僚に代わって「友愛ボンボン」に有らんことをレクしてるのではと思うと、日本人として情けなくなる。リビアのカダフィ大佐のように常任理事国批判をできなくとも、初の外交舞台で強くでるようでなければ各国から外交交渉で侮られる。友愛甘ちゃんに期待するほうが無理かと思うとなお気が滅入る。
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「核密約の解明」などと騒々しいが、政治判断の国内問題に過ぎない。

2009-09-26 03:44:55 | Weblog
岡田外相就任で「核密約の解明」などと騒々しいが、所詮、時の(国益を考えた)政治判断の国内問題に過ぎない。
米国と(核)密約を結んだと言うよりは、日本政府(外務省)が国内的に密約にしてしまったとするのが正確だろう。
そしてその秘匿判断は、これまでの経緯から間違いではなかったと言うことである。
1963.4.4.の(池田内閣)大平外相とライシャワー駐日大使の会談、事前協議対象(1959.6.20)の再確認で「日米間で事前協議の対象になるのは、核の陸上配備(イントロデュ-ス)だけで、核の通過(トランジット)は対象にならない」との持ち込みに関する解釈のことである。
なにより、このとき中国は核開発の終盤に差し掛かっていた時期で、翌1964.10.16(東京オリンピックの最中に)核実験を行うのであるから、中国側のスパイ工作政党の共産党や社会党議員(民主党に身を隠した議員など)がなにを言ってるんだといいたい。
日本の国益など考えない左翼議員に外交案件をすべて明らかにできなかった政治状況での高度な政治判断こそ、いわゆる今日の核密約なる問題になっているものである。
説明しても理解できない売国バカ議員に公開することは国益を損ねるものと処置したことであろう。
報道されているように極めて少数の関係者しか解釈メモが引き継がれていなかったようである。 省内では次官と関係局長程度か。
大臣についても(周辺人物など)峻別してレクしていたものと推察する。
ブログ子のかってな想像だが、1968.1.19~23の空母エンタープライズの佐世保寄港で、左翼陣営は寄港阻止闘争を繰り広げたが、時の三木武夫外相には核登載寄港の解釈を挙げていなかったのではないかと思われる節がある。
1.19に三木外相とジョンソン駐日大使が会談、直後の1.25にジョンソン駐日大使が牛場次官・東郷局長を呼んで会談している(?三木外相は理解していないようだ)。
三木武夫は国家安全保障上、(外務省事務方から)信用できない政治家と見られていたのではないか。
その例として、三木外相は政務秘書官に国弘正雄(後に社会党参議院議員)を置き、当時、ベトナム戦争一連の反米偏向報道の批判からTBSキャスターを降板することになる田英夫(後に社会党参議院議員)の「励ます会」を主催しているなど(金日成の盟友宇都宮徳馬などが出席)。
このような周辺の交友関係、三木自身の親特亜の思想体系から解釈メモを耳に入れなかったことがうかがえる。
三木睦子夫人が現在も親北朝鮮人物として活躍されていることからも、外務省にとって国益上(極秘情報レクに)疑問のある政治家と見たものだろう。
かつて、本の名前は忘れたが、三木を外相に入閣させた佐藤栄作首相が兄の岸信介から「(三木の外相ポストに)だから、お前は甘いんだ!」と詰られたと書かれてあったと記憶する。
いずれにしても、現在もそうであるが自民党内と言えども、特亜の工作員もどきの政治家が跳梁跋扈している現況にある。
「脱官僚」などと言いながら売国活動に精出す左翼政治家にすべての情報開陳する術はないだろう。
岡田外相に正常な国際感覚があったなら、まず、スパイ防止法の制定を急ぐべきだ。
検めて「核密約論」など、時の高度な政治判断による国内問題に過ぎない。
後年、この三木武夫を首相にしてしまったんだから、ニッポンの危うさは酷いもんだ。
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「脱官僚」ってナンだ!、政治家主導って「超官僚」だろ!。

2009-09-25 21:00:01 | Weblog
鳩山民主党政権誕生で「脱官僚」なる言葉が、新聞・テレビ、他にも溢れている。  それってナンなんだヨ!、と問いたい。
北朝鮮じゃあるまいし、官僚が政治家を拉致して取り込んでるわけでもないし、個々の政治家が官僚以上の見識や政策ビジョンをもってすれば、「脱官僚」なんて言葉はないもんだろう。
選挙当選の翌日から、次の選挙にむけて選挙運動だ、とばかりに小沢一郎にハッパをかけられている民主党の素人議員に、国会議員として官僚に負けない勉強はできるのか?、と問いたい。
所詮、採決要員にしかなりえない1~2年生議員。
一方でマニフェスト(政権公約)で示した「脱官僚依存」を実現するために、政府に国会議員計100人態勢で入り込むとされる。
そこで、素人議員は官僚からレクを受けるのではないのか。いったいどこが「脱官僚」なのか。
必要なのは、(自民党も)民主党も独自のシンクタンクを持ち日常的に政策研究・分析を積み重ね精査したうえで、そのマニフェスト(政策課題)を持って政府に乗り込めば、あえて「脱官僚」などと放言することもなく、政治家主導の「超官僚」の政治が実行できよう。
官僚があの手この手でご説明に伺い来ても、官僚以上の見識・能力があれば充分議論しても説き伏せられるもの、どちらが遣り込めるかすべてが個々の政治家器量に掛かっていることだ。
9.24にピッツバーグで開幕した(G20)首脳会議(金融サミット)で、鳩山首相は「参加国の数が多いと事前調整が必要になるが、事前調整をすればするほど官僚の意向が強く反映されてしまう」と指摘。官僚依存の討議に陥らないよう、各国首脳に「脱官僚」を訴えた、とある。  まさに“バカポッポ”そのものである。
最終的に決定するのは、政治家なのだから、万座の前で「脱官僚論」などをひけらかすこと自体、自分は官僚を使いこなす能力のない「バカな日本の首相」を宣言したに等しい。
鳩山と小沢がすべての個人資産(隠匿資産も)を注ぎ込み、りっぱな「民主党のシンクタンク」を創り、政策課題の研究に精出すところから始められたらと助言する。
そのときにこそ、「脱官僚」ならぬ「超官僚」の政治家主導が達成されることだろう。
さて、民主党はこのたび小沢一郎の息の掛かった新人議員が多く当選して、最大勢力(150人程度)を築いたと報道されているが、党全体の出自をみると、松下政経塾と財務省(大蔵省)・経済産業省・総務省出身のキャリア官僚がある一定の数を占めている。
先週まで放送された城山三郎原作のTBS「官僚たちの夏」の高度成長期を担った旧通産官僚のように、国家を背負った国士のような人物が多くいたことも戦後復興の牽引となった。
霞ヶ関官庁のなかでも、財務省(大蔵省)・経産省・総務省(自治省)には特に優秀とされる公務員試験上位合格者が採用されている。
山形県出身ではそれぞれ10年に一人くらいが入省を果たしているが、本年(2009)は経済産業省に二名入省している。
官僚バッシングが叫ばれるなか、先が読めない官僚人生であろうが、山形県のため、日本国のために活躍を願っている。
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自民党総裁選で見える党内に混在する偽装保守の模様図

2009-09-25 12:53:45 | Weblog
9.24、自民党本部で行われた党総裁選挙の討論会で、初当選した小泉進次郎が3候補に「歴代の自民党総裁で最も模範としているのは誰ですか。私に対するお気遣いは全く必要ありません」と質問。谷垣禎一は「吉田茂と宮沢喜一」、西村康稔は「吉田と岸信介」を挙げ、河野太郎は「新総裁・河野太郎が模範になれるように」と答えた。この答弁に、現在の自民党が抱えている混在模様図が、実に面白く素直に表われているように思う。あえて付け加えれば、河野太郎に「実父河野洋平・祖父河野一郎」の答えがあったなら、これ以上ない明確な事情分析ができたのだが。谷垣と西村がふたり挙げたうちの一方をともに「吉田茂」とし、もうひとりを谷垣は「宮沢喜一」、西村は「岸信介」を挙げたところがミソだ。自民党結党の党是は占領憲法の改正にあり、岸信介は首相退任後も自主憲法制定議連の会長として一貫した改憲派として政治活動を通した。一方の「宮沢喜一」は、護憲リベラル派として、「いまの憲法で何ひとつ不自由がないのに、なぜ変える必要があるんですか」と述べている(読売・渡辺恒雄との会談)。さらに宮沢は、(1991)田原聡一朗の取材「あなたは、最初から保守政治家だと思いますか。保守とはどういうことなのか」の質問に、「一方に社会主義、そして共産主義というものがありました。わたしは社会主義、共産主義には反対で、本当は資本主義と言いたいけれど、マーケットエコノミーと言いましょう。それが保守だと私は捉えています」と答えている。この発言から宮沢にとって、小平の「社会主義市場経済」さえも保守の範疇にはいるのかな、ともうかがえる。いずれにしても、宮沢の保守(政党)の理解は経済体制上からしか見ていないことがよく解かる。これでは、(1982.8近隣諸国条項)歴史教科書に関する宮沢官房長官談話、(1992.1)宮沢内閣の慰安婦謝罪談話(加藤官房長官)、(1992.10)天皇訪中で謝罪のお言葉、さらに退任直前にダメ押しの(1993.8)日本軍関与を認める慰安婦謝罪談話(河野官房長官)と、ことごとく国益を損ねる誤った外交判断を行って来たのが、政治家宮沢喜一に連なる売国政策である。そして、1991.10小沢面接(宮沢・渡辺・三塚)と称して、宮沢政権誕生に決したのは、金丸信と小沢一郎である。「軽武装・経済(復興)優先」の吉田(首相)ドクトリンは、経済復興を遂げるまでの当面の外交指針であって、吉田は中国の核実験(1964.10)を受けて、(1965.)日米協会演説で「皆さん、もう日本も核武装するべきではありませんか」と問題提起をしている。さらに吉田は政界引退後に、辰巳栄一(吉田の軍事顧問)に「辰巳の言う通り、(1951)あの時再軍備しておくべきだった」とも漏らしている。宏池会初代会長の池田首相も、ソ連の核実験(1961.10.31)直後に訪日した、ラスク米国務長官に「(安全保障上)日本が核兵器を所有すべきだと考えている者がいる」、訪欧から帰国後の1962.12(「ライフ」の取材談)「池田総理は軍事解決と、政治的・経済的解決といずれが重要か」に、「文句なしに軍事的解決だ」と安全保障の外交カードを広義にとらえている。自民党の結党時参加を吉田に遵じて見送った佐藤栄作も、中国の核実験(1964.10)後の訪米(1965.1)で、ジョンソン大統領との会談の中で「中国が核を持つならば、日本も核を持つべきだと考える」と語っている。さように、核先発国との(国家安全保障上の)対抗措置として核検討論に達しているものである。そもそも、1963.8の部分的核拡散防止条約(CTBT)に、核開発途上の中国の立場を擁護(核開発是認)して、反対したのは日本共産党である。逆にソ連側に立って賛成したのが日本社会党であるが、中国の核開発後にソ連はインドに技術支援、対抗して中国はパキスタンの開発支援にまわり、北朝鮮は中国のソ連からの自立を真似て核開発推進に歩んできたのが現実の姿であろう。中ソ対立のお先棒(対日スパイ工作)を担いで核拡散を間接支援してきた悪党左翼こそ、共産党であり社会党議員の正体ではあるまいか。このような基本的な反論すら出来ないほとんどの自民党政治家は、歴史の何を学んできているのだろうか。ペテン紙など読んでるから赤く(自覚の薄い赤化ウイルス症)なる。呆れるばかりである。宮沢喜一に戻るが、宮沢は朝日新聞の後藤基夫(朝日の親中路線を築いた広岡知男の片腕)と東大で同期、新人会にも後藤に誘われたと語っている。ペテン紙朝日新聞の歴史(国民赤化工作史)をひもとくと、この宮沢・後藤人脈を伝い、吉田ドクトリン(吉田茂)→池田勇人(宏池会)→大平正芳→宮沢喜一(加藤紘一・河野洋平)→保守本流=自民党とのレトリックを使って、自民党左傾化路線の国民世論工作を重ねてきたものである。さらに、朝日新聞の社長出世コースを見れば、朝日労組役員→宏池会番(政治部)→政治部長→東京・編集局長→編集担当役員→労務担当役員→社長昇進となる。経済部出身との交互就任が継続しているので、次はKHが有力とされる。結論として、自民党結党のDNAを持ったマトモな保守政治家と見てとれるのは、西村康稔だけと言うことになる。谷垣の模範とする「吉田茂→宮沢喜一」の答えは、自民党の保守政治の変容過程を如実に現わしている。(1980.6大平首相死去後に、暗愚の鈴木善幸内閣発足・宮沢官房長官)宮沢・宏池会と朝日新聞(及び左翼メディア)が宣導した見事なまでの自民党左傾化・熔解工作の結果が見えてくる。併せて、朝日新聞人脈につながる河野洋平(親族の朝日新聞出身で親ソ中朝の河野一郎・田川誠一)、東大・坂本義和ゼミで安保闘争に暮れた加藤紘一が宮沢黄門の助格とあれば、現在の宏池会のどこに保守の光が見えるものか疑問である。あらためて、保守政党の自民党再建のために分党を勧める。汚れた血は入れ替えなければいけない。 自民党総裁選で見える党内に混在する偽装保守の模様図。垢(アカ・赤化)を擦り流し、清潔にしないと死を待つ病気になるのは政党も同じだ。
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ナイーブさしか感じられない、「鳩山由紀夫新首相」の誕生

2009-09-23 21:53:33 | Weblog
20年近く前になるが、このたび首相に就任した鳩山由紀夫本人からの電話を受け、受話器で聞き入ったことがある。
不在時に届けたKの贈書に対する御礼の電話だった。
実に丁寧な口調で謙譲語を重ねたような話し方で、さすがに鳩山家と言う良家の坊ちゃん育ちは違うなァ。と感心しながら、東北山形の在生のブログ子には、想像もつかない世界の人間生活模様だろうなと感じた。
同時に、海千山千が蠢く中央政界で、鳩山坊ちゃんはどの程度やり切れるものだろうと受け止めた。
それがこのたびの首相就任、いまでは外から伺うしかなく、メディアの報じる見聞範囲で検証するしかないが、鳩山由紀夫を新首相に戴くほどに日本国家と日本人全体がナイーブに去勢された事態に陥ったのかと気も失せる。
鳩山由紀夫は本当に良い人物で、弟邦夫のように自分だけの突出言行で走ることもない。
ただ、国益を一義に練られた国家ビジョンを背にして狡猾溢れる国際外交のなかで、リーダーシップを発揮できる政治家器量を、鳩山兄弟に見出すことはできない。
石橋家(ブリヂストン)の財力と鳩山ブランドがあってこその兄弟政治家職であり、とても素に伍せる政治家資質が満たされているとは思えない。
鳩山兄弟に、祖父石橋正二郎の贈与資産がなければ、1996.9(解散直後の第一次)民主党結成(鳩山兄弟の資産担保に銀行融資)はできたであろうか?。
首相の座についた今となっては、国益を背負って石橋(ブリヂストン)を渡る慎重さを忘れずに、日本国が国橋から落ちる(ブリッジ→ストーン)にならないように努めて欲しいと願うだけである。
危うさを秘めた、「鳩山由紀夫新首相誕生」のナイーブな国民選択。
これも国家を喪失した“社会主義現象(寄生主義)”なのかと悩む日々がこれからも続く。
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石坂公成前山形県教育委員長が語る、「日本の教育に大きな欠陥。まるで社会主義だ。」と批判!

2009-09-23 19:21:58 | Weblog
世界的免疫学者(48歳で文化勲章受章)で、今年2月まで山形県教育委員を務められた石坂公成前委員長(83)への毎日新聞山形支局の取材記事から。
石坂教授は、「不登校やいじめ、自殺。1996年に35年ぶりに暮らし始めた日本は、かつてと随分違ってしまったと感じた。現在の日本の教育には大きな欠陥があるようだ。」と、『戦前、戦後の日本の教育は世界的にも優れていた。子供が集団で1人をいじめることもなかった。
ところが、80年代からいじめや学級崩壊が起こった。 なぜ変わってしまったかは分からない。
ただ、戦後、日本には不思議な「平等」の概念がはびこったように思う。権利を等しく持つのではなく、「何でも皆と同じでないといけない」。まるで社会主義だ。』と批判。
「日本と米国の小中学校では、教育が根本的に違っていると痛感した」と、『日本と違い米国は多民族国家。人種によって宗教も習慣も物の考え方も違う。
米国が選んだ道は、その違いを違いとして認め合うことだった。教育で米国が最も大切にしているのは「社会には自分とは違う習慣や考え方を持つ人たちがいること」を子供に自覚させることだった。
そして、違いを互いに尊重しなければならないという原理を子供にたたき込む。
日本では、皆と同じ考え方をすることが美徳とされ、違う意見を持つ者をのけ者にする。「郷に入っては郷に従え」。
だから、大多数の子供たちは人をのけ者にすることに罪悪感を持たない。「皆と同じでないことは悪いこと」と思っている限り、いじめは無くならない。』と語る。
至極もっともなことで、ブログ子も全面的に共感するものである。
80年代からいじめや学級崩壊が起こったことは容易に説明できよう。
戦後の日教組教育を受けた父母の第二世代(子供が小・中学世代)がちょうど1980年代になるからだ。
併せて、テレビの低俗化・視聴率追及路線であろう(たけし・さんま・タモリの登場、PD・DRが戦後の日教組教育世代)。
1952.6の日教組第9回定期大会で、日教組は「教師の倫理綱領」を決定、“教育労働者宣言”のもと、「教師は科学的真理(マルクス・レーニン主義)に立って行動する」としたのであるから、教育現場で“社会主義”そのものを教えてきた訳だ。
石坂教授は、1957年頃から殆どアメリカでの研究生活に入っているので、日本の教育現場の腐敗堕落の過程をつぶさに見られない事情だったのだろう。
レーニン著書の「国家と革命」(1917)で、「青少年をして祖国の前途に絶望せしめる事が、革命精神養成の最良の道である」と説き、共産党幹部の志賀義雄は、武装革命路線の転換にあたって、「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちりと反日教育を施せば、3~40年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」と力説しているのだ。
日教組の社会主義教育を受けた青少年は、国会議員となり民主党は言うに及ばず、自民党のなかにもゴロゴロ居住。
いまや、?首相・衆参両院議長の座にまで就いている。ニッポン国再建のため、石坂教授には抗左翼(社会主義)の免疫増強処方箋をご教授願いたいほどの、呆れた日本の怠状である。
石坂公成前教育委員長が語る、「日本の教育に大きな欠陥。まるで社会主義だ。」、を検めて痛感する。
追記、取材した林奈緒美記者は、鶏卵アレルギーと聞いていたが、せっかくの世界的権威・石坂教授への取材ついでに、アレルギー克服の助言でも頂いたものか、思い出して気になった次第。
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自民党復活、究極の策は「靖国神社参拝」の旗。

2009-09-16 12:14:43 | Weblog
自民党総裁選挙を前に名乗り挙げる面子から、保守政党としての矜持がどこにも見いだせない。
これまでの自民党が保守政治の階段を一段一段降りる如く、中心軸が左(リベラル)に寄せていったことを振りかえらねばならない。
1974.12三木内閣、1980.7鈴木内閣、1982.11中曽根内閣、1991.11宮沢内閣、(1993.7河野総裁)、2007.9福田内閣、と保守の基盤を彷彿させる政治家の国家観・歴史観が、潰えたような堕落政治が溢れてきた。
戦後(占領期)教育を受けた全学連・全共闘世代の議員を取り込むなかで、変質してしまった保守政治の喪失事情である。
1985年までは、多数の自民党議員、閣僚も堂々と「靖国神社」を参拝していたのである。
決して、「靖国神社参拝」を果たせば、政権復活できると単純に述べるつもりはない。
真正保守政治家の集結する政治理念の旗印として、「靖国神社参拝」を掲げるべきと考えるものだ。
(自主憲法制定は言わずもがな!)長らく政治を見つめてきた視点から、それぞれの政治家が持つ国家観(国防観)・歴史観を最も投影される基本行動が「靖国神社参拝」の可否であり、その国家観・歴史観に基づく思想・理念の内面から派生する政策立案、政治活動の先にこそ、忘れかけた日本人の真正保守の王道が開かれているように思う。
議員個々の思想を曲げて「靖国参拝」することではなく、「靖国参拝」を堂々と、そして粛々とできる政治理念の持主だけが、自民党復活を胸に結集することである。
公認候補者選定にはその点(靖国DNA鑑定)をシッカリ精査して、300名(衆議院小選挙区)が揃って国民に向かい、保守思想(靖国参拝の意義)を訴えれば理解は得られるものと考える。
併せて地方組織(地方議員)にも保守理念を共有できる組織確立を進めていけば、日常活動もブレることなく一体的に行える。
国体護持に命を捧げられた先人に礼を尽くすことほど、国民に解り易い国家理念はないだろう。
自民党復活に、究極の策は「靖国神社参拝」の旗を掲げることだ。
今の自民党には、「愛国保守派」と「売国リベラル派」が混在、保守政党は名ばかりで形骸化している。
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自民党総裁選、名前が挙がるのは「中華まんじゅう喰らい」ばかり。

2009-09-13 20:35:39 | Weblog
自民党総裁選に、谷垣禎一元財務相が「立候補する決意をした。
衆院選での大敗北を受け、自分が捨て石になって党の再生を果たす」と出馬を表明した。
他に石破茂農水相が出馬に意欲を示し、中堅・若手議員の間には河野太郎らを擁立する動きもある。
どうも名前が挙がるのは「中華まんじゅう喰らい」の親中リベラルばかり。
ここに、(自民党が出自の「保守」を忘れ変質した)党敗北の遠因があるのではと検めて感じている。
石破の自虐歴史観、河野の三代に亘る(共産)社会主義DNAは言うに及ばず、谷垣の北京でのハニートラップ事件(1988.4)は広く知られていることである。
ブログ子はお会いしたこともあり、谷垣の清廉な人物像は理解しているが、懸念されることは、1985.の国家機密法案(スパイ防止法)の党内論議で、廃案に積極的に動いたひとりであったことが気になるのである。
結果として、1985年は社会党・田辺誠訪中団の中国側への注進なども重なり、靖国神社参拝とスパイ防止法が頓挫するきっかけとなった重要年である。
あえて、中共政府を凌駕するものではないが、双方五分の外交交渉の土台があってしかるべきだろう。
交渉以前に外交担当者が(ハニー・マネートラップなど)弱みを握られているとすれば、日本外交の大きな損失であり憂慮せざることである。
昨9.12、自民党山形県連で(総選挙・総裁選について)会議が行われた。
全国の敗戦状況からすれば、“山形はそれほどでも・・”の感じから、いつもの会議以上に自由闊達な意見交換があり、結論がでるものではないが言い尽くせた感があった。
ブログ子は、せっかくの意見表明の機会と考え、極論とは思いながらも既載の「自民党分党論」を申し上げた。
自民党再建はのみならず、(民主党を含んだ)日本の政治全体の正常化を図るには必要なことだと思っている。
さて、谷垣は会見で、政権奪還に向けた自身の政治姿勢について「家族や自分が生まれ育ち、住んでいる地域のきずなを大事にしていく中で、自民党を長い間支えてきた良質な保守層の期待に応える」と述べている。
党県連会議で加藤紘一が述べていたこととほとんど同じ発言だ。
そのことに異論はないが、国家のリーダーを狙うものとして、(地域社会問題を越えた)外交・安全保障論、マクロ経済政策(世界の中の日本)を示さなければ、宰相候補たりえない。
特別な教育環境がなければ、歴史を視る範囲において、国家観・歴史観が導きだされるように思われる。
そのためにも、自己の歴史理解から過去探訪に入っていくことは真実の歴史解明につながり、歴史観・国家観の再認識に行きつくのではと考えている。
日本国民には「毒ギョウザ」を振舞い、自分は安全な「中華まんじゅう・北京ダック喰らい」では納得できるものではない。
正常な国民にとって「毒ギョウザ」と「日本人拉致」は、全容解決まで消え去ることはない。

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日本社会主義青年同盟(社青同)出身議員が、衆・参両院の議長独占時代とは!

2009-09-11 19:23:17 | Weblog
総選挙で大勝した民主党は衆議院議長に横路孝弘前副議長を就任させる方針との報道が流れている。
参議院議長の江田五月に続き、横路衆議院議長となれば、1960.2に結成された社会党の青年組織・日本社会主義青年同盟(社青同)出身議員が、衆・参両院の議長を独占することになる。
この日本社会主義青年同盟・第3代委員長(1964~68)の深田肇は「北朝鮮のスポークスマン」と呼ばれ、参院議員(1989社会党→1996.社民党・衆院議員)に当選する前から、社会党本部専従職員として、党青少年局長・党組織局長・党国際局長などの党内枢要なポジションにあり、北朝鮮と深い関係を築いてきた人物である。
2002.9の小泉首相の訪朝で、金正日総書記が日本人拉致を認めた直後から、深田は姿を消して行方不明の状態にある。
緊密だった朝鮮総連を通じて、北朝鮮に逃亡入国している可能性もある。
かねてから、社会党本部内に拉致工作(拉致対象者選定)に係わる秘密組織「共和国連絡部」の存在が取りざたされてきた(1986に解散)。
そのリーダーと目される深田肇議員と同門組織出身から衆・参両院の議長を誕生させる民主党、当選させた有権者に同胞日本人の国籍を見いだすことはできない。
我が国は、知らない間に売国工作員の仲間を、立法最高府の椅子に戴いているのかも知れない。
ブログ作成中のいま、民主党政権が拉致担当相を設けるとのニュース報道。
拉致問題解決の担当相ならまだしも、新たな拉致工作推進ではあるまいか?と危惧してしまう。
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自民党再建策、あえて政治理念の相違での分党の勧め。

2009-09-11 16:44:20 | Weblog
野党に転落した自民党再建に向けて、中堅若手は脱派閥・世代交代を念頭に、「自民党再生会議」なるものを立ち上げた。
総選挙の大敗北で、生き残ったもの同志が一致結束して前進する、とは素直な物言いではあるが、党の再建のみならず、日本の政治の正常化に向けて、ここで、あえて政治理念の相違での分党の勧めを論じたい。
1955.11.15に自由民主党が結成され、その結党の大義は占領憲法の改正(自主憲法制定)であった。
翌56.4.5の臨時党大会において、初代総裁に選出された鳩山一郎首相は、直ぐに(憲法改正を狙った小選挙区制の)選挙制度改正法案を提出した。
いわゆる“ハトマンダー”と呼ばれた区割り法案である。 しかし、教育二法など重要法案を抱える通常国会で審議未了廃案となった。
以後、野党勢力の1/3議席死守する政治戦術から、今日まで果たしえないできている。
ブログ子が問題にしたいのは、2/3を獲得しなければ憲法改正法案提出、審議、成立と運べないことは承知のうえだが、党是の憲法改正の旗さえも降ろしているような、あいまいな党現状にこそ、衰退の原因があるのではと考える。
長い与党生活のなかで、党是を忘れた党活動・国会運営に甘んじ、改正論議(姿勢)さえも棚上げした、あまりにも理念なき集合党組織にしてしまってきている。
この際、改憲保守派とリベラル派の二派に分党して再建を図ることで、民主党を巻き込んだ国民有権者に違いの見える政党選択を訴えることができよう。
政権についた民主党とて、自民党以上に幅広い寄せ集め集合体である。
まして、「ハト小屋(鳩山)」に「カラスの子(小沢)」がたくさん入って、いつ喧嘩がはじまるかと即発状況にある。いつまでも“友愛の甘ちゃん”と“極悪守銭奴”が、ひとつ屋根の下(鳩小屋民主党)で過ごせるわけがない。
そのときに、それぞれの政治理念(国家観・歴史文化観)をもって、二つの選択肢(分政党)に合流して、政党政治体制の正常化ができ得るものと期待したい。
数合わせの与党集結論理より、政策理念による旗の下への結集こそ、本来の政権交代を担える国民期待の政党誕生が見えてくる。
それぞれの党が共通理念のもとに候補者を選び、ガチンコの訴えを繰り広げる選挙戦の到来を見たいものだ。
また脱派閥を叫ぶことで、しがらみのなさをアピールする議員もいるが、政策集団としての派閥は重要な政治研修の場であり、情報収集にも極めて有効な場でもある。
あくまでも宝物にするかゴミになるかは、議員個々の取組む器量と運用にかかってくるものだ。
世代交代することで全てクリアできるものではないが、あくまでも吟味(思想DNA)したうえで、対抗軸のリーダーには団塊後世代(講和発効後世代)が、新生自民党を示すうえでもポイントになろう。
それでも57歳(1952.講和発効)になっているのだから、決して若手などでもないはず・・・。
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鹿野道彦が、15年間訴え続けてきた政権交代って、な~んだ?

2009-09-08 06:59:41 | Weblog
9.4朝日新聞、山形一区で当選した鹿野道彦は、「15年間訴え続けてきた政権交代が、いよいよ到来した」と喜びを語る。
閣僚経験もあり、中央での活躍が期待されているが、との問いに、「仲間の議員からも、早く東京に来て政権を担った時の経験を話してくれ、と言われている」。
1993.7の第40回総選挙(政治改革解散)は、新生党・日本新党・さきがけに馳せた自民離党組もあって、自民党は過半数割れとなり、細川連立政権発足により野党に転落した。
野党自民党の復活には世代交代、政治改革推進(?選挙制度改正)の党内の声を受けて、総裁選挙も宮沢派の河野洋平が選出された。
派閥領袖以外による党執行部待望論などもあり、竹下派から橋本龍太郎、三塚派から鹿野道彦、渡辺派から野田毅などと派中堅幹部の名が挙がってきていた。
結果は、党三役に森喜朗幹事長(三塚派)、木部佳昭総務会長(渡辺派)、橋本龍太郎政調会長(竹下派)の布陣となった。
ここから小沢一郎による自民党切り崩し工作が始まるのだが。
話は一旦、2年前にさかのぼる。
1991.5.15、安倍派領袖の安倍晋太郎元外相は、宰相の座を前にして死去する。
健康問題さえなければ、すぐにでも首相にと待望されながらの痛ましい最期だった。
派(清和会)の後継争いは、安倍派四天王と呼ばれた、塩川・加藤・三塚・森のなかから選ばれることだろうとほぼ一致するものであったが、分裂含みの多数派工作が激しさを増すなか、「第五の人物で派の分裂を収められないものか」、などのいろいろな思惑が交錯していた。
その最中の5.26、山形新聞(共同通信)の二面に、“ニュープリンス待望「ポスト安倍」”の記事が、石原慎太郎・小泉純一郎・鹿野道彦3人の似顔絵入りで掲載された。
その後、石原は東京都知事となり、小泉は首相となる。
この二人は個性が全面にでた理念政治家として捉えられて、その政治姿勢が直接その後のポスト獲得に繋がっていく。
鹿野はまったく逆に、私心を示さず先輩には忠実に仕える忠勤姿勢が、議員仲間に評価されていた。
役人にも聞きわけの良い悪癖のない、役所にとっては御し易い議員。
ところが、河野総裁のもと人事調整に走る麻生太郎(副幹事長)を通じて、同窓の気安さから、自らの国対委員長ポストを望んだことから忠義な政治家は一転して勇み足の猟官逆徒となってしまう。
以後、三塚派内の非難に孤立を深める日々を送ることになる。
そこに、小沢が放った離党工作員(中西啓介)の魔の手が忍び寄る。
「自民党はもう終りだ。仲間を引き連れ(連立)与党にくれば処遇する。」
渡辺派の野田毅にも同様に、二階俊博が引抜き工作を担当した。
94.4.8の細川首相退陣表明で、細川後継政局は一気に動く。
4.14、鹿野に(小沢から首相に担ぐからと工作打診された)渡辺美智雄が派の同志40人ほどを引連れ、離党を決意したとの情報が齎される。
いまが天の時とばかりに(高く売れる時、渡辺より先んじて離党会見を)と、翌4.15ドタバタの「新党みらい」結成会見となった。
その直後に、渡辺一派は河野総裁との会談で離党を回避したことが伝えられた。
結成5人組のなかには、党内議員に借金踏み倒しで「新党未払い」などと揶揄されたものもいた。
4.26、羽田内閣発足(4.28)を前に、連立参加の政党・会派(「新党みらい」含む)が、首相官邸で連立の政策協議に入った。
その間に社会党が小沢主導の強引な国会運営を批判して、連立離脱を決める。
「社会党離脱、自社連携」の一報を、某記者が官邸内で鹿野に伝えると、見る見る血の気が引く(そんなはずは・・・!)呆然とした表情を見せたと聞く。
いまさら元(自民党)には戻れない、前に進むしかない。
野党自民党を離れ政権与党の一員になる行動判断は、2ヵ月間での羽田政権総辞職、“自社さ”村山内閣発足であっけなく潰えた。
無所属当選の遠藤利明が座った山形一区の自民党枠は、以後今日まで続いて来ている。
これが、「15年間訴え続けてきた政権交代」の真相、与党議員になることが目的で、理念や政策などは後付けの感がする。
政治改革のためって、国民に向けた政治家の都合良い“結果オーライ”の方便である。

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「バカ」と「ワル」の選択選挙、国民判断は「バカ」より「ワル」がましだった。

2009-09-08 05:22:33 | Weblog
「バカ」と「ワル」の選択選挙、国民判断は「バカ」より「ワル」がましだった。
民主支持への投票動向を見ても、政策や改革期待よりも“転換(政権交代)”の投票判断が多いようである。
自民党員の目で見ていても、テレビで流される麻生首相のCMのたびに、票が逃げて行く感を覚えた。
まさに「ミゾウユウのバカ首相」として党史に名を残すことになった。
多くの犠牲者(落選議員)は、議員会館・宿舎の退去通知を受けて選挙戦疲れを癒すことなく、放心状態で引っ越し作業に精出すなかで「お疲れ様」の言葉さえ虚しく聞こえよう。
秘書陣を含め周辺関係者も、事情を冷静な頭で受け取れる間もないことだろう。
このような多くの同志を敗戦に陥れた最高責任者の首相が、メディアの首相動静によれば二日後の9.1、銀座の高級すし店「すきやばし次郎」で家族と夕食とある。
「バカ太郎」はもとよりであるが、夫人(善幸の娘)や同道の家族、側近筋のなかに、「このような時に(惨敗で喪に服す姿勢で、しばらくは)、外食は控えよう」と思い諫言するものがまったくいないのだろうか。
心無い無神経さに呆れ果てるを通り越して、憤りを感じるとはこんなときかと思い立つ。
「バカ」と「ワル」の選択選挙、当選した民主党の新人議員に恨みはないが、所詮当選1~2回は、本会議・委員会での採決要員でしかない。
議員ひとりに年間一億円ほどの国民の血税が費やされる。
頭はカラッポでも採決要員として走り回るくらいはしっかりとやってもらいたい。
イチローの代わり(採決要員)がこれだけ出来たのだから、小沢は院内活動などサボりっ放しなることだろうな。
それでも国民は「バカ」より「ワル」がましだ、と選んだ。それほどに、「バカ太郎」は見苦しい。
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自民党再建には、政治家個々のポリシーが問われる。

2009-09-04 19:14:18 | Weblog
山形一区の比例区で復活当選した遠藤利明(自民)は、選挙戦についての朝日新聞(9.4)の取材に対して、『「民主党がいい」というより、「自民党を一回こらしめろ」との逆風がすごかった。ただ私の組織はあまり自民党とか関係ない。個人と個人のつきあいでやってきたから、厳しいときでもみなさんがしっかり守ってくれた。』 大敗した自民党組織の立て直し課題について、『自民党についてきた業界団体は、権力側につくもの。なおさら個人のつながりを持てる者が強くなる。企業や団体にあまりこだわらず、新たな開拓をしていく意識をどれだけ持てるか。今までの発想で再生なんてできようがない。』と答えている。
至極ごもっともな点もあるが、発言から表裏両面の懸案を示すものではないかと気になるものである。
まず、自民党とあまり関係しない組織活動とは、党政策の訴えより自分党親和を優先させていること。
もともと、リベラルで立党の保守哲学など持ち合せていないからではないか?。
「業界団体は、権力側につくもの。」とは、ゆえに現実的に財源が伴う利権誘導政策を完全否定するものではないが、それ以上に、政党としての基本政策、国家ビジョンポリシーを確立して、堂々と披瀝する日常の政治活動こそ自民党再建に必要な要件と断じたい。
はたして、いま山形県選出の自民党議員に民主党議員を論破できる明確なポリシーを持った保守政治家がいるのだろうかと疑問は尽きない。
「新たな発想が必要」とは、忘れかけた立党精神と党綱領に沿った基本政策の実現邁進こそ大事な一歩だろう。
『(政治)責任をとる姿勢を取り戻す必要があるし、そのためには世代交代が必要だろう。』も、世代交代で責任問題が終了するものでもない。
昨年の参議院選、知事選での取組み責任を放免したままで、論じるのも自分勝手な論理であろう。






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阿呆内閣のバカ太郎解散で、「ミゾウユウ」の自民党大敗劇

2009-09-01 18:52:01 | Weblog
「ミゾウユウ」の自民党大敗劇となった第45回総選挙。(2009.1.13自民離党の)渡辺善美元行革担当相が代表の、「みんなの党」が獲得した比例代表の約300万票(4.27%)に注目したい。社民党の獲得票とほぼ同数であるが、11ブロック全部に擁立した社民(民主・自民・公明・共産)と違い、7ブロックでしか擁立しない中での結果である。全ブロック擁立していれば350~400万票の集票がなされたのではないかと考えられる。立候補者とまったく関連しなかった山形県でさえ、32,000の集票、共産党の37,000票に迫る獲得票を記録した。「みんなの党」の約300万票獲得は、麻生内閣の改革後退姿勢がもたらした自民(麻生)批判票に他ならない。自民党の比例代表約1880万票と比較すれば、「みんなの党の約300万票」は約16%に値する。全ブロック擁立を推定して約20%程度の改革期待票が、麻生政権の改革後退政策で自民支持票から減じられたと考えれば、ここに「ミゾウユウ」の自民党大敗劇の大きな要因があったものと推し量れる。構造改革批判の候補者もメディア(評論家)も総じて、構造改革原理主義・改革至上主義の転換などとレッテルを貼って、小泉構造改革の批判合戦が繰り広げられたが、小泉・竹中にしても原理主義・至上主義など極論の単語は使っていない。せいぜい、○○○を基本にとか基軸にとかの表現なのである。問題にすべきことは方向性(のゼロか百かの政治的駆引き)よりも、中身の政策遂行の幅間を議論すべきことが重要で、批判勢力がレッテル貼りして有権者を煽導する愚弄した戦術に過ぎないことだった。小泉の郵政民営化の最大の狙いは、郵貯・簡保資金が財政投融資に向けられて、無駄使いと官僚の天下りの温床となっている(裏の第二国家予算を曝け出させる)国家財政構造の抜本改革で、その官僚裁量の無制限な蛇口を閉めることにあった。ブログ子の保守派仲間にも、郵政民営化することで金融資本が(米に)流出するのでは?、との危惧する批判は、「風が吹いたら桶屋が儲かる」の短絡論理で、国策(金融安全保障)は、郵政民営化論議とは別途に検討措置すべきことであろう。高速道路無料化も民主党マニフェストにあったが、「タダはいいこと」では済まない。受益者負担でなく税金(一般会計)で充当することになれば、(みんなで負担する)社会主義施策そのもの、国家安全保障を国連中心主義に委ねるなどと論じることなどは、自立を忘れた他人任せの(?地球市民国家)社会主義幻想思想と見て取れなくもない。明日・来年の近未来は、それで間に合うかも知れないが、後年、イザ鎌倉と言う時に日本人自立の術が退化していて民俗淘汰の時を迎え入れるしかない怠惰状況に陥っているのではないかと危惧する。過度な社会主義政策は、人間の寄生生物主義となり日本民族滅亡の途を歩んでいることになる。賢明な有権者は(ミクロな)足元民主主義から脱却して国家戦略のマクロビジョンを語れる賢人政治家を見極めねばならない。さらに近年、「地球上の全森林」で“世界経済同時不況(経済失策)”があったことを忘れてはならない。「木を見て森を見ず」では困りもの。まず、身近な「山形の森」を見るべし!。
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中共工作員・加藤紘一の言う「保守政治」って、ナニモノ?

2009-09-01 17:36:08 | Weblog
自民党大惨敗の中で当選した山形3区の加藤紘一は、自民党再建に向けて「保守政治の原点に戻るしかない。頼りにしている仲間(親中派)が意外に多くカムバックしたから、明日から東京で相談する」。自身の党総裁選出馬についても、「否定するものではない」と意欲をにじませた。-(9.1読売新聞)-
 はて?、加藤の言わんとする「保守政治」とは、いったい何を指しているのだろうか。
まさか、日中友好(中華思想)、中朝謝罪外交、容共政策をもってして「日本の保守政治」などと考えているのではあるまいか。
ブログ子には自民党保守派と最も距離を置く党内最左派こそ加藤紘一の思想DNAポジションであると思っている。
この際、社民党にでも移籍すれば加藤工作員の言行一致の政治工作活動が存分にできるのではないだろうか。
与党大敗を受けたいま、自民党立て直しには、真正保守の基本政策を旗印に純化路線をとるべき恰好の機会が訪れたものと前向きに理解したい。
これまで与党としてのウイングの広さから党基本政策の実行取組みを曖昧に先送りしてきたことが、自民も民主もたいして変わりないものと国民・有権者に受け取られてきた。
たまには「民主のお試し政権」などと、自民党支持者の投票行動の転換はこれに類する結果でもある。
中共代理人の加藤が平気な顔で「保守政治を目指す」などと口にすること自体、日本人の保守思想概念が陳腐化されてきた証左でもあろう。
真の保守政治を確立し、自民党再建戦略を進めるためにも、加藤紘一に対して自民離党を勧告するものである。
バカ太郎もダメだが、「リベラル加藤」、あんたもダメダメ。中共工作員・加藤紘一の言う「保守政治」って、ナニモノなんだ~!。
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