山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

加藤紘一の北朝鮮連脈2、「総連系のパチンコ献金」

2007-11-30 22:32:33 | Weblog
2007.11.30、朝鮮総連施設に対する自治体の(固定資産税等の)減免措置は違法との最高裁判決。
「(日本人拉致被害者を)救う会熊本」の提訴事案の福岡高裁判決を受けた、熊本市長の上告が棄却決定され確定した。
朝鮮総連と税金の優遇取扱い問題については、昭和51年10月に在日朝鮮人商工連合会の代表者が、高沢寅男社会党副委員長(元共産党)の仲介で田辺博通国税庁長官・国税課長と会談し、「(邦人逆差別の)5項目の合意」が交わされたことが、朝鮮総連中央常任委員会発行の幹部向け非公開の内部文書「朝鮮総連」に記されている。
この5項目内容は、「(1)朝鮮商工人の全ての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する、(2)定期・定額の商工団体の会費は損金として認める、(3)学校運営の負担金に対しては前向きに解決する、(4)経済活動のための第3国旅行の費用は、損金として認める、(5)裁判中の諸案件は協議して解決する」である。
先のブログで、(酒田のパチンコ経営者の)加藤紘一への献金仲介で示唆した“(会計委託の)税理士事務所が東京・上野にあるので・・・”こそが、総連系列の証左と判断できる。
台東区上野には総連商工会連合会事務局(及び、総連東京商工会事務局)が所在しており、「(納税)5項目の合意」に即した節税(脱税)を全体として取仕切る所である。
ブログ子が絡んだ、“加藤紘一案件(パチンコ店の税操作を通じた献金工作)”に拘らず、各方面で多様な工作が為されていることは明白と考える。
売国・篭絡された政治家が誰かは、幾つかの発言を追って行けば容易に分かるものだ。さらに関連する多くの闇が内在している。
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「放送法改正案」が修正協議で骨抜き?、“NHK受信料拒否”で抗議の意思を示そう。

2007-11-28 21:28:23 | Weblog
「発掘!あるある大辞典」の番組捏造問題に端を発し、安倍内閣時に上程した「放送法改正案」が、自民・民主の修正協議で骨抜きになろうとしている。
ずっと以前から、腑に落ちない疑問を持っている。
マスコミ(メディア)がセンセーショナルに報道しながら、誤りであった際に、わずかな一言、一片の訂正で済ます不公正さである。
猿にも劣る反省知らずのメディアの思い上がりとしか思えない。
報道被害者には、「最大として偽報道と同量(行頁・時間)の訂正謝罪を求める請求権を付与出来ないものか。」と考えていた。
このたびの改正案は、そこまで行かないまでも、行政権限の強化内容になっていたが、左翼を抱える民主党とマス塵どもが「表現の自由・知る権利」を振りかざして、相変わらずの抵抗姿勢である。
「虚偽報道も自由・権利の内」とは、戦後の煽動メディア「アサヒる」の勝手な解釈で「責任・義務」を省みない一方的偏向論理だ。
放送法の1条が目的にしている表現の自由・放送の自由や、3条の放送番組の自由・だれからも干渉されてはいけないと謳われている。 が、「責任・義務」とバランスしてこそ社会通念の整合性と言えよう。
アメリカは1986年の通信法の抜本改正で業態の融合が進展、視聴者の信頼を失えば淘汰、買収の憂き目に遭う サバイバル情況になった。
まもなく訪れる「完全デジタル時代」を前にしても、自己改革出来ない日本メディア業界の怠惰、金融ビッグバン並みの荒療治が確実に起こってくる。
市井の民は取り合えず“NHK受信料拒否”で抗議の意思を示そう。


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「邦人を救えない國」、国家足らぬ日本の姿

2007-11-24 23:11:29 | Weblog
「北朝鮮による拉致被害者家族会」の横田滋さんが代表を退任した。75歳まで衰齢を押して頑張ってきたのだが、拉致問題が解決された訳ではないので、「お疲れさまでした」と、一言で言い難く複雑な思いがする。国家として、邦人の生命と財産を護ることは、経緯の是非を問わず、全ての為政者に課せられた最優先・最大の使命だろうに。過去、ペルー日本大使館占拠事件の折、日本政府は主体的に何の手建も出来ずに、情報収集に精出すだけの事務当局に“任務ご苦労”とばかりに、橋本首相自らがアンパン配達するパフォーマンスに終止した。いまや、日本という国は邦人保護能力を喪失しながらも、国民はその深刻な事態すら感受できないでいることに愕然とする。横田さんの退任は予測されてはいたが、報道を受けて名刺綴帳を開いてみた。平成15.6.29、山形にお招きして「(拉致された日本人を)救う会山形」としての支援(自援)大会を山形国際ホテルを会場に開催した。ブログ子も主催メンバーとして、大会進行役を担った。当初、横田ご夫妻の参席を予定していたのだが、妻早紀江さんが体調を崩し、代りに長男拓也さんが一緒された。進行の中、拓也さんの紹介を誤って、(名前を)双子の次男哲也さんと間違えたことが、後日に参集者(?)のブログで指摘された。(適度な緊張はあったが、終了後も気付かずにいた)大会前の控室で面対、名刺を交わした司会進行役(ブログ子)としては、いまも赤面の思いだ。多数の参集を頂き、「解決前進へ」との思いを念じていたのだが、いまだ停滞の域を出ない現状に忸怩たる思いは尽きない。日本人(当事者意識)として、山形市中心街・市役所内などで、政府に“国民共通の切なる声”を伝えるべく署名活動・写真展等の広報活動を展開しているが、無関心の多さに邦人同胞として言葉もない。今年初の“大沼デパート前”での署名活動のとき、面前の呼びかけにも拘らず、YBC(山形放送)の女子アナが、“気にも止めないそぶり”で通り過ぎた。テレビでよく見るアナウンサーだけに、現社会事情を受け留めない象徴現代人と感受性の無さを痛感し、一瞬憤りを覚えた。社会依存(マルクス主義)の社会主義は伝達という縦軸を忘れた(自分が良ければの)「自己完結主義」に陥っている。父母知らず子知らずのマルキストが跳梁跋扈・拡大生産され、マルクス・クレーター帝国建設に煽導されている。人間性域を確保し、腐敗を阻止する強力な防腐剤(スーパーコンサバティブ)が求められる。
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山形県女子駅伝実況、距離表示に違和感が積もるばかり。

2007-11-18 16:50:55 | Weblog
晩秋から年を跨いでの冬期間は、全国各地で駅伝・マラソンなどのロードレースが毎週行なわれる季節だ。
低迷する日本陸上界にとって、世界に通じる唯一の“お家芸競技”とも言える。
近年、山形県女子駅伝競走大会も、YBC(山形放送)によるテレビ実況生中継となり、身近な楽しみとなったが、どうしても気になる“5区間20.6kmのコース”の距離表示である。
各選手の記録(実績)から推測すると“2km以上、約一割程度”、確実に実測は短いのではないかと思われる。
田舎駅伝ならまだしも、明年の全国都道府県対抗の県選手選考を兼ねた大会、県陸協も共催で名を連ねる公式レースなら、もっと正確を期してはいかがなものか。
なにより、テレビ中継の解説で幾度となく(日本記録並みの)ラップタイムに触れるから、競技ファンとしては、余計に違和感は積もるばかりだ。
誤差は区間の百m未満を切上げしても、5区間で5百m内程度に収めて欲しい。
陸上競技関係者なら、だれでも気付いてはと考えるものだが、訂正されずに続いている。競技ファンとしては恥ずかしい限りである。
計測(表示)が一割も違うとすれば、公式レースとしては、余りにも杜撰な距離設定といえ、せっかくの実況生中継の解説談話が台無しになる。
実測18~18.5kmあたりが正確なコース距離だろう(タイム換算で8分前後の相違になる)。
主催の山形新聞編集局に“視聴者意見”として一報したが、理解されたかどうか?。(「陸協がやっているので」との我れ関せずの返答)
ついでにうん蓄、日本最初の駅伝は、丁度90年前に維新遷都50年記念として、(大正6)1917.4.27~29に京都・三条大橋から東京・不忍池間23区間の508kmを3日間ぶっ通しで走る「東海道五十三次駅伝徒歩競走」が開催された。
いまや、世界に誇る日本発祥の“EKIDEN”「思いを込めて繋ぐ一本のタスキは・・・」果たして何処へ。
明治維新後、近代日本が駆け上った「坂の上の雲」へのタスキ渡しの想いは、敗戦と言う中継所で断ち切られ(リタイア)、戦後の民俗劣化は「坂の下の沼」に向って転げ落ちているように思えてならない。
全国対抗で本県代表の活躍を願うことに変りはないのだが。
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「今太閤秀吉・田中角栄」の直系、竹下登(徳川家康)と小沢一郎(織田信長)

2007-11-08 22:19:56 | Weblog
「今太閤」と評された“田中角栄”、閨閥・学歴も無く、自らの才覚のみで首相の地位までのし上がった、稀有な人物である。
戦後復興、高度成長時代に符合する寵児として、国民多くの支持を得て、現代の太閤(豊臣)秀吉と重ね合わせた総称で呼ばれた。
その直系にあたる「竹下登(徳川家康)」「小沢一郎(織田信長)」の気性が、角栄後の政治状勢の変遷に如実に現れている。
一つの政治劇場と言う舞台で、これほど三方の個性ある役どころを表現する場は、他に無いだろう。
角栄はロッキード事件で一線退却を余儀無くされたが、いま、(小沢連立政局で)時の人“読売の渡辺恒雄会長”に「総理になるのが10年早かったよ。」(福田に先じて、金力専権で失脚した後悔?)と幾度も口にしている。
が、政治的野望実現に田中は“政治権力をカネで買う(に頼る)”実践を行なった。
ブログ子は当時の周辺関係者から聞いた話だが、札束を敷き詰めたダンボール箱が部屋一杯にあったと・・。
残った(ダンボール)箱はどこへいったやら、と、御伽噺を聞くようだった。
カネの前に、手のひらを返す政治家諸侯に、忸怩も拘りも見出すことは無理のような事態だったのだろうが、一時の停滞の期の隠れた逸話として、今も語られている。
自民党田中系政治権力の転換の実践こそ、反経世会の小泉政権樹立であり、金融・産業構造改革の端緒となった。
その後継の中で、安倍晋三は、日本固有の歴史・文化の改論は許すまじ、との信念を通したことには、評価したい。
父安倍晋太郎が病床にある時(91.2ごろ)、病状回復になればとKからの指示で、季節はずれで貴重な「ハウス栽培(天童)のさくらんぼ」を当時・秘書だった晋三宅(原宿駅近マンション)へ届けた。
91.5.15、安倍晋太郎死去・出勤の朝、洗面していた時、細君から「臨時ニュースで、安倍さん亡くなったよ。」との声に「とうとう来たか。これからどうなるだろう」との思いに振れながら家をでた。
増上寺で本葬が挙行された。
あらためて合掌、国家理念、身中の柱としての安倍晋三の再起に期待する。
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「マニュフェストの実現」こそ、最優先すべき政治家の使命

2007-11-08 06:48:26 | Weblog
与野党何れであれ、有権者に示した「マニュフェストの実現」こそ、最優先すべき政治家の使命である。
ブログ子も唐突な「大連立政権」には異論があるが、国会は政策協議の場だ。
双方ともベストが無理なら政策協議を通してベターを模索することは、至極当然なことだ。
政権奪取も連立政権参加も、政策実現のための一手段であり、あらゆる政治状況に対処しながら、政治判断をすることは決して間違いではない。
万年野党慣れしている“過去の議員”と白黒政局を他人事のドラマ程度の感覚で見てしまう「狭小市民」には、それが解からない。
対峙する間合いの取り方をゲーム感覚やパフォーマンスではなく、国民益増進の達成こそ有権者の理解を生み、その積み重ねが政権担当能力に繋がる。
結果として公約達成度の評価を受け、次期選挙での支持を得る。
その意味で小沢の政治判断が、総て否定されるものでもない。
ただ、「不器用、口下手で」「気力が途切れ、プッツンした」と自ら吐露した小沢の党首力の理解だけでは如何ともし難い。
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恥さらしプッツン党首が率いる「政権担当能力の無い、未熟政党」とは??

2007-11-07 14:05:09 | Weblog
「不器用、口下手で」「気力が途切れ、プッツンした」と自らの“迷走政局”を吐露した小沢。
恥さらしプッツン党首が率いる「政権担当能力の無い、未熟政党」が、選挙で信任を得たいとは如何に。 滑稽なこと、このうえない。
さらに「民主党は力量不足」と嘆き辞任表明した小沢に、慰留にこだわり奔走する民主幹部の面々。
一転、“ホレ見ろ、オレ以外に(党首が)できる奴がいるのかよ!”とばかりにほくそ笑む小沢の腹の中が見えてくる。
この度の“小沢騒動”の対処を見るにつけ、民主党全体が、力量不足で政権担当などとんでもないと国民に曝け出してしまった。
「恥をさらすが頑張る」と翻意した小沢一郎。稚戯な政治ゴッコを見せつけられた国民は、さらに「幼稚化」に導びかれ、迷惑な醜態だ。
民主議員からは「雨降って地固まるだ。」と、必死に糊塗する声があるが、“雨降って党壊”の危険信号が点滅状態、国民の期待に応えるために、離脱・分裂覚悟でも清新な政治勢力の再構築を期待したい。
邪道な政局に走らず、政治理念と基本政策をしっかり訴えてこそ政権担当に値する新生民主党が誕生する。
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永田町しか知らない、傲慢イチローの一里塚政局

2007-11-06 13:19:18 | Weblog
小沢一郎は、父・小沢佐重喜の死去を受けて、昭和44年の第32回衆議院選挙で初当選、27歳の若さだった。司法浪人を重ねていた小沢は大学院生から直ぐに国会議員となり、いわゆる世間知らずの代議士として、当時権勢を振るっていた田中角栄の愛弟子として可愛がられ、永田町人のタイトな人生を歩むことになる。「数とカネこそ権力の源泉」と田中政治の哲学を携えながら、常に政権中枢で政治権力を発揮していく。田中がロッキード事件で失脚したあとは、金丸信を嵩に権力の横暴の限りを尽した。選挙は土建屋選挙そのもので“東建協”総出のゼネコン選対が仕切り、関連業界まで及ぶ恫喝選挙戦だ。「旧い自民党の金権田中政治」の象徴、口下手で都合悪ければ“引き篭り”、こんな肌合いの違う小沢を党首に頂く民主の若手には、違和感を感じない得ないものなのだろうか、不思議である。「密室談合政治の権化」に国民も騙されっぱなしだ。民意、民意と口を揃えて言うが、所詮、国民のほとんどは、自分の足元しか眼にしない狭小人。微風に泳ぐ“風船”のような民意である。小沢にとっては、深い戦略を踏まえての高度な政治判断の一里塚(庇を借りて母屋を取る)であろうが、民主幹部にさえ、単純な連立参加としか受取れないのだろう。かつて、二大政党による政権交代可能にするため「(小選挙区制に)選挙制度を変える。」と言ったが、今度は「(連立して、その後に)中選挙区制だ。」との変節。庶民は“生活が第一”は“永田町生活(政治権力)が第一”の政治屋判断と見る訳だ。メディアでは、「小沢は説明(責任)不足だ。」と述べているが、小沢に説明能力は無いし、説明する意志もない。謝罪の仕方が解からない亀田父と同じ不適性な人間と映る。勝って気ままなだけの“オザワる”パフォーマンス。素人からすれば、「イチロー、いいかげんにしろ!」と言いたいのも解かる。
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小沢政局は、民主脱党(新党)支度金と公的政党助成金を巡り、年末まで続く。

2007-11-05 21:11:35 | Weblog
傲慢小沢の身勝手政局は、民主脱党(新党)支度金と公的政党助成金を巡り、年末まで続くだろう。
政治家は、政局行動のアリバイ(理由)として「法案(政策)の賛否」を切っ掛けとする。
これまでの小沢の政治行動から推測される「政局シュミレーション」を考えてみる。
福田政権は国会を延長して、新テロ特措法案の成立を目指す。
党首会談で舵を切った小沢は、一新会・チルドレンを基数に、国会審議と併行して隠密に(参議院重視の新党結成の)多数派工作に走る。
延長後の会期末に採決となった際に、“自衛隊の海外派遣問題は国連決議による対応を前提(基本)とする”などと、玉虫色に折込んだ修正で「賛成に廻り」可決成立(民主党内は賛否で分裂)。
年内に賛成派を糾合して連立新党結成に結びつける。 公的政党助成金の受給要件は年末時点の議員数などを基準に金額が決まる。 「年末の駆け込み新党」が誕生する所以である。
小沢のことだから連立条件として、自民党に脱党員数(新党)に合せて高く売付け、参議院議員に一人当り1億円、衆議院議員には5千万ぐらいを要求、半分くらいは新党に入れ、残りを民主脱党支度金として脱党議員にそれぞれ渡す新党工作資金とする。
さらに自民党に対して、解散総選挙(09.9満了)は最大限遅らせ、その間に選挙区調整を行なう。
衆議院で調整困難な選挙区では、6年任期安泰の平成22年(10.7施行、04の選挙でも自民は民主に負けているので調整が容易)の参議院選挙も活用、などを求める。
(調整受容れで党が活動保証すれば)丁度、1年程度の選挙(後援会)活動で、晴れて国会議員に復帰できる。
新テロ特措法は(寄合い民主党の)脱党ネタとしては申し分なく、今後チャンスはいつ来るのか。 と、今こそ政局の邂逅と判断した。
連立内閣を通しながら、選挙区調整を進めて、09年に入って(政党助成金を受給して)から解党、自民合流となる。
そして、また合流直前に隠れた政治団体に党の残余資金を寄付「隠匿(プール)」して、自らは恋われて身一つで嫁いだ貞淑な妻の如く振る舞うのだろう。
解党・新党(離婚・再婚)を重ねるたびに政治資金(後家資産)を増やしていく吸血鬼のような小沢一郎である。
問われることは、国民が一時の突風に拠らず、しっかりと政治家を見極める眼力が、何より必要なことなのだがなァ・・・。
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「まさか」でなく「またか」、“オッ!挫割る”の一郎政局

2007-11-05 17:27:52 | Weblog
「まさか」でなく「またか」の一郎政局、「剛腕」ならぬ「傲慢」で“オッ!挫割る”の真骨頂発揮。
福田首相と小沢党首の「大連立会談」は、政界雀を歓舞させている。
そもそも二院制であることは、「衆参ねじれ政情」が十分想定されることにある。
が、55年体制下、労組天下り政党の社会党が、国対政治に安住して「ネズミを獲らない猫」の如く、国民政党として存在出来なかったことから、政党・メディアに国民有権者も「ねじれ国会」での対症療法(政策協議の間合い)を、素直に受容れられない感覚に陥って仕舞っている。
国民生活の向上と政官の信頼回復は、政党を問わず、総ての国民が望む国益である。
その意味において両党首会談は喜ばしいことではあるが、小沢のこれまでの言動には、政局最優先の姿勢があり、政策協議を越えて、一挙に「大連立政局会談」に及んだことへの驚きと不信感は大きい。
小沢の「連立申入れは、福田首相から」の言い分には、両人の人物評と背景を覗えば、すぐに解かることだ。
「独断専行」が罷り通る小沢民主と、総裁と言えど組織判断に独断は許されない福田自民の違いは国民の見るところである。小沢党首が、自ら率いる民主党について「政権担当能力がない」「次期衆院選は厳しい」と酷評したことは、仮にも客観的事情と考えても、発言には時と場所があるだろう。謙遜にも至らない。
天国の寅さんも、「イチロー。それを言っちゃあ、おしまいよ。」と嘆いていることだろう。  予てより、ブログ子は小沢一郎の人間性に疑問を抱いてきた。
「またか!」にすべてが凝縮されるが、政権交代可能な政党誕生を期待するとしても、この期に及んで、小沢党首慰留を役員決議せねばならぬとは、「政権担当能力不足の未熟政党」と民主党自体が認めたに他ならない。
「連立政局」の本音が、守屋前防衛次官問題の(小沢周辺に波及の)消化活動だったとしたら、重ねて国民を欺くものである。
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