山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

野田佳彦新内閣の「赤サギ政権を踏襲」発言、掃溜め(民主党)に鶴は居なかった!

2011-09-30 19:09:45 | Weblog
野田新内閣の発足後、初の予算委員会審議を通じての各閣僚答弁から、政権全体の任命経緯と今後の筋道が見えてきた。
不完全内閣とは、発足直後の平野国対委員長が漏らした本音発言であろうから、(妥協の)党内融和内閣ではあっても、適材適所ではないことを物語っている。
野田佳彦は代表選挙での論功行賞を求める人事要求に、政治家理念(?)も捨て置き唯々諾々と受け入れてしまったのである。
景気動向無視で財務省の増税路線に言いなりの政権となった。
菅前首相(前政権踏襲の歴史観・国家観)、細川元首相(小沢グループの協力)、前原・仙谷グループ処遇の要求人事受入れであり、そのことで(菅退陣)新政権誕生の意義は看板の掛け替えでしかなかったことになる。
長らく日本の政治に接してきた者から見れば、良くも悪くもこれほど為政権者の無為無策を感じる政権もないだろうと思う。
結局、これが政治家野田佳彦の器でしかないことを示したものだ。
独裁国家でない限り、政治における人事抗争は常に存在する。
そのなかで人事権者が自身の政策意図を折り込みながら、いかに納得させて纏め上げるかにある。
今次のハチャメチャ人事と予算委員会発言を聞くに、政権奪取の意味の腐心がまったく感じられない。
野田首相の「(鳩山・菅)民主党赤サギ政権を踏襲」発言には、幾ばくかの期待を持った者からすれば、「掃溜め(民主党)に鶴は居なかった!」の思いであろう。
2009.9における政権交代の与野党仕分けの現状が、いつまでも続くわけはないはずで、再編後に新たな政権側になった際に、過去の発言と違ってくれば、なおのこと国民の政治家不信を齎すことになる。
「赤サギ前政権を踏襲」答弁に、やはり「掃溜め(民主党)に鶴は居なかった!」の喪失感を持ち、政権終了時には速やかな政界引退を勧める。
国民に対する政治の信頼回復のためにも・・・。
期待を持たせた言行の裏切りは、未来ある子どもたちの教育上にも良くない。
サヨク民主党の「赤サギ政権」に、純白の鶴を見ることはない。
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フジテレビのボロボロ国旗「日の丸」掲揚に思う。

2011-09-22 23:05:53 | Weblog
フジテレビへの韓流偏向放送に抗議するデモが繰り返されている。
そのなかで、9.19デモ行動の際に起きたボロボロ国旗(日の丸)掲揚問題について思うことがある。
まず、(ボロボロ国旗「日の丸」)を置いて、掲揚されている姿勢にはひとつの評価をしたい。
そこでフジテレビは、降納することなく長期間揚げっぱなしなのだろうかと不思議に思う。
降納することがあれば、破損状況は見ての通りで、取りかえることも施設管理として業務の範囲であろう。
また多くのフジテレビ社員が掲揚されている破損国旗(日の丸)に目を向ければ、当該部署に一報するなりの普段の心遣いがないものなのだろうか。
幹部、役員においても一切欠如しているとすれば、フジ社内全体のゾンザイな企業体質が見えるようである。
ブログ子の近くには山形県庁(国旗と県旗が掲揚)、市立山形一中(国旗と校旗が掲揚、バスケ大神雄子の母校)がある。
特に感心するのは、山形一中であり、平日(学習日)には掲揚され、休日には降納されるのである。
この作業を生徒がやるものなのか、職員がされているのかは解からないのだが、学校前を通る際によくできているものだといつも思う。
また近くの、民間ゼネコンの鹿島山形支店でも国旗と社旗を掲揚している。 さすがに、業界のリーダーだけあるなと、なぜか信頼と安心感を感じてしまう。
車両運転中ではなかなか目線が届かないが、歩いている時はできるだけ遠目に国旗掲揚がなされているものか、目をやる習慣がついてしまった。
公共施設や国内、県内の一流企業の社屋前では特に見入る。
国旗と社旗を掲揚しているとそれだけで会社全般の規律姿勢が感じられるものだ。
フジテレビの日の丸掲揚(ボロボロ国旗)には、形あれど心無しの思いを受け止めてしまう。
鹿内信隆社長がいた時なら、こんな不作法は決して許さなかったであろう。
また鹿内は、産経新聞創刊に際して「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼商業主義!」を訴えている。
いまや、フジサンケイグループの雄となったフジテレビは「左翼商業主義」そのものではなかろうか。
フジテレビに日本のテレビメディアの堕落を見る思いがする。
ニッポンジンってバカでもいいかな!。 アカでもいいかな!。「いいとも~!」の惰声が聞こえてくる。
フジTV「いいとも、赤化隊」ジャリーズ事務所。
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そもそも、能無し、問題有りを選ぶから、クルクル代わることになる。日本国首相

2011-09-22 19:17:38 | Weblog
ニューヨークを訪問中の鳩山元首相は、野田首相が、国連総会に出席して外交デビューすることに関連して、「国民の代表がクルクル代わるようでは、(国際社会での)日本のプレゼンスが見えない」と述べ、1年で交代するような短命政権にしてはいけないとの考えを強調した。
鳩山は「私も含めて、大いに反省しなければならない」とも語った。
そもそも、能無し、問題有りの首相を選ぶから、結果としてクルクル代わることになる。
外国からルーピーと呼ばれ、戴く国民としても恥ずべき立場にあることを、鳩山はいまだに感じ取れていないのだろう。
ルーピー鳩を放し飼いにしている政府・民主党の姿勢も同様である。
先の民主党代表選挙で、鳩山グループ(40~50人)の最終行動判断で、鳩山会長に同意したものはわずかに3人しかいなかった。
ここで感じることは、鳩山グループに名を連ねる議員は、鳩山由紀夫の政治家器量、政治理念の共有などではなく、潤沢な鳩山マネー(子ども手当)目当ての寄合いであったと見るべきであろう。
政治資金規正法違反、所得税法違反として立件され、鳩山マネー分配が停止したことで本心がでたとも言えよう。
その愚かささえも気付かずにいるのだから、呆れるばかりである。
野田佳彦については、鳩山・菅両人よりはマトモで期待できると踏んでいたものだが、政権発足後の経過を見るに進まない内向きの八方美人なのか、の感がする。
岸信介元首相が政権人事について、「意見を聞くにはいいが、あとは『わしが命懸けでやる』といってさっと示せば、だれも反対できなかった。 反対すれば、したやつが批判される。」と語っている。
覚悟と信念を示せば為政者本意の人事ができる、と説いたものと理解する。
果たして野田首相は思いの人事権を行使できたものか疑問である。
これも所詮、政治家器量不足の露呈でしかない。
野田が細川護煕元首相を相談相手にしていることは致命的であろうと考える。
細川政権がやったことは政治改革と言う名の選挙制度改正(小選挙区比例代表)、コメの関税化措置の自由化など、もっとも問題なのは、訪韓での「植民地支配に加害者として陳謝」「戦争責任への言及」である。
過日、親しい古老(早稲田OB)と会食した際に、「東條英機の戦争責任」に触れた会話があった。
ブログ子は反論として、開戦時の首相である東條の責任よりも、そこまで急迫に至った近衛文麿前首相の大きな責任、後任に指名した木戸幸一内大臣書記官長の責任はより重いと考える旨を述べた。
さらには、近衛を戴き国家社会主義の大政翼賛会結成の先陣を切ったのは、日独伊三国同盟を推進し、南進論「米英撃つべし」の旗振りをした東方会の中野正剛ではなかったのかとも説いた(1938.中野がヒットラー、ムッソリーニに会いに訪欧した際、随行したのは東大新人会出身の岡上守道・朝日新聞ベルリン支局長であることも留意)。
なによりも近衛文麿も木戸幸一も京都大に学び、社会主義者・河上肇に私叔した訳であるから、当時の首相官邸内こそがコミンテルン分子(尾崎秀実ほか)を招来する素地が備わっていたものである。
細川護煕も祖父近衛元首相の責任を身内として言及するならまだしも、一国の首相として国民を背にしての発言は慎重であるべきものだ。
このような細川と気脈を通じていれば、行く末の政治的窮迫(投げ出し)は容易に想像できる。人事の結果、発足後の言行にいくつかの「細川性向」が見受けられる。
そもそも、日本国首相に能無し、問題有りを吟味しないで選ぶから、クルクル代わることになる。
「朱に交われば赤くなる」とはよく言ったものだ。
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2011.9.18山形市長選挙、コミンテルンも驚きの非自民統一戦線で市川昭男3選!

2011-09-21 00:09:31 | Weblog
2011.9.18に投開票された山形市長選挙で現職市川昭男が3選を果たした。
構図は自民推薦で擁立の新人佐藤孝弘に対して、オール非自民統一戦線(民主・社民・共産・公明市議団)の現職市川昭男、それに徒手空拳の長岡寿一の3候補である。
1966.10に施行された市長選で、自民分裂のなかで漁夫の利を得て、社会党県議出身の金沢忠雄市長が誕生した。
以来、自民党は一部離脱議員(別会派)は出ているが、党主流としては全国的にも希有な40余年の長きに亘り、市政野党暮らしとなってきている。
この間の市長選挙で象徴的な対戦として、現職金沢に挑んだ吉村和夫(当時自民県議で前市長)の県都を二分した「金沢VS吉村」の対立構図があるのだが、今日の県政界において、社会党出の金沢の長男忠一は現在自民党県議となり、自民党出の吉村の次男和武が民主党県議となり対戦場において攻守所を変えた立場にあることも、県都経済界と中央政界絡みの長年に亘る複雑さを現わしている。
結果としてコミンテルンも驚きの非自民(利権継承)統一戦線が功を奏して市川3選と相成った。
自民・非自民の政治家どもが理念不在の席次抗争を繰り広げてきたなかで、1967.4に金沢市政の第一期職員採用として市役所に入った市川昭男は、右往左往する政治利権屋を横目に市職労のなかでセンターラインを走り抜いてきたのである。
過激派第4インター出身の闘士(赤ヘル)は、このたびの当選で約半世紀余り(1967~2015)の市政君臨を果たすことになる。
市職労の高笑いが聞こえてきそうである。
2011.9山形市長選挙はコミンテルンも驚きの非自民統一戦線が決定打となった。
この選択の功罪は一重に市民有権者が後年負うことになる。
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『口だけ』の野田佳彦と、『とっちゃん坊や』前原誠司に見る、「民主党子ども政権」いまだ継続中!

2011-09-14 20:59:37 | Weblog
9.13、民主党の前原誠司政調会長は記者会見で、自身が国土交通相時代に工事中止を宣言し、建設の是非を検証中の八ツ場ダム(群馬県長野原町)に関し、国交省関東地方整備局が同日、「(ダム案)建設が最も望ましい」とした検証結果を発表したことについて「(新政権間もない)なぜこのタイミングなのか。当時の大臣に事前に説明がないことも、極めて不愉快な思いだ」と述べ、不快感を表明した。前原のこの会見に応じて民主党内でも党国土交通部門会議で、「事前に説明がなく評価を出すのはおかしい」などの批判が相次ぎ、松崎哲久座長は八ッ場ダム問題のプロジェクトチーム(PT)設置を検討する方針を示したとある。タイミングについては予算編成上のこともあるが、当該の大臣に事前説明がなされていないことは、内容はともかくも前原と国交省の間が没交渉状態にあると言うことを証明している。通常、大臣に仕えた事務坦当秘書官は議員が政治生活を継続する範囲で、その後も「大臣」と敬称して呼び、役所とのパイプ役としての公務遂行が義務づけられると言っていい。それは役所(国交省)としても政治家対策のイロハでもある。前原は党政調会長に就任。政策責任者として、権限を持ちえたにも拘わらず、公表事前のレクがなされなかったとすれば、(政治家として)完全に袖にされたことになる。これほどの判断は、省内トップの了解を抜きにしては考えられない。前原無視は、新大臣に国交省OBの前田武志を迎え、官房副長官として前次官の竹歳誠が官邸に入ったことでの総合判断なのかもしれないが、いずれにしても前原誠司なる政治家としての器量判断を行った結果とみる。前原には口先だけの「狼少年」と揶揄する指摘があるが、ブログ子としては成長しない「とっちゃん坊や」前原誠司と表現してみたい。およそ日本を担う政治家にはお粗末な人物とみている。この前原が世論調査などで上位の支持を得ているところに、日本全体に蔓延している幼稚さ、軽薄さの危惧を感じ取られずにはいられない。まさに、「吉本・ジャニーズ」お笑いバカ症候群と見るのはブログ子だけであろうか。野田佳彦と田中角栄の首相就任時はともに同じ54歳である。比較して政治家軽重に親子ほどの差異を感じてしまう。前原に至ってはさらなる幼さを見る。最低(鳩山由紀夫)、最悪(菅直人)、の次にくるのが「極悪」では困りものだ。『口だけ』の野田佳彦首相と、『とっちゃん坊や』前原誠司政調会長に見る、「民主党子ども政権」いまだ継続中!。唸~!
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9.11山形市長選挙告示、覚めた陣営の思惑いろいろ

2011-09-12 14:50:20 | Weblog
9.11山形市長選挙告示、18日の投票日に向かって最後の直線でラストスパート。
先行する候補者を追う陣営は追い込み差せるのか!、上がり三ハロンの勝負。
現職市川昭男(利権継承型)赤ヘル、佐藤孝弘(助っ人招聘型)青ヘル、長岡寿一(体験参加型)黒ヘル陣営とでも分類できようか。
中央政治に対する国民の不信は、地方選挙にも蔓延してあきらめの選挙ムードを醸している。
ゴミ処理場建設、東北芸工大統合問題の直近案件から、景気、雇用対策などの継続的問題を抱えているのだが、景気低迷に合わせたかのように盛り上がりに欠けている。
元来の山形モンローから脱却できるのか。県都山形市の趨勢が県土全体に及ぼすことを感じ取らなければならない。
その責任の所在は3人の候補者よりも、陣営に拠る周辺諸侯こそ気付くべきことかもしれない。
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ノーサイド合作政権、早速暴発した鉢呂軍(経産相)

2011-09-11 14:24:36 | Weblog
臨時国会の召集を13日に控える中、ノーサイド合作で誕生した「どじょう政権」。
我慢しきれずに地がでたと言うしかあるまいが、早速、酷民党鉢呂軍(経産相)が暴発した。
原発事故被災地を「死の町」と呼び、「放射能をつけたぞ」などとすり寄られた毎日新聞記者には同情申し上げたい。
この素人軽薄の布陣から、今後もゲリラ戦の八路軍のように自己破壊頻発の事態が予想される。
任命の意図が何処にあったのかと傾げざるをえない不適格な面々が揃いも揃ったものだ。
なによりも野党時代に政策の勉強を怠り、採決要員で過ごしてきているから、見識もなく心構えもできていない。
任命直後の官邸での記者会見に臨み登壇降壇する際に、国旗に礼する躾さえできていないのだから、酷いものだ。
鉢呂吉雄は北海道選出であるので、北海道教組に学んだ根っからの左翼で、国旗国歌反対などは当然の人物。
400人余の民主党国会議員のなかから、選任するには間違いでは済まされず、任命権者の野田首相自身の眼識のなさが問われよう。
松下政経塾出身では比較的マトモと評されてきた野田佳彦ではあったが、このつまずきは一時のミスでは終わらないような気がする。
言行不一致、組織管理の能力不足、どれをとっても満たされていない現実を見てしまうと、「首相の任命責任と言うより、民主党全体の無能責任だ。」との批判もうなずける。
マニフェスト詐欺政権の責任所在を国民に確認するうえでも、解散総選挙で信を問うことしかありえない。
ノーサイド合作、早速暴発した鉢呂軍(経産相)の混乱から、「どじょう政権」は好んで泥沼化のマゾヒズムの様相?。
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「NOだ!」内閣を、保守政権と言い切る藤原帰一(9.4テレ朝・フロントライン)の進歩派積年のトリック

2011-09-05 18:23:42 | Weblog
保守政治の捉え方にも視点により多様であるだろうが、9.4「テレビ朝日・フロントライン」での、MC藤原帰一東大教授が野田新政権を保守政権と言い切ったことに、戦後民主主義なる進歩派メディア、学者諸侯が積み重ねてきたトリックを感じ取ってしまう。
加藤紘一と同じ坂本義和ゼミの愛弟子とすれば、その感覚軸から「さもありなん」なのだが。
朝日新聞を始めとしてほとんどのマスメディア(政治ジャーナリスト)、識者は戦後政治の系譜(派閥)のなかで、「吉田(茂学校)政治の継承者を保守本流」と主張してきている。
ここで同日(9.4、産経新聞・佐々木ワシントン支局長)の「日曜日に書く」で、自民党宏池会の流れをくむ田中六助元幹事長が遺稿「保守本流の直言」(1985.1中央公論社)で定義した、保守政治家とは派閥の系脈などではなく、(議員個々の)『言行』でこそ評価すべきものだとして、(1)議会制民主主義の政治、(2)市場経済主義、(3)日米同盟堅持の外交・安保-を掲げる政治家であるとの六助論を紹介。
また、田中は同著の中で、エドマンド・バークの「フランス革命の省察」の記述から、「良きものを維持するためには(漸進)改革すること」が、保守本流だとも指摘している。
小沢一郎が民主党代表に就任した際(2006.4)、映画の「山猫」を見て感銘を受けたとして引用した、革命に身を投じた青年がおじの公爵に「生き残るためには変わらねばならない」と迫ったシーンのセリフは、バークの言葉と通じるものである。
新政権の面々からは、とても保守政権とは言い難い。
なによりも野田首相が就任最初の記者会見で、靖国神社参拝を他の閣僚も含めた参拝自粛に言及したことは、菅前政権の主権放棄の外交姿勢踏襲に他ならない。
独裁政権の中国・北朝鮮はもとよりであるが、先般の訪韓自民党議員に対する退去処置は、およそ民主主義・法治国家として疑問視される国であることを韓国自ら証明したことである。
このような理不尽な蛮国・近隣地域の言い分を是認するかのような政治判断は、とても民主主義政治を希求する保守政治家の範疇に入るものではないだろう。
日頃重ねた『言行』から見極めれば、にわか似非保守はすぐに見破れる。
およそ素人左派閣僚揃いの野田内閣を保守政権などと言い切る視点は、基本軸そのものがズレていることを認識すべきである。
吉田茂を保守本流に見ることはできる。宏池会を創立した池田勇人・大平正芳までは保守の枠内として良かろうが、宮沢喜一の言行はリベラル派と見るしかない。
加藤紘一・河野洋平に至っては親中左派に分類すべきだろう。
朝日新聞の本流トリックは、宮沢喜一と東大同級(新人会入会)で、広岡知男社長体制に追従した後藤基夫常務の存在が、宏池会会長が変われど吉田系譜から保守本流=宏池会を利用した巧妙な積年の朝日トリックにあると分析する。
さらに藤原帰一・北岡伸一・御厨貴・姜尚中などの東大教授陣が、宏池会=保守本流の左傾化(リベラル)を自民党軸に置き、マスメディアと伝播させてきた結果として、歪んだ現状保守論を造り上げてきたものと受け留められる。
菅直人が東工大時代に、永井陽之助が吉田ドクトリン(軽武装・経済重視)と書した、1965「平和の代償」の政治に魅せられたとしている。
が、吉田は前年(1964.10.15、東京オリンピックの最中)の中国初の原爆実験成功を受けて、自らが敷いた国防問題(所謂吉田ドクトリン)の反省を認識して、(再軍備問題や憲法改正の政治課題の)後事を佐藤栄作(と三木武夫幹事長)に託す書簡を送っている。
故に吉田政治の系譜を保守本流と見るならば、この吉田の反省をも含んだ筋立てでなければ、吉田政治継承の保守本流とは言えない。
吉田の反省後にも係わらず、永井陽之助の吉田ドクトリン論がまかり通り、マスメディアは(吉田反省の)真相取上げをサボタージュし、反日米同盟勢力に与する報道がなされてきた。
素人左派「NOだ!」内閣を、保守政権と言い切る藤原帰一(政治ジャーナリストたち)のメディアトリックにも、同様に「NOだ!」を訴える。
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