山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

売国から愛国へ、再編保守党は「靖国新党」で、日本再建の信を問う。

2012-01-22 14:34:25 | Weblog
谷垣禎一自民党総裁は、第79回定期党大会の演説で「今年こそ政治決戦の年だ。一刻も早く衆院解散・総選挙に追い込んで、政権を奪還しなければならない」と述べ、早期解散に追い込む考えを強調。
対する野田佳彦民主党政権も「消費増税法案を視野に解散・総選挙も辞さず」と、1.24の通常国会開会に向けた決意を表明している。
解散風が吹けば、袋小路に至ったネズミ議員どもがウロウロキョロキョロし始める。
「民主ではもうダメ、自民でもいまひとつ」の国民世論を背景に、目先変えの新党結成を模索する行動が必至となる。
そこで国民有権者に解かりやすい再編保守政党として「靖国新党」名を提案したい。スローガンは「売国から愛国へ、國土を護る、国民を守る『靖国新党』」とする。
当然ながら新党参加要件は靖国神社参拝に於けるこれまでの発言・(参拝)行動を吟味して入党資格(候補者)の仕分けをすること。
靖国参拝を持ってすることは短絡的と思われそうであるが、戦後の政治史のなかで、「靖国神社参拝」にこそ凝縮された日本人の国家観・歴史観が溢れているものと感じている。
憲法論議もその範疇内に包合されていると見ていいだろう。
マニフェスト個々の精査も必要であるが、今日ほどの「(口先だけの)マニフェスト違反」を見せつけられるに及んでは、当てに成らない政治家公約は政治不信を増すばかりである。
それより日頃からの議員個人の、国家観・歴史観を体現した言行を持って、「保守か、リベラルか、地アカか」の選択こそ国民にとっても至極解かりやすいことである。
必至の衆院解散・総選挙は「売国から愛国へ」の再編保守政党「靖国新党」で、日本再建の信を問う。
現状の仕分け要件からすれば、山形選挙区はすべて(真正保守の)新人擁立となることだろう。
再建の第一歩は、偽りの東京裁判史観からの覚醒。
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旧友、警視庁警視正(蒲田署長)・松田喜敏君の訃報に合掌。

2012-01-19 22:28:16 | Weblog
ネット情報で偶然に、旧友警視庁警視正・松田喜敏君の病気による訃報を知ることとなった。
数年前から所属長に昇進されていた由、人づてに聞いていたものだが、そのうち近くに赴いた折に、「おい、オレだよ!」と飛び込みで面会しようかなどと思案していたものだ。
高校が別だったから中学卒業以来、40余年逢っていないのかも知れない。
僕の記憶には、少年時代の君の面影だけが写っている。
お互い対面してもすぐに解かるだろうか、などと思い廻らしてもいた。
今年はことのほか大雪に見舞われている。 山形の雪深いなか(西村山郡大江町)で小・中と通学した。
過疎化・少子化の中で学校統合されて、共に今はない。
地域で13人の同級生がいたと記憶するが、喜敏君の訃報を聞き、これで4人亡くなったのかと人生の儚さをを感じている。
ブログを書いてるうちに涙が込み上げてきた。 早すぎる人生の終焉。
旧友、警視庁警視正(蒲田署長)・松田喜敏君の訃報に合掌、ご冥福を祈ります。
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橋下徹大阪市長の、「橋下維新(官公労粛清)」に期待。

2012-01-19 19:55:30 | Weblog
1917年のロシア10月革命を経て、1921.3、第10回ロシア共産党大会でネップ(新経済政策)の導入を決定した。
この政策展開を廻るなかで、レーニン派(ボリシェヴィキ)とトロツキー派(メンシェヴィキ)の確執があり、労働組合論争を発生させた。
レーニンは「労働組合の役割と任務」として、(1920.4)「労働組合は共産主義の学校である」と述べ、トロツキーは「労働組合の軍隊化」を提唱、ブハーリンは「労組の国家化」を主張した。
ここで共通していることは、共産主義国家を成すに当たり、「労働組合」を利活用することが基本としてあったことである。
この(左翼の)基本戦略は、現在の日本でも引き続いているもので、敗戦後の既得権(地アカと変節派)の源泉として、戦前の軍部批判以上の官公労に於ける共産主義(社会主義)の思想勢力内にある。
橋下徹大阪市長は、ここにメスを入れようとしている訳であるから、市井の民としては「やっと出てきた正義の味方・月光仮面」と受け止めている。
自称保守原理主義派(?皇室保守派)などの中には、「大阪都構想」なるフレーズ(文言)から、橋下維新論議に否定的意見もあるようだが、戦後の歴史のなかでこれほど明確に(官公労)労働組合と対峙して対決論争を仕掛けてきた政治家が、どれほど居ただろうか?。
そのことだけを見てもブログ子は、「橋下維新(官公労粛清、占領下制度改革)」は買えるものだと評価し期待するものである。
共産主義勢力の革命3工作(情報社会操作)は、メディア・教育・司法が基本であった。
事情知ったる弁護士出身の橋下徹が、切り込むだけに期待感は膨らむ。
さらに左翼が深く浸透工作されてきた関西・大阪地域で伐りかかることは、今後の帰趨如何によっては一気に全国波及(日本維新)することが想定される。
偏向メディア・教育腐敗・司法の歪み、に及ぶシャッフル「日本維新」を期待したい。
会社存続あっての民間労組の節度ある労働運動と、親方日の丸を背負いながら、反日運動を展開する(特亜系)労組勢力とは一線を画すべきである。
かつて健全野党を標榜した旧民社党(同盟)は、何処へ消えてしまったのか。
1991.5、新左翼の中核派が、新指導路線「武装闘争を控えて大衆闘争」に転換(地上闘争戦から地下浸透策へ)、自治労・郵政・教育・JRの「(官公労)4大産別労組」への拡大浸透工作を図った。
失われた、景気低迷の20年、戦後の総括・民主党による掃溜め政権の沼底を実感するに、長らくリベラル宥和に浸り続けた自民党政権にも大きな責任があることは言うまでも無い。
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共産主義の地アカを晒した、読売主筆・ナベツネの「女性宮家」創設論議

2012-01-08 13:08:58 | Weblog
昨秋から持ちあがった、「女性宮家」創設論議。読売新聞と朝日新聞がタッグする創設推進のマスメディア主導が気にかかる。
読売主筆のナベツネ(渡辺恒雄)は、敗戦の1945年末に「天皇制打倒」を叫んで青年共産同盟員を経て、共産党入党に至っている。
戦前の東大新人会は1929年に解散、日本共産青年同盟に発展的改組されたものだが、ナベツネが敗戦後に、東大共産細胞から(戦後の1947.9)東大新人会の復活再建を計った共産革命の大義が(共産党造語の)「天皇制打倒」にあったことである。
新年の6日、藤村修官房長官は記者会見で、皇室典範改正について「対応を急ぐ必要のある女性皇族の問題に絞り、皇位継承とは切り離して検討を行う」と述べ、「女性宮家」創設に限定して検討する方針を正式に表明した。
また、内閣官房が有識者ヒアリングを行い、改正素案を取りまとめることと、担当の内閣官房参与として、女系容認の園部逸夫元最高裁判事の任命を発表した。
小泉政権で設置された私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)が提出した報告書を基に検討を進めるとの方向であるが、保守政党を自認する自民党政権においても言えることであるが、与野党問わずにリベラル左翼の園部逸夫や、防衛大学校長に五百旗頭真などを人選するところに、いまの政治家の歴史観・国家観(安保観)の欠如を感じざるを得ない。
さらに官僚まかせともなれば、政治家には政局ゴッコしか持ち合わせていないのかと呆れてしまう。
敗戦後変節の東大法学部勢が官僚政権を執行しているとも言え、その戦後既得権の継続を柱にしているとも言えよう。
さて、戦後「東京裁判史観」を蔓延させた変節の徒として有名な横田喜三郎(1960.10、第3代最高裁判所長官)は、1957.3東大法学部教授を退官し外務省参与に就任している。
雅子皇太子妃の父親小和田恒は1955年に外務省入省、1963年からOECD大使として赴任する88年まで断続的に、東大非常勤講師として外交関係の講義を行っているところが、戦後の日本外交の基本姿勢(東京裁判史観受忍)に通じているのではないのかと考えられる。
2000年を越える万世一系の皇室文化を読み取る歴史文化観を持ち合わせるものと、(変節)宮沢俊義の「8.15革命説」を受け入れる(東大)戦後官僚の歴史捏造既得権にすがる左翼の巨壁構造が覗える。
共産主義の地アカを晒した、読売主筆・ナベツネの「女性宮家」創設論議。

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初値5,649万円の「大間産まぐろ」とは行かないが、「すしざんまい・六本木ロアビル前店」でのランチ丼。

2012-01-05 18:23:02 | Weblog

    「築地喜代村・ すしざんまい」ロアビル前店にて

新年の築地初競りで「大間産まぐろ」が、5,649万円(269kg)の史上最高値を付けたことで、メディアは昇龍の当たり年と重ねて招福報道に邁進している。
一時の夢物語に終わらずに(実質的な)継続性を持って欲しいと願うものである。
さて昨年、上京した折に赤坂・六本木を久しぶりに闊歩した。
先のブログに記した赤坂6・北の将軍様御用達の元コルドンブルー(現ジャズスポット「Bフラット」)の前を通り、懐かしの街並みを眺めながら六本木に至り、ちょうど昼時となったので外苑東通り沿い、ロアビル向かいの「すしざんまい・六本木ロアビル前店」に入り、リーズナブルなランチメニュー「バラちらし丼」を食した(?1,000円内外と記憶するが失念)。
食事中に天候が怪しくなったので、すぐ隣のドンキホーテ六本木店で携帯傘を求めた。
降雨に見舞われることなく六本木ヒルズまで辿りついたものだ。
(1.5)今日の築地初競りで「大間産まぐろ」を史上最高値で競り落としたのが、「築地喜代村・ すしざんまい」との報道に、たしか六本木で入った店は、「?すしざんまい」ではなかったかとデジカメをチェック、間違いなく確認できたものだ。
米人歌手のレディ・ガガが東日本大震災の復興支援に来日した折、(6/23)訪れたとされるのは、(ロアビル前店から約200mほど離れた)六本木にあるもう一店の「すしざんまい 俳優座前店」であったようだ。
ブログ子の、「思いでポロポロ(30年余前)」になるのだが、かつて「俳優座前店」から少し溜池よりの位置に、和食惣菜を並べた「六本木食堂」があった。
廉価なお店(所謂、庶民食堂)で、たいへんお世話になりました。
いま、有名を馳せる「焼肉の叙々苑」は、(開業当時)防衛庁向かい側の(森野ビル、?3F)にあった。
(叙々苑の)新井社長が自ら店内で接客サービスされており、「タン塩」を食したのはあの時が初めてだったのかな、といま想いだしている。
2012「築地初競り・大間産まぐろ」→すしざんまい→すしざんまい・六本木ロアビル前店→六本木俳優座前店→「六本木の変遷」の発展事象を観るものとして、現実を懐かしく感じ取って見ている。
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