山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

自殺者まで出てきた「西松建設の政治献金問題」、加藤紘一の名も。

2009-02-27 14:29:23 | Weblog
東京地検特捜部による西松建設の政治団体を隠れ蓑に使った献金問題の捜査で自殺者まで出てきた。
村井長野県知事の側近参事が、特捜部の3日間にわたる事情聴取を受けた翌日の2.24に自殺したとされる。
西松がOBを使い設立した「新政治問題研究会」「未来産業研究会」の政治団体名も前者が橋本龍太郎、後者が小渕恵三元首相の政治団体名と同じ名称で、届出所在地も千代田区平河町ともなれば(ありきたりで)特に気が付くこともない。 うまく考えたものである。
このたびの立件も言わば内部告発から出てきたもので、この種の闇は氷山の一角とも言える。
西松による(政治家の)資金管理団体・政党支部への献金、パーティー券購入費などの総額は両団体で数億円にのぼる。
判明している04~06年の3年間における受領総額トップ3は、小沢一郎が3100万円、尾身幸次2080万円、加藤紘一1400万円などとされる。
加藤紘一と西松建設との深い関係は、山形県内では古くから知られており北郡から庄内地区にかけて多くの物件受注に加藤が関与してきている。
過去にさかのぼれば、さらにひと桁うえの金額となることだろう。
捜査の進展から違法献金と認定されれば、受領した政治家責任も問われてこよう。
国民目線では民間会社がタダで多額の献金をすることは理解できようもないことだから。
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山形県産米新品種「つや姫」の名称を、「おくりびと(DEPERTURE)」への変更を勧める!。

2009-02-24 20:58:44 | Weblog
2.23、第81回米アカデミー賞の外国語映画賞に、山形県庄内地方を主要舞台にロケーションをした「おくりびと」が受賞した。 関係者に限らず県民のひとりとして喜ばしいことだ。
この朗報と時を同じくして、県産米新品種「山形97号」の名称に“つや姫”が決定された。
来年秋デビューを目指す「米どころ山形」を全国アピールするブランド米として期待されている。
同日の時系的な前後関係は分からないが、「おくりびと」がアカデミー賞受賞の報に接して、ネーミングを「おくりびと(DEPERTURE)」にしたら、との声は関係者から出なかったのだろうか。
県農林水産部でも、現在の主要県産米「はえぬき・どまんなか」が、美味しいのに売れない原因として、ネーミングの悪さの指摘を感じ取っている。
ブログ子は、1993年に両品種の名称決定直後に行われた、農林水産省山形県人会総会(麻布グリーン会館)で、本省から県に出向していたI課長に、「もっと、いい名前は無かったんですか?」と尋ねたことがある。
課長が最終決定権者ではないのは分かっていたが、販売プレゼンの効果を考えればネーミングやキャッチコピーは大切な要素である。
そこに到来した「おくりびと(DEPERTURE)」受賞の朗報。 海外戦略をも想定したら、とてつもないネーミング効果が得られよう。
著作権などの問題もあろうが、県が全力で取り組めば関係先の理解も得られる可能性はあるだろう。
美栄子先輩、今からでも遅くはない。 取り組んでみたらどうですか。
うまく行けば新県産米名称の世界への「DEPERTURE(旅立ち・出発)」が、アカデミー賞受賞の同年月日となる画期的なプレゼン要素にもなる。
世界に羽ばたく山形県産米“おくりびと「DEPERTURE」”の誕生を期待したいものだ。
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小沢一郎の詭弁と変節-1

2009-02-24 16:38:12 | Weblog
2.17、民主党の小沢代表は来日中のクリントン国務長官と会談し、「日米の対等なパートナーシップの必要性」を強調、小沢は「対等なパートナーシップがあって、はじめて同盟国と言える」と持論を展開したとある。(国際的常識である)日米が同じ責任行動の盟約を同盟の意味と解すれば、至極もっともな言動である。翻って、小沢一郎なり民主党の政治行動は如何かと言うと、まったく違った後ろ向きのデタラメ姿勢、詭弁を弄するばかりで、最初に会談を拒否していたのも頷ける。小沢は1991.4、東京都知事選挙の(小沢が主導擁立した)磯村尚徳落選で、自民党幹事長を引責辞任。(湾岸戦争への政府対応の反省から)、6月に「国際社会における日本の役割に関する調査会」(所謂小沢調査会・小沢座長)を発足、自衛隊出動による国際貢献策を議論、1993.2に(宮沢総裁に)答申書を提出した。憲法の解釈策による自衛隊派遣を結論づけたが、直後の竹下派経世会の政変、小沢グループの自民党離脱、細川連立内閣の誕生と続き、以後、小沢の安全保障論は左旋回していく。小沢調査会のメンバーは、小沢による引抜き工作のターゲットともなり、柿沢弘治・鹿野道彦・鳩山邦夫・船田元などの幹事委員は離党していった。自衛隊と言うと憲法9条論議を取り上げるが、戦後約30年を経て比ルバング島から復員帰国した小野田寛郎少尉の話の中で、ブログ子と同様の疑問を呈していたことが記憶に残る。日本国憲法について、元少尉は憲法前文を読んだだけで、もう後を読む気になれない。前文の「日本国民は、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」のフレーズ、それだけで自立憲法ではなく(依存した)占領憲法であると。(占領軍による憲法は)悪い国日本は良い諸国民に自国の安全保障をお任せすると書かれてある。これは占領下における暫定憲法(占領基本法、それすらも戦時国際法違反なのだが)であって、1952.4.28の講和発効以降においては、自主憲法制定を日本自体が放置してきた責任である。クリントン(アメリカ)が、同盟国日本として遇するリップサービスは(現在において)利用価値があるからであって、無くなれば同盟の言葉は消えることにもなろう。もともと対等(責任・義務)であるべき同盟関係になど無いのだから。いまだに占領継続状態にあるのであって、それを払拭できないのは日本そのものの愚かな選択の結果である。ハンディキャップ国家・日本へのチップ(金ズル)の要求は、日本がサシ(ハンディー無し)でのプレーを臨まなければ終わらない。集団的自衛権の行使さえも出来ない国が、まともな同盟関係国であるはずがない。麻生首相の岳父・鈴木善幸は(1981.5同盟明記の日米共同声明)訪米帰途の機内記者懇談で「日米同盟に軍事同盟は含まれない」とバカな明言、伊東外相・高島外務次官の辞任まで発展した。高島益郎次官は、1972.9の日中共同声明調印時に条約局長として訪中、対中交渉で一歩も引かずに、周恩来首相から“法匪”との言葉を浴びせられるも、「高島のような官僚は中国で欲しいものだ」と田中首相に言わせたサムライ官僚である。いまの霞が関にどれほどの人材がいるのか、高島辞任の鈴木善幸内閣の頃から日本政治(政治家・官僚)の劣化現象が始まったと考えられる。


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日本人の自己覚醒に御薦めしたい、「村田良平回想録」

2009-02-17 20:35:15 | Weblog
駐独・駐米大使などを歴任された村田良平元外務事務次官の自伝、「村田良平回想録(上下巻)」を読み終えた。
ブログ子は、これまで自論としての歴史観・国家観を持ちながらも、残念ながら共通の理解を示してくれる割合は少数であろうと考えていた。
それは戦後の日本に長らく根ざした広範な進歩的文化人なる左翼教導者と、(対外工作機関の走狗となった)偏向メディアによる日本人去勢策の万延現状の結果として受け取っていた。
村田閣下については、外務官僚のなかでも揺ぎ無い国家論をお持ちの方だとは伺っていたが、このたび、自書の回想録上下巻を通読(外務官僚の知られざる活躍なども)、ゾクゾクしながら読み終えた。
ブログ子が生来に自学自想した歴史観・国家観と、ほとんど(全面的と言っても良いほど)同様の(認識の)持主だったことが、さらに嬉しい驚きであった。
閣下は米国占領軍(GHQ)による占領政策の心理管理(マインドコントロール)に対して、「(戦前戦中を通じた村田家の)家庭教育により最低限の心理的武装を持っていたので、GHQの日本人改造策(洗脳)の試みに影響を受けなかった日本人約7千万人のうちの、(わずか)数%に属しているもの」と語る。
「現憲法は占領憲法」「GHQによる占領政策の真相」「東京裁判の真相」「非核三原則問題」「靖国参拝問題」等の左翼視観を撫で斬り。
“進歩的”とも“文化人”と呼ぶにも疑問とする学者として丸山真男等を猛烈批判、阿世学者・横田喜三郎については「如何なる理由でかかる人物が最高裁長官になれたのか理解不能。更に文化勲章まで授与したのは、政府の選考基準自体が狂っていたからだろう。」、(加藤紘一の師で親北朝鮮学者の)坂本義和については「(坂本の)論文を読んで、よくもかかる頭脳構造の持主が東大教授になったものだ。」と一刀両断。
コミンテルン主導の妄説メディアとして、朝日新聞・毎日新聞・共同通信・NHK・TBS・岩波書店等についても、偏向思想拡散の元凶と批判的見解を開陳されている。
現実の外交政策に携わり、タフな外交交渉に基づく生きた体験に裏付けられた秀逸外交官の回想録。占領憲法を平和憲法などと、いまだ自己覚醒でき得ないナイーブな日本人に御薦めしたい、「村田良平回想録」。 読後感は、日本人として只々溜飲が下がる思い。
これまで外務省(外交官)批判に徹していたブログ子としての結論は、それぞれの(覚醒度の)人物次第であるとの新たな確信を持つに至る。
自己覚醒に揺るぎない持論の村田閣下のようなタフなサムライ官僚にこそ、我が国の未来を委ねたいものだ。
“占領政治を総決算”のハードルを越えなければ、自立国家ニッポンは見えて来ない。
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阿呆首相とアル中大臣に最後の期待、政治史に名を残す乾坤一滴の自刃劇

2009-02-17 15:56:42 | Weblog
中川昭一財務相は、ローマで開催された先進7カ国財務相中央銀行総裁会議(G7)後の、朦朧ヘロヘロ記者会見の批判を受けて、予算関連法案が衆院通過した段階で辞任する意向を表明した。
メディアは「酒を飲んだのか。飲まなかったのか。」など、ワイドショー的報道に焦点しているが、本質的問題は政府を代表する重要会議に臨むにあたり、自己管理もできていない基本的な政治家責任こそ真っ先に批難すべきことである。
そのうえで飲酒をしていたとすれば、言い訳にもならない愚行なことだ。阿呆首相といい、アル中財務相といい国民は呆れ果てていよう。
首相の衆院予算委員会での「私は本当は郵政民営化法案に反対だった。(郵政改革の)担当大臣ではなかった。」などの発言はガキの言い訳に等しい。
およそ議事録に残る委員会発言としては噴飯ものである。小泉元首相の「(呆れて)笑っちゃうよ」との表現も理解できる。
舌禍やブレを越えた政治家資質が問われるものだ。昨16日にも打ち合せと称して、ホテルニューオータニのバー「カプリ」に行っている。
国民視線の感受能力もなく自己管理・自制心も覚束ない“山本モナ症候群”とも言えよう。
麻生、中川ともに山形県としても所縁の人物であるがゆえに残念でならない。
過去にも記載しているが、麻生太郎は初代山形県令・三島通庸の血を引いている。
中川昭一は(現在の山形県東根市神町から)北海道開拓として十勝地区に入植した先祖(祖母)を持つ政治家である(亡き父君中川一郎は来県の折に、(東根神町の)先祖の墓参をしていた)。
期待していただけに裏切りに等しい醜態を見せつけられた思いだ。麻生首相とて崖っぷちの身。
自らの発言で墓穴を掘ったのだから、サムライ(代議士)らしい最後の自刃劇を伝授したい。
政府としての「集団的自衛権の行使」、「近隣諸国条項の削除」、「非核三原則の見直し」を閣議決定したのちに靖国神社へ参拝して、内閣総辞職すること。
これを断行すれば、政治史に永遠に輝く名を残すことができる。元勲大久保利通、ワンマン吉田茂に連なる祖先の血も浮かばれようぞ。
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「大光」は、1990.12.25に、山王グランドビル503号室で設立された。

2009-02-12 18:55:58 | Weblog
スーパーゼネコン「鹿島」(東京都港区)は東京国税局の税務調査で、平成18年3月期までの2年間で、約6億円の所得隠しを指摘され、使途秘匿金として追徴課税されていたが、日本経団連・御手洗冨士夫会長の「キヤノン」関連会社の大分工場などの造成・建設工事に絡む巨額脱税事件に発展してきた。
ブログ子は一昨年末に一部表面化した際、A紙記者(福岡・大分)と連絡を取り合って大まかな構図は承知していた。
国税当局の強制調査(査察)を経て、東京地検特捜部の摘発に1年半余りの裏付け捜査を要して、このたびの複数ルートでの逮捕劇となった訳だ。
一部報道で触れているようだが、コンサルタント会社「大光」(大賀規久社長)は、1990.12.25に千代田区永田町2丁目14-2で設立(設立時は大光インターナショナル㈱)されているが、ここまでは閉鎖登記簿を取ればだれでも知ることができる。
この住所地番は赤坂見附の山王グランドビルである。
実はここの503号室(当時のK代議士事務所)が設立場所であった。
1995.11.1に東京から大分市舞鶴町に移転、1999.1.30に㈱大光に商号変更された。
現在の本社所在地・大分市丹生には、2007.4.9に移転したものである。
キヤノンの進出事業に絡んだ巨額脱税事件、申告漏れ総額は約34億円に上り、追徴税額(更正処分)は重加算税などを含め約3億円とみられる。
関連グループの東京事務所とも言える「㈱匠」の所在地は永田町1丁目11-1三宅坂ビル9Fである。
民主党本部が同じビルの7・8Fだから、民主党の上階に位置しているのが偶然としても意味深でもある。
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鳥越俊太郎の病名は、“悪性サヨク癌”

2009-02-09 13:43:10 | Weblog
鳥越俊太郎が、肝臓がん手術のため、あす10日から休養に入ることを、レギュラー出演しているテレビ朝日系の報道番組「スーパーモーニング」で、自ら明らかにした。
昨年死去した筑紫哲也とともに、テレ朝・TBSなどの番組でよく知れた左翼コメンテーターの一人として気に留めてみた。
1989、(社会主義体制の行き詰まりから)東西冷戦が終って、欧州各国などではマルクス主義思想等を唱えていた(社会主義信奉の)学者・オピニオンリーダーは次々と(淘汰され)消えていった。
が、日本では相も変わらず大学教授(名誉教授)として居座り、メディア界では進歩的文化人などと称し魅了されてきたが、進歩主義も程度を越えると(生鮮食品なみに)熟成を過ぎた腐敗品となり民俗腐敗菌の垂れ流し状態となる。
所謂、学生運動で過激派に身を置いた活動家たち、高野孟(ML派・親中傾倒で日共除名)、大谷昭弘・久米宏は社青同解放派(武装闘争派)、佐高信(統一社会主義同盟)、全共闘の機関紙(煽動誌)と揶揄された「朝日ジャーナル」廃刊後の係累を曳き、「週刊金曜日」編集委員に名を連ねた、筑紫・佐高・本多勝一・落合恵子・石坂啓や、金子勝(マルクス経済学)などが、テレビメディアでしたり顔で繰り出すコメントは、浸み付いた左翼の韻を含んだ思想活動の継続そのものである。
自由な思想信条を否定するものではないが、大衆メディアに乗りメジャーを装い、バイアス報道することには異を唱えたいものだ(もとを糺せば、編集権を乱用する制作側(潜入活動家)との呼応によるものだろうが)。
1969.1の東大安田講堂落城で逮捕された全共闘学生633人中、東大生は僅か38人であった。
学費値上げ反対・(日大の)使途不明金問題等は理解できようが、(社会主義国機関の工作を受けて)学園運営批判に名をかりた革命運動の走狗となっていたことは否めない。
毛沢東の文化大革命に倣い「造反有利」をスローガンに掲げ、フランス革命歌で戦前のソ連国歌である「インターナショナル」を唄って(対国家権力として)機動隊に対峙したのだから言わずもがなであろう。
いまさら、死んだ筑紫を叩くものでもないのだが、1984.1、筑紫の朝日ジャーナル編集長就任をうけて、4月から本多勝一が「南京への道」の(虚偽内容を含む)連載を開始している。
朝日新聞の仮面を付けて反日売国活動を堂々と展開、加えて愚かな政治家の不作為から、その後の国益損失はいまだ拡大の一途となっている。
お仲間の鳥越は、2005年に直腸がん手術を行い、07年には肺へ転移して再手術、今回また新たな転移と「悪性サヨク癌」の報いに終わりは無いようだ。
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山形県知事選・敗戦の弁に見る、「敗者の人物評」

2009-02-05 13:24:38 | Weblog
(1.25)知事選挙の開票結果を受け、自民党本部選対幹部の談話として「現職が2期目に挑む選挙で落選するのは、(候補者本人の)資質に問題があると言える」との(中央紙)報道がなされた。
斉藤前知事のブログで、年末12.30の記載に興味を引くものがあった。
『地元との関係をより深める時代』と題され、上山市の旅館『古窯』の佐藤信幸社長から伺った貴重なお話とある。
佐藤社長は、「大変厳しい世の中になってきた。だからこそ、『コスト』だけでは割り切れない時代だ。『コスト』以外の、『地元との関係』をこれまで以上に深める時が来た。(食材などを)調達するのに、『コスト』だけで割り切れば、それは、地元の沈滞にもつながり、結果的に、自分の経営にも打撃となる。」 斉藤は、この話を県政運営への示唆だけでなく、政治家(知事)としての行動に対する意味にも理解できる器量があれば、このたびのような選挙戦にはならなかったことだろう。
対立候補擁立を模索する野党陣営も度量の深さを感じ取り、対抗軸を見出すことは容易ではなかったはずである。
斉藤は敗戦の弁として、「私の力が至らなかった。県政改革を(県民に)理解して貰えなかった」と述べている。
一般的に選挙の敗戦では、「(本心はどうあれ)私の不徳で・・・」との枕挨拶が多いものだ。斉藤に足らざるものこそ“人徳”なのでは無かったか。
吉村陣営に突かれた「独善的」「冷たい」との戦術語には、表面の政策手法よりも内面性における人物評価を感じてしまう。
緊縮財政を余儀なくされている今日こそ、歳出削減の理解を得る『対話がより重要なとき』、ブログ子は佐藤社長の言葉に同様の含みを感じ取る。
吉村女史は、「私が選ばれたのは、心の通う県政を求められていることだと思う」と述べ、対話重視の温かい県政への転換を主張した。
政策的なものではないが、有権者は『県民との対話をより深めるとき』と、“コスト優先以外の温かい心”の想いを感じとった。
党本部選対幹部の「(候補者の)資質に問題がある」のコメントはそこを突いている。
本来、知事に最も接してきた与党県議団こそ、資質(性格)を真近に観察できるのに、(議会内外で)指摘・諫言もせずに4年も過ごしてきたことは敗戦知事とともに責任を共有すべきものと考える。
あげくに、自民県連としては(推薦要請も無いなかで)自主投票としたにも関わらず、吉村支援に参じた岸宏一参院議員に対して、筋違いの離党勧告要望書なるものを提出した“大バカ議員(沢渡和郎)”が存在する。
資質を見抜けなかった自らの非を転嫁するに等しい愚か者議員こそ、糾弾されてしかるべきものだろうに。
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