不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

「議場は議員の戦場」、「早く結婚した方がいいんじゃない」の叱咤激励ヤジがなぜ悪い!。沈黙の螺旋にNO。

2014-06-23 17:29:55 | Weblog
「議場(議会)は議員の戦場」、「早く結婚した方がいいんじゃないか」の叱咤激励ヤジがなぜ悪いのか!。
東京都議会本会議で、女性都議の「晩婚化などの問題」についての質問時におけるヤジが、セクハラ問題となってダメディア攻撃に晒されている。
それにしても世の中「ヤワ」になったものである。 
反日左翼が欣喜雀躍する「ナイーブジャパン」到来の思いがする。
ヤジを一様に非難(否定)として見ているが、受け止め方によっては「叱咤激励」にも受け取ることができるだろうに。
結婚、妊娠出産は一人では出来得ないことで、男女共同参画社会の達成に女性としての目線は必要不可欠ではあるが、女性(であること)を売りにしてはいけない。
(ヤジの品性と内容にもよるが)ヤジに対して、「最近は、ロクな男が居なくなったものだ」「求愛する男が多すぎてフルイにかけている」などと反論、軽くいなすぐらいでなけりゃ、当該女性都議は、所詮、「おんな売り」の社共公並の国民有権者侮り戦術の政治家器量でしかない。
サッチャー、メルケル、クリントン・・・、世界の有力女性政治家が評価されているのは、男性に伍して(男優り)の、器量(能力)を持ち合わせているからである。
そのような実力女性に対しては、「女性だから」の非難攻撃などはでてきようがないのである。
「女性であることを売り」にしているかぎり、日本で真の男女共同参画社会の到来など程遠いものであろう。
選挙戦で女性候補擁立を戦術とすることが多いのだが、このことこそ根底に女性票目当て(侮りの同性視観)の女性差別(蔑視)が垣間見えることでもある。
まして、男女(議員)同権を基本標榜すべき議場で「おんな売り」を考えているのであれば、奸国慰安婦(売春婦)論の思考回路と変わりはない。
「議場(議会)は議員の戦場」、発言は「矛」にも「盾」にもなる。 
議場戦士が反日左翼メディアに取り込まれるようでは侮られる事態だ。
自民党本部役員にしても、(反日左翼・大衆の愚への)阿り発言が激しい。 
子供同士の戯言に親が出て行くようなものだ。
「クールジャパンがナイーブジャパン」に、「サムライジャパンがヘタレジャパン」へと、ほくそ笑む特亜三国と反日左翼(築地・竹橋・汐留・赤坂・六本木・・・・etc.、の再生できない腐敗菌)が、後ろに控えた反日ネットワークの婉曲煽動報道に追従することはない。
1960~70年代のウーマンリブはどうなったのか、結局、左翼運動の戦略宣伝でしかなかった。
おとこが逆立ちしてもできないことは「妊娠、出産、母親」である。
ポジティブに「男どもよ、悔しかったら子供産んでみなよ。出来ないだろう、ハッハッハッ(笑)」と、振る舞えるくらいの気丈で人身清新な日本女性が、いまどれだけいるのだろうか。
現代の法制度上において、すでに(世界レベルの)男女同権は達成しているのであるが、左翼勢力は勝手論理で終わりない破壊活動を行っている。
1919年の(ベルサイユ講和会議)で、日本による国際連盟規約に人種平等案を入れる提案が否決された。
先んじて世界中で最も人種平等、世界平和を訴えてきたのは日本国なのである。
そのことも知らされない「反日日教組教育」、捏造ペテン・新聞メディアが国内跋扈している。
「ナイーブな女性都議」は知ってか知らずか、国際政治舞台(メディア工作)に巻き込まれてしまった。
この程度認識が、日本政治家(=日本人意識)なのである。
占領政策からの覚醒、立ち上がれニッポン、自立出来ない日本に「サヨーナラ」はいつ来る。
叱咤激励ヤジがなぜ悪い!。 沈黙の螺旋にしてはいけない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次期衆院選山形3区で自民党公認候補となる党3区支部長の公募選考

2014-06-21 21:39:59 | Weblog
不在となっている自民党山形3区の自民党公認候補となる党3区支部長公募選考。
加藤紘一元幹事長の三女鮎子(35)が、県連の支部長公募に名乗りを上げた。
さて、3区内党員投票による選出過程とされるが、応募者の思想政策による資格審査は如何ばかりなのであろうか。
安倍自民党政権の現在事情のみで裁断するものではないが、振り返って加藤紘一が長らく自民党に在籍していたことが極めて悩ましい。
敵性国の親中朝派として、スパイ行為を公然と行ってきた政治家ではなかったのか。 この罪は加藤以上に、是認してきた自民党全体としての党内総括を求めたい。
いま、北朝鮮による拉致問題等包括的全面調査で合意して進展する兆しがあるのだが。
加藤は総連系パチンコ業者から献金を受け取っていたのである。
それは推論ではなく、ブログ子が(事情不明な中で)加藤事務所に繋いだ経緯であるから確かな事実なのである。
本来、拉致事件を認めた以降に(政治家として)不明不徳とすれば、事情謝罪して(返金なり)の行動が、あってしかるべきであろうが。
引退表明後も、共産党機関紙「赤旗」、左翼系岩波「世界」などの取材に答え、政権批判を行っている。 共産、公明であったなら速やかに除名手続きが取られるものであろう。
ならば、政党は他にもあるので党内異論の立場を変えて、最も通じ合う政党員として遠慮ない政治活動を選択すべきと思うのだが。
果たして、鮎子は父紘一との思想政策観の違いは如何なものか?。
山形県には、目の前に「大沼瑞穂(参院議員)」と言う恰好の見本がある。
大沼瑞穂の父保昭氏は左翼系国際法の東大教授として鳴らした。
いま問題になっている(いわゆる)従軍慰安婦問題に始まる「(1995~2007)女性のためのアジア平和国民基金」設立の中心人物の一人でもあった。
自民公認の選挙戦とあって、娘は父を否定して表に出すことはなかった。 否定の答弁(思想違い)を行う苦しさには、内心の痛さを感じるものであった。
鮎子は父紘一との思想政策観の違い(否定)を出すのだろうか、明確なものが無ければとても支持はできるものではない。
加藤紘一は、中核派(唐牛健太郎)シンパから現在に至るまで左翼に位置している。
親中派を一切否定するものではない。
親中派政治家として稀有な池田正之輔(山形2区、八幡町)がいる。
なぜ池田が、中国(支那)に深く関係していたのだろうと、ながく疑問を持っていた。
ほどなく池田(自伝書)の戦前経歴から判明するのだが、(全権)対中交渉において、政治家として越えられない本分を持って対峙していたことに、加藤紘一とは全く違う政治家としての日本人の一面を見た。 
当時の田中角栄幹事長にも、臆せず翻弄した個性派イケショー(池田正之輔)を超える政治家が、いつ庄内地方に誕生するのか。
次期衆院選山形3区の自民党公認候補となる3区支部長選びは、総じて自民党員の見識が問われるものになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿信県行旅、山形DC開始で、おしんが導く「西の伊勢参り、東の奥参り」、山形-三重(伊勢)のおんな人生路

2014-06-13 15:45:39 | Weblog

栃窪集落(日の出公園)から望む眼下の最上川、吊橋(大平橋)がまだ無い頃(1957.4.29撮影)
1983.1.18、NHKロケ時の吊橋(大平橋)は、S字蛇行部に1964.6竣工。第3回放送で、乙羽(信子)おしんが、吊橋から(生家)栃窪集落を眺めるシーンを集落側から見た逆の構図となる。右手前側が上流域。

山形DCが明14日から開始される。 JR東日本など観光事業関係者は、観光推進のテーマのひとつとして「西の伊勢参り、東の奥参り」を上げている。
江戸時代から人気を博した「お伊勢参り」は、現在も観光ツアーとして好評に続いている。
昨年は伊勢神宮の式年遷宮年となり、参拝者数は1420万人と過去最高を記録した。
この「西の伊勢参り、東の奥参り」として、東西対比されてきた山形県における「出羽三山(奥参り)」参詣には、山伏修行以来の「死と再生の旅」として山岳信仰の長い歴史がある。
ちょうど、山形県の最上川上流地域で出生し、幾多の苦難変遷を経て、三重県伊勢地方でスーパーチェーンを拡大して成功を納める、NHKドラマ「おしん」の一代おんな人生記に繋がるものである。
舞台背景に最上川と月山(川と山)が見られるのも、山形県ならではの筋立てである。
おしん出生のモデル地とされた「西置賜郡白鷹町栃窪集落」は、中世の山伏時代から出羽三山詣での参詣路の経過地のひとつでもあった。 1971.11集団移転により廃村となった。
県南部(置賜地方)、北越・中部・西国方面からの参詣者が数多く行き来し、宿場利用もあった。
約600年前(応永年間)に開かれたとされる、道智上人による「道智みち(通り)」が著名であるが、道智による開基とされる相応院(白鷹町鮎貝)、長泉寺(大江町荻袋)、さらに伝えられる道智庵(仮住居)3ヶ所の存在(大江町堂屋敷、矢引沢、道知畑)から類推すると、黒鴨-茎の峰峠-萱野-木川-古寺-大井沢コースの(通称される)「道智みち(通り)」は地図上において最短ルートではあるが、登坂時間からすると幾多の集落経由の迂回路(支線路)と、それほど変わりなかったのではないかと思われる。 むしろ(集落経由の方が)安全だったのかも知れない。
昨年、長井市のS氏から、江戸時代の湯殿山道中記(1781年、高山村・佐藤又右衛門)における参詣道経路を伺った。
その執筆記録によると、白鷹町-(朝日町)立木-荒沢越-十郎畑-(道海・沢口)-青柳-南叉-(道知畑)下峠-大井沢(中村)-志津となっていた。 
実に二山越え(荒沢峠・下峠)、さらに志津までの最終登坂を含む、約30キロの道のりを一日で踏破しているのである。 未明出立で夜半到着としても、驚きの健脚と言わざるを得ない。
道智上人は、大井沢大日寺の住僧として複数寺院の開基、複数の参詣道の開削、(参詣道沿い)集落の開発を進め、最晩年に最短経路(所謂「道智みち」本線)を築いて(1427年)入滅されたのであろう。
昨年来、(立木から)荒沢越えルートを通ってみたいと考えていたものだが、昨年夏の大雨による土砂崩れなどで完走できないでいる。
好天の先日、(大江町)道海の方から行けるところまででもしかたないかと、足を延ばしてみた。
あいにく時間がなく途中で折り返したのだが、道海の(旧参詣)道路に面して、故鈴木俊一東京都知事の生家跡地がある。
将来においても不世出の傑人でもあり、「故鈴木俊一東京都知事の生家跡地」の記念碑でもあればと思いながら集落を後にした。
三山神社本殿に参拝するだけでなく、いにしえの参詣ルート(旧道・古道)を辿るのも、先人の歴史に触れることで言葉にならない時代の懐かしさを感じてしまう。
山形DCを一過性のものにすることなく、文化庁が推奨する「文化遺産を活かした地域活性化事業」の活用をも目指したいものだ。
阿信県行旅、山形DC開始で、おしんが導く「西の伊勢参り、東の奥参り」の一考。

追記、道海(鈴木俊一都知事)から沢口にでると、現山形県知事・吉村美栄子さんの(鈴木)旧家跡を通ることになる。
(仮称ルート)山形と東京を結ぶ「知事通り」とでも名乗って、なんとか過疎地対策として活かせないものか、美栄子さん!。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする