山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

「脱官僚」ってナンだ!、政治家主導って「超官僚」だろ!。

2009-09-25 21:00:01 | Weblog
鳩山民主党政権誕生で「脱官僚」なる言葉が、新聞・テレビ、他にも溢れている。  それってナンなんだヨ!、と問いたい。
北朝鮮じゃあるまいし、官僚が政治家を拉致して取り込んでるわけでもないし、個々の政治家が官僚以上の見識や政策ビジョンをもってすれば、「脱官僚」なんて言葉はないもんだろう。
選挙当選の翌日から、次の選挙にむけて選挙運動だ、とばかりに小沢一郎にハッパをかけられている民主党の素人議員に、国会議員として官僚に負けない勉強はできるのか?、と問いたい。
所詮、採決要員にしかなりえない1~2年生議員。
一方でマニフェスト(政権公約)で示した「脱官僚依存」を実現するために、政府に国会議員計100人態勢で入り込むとされる。
そこで、素人議員は官僚からレクを受けるのではないのか。いったいどこが「脱官僚」なのか。
必要なのは、(自民党も)民主党も独自のシンクタンクを持ち日常的に政策研究・分析を積み重ね精査したうえで、そのマニフェスト(政策課題)を持って政府に乗り込めば、あえて「脱官僚」などと放言することもなく、政治家主導の「超官僚」の政治が実行できよう。
官僚があの手この手でご説明に伺い来ても、官僚以上の見識・能力があれば充分議論しても説き伏せられるもの、どちらが遣り込めるかすべてが個々の政治家器量に掛かっていることだ。
9.24にピッツバーグで開幕した(G20)首脳会議(金融サミット)で、鳩山首相は「参加国の数が多いと事前調整が必要になるが、事前調整をすればするほど官僚の意向が強く反映されてしまう」と指摘。官僚依存の討議に陥らないよう、各国首脳に「脱官僚」を訴えた、とある。  まさに“バカポッポ”そのものである。
最終的に決定するのは、政治家なのだから、万座の前で「脱官僚論」などをひけらかすこと自体、自分は官僚を使いこなす能力のない「バカな日本の首相」を宣言したに等しい。
鳩山と小沢がすべての個人資産(隠匿資産も)を注ぎ込み、りっぱな「民主党のシンクタンク」を創り、政策課題の研究に精出すところから始められたらと助言する。
そのときにこそ、「脱官僚」ならぬ「超官僚」の政治家主導が達成されることだろう。
さて、民主党はこのたび小沢一郎の息の掛かった新人議員が多く当選して、最大勢力(150人程度)を築いたと報道されているが、党全体の出自をみると、松下政経塾と財務省(大蔵省)・経済産業省・総務省出身のキャリア官僚がある一定の数を占めている。
先週まで放送された城山三郎原作のTBS「官僚たちの夏」の高度成長期を担った旧通産官僚のように、国家を背負った国士のような人物が多くいたことも戦後復興の牽引となった。
霞ヶ関官庁のなかでも、財務省(大蔵省)・経産省・総務省(自治省)には特に優秀とされる公務員試験上位合格者が採用されている。
山形県出身ではそれぞれ10年に一人くらいが入省を果たしているが、本年(2009)は経済産業省に二名入省している。
官僚バッシングが叫ばれるなか、先が読めない官僚人生であろうが、山形県のため、日本国のために活躍を願っている。
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自民党総裁選で見える党内に混在する偽装保守の模様図

2009-09-25 12:53:45 | Weblog
9.24、自民党本部で行われた党総裁選挙の討論会で、初当選した小泉進次郎が3候補に「歴代の自民党総裁で最も模範としているのは誰ですか。私に対するお気遣いは全く必要ありません」と質問。谷垣禎一は「吉田茂と宮沢喜一」、西村康稔は「吉田と岸信介」を挙げ、河野太郎は「新総裁・河野太郎が模範になれるように」と答えた。この答弁に、現在の自民党が抱えている混在模様図が、実に面白く素直に表われているように思う。あえて付け加えれば、河野太郎に「実父河野洋平・祖父河野一郎」の答えがあったなら、これ以上ない明確な事情分析ができたのだが。谷垣と西村がふたり挙げたうちの一方をともに「吉田茂」とし、もうひとりを谷垣は「宮沢喜一」、西村は「岸信介」を挙げたところがミソだ。自民党結党の党是は占領憲法の改正にあり、岸信介は首相退任後も自主憲法制定議連の会長として一貫した改憲派として政治活動を通した。一方の「宮沢喜一」は、護憲リベラル派として、「いまの憲法で何ひとつ不自由がないのに、なぜ変える必要があるんですか」と述べている(読売・渡辺恒雄との会談)。さらに宮沢は、(1991)田原聡一朗の取材「あなたは、最初から保守政治家だと思いますか。保守とはどういうことなのか」の質問に、「一方に社会主義、そして共産主義というものがありました。わたしは社会主義、共産主義には反対で、本当は資本主義と言いたいけれど、マーケットエコノミーと言いましょう。それが保守だと私は捉えています」と答えている。この発言から宮沢にとって、小平の「社会主義市場経済」さえも保守の範疇にはいるのかな、ともうかがえる。いずれにしても、宮沢の保守(政党)の理解は経済体制上からしか見ていないことがよく解かる。これでは、(1982.8近隣諸国条項)歴史教科書に関する宮沢官房長官談話、(1992.1)宮沢内閣の慰安婦謝罪談話(加藤官房長官)、(1992.10)天皇訪中で謝罪のお言葉、さらに退任直前にダメ押しの(1993.8)日本軍関与を認める慰安婦謝罪談話(河野官房長官)と、ことごとく国益を損ねる誤った外交判断を行って来たのが、政治家宮沢喜一に連なる売国政策である。そして、1991.10小沢面接(宮沢・渡辺・三塚)と称して、宮沢政権誕生に決したのは、金丸信と小沢一郎である。「軽武装・経済(復興)優先」の吉田(首相)ドクトリンは、経済復興を遂げるまでの当面の外交指針であって、吉田は中国の核実験(1964.10)を受けて、(1965.)日米協会演説で「皆さん、もう日本も核武装するべきではありませんか」と問題提起をしている。さらに吉田は政界引退後に、辰巳栄一(吉田の軍事顧問)に「辰巳の言う通り、(1951)あの時再軍備しておくべきだった」とも漏らしている。宏池会初代会長の池田首相も、ソ連の核実験(1961.10.31)直後に訪日した、ラスク米国務長官に「(安全保障上)日本が核兵器を所有すべきだと考えている者がいる」、訪欧から帰国後の1962.12(「ライフ」の取材談)「池田総理は軍事解決と、政治的・経済的解決といずれが重要か」に、「文句なしに軍事的解決だ」と安全保障の外交カードを広義にとらえている。自民党の結党時参加を吉田に遵じて見送った佐藤栄作も、中国の核実験(1964.10)後の訪米(1965.1)で、ジョンソン大統領との会談の中で「中国が核を持つならば、日本も核を持つべきだと考える」と語っている。さように、核先発国との(国家安全保障上の)対抗措置として核検討論に達しているものである。そもそも、1963.8の部分的核拡散防止条約(CTBT)に、核開発途上の中国の立場を擁護(核開発是認)して、反対したのは日本共産党である。逆にソ連側に立って賛成したのが日本社会党であるが、中国の核開発後にソ連はインドに技術支援、対抗して中国はパキスタンの開発支援にまわり、北朝鮮は中国のソ連からの自立を真似て核開発推進に歩んできたのが現実の姿であろう。中ソ対立のお先棒(対日スパイ工作)を担いで核拡散を間接支援してきた悪党左翼こそ、共産党であり社会党議員の正体ではあるまいか。このような基本的な反論すら出来ないほとんどの自民党政治家は、歴史の何を学んできているのだろうか。ペテン紙など読んでるから赤く(自覚の薄い赤化ウイルス症)なる。呆れるばかりである。宮沢喜一に戻るが、宮沢は朝日新聞の後藤基夫(朝日の親中路線を築いた広岡知男の片腕)と東大で同期、新人会にも後藤に誘われたと語っている。ペテン紙朝日新聞の歴史(国民赤化工作史)をひもとくと、この宮沢・後藤人脈を伝い、吉田ドクトリン(吉田茂)→池田勇人(宏池会)→大平正芳→宮沢喜一(加藤紘一・河野洋平)→保守本流=自民党とのレトリックを使って、自民党左傾化路線の国民世論工作を重ねてきたものである。さらに、朝日新聞の社長出世コースを見れば、朝日労組役員→宏池会番(政治部)→政治部長→東京・編集局長→編集担当役員→労務担当役員→社長昇進となる。経済部出身との交互就任が継続しているので、次はKHが有力とされる。結論として、自民党結党のDNAを持ったマトモな保守政治家と見てとれるのは、西村康稔だけと言うことになる。谷垣の模範とする「吉田茂→宮沢喜一」の答えは、自民党の保守政治の変容過程を如実に現わしている。(1980.6大平首相死去後に、暗愚の鈴木善幸内閣発足・宮沢官房長官)宮沢・宏池会と朝日新聞(及び左翼メディア)が宣導した見事なまでの自民党左傾化・熔解工作の結果が見えてくる。併せて、朝日新聞人脈につながる河野洋平(親族の朝日新聞出身で親ソ中朝の河野一郎・田川誠一)、東大・坂本義和ゼミで安保闘争に暮れた加藤紘一が宮沢黄門の助格とあれば、現在の宏池会のどこに保守の光が見えるものか疑問である。あらためて、保守政党の自民党再建のために分党を勧める。汚れた血は入れ替えなければいけない。 自民党総裁選で見える党内に混在する偽装保守の模様図。垢(アカ・赤化)を擦り流し、清潔にしないと死を待つ病気になるのは政党も同じだ。
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