山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

誠の日本人になれないなら、小沢一郎はトットと済州島へ帰ればいい!

2010-10-11 23:14:56 | Weblog
10.4、東京第5検察審査会は民主党の小沢一郎元幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、「起訴すべきだ」とする議決を公表し、強制起訴されることになった。
これに対し、小沢は記者団を前に離党や議員辞職はせず、「政治活動は私が必要とされる限り続ける」と会見表明した。
手続きを経て刑事被告人となるであろう小沢が、検察審査会に於ける議決に異議を感じていることは理解できるが、今後の法廷闘争に向かう立場の誠実さがみじんも見えてこない。
直後の国会代表質問時においても途中退席、傲岸不遜の態度は相変わらずである。
これまでもサボリ議員などは多くいたものだが、糾弾されるとそれなりに反省の態度を示し、「立派な大人が何を・・・」と呆れられながらも、「・・不徳です」などと釈明恥入る様に可愛さとも受取れる日本人の性善気質を感じさせるものがあった。
まず、昨年(2009.5)施行された国民(眼線・感覚)の司法参加制度、裁判員制度導入・改正検察審査会法により、刑事裁判における国民的考え方が、法律改正上からも変質過程にあることを踏まえるべきであろう。
それまで刑事事件で起訴された人が有罪になる割合は99.8%となっており、検察の起訴裁量権が結果として裁判の最終判断となっていたとも言えて、裁判不要論にも繋がりかねなかった。世界各国との比較でも例のないことと言われる検察の絶大な権力実態とも受取れた。
このたびの厚労省・村木事件の検察不祥事からも、国民に向けたしっかりとした真相解明がなされることを期待する。
なにより、小沢は立法府の国会議員として法律策定に係わった立場の人として、結果(法施行)を受け入れるのみの民間人とは、自ずと違うことを胆に銘じてほしい。
さらに一般人には自らの嫌疑への対抗場所が、ほとんど裁判法廷に限られるのに、政治家は公共の場でいくらでも弁明会見をはじめ証拠提示を行える立場にある。
「ノーブレス・オブリージュ」、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる言葉である。
新渡戸稲造は著書「武士道」で、「卑劣な行為を忌む義」「敢為堅忍としての勇」「惻隠の情たる仁」「礼儀作法」「信実としての誠」「名を惜しむ」「忠義」「克己」からなるとされる武士の倫理を説いた。
騎士道とも共通するとして欧米をはじめとして世界中で愛読され、日本発の最大部数を誇る書物となっている。
武士道は儒教・仏教の長所だけを継承していながらも、義を中心にして勇・仁・礼・誠と名誉を深く重んじている。
小沢一郎には「武士道思想」に欠けているものがある。そこに(小沢の)日本人になりきれない、深く遠いDNAが見えてしまう。
潔さを持った戦国武士に「同志を道ずれに」などの想いは無かったろう。
議員として法廷闘争は結構だが、せめて離党して一議員の立場で臨むべきではないのか。民主党内でも無言の本音がそこにあるように思える。
小沢ダムと揶揄される「胆沢ダム」は、予備調査開始が1969.4で完成予定が2013年となっている。
小沢一郎の政治家人生のスタート(初当選)も1969年、「胆沢ダム」とともに終焉を迎えることは、土木建設利権に立脚した政治家小沢一郎を語るに格好の舞台となっている。
山形県でも2007年に、小沢後援会「一山会」(いちざんかい、一郎と山形の意か?)が発足された。
約200名ほどになる多くは建設関連業者で占められ、2009年の県知事選挙では吉村知事誕生に支援発揮された。
小沢・陸山会事件が表面化していなければ、岩手・秋田(寺田知事時代)と同様に、頭取り(知事)を嵩にして「天の声」を囁く利権獲得(献金)に及んだものと危惧したところだが、事件発覚で大きな問題は起きていないようだ。
いま青木愛議員との密会泊で、週刊誌に取上げられている小原秘書が来県、「一山会」結成に深く関与していたことも皮肉である。
山形県内の建設関連業者が、民主党岩手県第4支部(小沢一郎代表)への献金状況が報告書上に見えてくるのも、さにあらんの感がする。
法律は最少限のモラルであって、立法する政治家にはことさら「ノーブレス・オブリージュ」が求められる。
(日本人)政治家としてそれが受忍できないようであれば、「小沢一郎はトットと生母の故郷・済州島へ帰れ!」と進言したい。
そのうえで身を清めてから余生を「日韓の架け橋たらん」と新たにするなら、政治家小沢一郎は歴史に残る東亜友好の使者と評価される時がくるであろう。
真摯に正面から向かう態度こそ、日本人が求める誠実な武士道精神の現われで、そこに「(誠・信・真)まことの日本人」が在るものと判断したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓮舫と片山 さつきの院内撮影状況は、まったく別物だ!

2010-10-09 20:29:21 | Weblog
蓮舫行政刷新担当相が、参議院内でファッション雑誌に掲載されるモデルのようなポーズをとった写真撮影に、野党は「営利目的の撮影はできないはずだ」と猛烈に批判、蓮舫は、国会内での雑誌撮影問題を陳謝、釈明した。
代表質問で追及した片山さつき議員も過去に国会内で撮影したことがあったとメディアは合い打ちのように報道しているが、撮影状況はまったく違うものである。
片山さつきが衆院議員だった2007年9月に院内で撮影された、ファッション誌掲載写真は、上下で約55万円ほどするものとは言え、普段の議員活動に着用する(自前の高級)スーツ姿などで、胸には議員バッジをしっかり着けた公務活動の一コマ記録として、衆議院の許可を得て国会内で撮影されたものである。
対して蓮舫国務相のグラビア撮影においては、胸に議員バッジは見えず、着用の服装も通常の議員活動用には不似合いな(撮影用にヴォーグが持込んだ)派手目のドレスと言った印象を受ける。
片山は院内を背景にスナップしたような自然さであるのに、蓮舫はしっかりとファッションモデル然のポーズを取っている。
蓮舫は8日の陳謝会見で、「撮影場所について不適切との懸念を抱かせたとしたらおわびする。(とした一方、「議員活動の一環」で正式な手続きをへたと強調)わたしは国民の皆さま方に、政治に関して高いご関心を持っていただくことは非常に大切で、その1つの手段として、雑誌の取材に応えることは大切だと思っています」と強弁された。
正確にはたとえ国会議員と言えども、院内通行・滞在には議員バッジ(記章・通行証)を帯用していなければならない。
院内でノーバッジのグラビア撮影をすること自体が、国務に精励すべき国会議員としての常識観が欠如していると言わねばなるまい。
自民・佐藤ゆかり参院議員は、「国会は職場ですから、ファッションショーの場ではない。大臣の大きな責任ある役職には、当然お立ちいただくことはできないと思いますね」と述べた。
蓮舫と片山さつきの院内撮影状況は、まったく別物で、懲罰に値するものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中川昭一元財務相が死去して一年、問われる不偏的日本主義

2010-10-04 19:23:11 | Weblog
中川昭一元財務相が死去して、ちょうど一年を迎えた。
(2009)10.4に世田谷区の私邸2階の寝室で倒れているところを、郁子夫人によって発見されたのだが、救急搬送先で死亡が確認された実際の死亡日時は、発見前日の10.3で死因は急性心筋梗塞とされた。
尖閣諸島問題が噴出する一年を経た今日、中川昭一が生きていればと、「たら・れば」の悔いの想いは募るばかりであるのだが、所詮、事件死でなければ、至らない自己管理責任の結果と帰着せざるを得ない。
すべてはそのことに尽きることではあるが、2009.10.3(死亡認定日)に於いて中川昭一に、さらなる異常な飲酒を誘発させるような要因があったからではないのかと気に留めていたものである。
価値観の違いと言ってしまえば、それ以上に詰問する術はないのだが、中川昭一は、先の総選挙での自民党敗北の一因として、(2008)2.14のG7会議後の朦朧記者会見が非難され辞任に至ったことが、国民受取りの麻生政権批判の一つとして、自らの落選も含んだ衆議院選挙の敗戦、与党転落となったことに大きな呵責を感じていたものと考える。
その累積する呵責のなかでの10.3夕方、ルーピー鳩山首相夫妻のニュース報道がなされ、テレビで見入った末の「怒りの暴飲」が死因ではなかったのではないかと思い至ったものである。
鳩山首相は、10.2のIOC総会に「東京五輪」の招致スピーカーとして出席したのだが、招致運動の追席レセプションには出席せずに帰国、表参道で行われた夕方のファションショーに幸夫人と出演したのである。
当日の首相日程では、それ以外の主要な首相行動の日程は無かった。
当に、国益よりも宇宙人首相の妻・幸夫人の浮いたプライベート優先の判断をした緩い行動である。
国民の多くがニュースで見たものだろうが、一国の首相があのような愚かなパフォーマンスを優先する感覚そのものが問われるものと言えよう。
中川昭一に多飲する自己管理不足は当然であるが、日本国のリーダーの優先日程が、それを問わない政党内部の政権政党、国民政党観の希薄さが、現在の日本政治全体の体現を映している。
ブログ子が類推するに昭一は、ルーピー鳩山夫妻の呆れたパフォーマンスショーをテレビで観入り、自己責任の思いを以って、さらに深酒に陥った結果の死因ではなかったのか。
純粋で不器用な中川昭一の身近な人間性が感じ取れる。
祖母・セイ(小関)は、山形県東根市神町出身である。
亡き中川一郎が科学技術長官での来県時に(1980.)先祖小関家の墓参に同行したことがある。
1983.1.9、好漢・中川一郎は自裁した。ソ中朝の毒蛾があらゆる場面の抗日戦略・戦術として浸透してきている。
ナイーブな谷垣自民党執行部を見るに、尖閣諸島問題に対する基本姿勢が何処にあるのか。
中川昭一が死去して一年、問われる不偏的日本主義の所在。重ね続けた宥和外交の侮りを衝かれた感がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする