民進党の蓮舫代表代行は6日、高松市での記者会見で、日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」疑惑について、「いまなお確認が取れない」と述べ、6日に台湾当局に対し、現在も台湾籍があるか確認手続きを取り、同時に台湾籍を放棄する書類を提出したことを明らかにした。 台湾籍が残っていた可能性は完全に否定しきれなくなり、出馬した党代表選(15日投開票)にも大きな影響を与えそうだ。
蓮舫氏は会見で「昭和60年1月21日に日本国籍を取得し、合わせて台湾籍を放棄を宣言した」と説明した。 手続きは、台湾の大使館的な役割を担う台北駐日経済文化代表処(東京都港区)で台湾人の父と行ったという。 ただ、「(台湾当局者と)台湾語でやりとりが行われ、どういう作業が行われたのかまったく覚えていない」としている。
蓮舫氏は当時17歳。 台湾の「国籍法」11条によれば、自己の意志で国籍を喪失できる条件を「満20歳」と規定しており、この時点では台湾籍を除籍できなかった可能性がある。
蓮舫氏の関係者は6日、台北駐日経済文化代表処を訪れ、台湾籍が残っているか確認を求めた。 同日に除籍を申請したのは、今でも台湾籍が残っているか確証が持てないための措置とみられる。
以上は、本日(9.6夕)のメディア報道であるが、問いたいことは、「蓮舫の二重国籍問題」は少なくとも、3ヶ月ほど前からネット空間などで広く流れていたことである。
とくに、6月15日の舛添要一東京都知事が辞意を表明した直後からは、ポスト舛添の有力候補として報道され、合せて「蓮舫の二重国籍問題」は色々な媒体で疑問視されて来ている。
にも係わらず、これまでに(台湾関係当局への)確認作業を行って来なかったことは、蓮舫議員のみならず、推薦支持議員、民進党本部(代表選関係)に問題視する、国籍に対する意識のなさを露呈してしまった。
蓮舫は、自身の選挙公報では1985年に国籍離脱としながら、1997年の雑誌「クレア」では台湾籍と語り、現在は国籍離脱時期が不明という回答をしている。
蓮舫が台湾籍の放棄手続きを行ったとする1985年前後の台湾政府官報(総統府公報、内政部中華民国国籍喪失一覧表)に、蓮舫の「国籍喪失公示」の記載は見当たらない。
2013年まで蓮舫議員(2004年7月参議院議員)の公式ホームページに「台湾から帰化」と記載されていたが、その後削除された。 (9.6)国籍放棄申請日まで、台湾の(失効)パスポートはしっかりと所持していた。
民進党が、これからも日本におけるマトモな政党として存在すべきと考えるならば、この「蓮舫の二重国籍問題」を機会に、懸念される同様な帰化議員等についても確認作業を行い公表されることが望まれる。
国政選挙の立候補届出書類に加え、怪しげな反日議員に対して、「二重国籍疑惑」を解消する証明書の提出(公表)を義務化すべきだ。 (帰化国会議員が、野党中心に約一割強(80人ほど)いると言われる)
国会議員の経歴詐称は禁固2年以下、又は30万円以下の罰金。 公職選挙法違反(虚偽事項公表罪)、国籍法違反・・・・・に問われ、議員資格を失う可能性もある。
(追記)
1993.3.16・朝日新聞夕刊、(蓮舫は)「在日の中国国籍の者として、アジアからの視点にこだわりたい。」と語る、テレビ朝日「ニュースステーションEYE」4月改編の新キャスター紹介記事。
1997年2月号・雑誌CREA(クレア)誌上の特集「母に、なる。(蓮舫の在北京的妊娠生活)」で、「(中国人の父と日本人の母との間に生まれた。 父のいた(中国)大陸を一度この目で見てみたいと北京留学した)自分の国籍は台湾です。」と発言。 北京大学留学中に双子を妊娠、男の子が琳(りん)君。女の子が翠蘭(すいらん)ちゃんと中国系の命名。
2010年8月の中国国内線機内誌『飛越』に、蓮舫のインタビュー記事「蓮舫は、日本の未来の首相?。」の見出し掲載され、蓮舫は「子供の時から日本で学んだが、ずっと台湾の“中華民国国籍”を保持している」、「自分のルーツは華人だ。 双子にも華裔を忘れずにと教えてる。 だから何回も中国(本土)を探訪する」と語っている。 (台湾籍の中国人であることを強調している)
民進党代表選挙の投票日である15日までに、二重国籍が解消(9.6台湾籍放棄申請、(決裁)後に台湾政府の官報公示)される見通しはない。
蓮舫自身の代表選辞退がなければ、民進党の選管において、違法状態(容認)のまま民進党代表に選出されることが考えられる。
経歴詐称は、官庁でも民間企業でも解雇理由(軽犯罪法違反)になる場合があるのだが・・・・。
(トンデモ民進党) うそつきボロボロ・・・・・。 中国人的には、国民に対して「そんなの関係な~い」の傲慢な態度で押し通すつもりなのか。
蓮舫は、(高野家親子2代(実・孟)に亘る中国共産党手配分子の)高野孟がリクルートした、永田町潜入の対日政治工作員であることが検めて明白となった。
蓮舫氏は会見で「昭和60年1月21日に日本国籍を取得し、合わせて台湾籍を放棄を宣言した」と説明した。 手続きは、台湾の大使館的な役割を担う台北駐日経済文化代表処(東京都港区)で台湾人の父と行ったという。 ただ、「(台湾当局者と)台湾語でやりとりが行われ、どういう作業が行われたのかまったく覚えていない」としている。
蓮舫氏は当時17歳。 台湾の「国籍法」11条によれば、自己の意志で国籍を喪失できる条件を「満20歳」と規定しており、この時点では台湾籍を除籍できなかった可能性がある。
蓮舫氏の関係者は6日、台北駐日経済文化代表処を訪れ、台湾籍が残っているか確認を求めた。 同日に除籍を申請したのは、今でも台湾籍が残っているか確証が持てないための措置とみられる。
以上は、本日(9.6夕)のメディア報道であるが、問いたいことは、「蓮舫の二重国籍問題」は少なくとも、3ヶ月ほど前からネット空間などで広く流れていたことである。
とくに、6月15日の舛添要一東京都知事が辞意を表明した直後からは、ポスト舛添の有力候補として報道され、合せて「蓮舫の二重国籍問題」は色々な媒体で疑問視されて来ている。
にも係わらず、これまでに(台湾関係当局への)確認作業を行って来なかったことは、蓮舫議員のみならず、推薦支持議員、民進党本部(代表選関係)に問題視する、国籍に対する意識のなさを露呈してしまった。
蓮舫は、自身の選挙公報では1985年に国籍離脱としながら、1997年の雑誌「クレア」では台湾籍と語り、現在は国籍離脱時期が不明という回答をしている。
蓮舫が台湾籍の放棄手続きを行ったとする1985年前後の台湾政府官報(総統府公報、内政部中華民国国籍喪失一覧表)に、蓮舫の「国籍喪失公示」の記載は見当たらない。
2013年まで蓮舫議員(2004年7月参議院議員)の公式ホームページに「台湾から帰化」と記載されていたが、その後削除された。 (9.6)国籍放棄申請日まで、台湾の(失効)パスポートはしっかりと所持していた。
民進党が、これからも日本におけるマトモな政党として存在すべきと考えるならば、この「蓮舫の二重国籍問題」を機会に、懸念される同様な帰化議員等についても確認作業を行い公表されることが望まれる。
国政選挙の立候補届出書類に加え、怪しげな反日議員に対して、「二重国籍疑惑」を解消する証明書の提出(公表)を義務化すべきだ。 (帰化国会議員が、野党中心に約一割強(80人ほど)いると言われる)
国会議員の経歴詐称は禁固2年以下、又は30万円以下の罰金。 公職選挙法違反(虚偽事項公表罪)、国籍法違反・・・・・に問われ、議員資格を失う可能性もある。
(追記)
1993.3.16・朝日新聞夕刊、(蓮舫は)「在日の中国国籍の者として、アジアからの視点にこだわりたい。」と語る、テレビ朝日「ニュースステーションEYE」4月改編の新キャスター紹介記事。
1997年2月号・雑誌CREA(クレア)誌上の特集「母に、なる。(蓮舫の在北京的妊娠生活)」で、「(中国人の父と日本人の母との間に生まれた。 父のいた(中国)大陸を一度この目で見てみたいと北京留学した)自分の国籍は台湾です。」と発言。 北京大学留学中に双子を妊娠、男の子が琳(りん)君。女の子が翠蘭(すいらん)ちゃんと中国系の命名。
2010年8月の中国国内線機内誌『飛越』に、蓮舫のインタビュー記事「蓮舫は、日本の未来の首相?。」の見出し掲載され、蓮舫は「子供の時から日本で学んだが、ずっと台湾の“中華民国国籍”を保持している」、「自分のルーツは華人だ。 双子にも華裔を忘れずにと教えてる。 だから何回も中国(本土)を探訪する」と語っている。 (台湾籍の中国人であることを強調している)
民進党代表選挙の投票日である15日までに、二重国籍が解消(9.6台湾籍放棄申請、(決裁)後に台湾政府の官報公示)される見通しはない。
蓮舫自身の代表選辞退がなければ、民進党の選管において、違法状態(容認)のまま民進党代表に選出されることが考えられる。
経歴詐称は、官庁でも民間企業でも解雇理由(軽犯罪法違反)になる場合があるのだが・・・・。
(トンデモ民進党) うそつきボロボロ・・・・・。 中国人的には、国民に対して「そんなの関係な~い」の傲慢な態度で押し通すつもりなのか。
蓮舫は、(高野家親子2代(実・孟)に亘る中国共産党手配分子の)高野孟がリクルートした、永田町潜入の対日政治工作員であることが検めて明白となった。