山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

阿信県行旅、1.31冬の銀山温泉に立ち寄り、「大正ロマン」の異空間を感じとる。

2013-01-31 21:02:40 | Weblog

    冬の銀山温泉(尾花沢市)

1.31、午後に北支庁幹部とアポを取っていた。
天候も落ち着き快晴含みであったので、午前の時間を使って冬の銀山温泉見たさに車を走らせた。
30年前のNHK「おしん」銀山ロケは(1983)1月22・23に行われていたので、(一週間ほど遅れではあるが)積雪状態は同じ頃であろうとの思いからである。
周辺の積雪は1~1.5m位で雪中での生活を経験しているものには大したことでは無い。
温泉街に徒歩で下り、大正ロマンを感じさせる温泉街が目に入ると、「ああ、ここが銀山温泉の光景なんだ!」とパンフなどで目にするものと同一する感動の瞬間となる。
冬季の日中であるだろうから、温泉客風情はまったく見えない。
温泉旅館の従業員と思しき達が好天を機会と捉え雪降ろしに精出している様がいくつか見られた。
わずかな範囲ではあるが、「大正ロマン」の異空間を感じてしまうのがよく解かる。
ちょうど中間ほどの右手に、藤ジニーさんで博した「藤屋」があった。
温泉の歩行者もほとんどなく、温泉街真ん中で看板も無く室内の明かりも見えなく、閉店休業でもしたのだろうかと思ってしまう建築物が「藤屋」であった。
高名な建築家の自然素材を使い新旧融合の建築美と評されたものであるが、温泉街との融合接点を持たせるために苦労された節は素人にも解かる。
が、温泉街全体を眺められる離れた高い位置に建築されたほうがさらに素晴らしいものになったのではと思わずにいられない。
せっかくの高級感溢れるリニューアルが(2010.3)民事再生法申請に至ったことを考えると、1983NHK「おしん」がテーマ警告した「身のほど」を忘れた行為であったものと重なって見えてしまう。
藤ジニーさんの著書「ニッポン人には日本が足りない」がある。
山形県活性化を唱えるブログ子からすれば「山形県人は『おしん』理解が足りない」と痛切に感じる。
「灯台下暗し」感覚を反転させなければ、県土発展に望みは見えてこない。
橋田壽賀子はロケハンで初めて銀山温泉を訪れていることを披歴している。
橋田の事前滞在、知見はなく脚本執筆過程の全体構想(NHK制作サイドとのシナリオハンティング)のなかで、設定されたのが「銀山温泉ロケ」と言うことになる。
山形県は4地域構成の集合県である。
置賜(白鷹町栃窪)・村山(大江町左沢)・最上(尾花沢市銀山温泉)・庄内(酒田の加賀屋)と山形県内を横断完結する最上川伝いのストーリー構成となっている。
好天を目にして冬の銀山温泉をウオッチャーすべく急遽走ったものだが、偶然にも旧知のA支配人と帰りの温泉坂道でバッタリの対面。
10年以上ぶりの面対で、思案の「おしん(阿信)プロジェクト」の祈幸運が届いたものかと、勝手陽気の一日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢一郎の「パー戦術」を知らなかった嘉田滋賀県知事のルーピー度

2013-01-27 20:16:19 | Weblog
1.25、小沢一郎は、生活の党結党大会で党代表に就任した。
元来、表面が不得手で影で操る役回りを得てとして、「(担ぐ)神輿は軽くてパーがいい」が権力奪取の基本信条にある。
細川護煕、鳩山由紀夫など世間知らずのバカボン(パー)を担ぐ体勢で政権獲得してきた。
先般の総選挙対策「パー戦術」の対象にされたのが、嘉田由紀子滋賀県知事である。
およそ、永田町周辺関係者であれば小沢一郎の過去からの人物評を知らぬものはいない。
地方政治家であっても普通の情報知識が得られれば、個別政策以前の問題として小沢一郎なる政治家人物評は入るものであろう。
ダメディアは、よく「古い自民党」なる呼称をするが、それこそ金権による数の支配を全面展開とした「田中角栄政治」そのもので、その直系嫡子こそ小沢一郎である。
(1993.6)小沢が自民党離党したことで田中支配体制の第一次党内改革となり、(竹下・金丸の引退、経世会弱体化の)2001.4小泉純一郎(清和会政権)誕生で、自民党は(1972.7)田中政権以来30年ぶりの田中支配体制から大きく転換期を迎えたのである。
さらに言えることは、田中支配期こそ対中外交における媚中一元姿勢そのものであったと言える。
国益を一義に対峙することは当然の外交姿勢で在り、最初から揉み手てでは正常な外交などあり得ない。
外交自主権の基本姿勢が取られてきたのも、脱田中といつにする。小沢一郎の政治信条は金に明かせた数の論理(全て)が基本にある。
そして表看板に「軽いパー」を充てるのが政治権力への近道戦術だと考えている。
小沢一郎の「パー戦術」を知らなかった嘉田滋賀県知事のルーピー度は如何ほどか。さらに滋賀県民の「?度」は如何に、が問われる。
イチローは夏の参議院選挙に向けて「新たなパー捜し」を見据えている。
自民党時代に右派と見られてきた小沢が、いまや社民党など左翼系団体に食指を伸ばしているのを見ると、それだけで政治家の信条なるもののいい加減さを見る思いだ。
国民有権者の確かな慧眼が問われる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日新聞は若宮啓文主筆の退職でも論調変わらずに、反面教師を貫いて最後の死に様を見せて欲しい。

2013-01-24 16:05:59 | Weblog
朝日新聞は若宮啓文主筆の退職(1.16)でも論調変わらずに、反面教師を貫いて最後の死に様を見せて欲しい。
いまさら主筆が退職したからといって(反日)編集方針を変えるようでは、歴史上に貴重な教訓として残せない。
反日煽動工作の責任所在と愚かさが後世代にも解かるように貫くことを望む。
決して一部の記者、編集者責任に終わらせることなく、朝日新聞に在社歴ある全社員が共有してきた赤化革命の煽動共犯者として語り継がなければならない。
敗戦後の身乞う変節者の如く振舞う醜態は、武士道精神を理解できる真の日本人ではない。
それこそ「反日の特亜半島人筋だったのか!」、と蔑まされるばかりである。
(社会主義陣営)ソ中朝半島の工作機関紙として工作活動を最後まで遂行することが、朝日工作員としての潔さでもあろうに。
なによりも一時の変節(反省)だけでは、拭えようのないほどの国家転覆犯罪につながる破壊工作を多数誘発させてきた(1985年からのスパイ活動防止法阻止運動を通じて、法案反対に導いた河野洋平(当時新自ク)、谷垣禎一を自民党総裁にまで送り込んだのは、朝鮮総連なみの見事さである。
防止法を阻止しながら洗脳スパイを敵陣のトップに据えるとはアッパレ脱帽、あんたが(スパイ)大賞だ!)。
数百万読者の精神破壊、赤化工作は実に見事ではなかったか(現在も進行中)。虚偽報道を誤報と言い繕い平気で(確信犯)反復報道を繰り返すなど、生まれたときから「誤ったら、謝罪、反省せよ」と厳しく躾られている日本人であったならとてもできないことだ。
特亜大陸半島人のDNA無しでは、とても理解できない行動形式であろう。
朝日新聞系を「(日本)国を売るメディアだ!」などと同じ立ち位置として見るから理解不能になる。
朝日は「特亜指令の特亜人による日本工作機関紙」と単純理解すればいいのだと、多くの日本人は最近になってやっと気がついたようである。
若宮啓文主筆の退職でも変わらないまま、消滅(倒産)するまで、特亜密命の社是遂行(安倍打倒より上位社是)としての反日煽動工作を続けて貰いたい。
恥を知る日本人の身の処し方は古来からあるが、特亜系朝日人には、とても理解できるものではないだろうから。
いつか革命同士達が築地に墓標を建立して、ゾルゲのように永く語り継いでくれるだろう。
煽動院偏声朝語文支順居士、合掌。
  追記、山形県には大朝日、小朝日、西朝日・・・などと朝日連峰山脈群がある。
反日左翼ウイルスは、同様に感染メディア連峰を形成している。大朝日一社に止まらないことを注視しなければならない。
赤化感染症にくれぐれもご注意あれ。山形県(の保守派)も中朝代理人の加藤紘一をやっと落選させることができた。
決して加藤個人だけを揶揄批判する記憶などではないのだが。ブログ子が20年ほど前に不明のままに係わった(と思われる)間接案件があり、公安関係者にも当時の経緯を話したことがある。それほどにスパイ活動は日常継続的に行われているのが現状ではないのか。危険がイッパイ、ニハイ・・・満杯。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

参院選公募、オイオイ「子ども国会」選びかよ!

2013-01-22 03:47:15 | Weblog
半年後に控える参院選公募選考の会合が進行している。
勇気ある応募者に敬意を表するものの、『オイオイ「子ども国会」選びかよ!』の感がする。
チルドレン、ガールズ、ベイビーズと揶揄される今日の政治家志望連。
所詮、採決要員の員数合わせと割り切ればよいのだろうが、なんとも心もとない。
これも積年の愚民幼稚化の成れの果てと諦めればいいのだが、長年、周辺人の立場で接してきたものとしてお粗末さを感じてしまう。
人材はたくさんいるはずなのだが、控えめな県民性と盛り立て役不在から、原石も埋もれたままになっている。
20年ほど前の在京時になるが、H編集部長に郷土出身官僚の紹介取材をしたらと進言し、キャリア官僚の仕事ぶりを連載したことがある。
Hはこれで社長賞を貰ったと喜び、(?お礼の)誘いをうけて銀座の寿司屋で一献傾けたことがある。
さらに出身経済人の紹介連載と続き、県民にも知らせる機会となった。
在京の山形県人会は全国に誇れるほどの組織力を博している。
親睦融和では他に類を見ないのだが、有為な人材発掘の機能は果していない。
ほどなく帰郷することになり、さらなる狙いを進めることはできなかったのだが、在京の本県出身官僚・財界人と県内市町村長(議会代表の議長)、県内財界代表などとの顔合わせ懇親会を定例(年に一度でも)として行えば、人材発掘の機会になるだろうと考えていた。
もっとも鳩山由紀夫のように「東大出の社会バカ」もいるから、キャリアだけで適任とは限らないが人材の宝庫のひとつではある。
生の情報収集にも役立つ。他県ではこのような接遇の会合を持っているところがあり、人材発掘、地元経済人による盛り立てが行われている。
以外なのは市町村長がわが町(出身在京)の有為な人材把握ができていないのが現状である。
旅費を使いながらお定まりの日程で陳情書を差し上げてくるだけの御登りさんである。
自民党県連ですら国政選挙が近づいてから公募するやら、どうするかなどと毎度毎度の子ども会議なみである。
県内高校の同窓会名簿を入手、同級生聴取など行いながら有為と思われる人材把握をデータベースとして、常時持ち合わせするぐらいなことができないものかと呆れてしまう。
一村一品運動ではないが、市町村ごとに挙げてもらえば、50や100の適齢期な人材把握など容易なはずである。
デフレ低成長の気付かないところで烈しい県間競争が行われている。お人好し県民性では遅れを取ってしまう。
『参院選公募、オイオイ「子ども国会」選びかよ!』での一考。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が、「おしん」に魅せられた、もう一つの大きな理由とは!。

2013-01-21 15:52:52 | Weblog

  龍神伝説が伝承される、大沼 (西村山郡西川町沼山)
私が、「おしん」に魅せられた、もう一つの理由とは!。   知り合いにA紙のK記者がいる(現本社論説委員)。
14年前のことになるが、K記者と会った際に、「先頃、脚本家・橋田壽賀子女史に取材した。」と言う。
話を聞きながら、取材メモから話題が進んだ。
橋田が、終戦直後(1945年10月頃)に、約一ヶ月ほど山形県に疎開したときの記憶違いを解き明かしたとされる。
疎開の滞在先が西村山郡大江町左沢との記憶が、実際は隣町の西川町間沢であったこと。 (そのことから、NHKは大江町左沢を前提にシナリオハンティングに入った)
最上川だと(記憶)されたのが、西川町沼山の大沼(長沼)であった記憶違いにあることなど興味を引くものであった(西川町は最上川支流の寒河江川)。
西川町大井沢はロケ地のひとつで、(泉ピン子の)堕胎入水シーンなどが寒河江川上流で撮影された。
K記者の取材過程で、橋田の50年余の前の微かな(真実の)記憶を呼び起こしたのだ。
(1983年)朝ドラ「おしん」放映から16年余経過してブームも去り、忘れかけた頃の20世紀を振り返る社会変遷の世紀末取材だったようである。
A紙面に掲載された取材記文はほんのわずかだが、余りある「おしん」執筆のエピソード、橋田の身上書的なものについても関心を持たずにはいられなかった。
そのなかでブログ子個人として魅せられたのは、(沼である)大沼を大河最上川と記憶違いしてきたことである。
半世紀も前の、わずか一ヶ月ほどの初征疎開先での微かな記憶のなかであるから、誤りがあっても至極当然なことでもある。
実は、この大沼(西川町沼山)を舞台とする地元伝わる龍神伝説として、母の実家(菊地家の先祖伝説)に伝わる「雨池藤五郎伝説」なるものがある。
1596年(慶長元)に先祖菊池藤五郎が、大沼を荒らし回る大蛇の目を矢で狙い打ち退治して、下流域が水利に恵まれることになったと語り継がれてきているのだ。
地元の歴史書にも伝承説として記されてきている。
さらには、藤五郎の祖先を遡ると、940年「平将門の乱」に出てくる琵琶湖で大ムカデを退治した伝説の藤原秀郷(俵藤太)であると、実しやかに関連歴史書に載っているものだから、末裔の一人に擬されるものとしては心中穏やかではない。
藤原秀郷から1100年余の流れを、山形在の今日までつながっているなどとは信じられようないことであるが、伝承説記載の末端にあることは事実のようである。
明治時代の建立であるが、母の実家(寒河江市松川)には伝説碑もある。 (ブログ子は実家の初孫で、ここから寒河江高校に通った)
橋田壽賀子女史が、最上川と記憶違いされた大沼(西川町沼山)がK氏取材で明らかにされ、ブログ子が「おしん」に魅せられ深入りするに至ったもう一つの大きな私的な理由である。
K記者との「おしん(橋田取材)」談から14年余り、「おしん」を私的関心の中で追い続けてきた。
なによりも「おしん」世代を忠実に投影する20世紀の史実に深い関心を以って、自らの歴史観を自分責任で見つめようとしている。
あれは何時だったかとか、あの本の何処に記載していたかなど、記憶力の悪い者と自認している。
だからこそ、パソコンを得てから気になることをメモすることにした。
いまでは1900ページになんなんとする。朝起きてからメールチェック、ネットで新聞各紙閲覧、雑誌・書籍などで気になる項目メモを記入する。
気になるキーワードは検索してメモとして残す。  年内には2000ページに近づくことになるだろう。
私的な、終わりの無い関心事に「おしん」探究テーマがある。
自称「山形阿信研究会」代表を名乗るおしんマニアの「山形の森」です。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK朝ドラ「おしん」、30年前の山形ロケ(1983.1.18~25)

2013-01-21 11:33:37 | Weblog

    白鷹町の旧栃窪集落、廃村前の1960年代撮影

NHK朝ドラ「おしん」の山形ロケは、ちょうど30年前の今頃(1983.1.18~25)に行われた。
雪中ロケは「おしんの生家」とされた中山町大字岩谷に始まり、大江町左沢の筏下り、西川町大井沢、尾花沢市銀山温泉、酒田市などの順で約一週間ほどに亘った。
が、おしん出生のモデル地域は西置賜郡白鷹町の旧栃窪集落とされている。
おしんが三重県伊勢を発ち、山形・銀山温泉「銀山館」に辿りつくのは(ドラマ上で1983.3.15)夕刻のことである。
翌16日に、タクシーを貸切って、孫の圭を伴い出生地を目指す。  乙羽おしんが、最上川に架かる吊り橋(大平橋・白鷹町大滝)から懐かしみ上流を見つめるシーンがある。
この場面右手(左岸)に見える山向こう側に旧栃窪村があった。
この栃窪集落(当時38戸)は、1971年11月に(白鷹)町中央部に集団移転をして廃村となった。
最盛期には57戸の時があり、旅館・商店もあった。
ドラマ上でおしんが学びたかった学校(1892年開校の栃窪尋常小学校、廃村で閉校時・鮎貝小学校栃窪分校)もあり、1889年の市町村制施行(合併で鮎貝村)までは、栃窪村としての行政単位を誇っていた。
廃村からロケ時までの12年余経過のなかで、残存民家は朽果てて撮影に供する対象物が無くなっていたものだろう。
それらのことから「生家」とするロケは、中山町大字岩谷での撮影となったようである(所有者のSさんによると、撮影後5年ぐらいで(積雪などで)自然倒壊したとのこと)。
また、ロケ隊の懸念とされたのが、雪中期的に降雪状況で撮影困難な場所では立ち行かないことだったと述べている(岡本PD)。
昨年秋に栃窪を訪れてみたが、普段に除雪してない廃村での冬季ロケは無理であろうと思えた。
橋田の「おしん」脚本コンセプトとして、(川の)最上川と(山の)月山があり、泉ピン子扮する母ふじが真冬の川に入水し、堕胎しようとするシーンがある。
この設定地として、月山を真正面に眺望でき、寒河江川が流れる西川町大井沢をロケ地としたものである(栃窪・岩谷から月山は見えない)。
ロケ隊が宿泊した旅館の女主人から、後日談として直接聞いたものだが、(NHK側の要請で)お風呂を緊急増設したとのことだった。
雪中山形ロケは一週間ほどで終了したが、(1983)3月に第2次の庄内ロケが行われている。
田中おしんとなり(T5、1916.7)、加賀屋の奉公から暇をいただいて、肺結核で死期を迎える姉はるを看取る。
父作造により新たな奉公先として、山形の料理屋の座敷女中に売られようとするが、姉はるの遺言を頼りに東京(浅草での髪結奉公)への出奔を決意する。
長井線が、まだ長井駅までしか開通していないときである。
おしんは口入れ屋から逃れて、栃窪から長井駅までの約15K超の道のりを歩いて列車に駆け込んだことになる。
シナリオ(1922.12)で母ふじが、長男雄の出産を控えて上京するシーンがある。
実際、この年12月11日(月曜)に長井線は長井~鮎貝間が開通(鮎貝駅開業)となる。
シナリオでは触れていないが、母ふじは鮎貝までの開通を待ち、初孫誕生に喜び勇んで上京したものであろう。
年明けの(1923)1.14、(おしんは)長男雄を出産。  三高・京都帝大と進学する雄だが、1944.9に出征し、(1945.4.18)フィリピン・ルソン島で戦死することになる。
雄は、1942年に京都帝大文科(経済学部)に入学している。
ブログ子の記憶では、本県の美栄子知事の義父(吉村敏夫さん)も同年入学のはずである。  学徒出陣もされたと聞いたことがある。
フィクションドラマ「おしん」の世界ではあるが、吉村敏夫さんが田之倉雄と京大キャンパスで同級だったことになる。  美栄子さんも知ることはないだろうが。
「おしん」に深く魅せられて15年余りになるが、(勝手ながら)推理読みすると実に面白い。
「おしん」こそ山形の知名度アップの切り札だと考えて、数年来各方面に唱えてきたが反応が鈍い。
それならば、自らヤルッキャないなと、弊社で特許庁の商標取得しちゃいました。関心ある方はお寄せください。090-1495-4008(山形の森)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビがキモイ、AKB族(アカ・カマ・バカ)の氾濫事情

2013-01-21 10:09:02 | Weblog
いまさらではあるが、年末年始のテレビは普段に増してキモイ。
反日左翼系、お笑いバカ軍団、ふざけた幼児性を売り物にするAKB族(アカ・カマ・バカ)の氾濫が目に余る。
気に入った番組でも、出演者にAKB(アカ・カマ・バカ)が目に付くと見る気にもなれない。
純な報道番組以外は、ビデオ取りして休日にまとめて見るようにしている。
CMは当然に飛ばす。バカ番組のスポンサー企業は逆に記憶に残り、買い物をするときにはあえて避けるようになった。
ワイドショーでも左翼系のコメンテーターが出演している番組は避ける。
精神衛生上も知識集約にも百害を感じる。特に最近になってこのような傾向を強く感じるようになった。
思い起こせば、かつて同様な感覚にかられたことがある。
煙草をやめたときである。20代の頃は驚くほどのヘビースモーカーであった。
30代になって思いを決して禁煙に走ったのだが、周りで吸っていることに違和感も持たず、受動喫煙的ものにも適度な心地よさを感じるほどであった。
ところが10年ほど経ったころだが、周りの喫煙に対して不快を感じるようになったのである。
いま思えば、禁煙から10年ほどの期間は喫煙時の悪祖(毒素)が体内に残っており、消え去るまでに10年ほどの時間がかかったことによるものなのだろう。
いまテレビがキモイと強く感じることには、インターネット普及により多様な(真実の)情報が容易に得られるようになり、情報操作(印象操作)された新聞・テレビの欺瞞な正体に気付いたからに他ならない。
デジタル化は情報革命をもたらしている。
AKB族(アカ・カマ・バカ)の氾濫で愚民化・幼稚化を企てるテレビメディアは自然陶汰される時にきている感がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の独立自存を右傾化と叫ぶ、左翼メディアと反日工作分子

2013-01-06 18:57:13 | Weblog
安倍内閣発足が確実となった頃から、左翼メディアが一斉に「安倍の危うい右傾化政権」と狂った報道を重ねている。
そのことが左翼メディアの自らの立ち位置を証明していることで滑稽に見えてくる。
検めて感じ取れることは、敗戦直後から公然浸透された共産主義者と敗戦変節組による反日思想の根深さと、労組を侵入口とした革命思想のオルグが衰えたとはいえ「三つ子の魂」のように、杳として消え去るものでないことが顕れている。
民主党政権は煽動メディアと全共闘世代による夢想お試し政権であった。
煽動した左翼メディアは(反省もなく)素知らぬ振りで政権監視論を正当化して「(危うい)安倍の右傾化政権」と偏向報道垂れ流し状態にある。
メディア報道の多くは情報操作されたもので正常な親日本人観ではないことを確信しなければならない。
それほどに戦後日本の中枢には、マルクス主義が深く浸透されたのである。
戦時中の緊張状態のなかでさえ、ルーズベルト米大統領、近衛首相側近に至るまで政策決定過程に関与できるスパイが包囲されていたことを見れば、今日の日本の無防備政権内部に入り込むことはいとも容易なことである。
スパイ防止法さえないのだから、把握できても処分できないのである。
このような国家はどこにもないだろう。
不偏的な独立自存国家を目指すことを「右傾化呼ばわり」するメディアこそ、日本人共有の価値観と離れた反日売国分子に占拠されたダメディアと判断せざるを得ない。
共産主義者が戦後革命工作に定めた重要点は、1.マスコミ侵入による情報操作(洗脳)、2.日教組による次世代に亘る教育工作、3.中国共産党との対立から独自路線を選択する過程での司法界支配工作(1966.10~)あろう。
多くは離党、除名などでスタンスを変えてはいるが、本質的な部分では「拭いきれない思想形成」の継続状態となっている。
リベラル派とは共産党に所属しない親社会主義派である。
先頃の自民党総裁選挙で党員投票が行われた。
山形県では圧倒的な石破茂票がでた。ブログ子は結果に驚きを禁じ得なかった。
果して、(2008.1)石破防衛相時に問題視された中国共産党系世界新聞報取材での発言内容では、福島瑞穂(社民党)と変わらない歴史観を持っていることが披歴されていた。
自民党最左派の加藤紘一でさえストレートな表現を避けるであろう言辞が石破からなされているのだ。
県内自民党員はこれを知ったうえで投票したのであれば保守思想不在党員であり、知らずに投票したのであれば情報無知な名ばかりの自民党員であろうと断じたい。
決して現在の自民党がベストだとは思わないが(他党と比べて)ベターであることは否定できない。
遅かりしも講和後世代としては、安倍晋三に日本再建を期待したい。
国家の独立自存を右傾化と叫ぶ、左翼メディアと反日工作分子の煽動に惑わされずに・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする