山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

玄葉の選挙区・福島3区、自民支部長は不在である。

2006-04-11 12:49:34 | Weblog
民主・小沢代表の「居抜き人事」新執行部がスタートした。
この中で玄葉光一郎幹事長代理は再任を辞退、理由として「報告書の公表に合わせて、前原氏に一緒に辞めようと促してきた。幹事長代理にとどまることはできない」と辞退する考えを伝え、了承された。
玄葉は、送金メール問題の検証チーム座長として「前原誠司前代表の辞任を前提に取りまとめた。自分が再任されるのは筋が通らない」と述べた。
前原と玄葉は、松下政経塾8期の同期生でもあり、「同期の桜ともに散る」の友情行動とも言える。
挙党態勢と党内融和の中で小沢流をどう発揮していくのか、期待と不安が入交じる様相だが、傲慢オザワを見せれば一気に瓦解する。
玄葉の選挙区・福島3区は現在、自民党支部長が不在である。
岳父は元自民参議院議員で現福島県知事の佐藤栄佐久、小沢民主に微震でも起こるだけで、民主離脱・自民入りのきっかけになる。
政界一寸先は闇、前原・玄葉グループまとめて「お引越し」となる可能性だってあるかも。
小沢民主に余震は見えている。

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小沢一郎の論理矛盾と不勉強、国会議員はしっかり勉強して発言せよ

2006-04-10 14:17:52 | Weblog
小沢一郎が、NHKの番組で、首相の靖国神社参拝自体については「賛成だ」とする一方で、「小泉さんの(やり方)はだめだ。戦争を指導した人たちは靖国に本来祀られるべきではない。戦争で亡くなった御霊を祀る本来の靖国神社に帰すべきだ」と述べた。
だが、具体的にどうすべきかについては、番組後記者団に「政権を取ったらすぐやる、そのとき教える」と明言しなかった。
小沢は、戦争指導者が祀られていることについて「(極東軍事裁判での)A級戦犯という言葉は認めない。勝った国が勝手に裁判したからだ。しかし、日本国民に対して戦争を指導した大きな責任がある」とした。
まず、連合国による「勝者の裁判は認めない」と言いながら、「戦争を指導した責任がある」と述べているので、「敗戦に至った作戦指導責任のこと」と理解すべきだろうが。
ならば、「戦争に勝っていたなら責任は無い」と言うことになる。
とすれば、靖國合祀云々の問題とは全く違うことになる。
また、「A級戦犯と言われる人たちは戦争で死んだわけではない」と述べているが、国際法では、平和条約締結までは、戦争継続状態とされている。
であるから、昭和27年4月28日までは戦争中であり、それまでの刑死者の扱いは、A級戦犯以外も含めて戦死者として解釈されるのである。
小沢が述べた「勝者が敗者を裁く認められない裁判」は、まさに「戦場」そのものであり、その判決による処刑は戦死以外にありえないものだ。
また、分祀の問題についても、安倍官房長官が、「靖国神社は宗教法人であり、政府が合祀の取り消しを申し入れるにしても、憲法に規定する信教の自由の侵害になる。政教分離の原則にも反する。
靖国神社が自主的に決定することであり、政府が介入すべき事柄ではない」と記者会見で述べた通りだ。
小沢だけでなく、国会議員は昭和20年8月15日に立ち返り、現代史を勉強し直せ。
反日朝日新聞の愚かな変節と誤導の歴史も見て取れよう。
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「変わらないで欲しい」、壊し屋・小沢の魅力が無くなる。

2006-04-09 15:26:03 | Weblog
民主党の小沢新代表は、代表選を争った菅直人を代表代行に起用、その他は全員再任して前執行部体制の継続を決めた。
9月までの役員任期ではあるが、挙党一致を示しながらも、併せて「党の基本政策をまずは、一致させなければならない」と述べていることに注目したい。
小沢代表選出を受け、共同通信社が実施した世論調査によると、小沢民主党への期待は57・4%と過半数に達したが、72%が政権交代に懐疑的であると出た。
「政権交代は期待しないが、壊し屋小沢の政局を見せてくれ」とも読める。
「変わらないで欲しい」「豪腕な壊し屋」こそが、政治家小沢一郎の魅力である。
前執行部の全員継続で共同責任を負わせる深慮遠謀を尽した見事な人事であると解釈したい。
「私自身が変わらなければならない」と小沢は繰り返したが、これも自らの理念を達成するための政治的欺きとすれば、歴史は評価してくれるもの。
代表選挙を前に、小沢と旧社会党の横路衆院副議長は、政策協定を結んでいる。
そこで小沢は護憲を容認し、中国との和解外交を認め、旧社会党の全面的な支持を取り付けた。
自民党時代から小沢は、憲法改正論者で集団的自衛権をはっきりさせるべきだと唱えてきた。
憲法・外交・安全保障政策等、長年の思いを実現する絶好の機会が訪れた。小沢は小泉と違い『純』がないように、善より欺瞞が似合いだ。
この機に左派どもに有無を言わさず傲慢さを発揮して一毛打尽に葬って欲しい。
小沢は「ヨコミチ」などを選ばず「タテミチ一路」で行って、政治史に名を残すべきだ。
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「一度やらせてみたら」の声、礼節の心は学んだのか・イチロー

2006-04-08 19:12:03 | Weblog
「田中・竹下派支配」が続いた自民党で、金丸の威を加って礼節の心知らずの言動で通した幹事長時代。
古い自民党の系譜の象徴である小沢一郎が、メール問題で国民の信頼を失い、結党以来最大の危機に陥った民主党の新代表に就いた。
田中路線の自民党を壊して改革自民党を旗印に体質改善を果たした小泉自民党。
対立軸としては、極めてハッキリした構図だ。
小沢は両院議員総会の演説で「まず私自身が変わらなければならない」と述べ、強権的と批判されてきた政治手法を改め、円満な党運営に当たる考えを示した。
が、「我儘で気に入らないと不貞寝する」傲慢イチロー、どこまで変心できるのか。
かつての竹下派7奉行で自民党に残るものは一人もいない。古い自民党の陰影は、小沢民主に移った感がある。
政党の離合集散を繰り返す中で、小沢から離反した側近は多い。
小沢側近として知られた藤井裕久は「壊し屋といわれるのは、政治家にも政策にも黒白をはっきりしすぎたから。
小沢氏の個性と挙党態勢確立をどう調和させられるかが今後の課題だ」と語る。
「一度やらせてみたら」の声で、小沢に民主党の再生を託すことになったが、「解体屋の実績に定評あり」の劇薬の効き目に請うご期待だ。
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『無であっても明』国民に見えない、世間知らずの「業務屋?」鳩山幹事長

2006-04-04 20:32:56 | Weblog
業務担当(?)の鳩ポッポ幹事長が、挙党態勢の確立という如何わしい理屈を以って、談合に奔走している。所詮、「友愛」鳩山の談合仕切りは役不足であり、いまに至って、国民が民主党に望んでいるのは『自民党と比べて、能力は無いけどクリーンさぐらいはあるだろう』ってことが、分かってないんだなあ。政治判断とか政治決着というのは政治家冥利の器量の発揮ではあるが、残念ながら鳩山由紀夫には不似合いで、その能力の持ち合せも無い。渡部国対委員長が「談合屋になったつもりで嬉しがっている」と鳩山への不快感を示した。本来、このような最適任な業務役こそ、与野党通じて議運・国対族で馴らした渡部恒三である。その渡部が、「ガチンコ代表選実施」を述べているのは、党内外を含めて国民の視線を受けた「熟練の読み」である。政治家の人事は、権力闘争の駆引きそのものである。が、いまの民主党にとっての最優先課題は国民の目線に映る「最低限の信頼回復」でしょう。『無であっても明である』、そこから再出発して欲しい。それまで、副将軍・渡部黄門に身を預けることもやむを得まい。しっかりと見極めて進路を示して欲しいものだ。
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軍師ではあるが、徳に欠ける小沢一郎では・・・・

2006-04-02 21:43:02 | Weblog
民主党・前原代表の辞任表明に伴い、代表選が7日行われる。候補として、小沢・菅・岡田・鳩山と昔の名前ばかりが出ている。それほどに寄合い所帯を払拭する新鮮適材がいないと言うことだろう。いつもながら“小沢待望論”と“小沢アレルギー論”が同居して出てくる。「反小沢」感情が強い中堅・若手議員の後見人的存在である仙谷由人幹事長代理はテレビ番組で「上意下達みたいな手法ではなかなかうまくいかない」と小沢の政治手法に懸念を示し、「選挙は大いにやった方がいい。親分みたいな人が話し合って談合すれば決まるような時代ではない」と、小沢を軸とする動きにくぎを刺した。菅直人の側近議員も、鳩山幹事長の側近議員に「小沢で(党内が)まとまるならそれで良いが、グループ内には小沢アレルギーが強い」と伝えた。渡部恒三国対委員長は、代表選について「変な談合なんかしなくて(代表選を行い)1番になった人が代表、2番目が幹事長になって挙党一致だ」と述べ、投票による選挙を経たうえでの挙党態勢の構築を主張した。軍師ではあるが徳に欠ける小沢一郎、壊し屋・小沢がからめば分裂は必死。ならば先んじて解党宣言して自民党総裁選にグループそれぞれ相乗りして、ガラガラポンと政界再編に突き進む手もあろう。国民の支持を失った政党の代表選に期待感は見えない。
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靖国神社は国防の御社、参拝せざる政治家は国の指導者足りえず。

2006-04-02 19:40:08 | Weblog
靖国神社は国防の御社、参拝せざる政治家は国の指導者足りえず。
靖国神社の境内、神社北隣に靖國会館と遊就館がある。  靖國会館は戦前は国防館と称されていた。
戦後、神社の法人化に併せて靖國会館と改称されたものである。
インドネシアのユドヨノ大統領は「国のために戦った兵士をお参りするのは、当然のことだと思う」と、(当時)安倍晋三自民党元幹事長との会談で語っている。
世界中の政治指導者として極めて常識的な発言であり、一般国民に参拝を強制することは無くとも、国の最高指導者で国防を指揮する責任者(安全保障会議議長)の内閣総理大臣こそ、全国民を代表して靖国神社を参拝する義務を背負っているものである。
靖国神社参拝に逡巡する政治家は、総理大臣たる資格なしと言わねばならない。、
「先人の礎のもとに築かれ、今日に至る日本国を、自らも全身全霊を賭けて護り継承していくことをお誓いします。」との決意を表することこそ国家のリーダーとしての責任の証しである。
秋の総裁選に挑むものは、まずその資格たりうるか、自らを問うて欲しいものだ。
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中国の威を借りて政界延命を図る、浅ましい媚中者たち

2006-04-02 15:07:19 | Weblog
橋本龍太郎・野田毅・高村正彦ら日中関係7団体の代表が雁首揃えて訪中した。
昨年12月に王毅大使を帰国させて練った中国共産党の対日工作の具現である。
女性工作員に篭絡された橋龍、松村謙三の流れを汲む媚中・三木派の高村、岳父野田武夫を引継ぐ野田毅。
野田武夫は日中国交回復の前年、自民党中国問題委員長として日中国交議連訪中(藤山愛一郎団長)のひとりとして「復交3原則の共同声明」を発表、国交回復の一翼を担った。
その岳父の外交姿勢を野田は継承して、いま日中協会会長にある。その野田が筑紫哲也の『NEWS23』に北京からの中継で出演、中国の代弁者として朗々と発言していた。
かつて野田は山崎拓とともに中曽根派に属し、ライバル視される中堅政治家として期待を集めていた。
が、小沢の自民党解体戦略の政争のなかで(小沢の命を受けた)熊谷弘に口説き落とされ自民を離れた。
小選挙区での対自民候補との選挙戦は容易では無くなり、かつてのライバル山崎に身を委ねる形で復党した。
議席を得るだけの浅ましさを感じるが、対中問題をネタに山崎・加藤紘一とのトライアングルを形成して、中国の威を借りての、最後の政界延命に走る売国の徒党ども。恥を知れ。
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一億円は関係悪化にあった日歯と橋本派との手打ちの和解金

2006-04-02 10:28:14 | Weblog
平成12年、日本歯科医師会の会長選で4選を目指した中原爽を破り、臼田貞夫は4月に新会長に就任した。
日本歯科大創設者の系譜を引き自民党参院議員でもある中原は「厚生族のドン」と呼ばれる橋本元首相の支援を受けていた。
中原の長期会長批判勢力を結集した形として臼田会長は誕生した。
さらに直後の6月に行われた衆議院選挙の神奈川8区で、地元事情優先として、現職で民主党推薦の中田宏を地元歯科医師会(横浜市青葉区・川崎市宮前区)が推薦。
自民党候補で橋本龍太郎内閣当時の首相秘書官で元通産官僚の江田憲司と対峙することになる。
「なぜ、江田ではなく、中田なのか」、後で中田は「自民党を刺激したくない。歯科医の皆さんは大変な圧力と戦っている」と答えている。
結果は中田の当選となるが、国政の政権交代とはならなかった。
面子を潰された人一倍鼻っ柱の強がり橋龍は、臼田日歯に徹底的に背を向けた。
明けて参議院選挙を控えた13年7月、自派の中原の再選を計りたい橋本派、日本歯科医師会としても、組織代表を国政に送りたい。
この双方の思惑から、拗れた関係修復のため事務総長の野中は料亭・口悦での会談をセットして和解金一億円の受領となった。
会長の橋本が受取、同席の青木・野中も礼を述べる。 橋本は派閥の金庫にそれを差出すことで会長として顔が立つ。
ヤクザの手打ちみたいなものだから、表には出せない。 ウラ処理せざるを得なかった。
事件が発覚したので、「毒饅頭」とののしり、村岡に恨みを持つ野中が滝川事務局長に「村岡に負わせろ」としたのが真相である。
小渕元首相の秘書だった滝川を小渕亡き後に、平成研(橋本派)の事務局長に引き取ったのは野中だから、真面目な滝川は恩人の言うことを聞かざるを得なかった。
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