山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

ピンハネ管理会社「日本ハウズイング」の狡猾な仕込み手口。

2019-03-17 16:43:22 | Weblog
ピンハネ管理会社「日本ハウズイング」の狡猾な仕込み手口。

マンションのエレベーターは、竣工時から三菱EVでメンテナンスも三菱ビルテクノサービスが行ってきた。

現在も、毎月のメンテは三菱ビルテクノサービスが行っているのだが、昨年の8月から、間に「日本ハウズイング」が入ってきた。

この取り入り方が、ピンハネ「日本ハウズイング」の戦術なのだろう。

『三菱サイドからの申し出で、同一金額で「ハウズ」との契約内容に含めたい。』、と理事会に切り出す。

何も知らない70~80代の年金生活者の理事は、同一金額ならばと、軽く了承した。(理事会の原本には、確かに発言経緯が記載されている)
 
ところが、管内掲示される(要約された)理事会報告書なる書面にはEV案件は割愛されていて、掲示文を見る組合員はまったく知る由もない。 読むのもどれほどいるものか。

直後の総会の時に、人件費の負担が増えているので、EVメンテの増額を議題に出してくるのである。
 
多くは議長への委任状で、ハウズと通じた役員との策謀で、ピンハネ工作が決まっていくのである。

ブログ子も、後々の議事録照会で、はじめて経緯を知ることになる。

二重帳簿ならぬ、二重議事録を使った狡猾なピンハネ工作。

議事録照会請求など、ほとんどしない組合事情の現実を悪用した、悪徳「日本ハウズイング」のピンハネ手口がまかり通る。

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新元号・御代替わりで、あらためて日本人であることに感じ入る。

2019-03-17 15:24:59 | Weblog
新元号・御代替わりで、あらためて日本人であることに感じ入る。

これまでの人生で、左翼の時流を感じる時節はあったが、風の中に入ることはなかった。

修学旅行は、関西(京都・奈良)方面であったが、旅行先でも(運動部で)早朝トレーニングに励んで、日中は眠り込んでいたので、神社仏閣を観覧したが深い記憶はない。

年を重ねるに、地方は過疎化、限界集落、廃村になったところが、半世紀前ごろから現れた。

昨今は、少子化による人口減少から、学び舎の統廃合が進み、集落形成の歴史が消えようとしている。

そのような時、自らのルーツ探求を始めたのだが、父母方双方、親戚筋を辿って見ると、すぐに県外から全国に及んでいく。

苗字、地名から追ってゆくと、いにしえの移住ルートに関心が及ぶ。

そこには、鎮守の社を祀り、集落形成が進んでいったものだろう。

大和政権(藤原王朝)から、全国統治への武家政治時代が到来する。

母方の実家が、名字帯刀を許され、(秀郷流)藤原姓を名乗っていたことを知った。

神話の欠史八代を語る向きもあるが、1400有余年を天皇家系で語れることは世界に誇れるものだろう。

日本人は、どこかで天皇家の外孫に繋がっているのだろうと、新元号・御代替わりにあたり感じている。




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日韓外交は、130余年前の福沢諭吉の「脱亜論」に学ぶべし!!。

2019-03-17 13:37:37 | Weblog
日韓外交は、福沢諭吉の「脱亜論」に学ぶべし!!。

文在寅韓国大統領政権の振舞いには、怒りを通して呆れ果てている。

先日の某紙編集委員の「文政権が代われば、韓国は三か月で変わる。」と言い切った講演での発言には賛同しかねるものだ。

なにより、今日の韓国の対日外交戦略は、「1919.3.1独立運動」を掲げているが如く、百年前の左翼勢力による戦略思想が根底に繋がっている。

この「1919.3.1独立運動」は、ロシア革命(1917年)に端を発する共産主義者による世界共産革命への一里塚の中にあるものだ。

大東亜戦争を挟みながらも、ロシア、中国、北朝鮮に与する勢力と、自由資本主義勢力とのせめぎ合いのはざ間にあったのが韓国であり、

1965年の日韓条約締結に反対した親北勢力が、半世紀を掛けて手にした待望の「文在寅政権」は、北朝鮮・金王朝の亜流政権と言えよう。

日本でも条約に反対した、親北政党の社会党、共産党などがいたが、その係累を率いている後継勢力が、いま「文在寅政権」の横暴にも、沈黙や宥和発言に甘んじているのは、文政権が左傾化した金亜流政権の到来であることを、よく表している。

福沢諭吉は、日本の明治維新に倣い、欧米諸国に対抗できる東亜地域実現を願い、朝鮮半島から慶応義塾に留学生を受け入れたが、期待に答えられない朝鮮人と感じた諭吉は、「脱亜論」を説いた。

福沢の「脱亜論(1885.2)」から、130余年経過となるが、変わらない朝鮮人心。

日韓外交再建には、あらためて、福沢諭吉の「脱亜論」に学び、焦らず、急がず、一から考え直す時であろう!!。



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