山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

防衛問題を忌避してきた康夫首相の“防衛省改革”の信頼度は?

2008-03-24 12:10:20 | Weblog
福田首相は、防衛大学校の卒業式に出席し、「防衛省、自衛隊の喫緊の課題は国民の信頼を取り戻すこと。私は防衛相とともに全力を挙げ改革を実行する決意だ。卒業生は今変わらんとする自衛隊の新たな息吹となって欲しい」と訓示した。
官僚作文の朗読であろうが、これまでの政治家・福田康夫は、防衛に関する問題については、意図して忌避してきたほどの門外漢である。
それが“シレッと”ばかりに、「防衛省改革を実行する決意」などと言い切る様に、“一体、何をどうする気なのか”と危惧を覚える。
ビスマルクの下で参謀総長を務めたモルトケは「能力が無くて意欲のある人間」は、一番始末に困ると述べている。
日銀同様にお任せ財務省の天下り官僚を次官に据えて、占領地並みの組織解体でも目論んでいるのかと、門外漢の腹の中は見えない。
それとも、お得意の「相手が嫌がることはヤリマセン」のヤッさんパフォーマンスに落ち着くのかどうか。
国防に疎い国家のリーダーなど必要条件に欠ける見えない空気のようなものだ。 二度と御免蒙る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷走・自民」と「暴走・民主」の国民不在のチキンレース

2008-03-22 19:42:10 | Weblog
日銀総裁不在の状況を作り出した「迷走・自民」と「暴走・民主」の国民不在の国会承認人事バトル。
福田首相も小沢代表も党内をまとめ切れない統治力不足を露呈させてしまった。
サラリーマン総理の康夫さんについて、リーダーとしての才覚の無さは、いまさらの感があるが、いわゆる側近とか国会対策を練れる近しい政治家すらいない。
議運・国対など汗かく経験を経ないで首相の座についた、「福田赳夫元首相の地盤を継承した長男である」と言うだけの選挙エリート(裸の王様)なのだ。
衛藤征士郎元防衛庁長官が福田側近(?)などとメディア取材を受けているが、最大派閥の清和会で途中入派の一外様議員でしかなく、河野グループを脱会して清和会に入った経緯は、台湾問題で、(当時)媚中の河野洋平外相と副大臣だった親台湾・衛藤のポリシーの違い(中国と台湾の二つの制度問題)であったはずである。
岸・福田両元首相から親台湾の流れを汲み日華系議員を多数抱える町村派では、何故か異端に位置する親中派の康夫さん(?いつ、中国の毒注射を受けたのか)。
衛藤の対応は、側近を自認して内閣改造で閣僚ポストを狙う猟官政治家としか映らないほど、康夫さんの親友たる議員は、本家の町村派内でもいない証なのである。
小沢民主に至っては、代表が口も手も出せないほど、コントロール不在の暴走族車と化している。
財務省が「(小沢側近で大蔵OBの)藤井裕久を通じて民主党内を武藤総裁承認で纏めるから大丈夫」のシグナルを福田に入れたものの、いまの小沢には豪腕統治など出来得ないのが民主党の内実。
ブレーキも踏めずに崖から落ちていくしかない自爆テロのチキンレース様相だ。
国益そっちのけの「自眠・民死」政治屋劇場など国民は見たくもない。
総じて(政界引退で)腹を切れ!!!と言いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“アサヒる”国家=中国=シナリスト宣言=朝日新聞

2008-03-06 20:04:27 | Weblog
産経新聞社が発刊した「小平秘録」が、北京税関から「天安門事件の記述内容に問題あり」として、産経中国総局への引き渡しを拒否、返送された。(昭42)1967.9に(毛沢東による)文化大革命報道を巡り、北京政府は激怒し、サンケイ・毎日・東京の北京特派員に対して国外退去措置を取った。文革は国内政治闘争で、劉少奇が自宅監禁状態となり失脚へと追込まれ、小平は解任観察処分となった時期である。なんと、日本共産党の北京に駐在していた同党代表と「赤旗」特派員も帰国の途についたほどのブラックボックス国家が中国の実態であった。その中で、唯一“アサヒる”を発揮して隷従プロパガンダとなったのが、朝日新聞である。(広岡社長の社命を背に媚中報道を垂れ流した)朝日北京支局長・秋岡家栄は、朝日退職後、「人民日報海外版」日本発行代理人として中国共産党の僕として、引き続き文化大革命を礼賛報道して堂々の隷従宣伝工作に励んだ。容共朝日の中国報道路線には真実・公正・正義など、どこにもない。毛沢東の文化大革命について、毛の死後の、(昭56)1981.6の中共第11期6中全会で、中共自らが「文化大革命を全面否定、反省する歴史決議」を採択したにも係らず、朝日新聞は“アサヒる”を貫いている。冷凍ギョーザ中毒事件で“白を切る”などなんとも思わないのが中共人である。正常な日本人が、中共の走狗として振舞う日本の売国インチキメディアを“アサヒる”と認定するのは至極当然な理解である。言論の自由がない閉鎖国家と胸襟を開いた五分の付き合いなど出来るはずも無い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オザワる」=寝る・サボる・不貞る

2008-03-06 13:12:05 | Weblog
 小沢・民主党が「オザワっている」。
審議拒否を国会用語で「寝る」と言う。登校拒否児童、違法ストの官公労と同じ駄々っこ議員集団が今の民主党の姿だ。
「少なくとも1週間は審議できない」と、審議拒否期間を明示する山岡国対委員長の愚かな弁。
言論の府、良識(?)の参議院多数党が、“寝る・サボる・不貞る”の「オザワる」とは、よくも国民を舐めたものである。
常々思っていることだが、マスコミは「強行採決」と呼称するが“時限採決に踏み切った”と、なぜ正確に語らないのか。
右翼を右翼と書きながら、左翼を“市民”と書くメディアの偏向姿勢そのものである。
民主党は「なんでも反対の旧社会党」と同じく徹底審議も政権担当の能力もないと自ら宣伝しているに過ぎない。
民主党は“朱(社会党左派)と交わって赤くなった”。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「YKK」それぞれの哀れ

2008-03-04 21:20:45 | Weblog
“エロ拓”こと山崎拓元副総裁が、地元・福岡市での新年会で「私は北朝鮮を訪れた経験が二回あり人脈もある。福田康夫首相と連携しながら一肌も二肌も脱ぎたい」と三度目の訪朝の可能性をぶち上げた。これまでの行状から、お得意の「脱ぎたくなる」の言も解からないではないが、KYピエロの加藤紘一とともに「終わった政治家」が、窓の外で必至にしがみ付いている様は哀れに見える。いまや、山拓が北朝鮮に行ったからと言って、加藤が中国・韓国に行ったからと言って、大した政治的意味も為さず、ただ忘れられないように、自らの話題づくりに腐心するだけの愚かなパフォーマンスで、所詮、枯れない権力欲と性欲だけを誇示しているだけに見える。小泉元首相がメディアに久しぶりにでてきた。首相就任時は期待と不安が入交じった中で、されど「小泉になんとか改革前進を」の国民の淡い思いだったが、役職が人間を作るがごとく、いまや、首相退任時より風格が備わり、発言に政局を動かす重みが感じられる。YKKの変人・小泉は大きく成長変身したが、加藤・山崎両人は忘却の凡人ならぬ嫉妬に暮れる哀人として政治史に名を残すのか。山拓は真正保守のリーダーにも成り得た素養があったと思うのだが、“保守とリベラルの岐路”で、結果として、清和会の小泉に対する宏池会の加藤に付いたのが、政治姿勢を狂わしてしまったのだろう。 追記・・ かつて(20年位前になるが)山崎事務所に美人秘書がいた。女優の“とよた真帆”風の女性だったが突然見えなくなった後、「あれは山拓のオンナや!」と耳に入った。真実はどうか判らないが、その後の複数の女性スキャンダルを見れば疑いは真実のように思われる。残念 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武藤日銀副総裁の昇任問題は“角福人事抗争”の再来政局か!

2008-03-04 20:39:02 | Weblog
1998年の改正日銀法で、日銀の独立性が強化された。
3月19日に任期切れを迎える福井日銀総裁の後任人事は、今後の日本経済の動向を左右するマインドを含んでいる。
参議院選大勝を以って国会同意人事を政局に絡めようとする小沢民主党。
かつて、福田・田中の角福戦争初期時代の昭和49年の大蔵事務次官人事は“角福人事抗争”の様相が見られた。
福田の秘書官経歴のある橋本収主計局長と、角栄が推すとされた高木文雄主税局長の次官争いである。
結果は高木が大蔵次官、橋本は新たに発足した国土庁の初代事務次官として収まった。
このたび、福田の政府与党が遡上に乗せようとしている総裁の最有力候補、武藤敏郎副総裁は、橋本収の女婿になる。
稀にみる粒ぞろいと評された大蔵省昭和41年入省組で次官まで登りつめた財務省が満を持したエースである。
角栄の嫡子とも言える小沢が政局絡みの駆引きに出ているこの総裁人事。
日銀の独立性など何処えやらの「自民(福田)・民主(小沢)」の政局人事抗争に発展している。
どちらにしても、株式市場など日本経済の下落につながることだけは避けてもらいたいものだ。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「明日への遺言」の岡田資中将と安浦刑事のキャラクター

2008-03-02 15:35:24 | Weblog
劇場映画をほとんど観なくなり、ましてや封切り日に映画館に行ったことなど、過去を辿っても、あったのか確かな記憶はない。
昨日(3.1)、小雪舞う中、「明日への遺言」を観に山形フォーラムに行った。
黒澤組スタッフが集結との前宣伝もあり期待して観入った。
秀作映画と言うことだろうが、なにより部下を守り、全責任を1人で背負おうと軍事裁判を戦った日本陸軍・岡田資中将の、人間の誇りと尊厳を貫いた“法戦物語(法廷闘争)”の映画製作に至ったことに感謝したい。
評論家ではないが、感想を述べると、ナレーターは何とも頂けなかった。
(入りのトーンで)冒頭数秒のナレーションだけで、「明日への遺言」に期待した重厚さが失われた軽さを感じてしまった。
もっと低音の韻を踏み、語間に微妙な間の取れる手馴れたプロを起用していれば、映画全体のメッセージがもっと深く感じ取れたように思う。
家族間の限られた僅かなセリフ「本望である」の前後にも感情表現の間が欲しかった。
また、どうしても、岡田中将役の“藤田まこと”の固定キャラとして、「安浦刑事」の人情味溢れる優しさと、撫で肩姿勢が重なり合い、“法戦”に挑む軍人岡田資中将の頑強さが、“ヤッっさん”の優しさに圧倒されている感が拭えない。
法廷に立つ岡田中将を傍聴席に座ったまま黙って見守る妻温子役・富司純子の、ほとんどセリフの無い中での難しい感情表現の演技には、さすがに惹かれた。
岡田中将は戦後、敗戦で占領軍に阿り、責任逃れに奔走する多くの日本人(軍人)の様相に、苦言を呈している。
そんな中で、我こそはと「法戦」に挑んだ姿勢は、独立自尊、平和は与えられるものでなく「平和は能動的に作っていくもので、自身の行動に誤り無し」とする誇れる日本軍人の強さを、最後まで失わなかった泰然の現れであったと想像するのだが。
原作の大岡昇平の書名が「ながい旅」ながら、仏僧に「隣に行くみたいだよ」の言葉を残し、“十三階段”に向うエンディングがなんとも脳裏に刻ませるシーンだった。
セリフもシーンも少ないだけに、役者にとっては難しい芝居が要求される映画と言える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする