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山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

1983NHK朝ドラ「おしん(阿信)」ロケ時の、実質撮影の「おしんの生家」所有者Sさんと会えた。

2012-10-05 20:16:30 | Weblog

NHKロケで撮影された家屋「おしんの生家」は左手の樹木付近にあった。

庄内映画村による「おしん(阿信)」の映画化企画が進行している。
山形県舞台とあって故郷がPRされることは結構なことであるが、いわゆる「おしん記念館(中山町岩谷)」を「おしんの家」と称して、ロケ時の「おしんの生家」として扱われてしまっていることに、これまでも「本当は違うんだよ!(別物なんだ)」と述べてきた。このたび、移築費用2~3千万の寄付を一般から募るとの報道を見て、なぜ、単に(これから撮影する映画「おしん」の)生家としての「セット製作費を募る」と正直(正確)に、会見、報道しないのかと不愉快に感じたものだ。
(1983.4放映)NHKドラマ撮影時の「おしんの生家」は、当の昔(ロケ後、5年ほどで自然倒壊)に朽ち果てて今は存在していない。
激動の昭和時代の終わりを迎えようとする63年頃であった。
あくまでも「ロケ地域(岩谷地区)」の記念別屋で、2001年になって有志保存会が「『おしんの生家』撮影地」として整備してきた残存古民家なのである。
誤解のないように知り合いの記者諸君には、そのことを耳にいれていたものだが、地元紙の山形新聞をはじめとして間違いを正すことをせずに誤った報道を重ねている。
「(自称)おしん研究家」としては、ロケで映った「本当のおしんの生家」の所有者は、いまはどこにいるのだろう。
(岩谷ロケから30年以上にもなるので)もう県外にでも転居しているのだろうか。
ならば、岩谷で近所に住まいしていた方から、当時の周辺写真だけでも入手できないものかと思い、当ても無く中山町役場内の町観光協会を訪れた。
町当局でもよく分からなく、町内在住の岩谷出身の方を紹介していただいた。
訪ね歩いていたら、(ロケ時の「おしんの生家」所有は)Sさんであることが分かった。
「今は孫の代になっているが、(町内の)中山中学校の近くにいるよ。」と驚きの情報を得た。
Sさん一家は昭和45年(1970)に岩谷を離れたそうである。
そこから、12年ほど経過した(1983)昭和58.1.18に、(山形)現地ロケ初日(おしんの生家シーン)が決行されたことになる。
小雪が降る中での撮影だったとのこと。
早速、伺って「おしん」のことを調べているものと名乗り、快くロケ時のものや、それ以前の生家写真をお借りすることができた。
ブログ子が拘るのは、関心が昂じてとは怪訝に思われそうだが、地域起こしのビジネス転化を考えている。
そんなことから、「おしんに関連する多くについて」より深い理解を得たいと常に思ってきた。
詳しくは、明年以降に結実できればと取り組んでいるのだが。
報道の誤解は報道で解決して欲しいと思い、あとはS社のミカちゃんの手に委ねるとする。
朝方の急な思い立ちから、1983NHK朝ドラ「おしん(阿信)」ロケ時の、実質撮影の「おしんの生家」所有者Sさんと会うことができた。
10月5日は思いがけない喜びの一日となった。
なお、これも既載しているが、橋田壽賀子の原作上での「おしん」出生地のイメージモデルは、西置賜郡白鷹町鮎貝地区(旧栃窪集落)とされている。
酒田の米問屋「加賀屋」から暇をいただいた「おしん(阿信)」は、父作造が取り決めた山形の料理屋での座敷女中奉公(実質身売り)が予定されていたが、姉はるの遺言を受けて出奔上京する。
(1916)大正5.7、長井線から(赤湯で)奥羽本線に乗り継ぎ上野駅到着。
2キロ強の道を尋ね歩いて、浅草寺裏手の猿若町「髪結・長谷川」に辿りつくのである(以降東京編)。
現代に置き換えれば、その地から隅田川を距てた目の前(1K強)に「東京スカイツリー」がそびえ立って見えることになる。
(1901.3生まれの)おしん、満111歳の長寿となっているはずである。
大阪維新、中京・東京・福岡・・・などから日本維新までと、維新流行で「ええじゃないか!」の浮かれ(?諦め)気分の日本事情であるが、当地は軽佻浮薄になびくことなく「山形阿信の会」を名乗ろうぞな!。
コメント
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