山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

「政権交代」の正体は、非民主的で傲慢不遜な餓鬼郎の空手形「おバカ内閣」だった。

2009-12-20 20:30:15 | Weblog
「鳩山政権」のハネムーンの猶予期間(100日)が経過した。
既述してきた通りに鳩山由紀夫の政治家資質の無さ、小沢一郎の人徳欠如をいまさらながらに知る機会となった。
このような詐欺師紛いの政権誕生を望んだ国民有権者がすべての責任を負う羽目になるのだが、この機に政権奪還に向けての戦略が野党自民党にあるのかと問えば、明確な真正保守の旗印が見えてこない状況でもある。
ブログ子は15年前(1993~4)の自民党・与党転落、連立合従過程の渦中にいた。
そこには政治家個人の政策理念を袖にした、ただの生残り策のみを優先する、国民(国益)不在の陣取り合戦(政治抗争)しか見えないことだった。
鳩山首相から「鳩山ブランドと(石橋家から相続した)財力」を抜きにすれば、とても政治家になれる玉ではなく、政治家を志望したことさえ理解できないような体たらくである。
小沢一郎の自民離党は、経世会(竹下派)の跡目相続敗北から(党内に)居場所を失くした末の家出であった。
それだけに自己怨念を持ち続ける政治姿勢にもなっている。鳩山も小沢もリクルート事件・佐川急便事件・ゼネコン汚職と続いた(小沢・鳩山が所属した経世会中心の)「政治とカネ」の問題から逃避する行動でもあったわけだ。
小沢が掲げた「政治改革」とは、選挙制度を変えれば良い政治ができるとばかりに「小選挙区制導入」、企業献金が政業癒着につながるからと、国民の血税による「政党助成金制度」を創設する本質のすり替えであった。
現在、両人ともに政治資金疑惑問題を惹起させていることから、制度改革よりも「政治家個々の意識改革」こそ、早速に求められるものの感がする。
政権交代・政治改革を叫び、無責任な空手形を乱発して国民を愚弄した結果、見えてきた正体は、非民主的で傲慢不遜な餓鬼郎ファシズムの「おバカ内閣」「オザワ政権」だった。
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NHK「坂の上の雲」放送で、知ってほしい佐藤鉄太郎海軍中将(鶴岡市出身)

2009-12-12 17:15:04 | Weblog
NHKドラマ「坂の上の雲」は、秋山好古・真之兄弟と正岡子規を主人公に捉えた司馬遼太郎作品の待望のドラマ化である。
日露戦争の日本海海戦におけるロシア・バルチック艦隊との砲撃戦は対露戦勝利を決定づけることになる。
この連合艦隊の司令長官は東郷平八郎であるが、司令部の第1艦隊参謀が秋山真之で、第2艦隊参謀は佐藤鉄太郎という両俊才参謀を擁した結果として勝利することができた。
砲撃戦の真相として、バルチック艦隊の旗艦の急転回に対し、東郷司令長官が判断を誤ったため、第1艦隊はバルチック艦隊を逃がしてしまう。
この時、佐藤参謀がその判断が誤りであることを見抜き、第2艦隊がその高速性を生かしてバルチック艦隊を猛追撃し、戦艦相手に至近距離での砲撃戦を行い、第1艦隊の方向へバルチック艦隊を追い込み、結果的に挟み撃ちに持ち込んだことが日本海海戦の完全勝利(日露戦争)を確定させたとされる。
秋山と佐藤は海軍の名参謀としてライバル関係にもあった。
佐藤鉄太郎参謀(鶴岡市出身)は海兵14期で海軍中将まで昇進、加藤友三郎大将(海兵7期、後の第21代首相)との国防戦術の相違と確執から予備役となるが、1934.7から勅選の貴族院議員として生涯(1942.3没)国家に尽くされた。
佐藤が海軍大学教官時代(1907~08)に、石原莞爾(士官候補生)が同郷の先輩と言うことで、佐藤を訪れ付合いを持ったようである。
佐藤の海洋国家日本における「海主陸従」の国防理論(帝国国防史論)は、陸軍の石原の「(国防)最終戦争理論」にも大きな影響を与えた。
「坂の上の雲」放送で、知ってほしい山形県が誇れる佐藤鉄太郎海軍中将(鶴岡市出身)の逸話である。
また、佐藤の3女が岡田啓介(海兵15期、海軍大将で2.26事件時の第31代首相)の長男と婚姻関係にあることから、終戦時(鈴木貫太郎内閣)の迫水久常内閣書記官長、関東軍作戦参謀・瀬島龍三(現在フジテレビ放映の「不毛地帯」主人公・壱岐正モデルで、1978.伊藤忠商事会長)にも繋がる華麗なる縁戚関係の系譜にもある。
佐藤鉄太郎の「海主陸従」の国防理論は、現在の米国海軍教書にも取り上げられるほどの秀逸書である。
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田中優子法政大教授は「週金サヨク(週刊金曜日のサヨクたち)」

2009-12-11 18:11:27 | Weblog
産経新聞OBの花岡信昭が、田中優子・法政大教授寄稿の11月24日付産経1面左肩のコラム「ちょっと江戸まで」の掲載文章に、「『産経が産経でなくなった日の記念すべき紙面』となってしまうことを恐れる」と、産経OBならではの懸念を自らのブログで論じている。
ブログ子はこのたびの掲載文からではないが、今春ころであったろうか?。
田中優子法政大教授が産経コラムの定期寄稿者になるとの紹介をみて、産経新聞の(本間)山形支局長を訪ねた際に、「どうして、産経が(週金族の)田中優子などを寄稿者に選んだのか、いくらでもほかに適任はいるではないのか!」と不満を述べていた。
それだけに、このたびの花岡が批判していることについて「そりゃそうだろうな。(異論は)やっぱりな。」の感に浸っている。
田中優子は元々左翼系論者に数えられ、左翼雑誌「週刊金曜日」に連なる『週金族』の一員である。
出自の法政大文学部は新左翼「中核派」の巣窟で現在も校内外で活動展開、公安の監視を受ける新左翼団体(過激派)である。
1960年の安保反対闘争の総括過程で革共同(革命的共産主義者同盟)が分裂、1963.2中核派結成に至る。
同年、呼応するかのように法政大に隣接する千代田区富士見に朝鮮総連中央本部が移転。以降、連携するかの国内工作活動が展開されていく。
早稲田大の革マル(早大文連を掌握)と同様に文化サークル「法政大学文化連盟」を掌握して左翼活動を謀っていく方法である。
法政大は戦前には6大学の中でもマトモな右派系に見られたが、敗戦後に野上豊一郎総長死去で、「マルクス主義」の高野岩三郎の弟子大内兵衛を総長(1950.7)に迎えてからは(マルクス・レーニン主義の)左翼一直線となり、「新聞は朝日新聞、雑誌は岩波の「世界」を読め!」と学生に訓示するくらいだから、無垢な学生が(汚染され)オカシクなるのは当然で、新左翼「中核派(の中央拠点)」を招き入れた元凶かもしれない。
ブログ子はかつて(都心~横浜方面の)東急田園都市線沿いに居住していたことがある。
多摩プラーザ駅周辺の新興住宅地がドラマの主要舞台となった1983.TBSドラマ「金曜日の妻たちへ」は「金妻(キンツマ)ブーム」と呼ばれて高視聴率を誇り、バブル経済時代の家庭社会現象を映し出した。
それを模した言葉として、田中優子法政大教授を「週刊金曜日のサヨクたち(週金サヨク)」と呼ばせていただく。
TBS(関口宏のサンデーモーニング)とテレビ朝日のワイドショーの出演者には、やたらと「週金サヨク」が多い。
中国共産党の管理下にあるペテン紙「朝日新聞」系列のテレビ朝日などは朝昼夕と「週金系コメンテーター」のオンパレード。
「週金族」のひとり筑紫哲也は消えたが、さらに(民俗腐敗菌の)淘汰淘汰が望まれる。
花岡が述べている通り、田中優子がいかなる文章を書く権利、言論の自由は保障されるもの。
だからこそ、朝日・毎日・岩波などの左翼系が田中の論評媒体となれば指向上からも解り易いものだ。
正統(客観)派の産経の編集責任者が、田中(週金サヨク)を定期寄稿者に選んだことこそが問われるもので、産経編集局内部まで左翼腐敗工作が及んでいることの実証かもしれないが・・・。
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社民党=「東京裁判史観」+「マルクス・レーニン主義」+「毛沢東思想」+「金日成主義(チュチェ思想)」

2009-12-08 13:35:06 | Weblog
社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題について、「辺野古(同県名護市)の沖に海上基地を造るという決定を内閣が行った場合には、社民党としても私としても重大な決意をしなければならない」と述べ、連立離脱も辞さない考えを示した。
社民党(旧社会党)の発言などを、マトモに聞き右往左往する鳩山政権こそが正常な国家観欠如を現している証左であろう。
社民党(旧社会党)が戦後政治のなかで、何を語りどんな行動を行ってきたかを冷静に検証すれば、容易に判るはずではないか。
日本共産党(社会主義)の後追いから、(中朝の干渉を嫌い共産党は離脱、自主独立路線に)、(築地のペテン紙(朝日新聞)、赤化官公労組(日教組)、新左翼等の非代々木系共産主義者と連携して)中朝の要求を無条件に受け容れ追随して、「反日・売国工作」の尖兵としてきたのが旧社会党そのものではなかったか。
日本人(国民)としての国家安全保障政策論など全く無く(論議そのものを否定して)、ひたすら「反日・売国」に走り(中朝)工作機関の代行勢力(政党)として、国民を騙し込んできた日本社会の構造汚物。
社民党=「東京裁判史観」+「マルクス・レーニン主義」+「毛沢東思想」+「金日成主義(チュチェ思想)」=「反日・売国勢力(中朝盲従派+赤軍派・中核派などの新左翼クズレ)」が現状方程式で、鳩山内閣はこの汚物政党と同居して、さらに腐敗が進行し続けている。
「自社1955年体制」の慣れ合い政治下で、長らく悪玉増殖菌を放置してきた自民党政権にも大きな責任があろう。
もっとも、この自社国対政治こそ「田中(角栄)政治」の基であり、その(金権・利権構造の)嫡子こそ小沢一郎であることを忘れてはならない。
汚物政党(勢力)は早期に処置しないと日本国中に蔓延する事態となる。
汚物勢力とともに、左翼学生運動でアカ塗れの昭和二桁から団塊世代(1935~1949生、赤化教育受容世代)までの容共主義者には一線を退いていただきたいものだ。
小沢・鳩山・菅・谷垣・・・、それに加藤紘一もレッドカードで退場。
サッカーが英国語(アソシエーション語源)から発祥して、罰則(ペナルティ)が白(?白人)→黄(イエロー)→赤(レッドカード)と進むのは偶然なのだろうか。21世紀を担うのは講和後世代。
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「押尾学事件」のピーチ・ジョン野口美佳社長と山形県の関係!

2009-12-06 23:10:59 | Weblog
12.1に押尾学・薬物事件の舞台となった部屋(六本木ヒルズレジデンス)の所有者で、下着通販会社「ピーチ・ジョン」の野口美佳社長が、4ヶ月ぶりにブログを更新した矢先の、12.4、押尾の再逮捕と関係者2人の逮捕容疑が発表された。
(8.2)事件での合成麻薬MDMAの所有供与がどちらから(田中香織からか押尾学からなのか)為されたのかが、再逮捕の決め手になっているようであるが、先の公判での不自然なメールと答弁「来たらすぐいる?。」「『いる』は(僕自身)は陰茎のこと(MDMAではなくセックス)」からも疑問視されていた。
(捜査当局の)取り調べに対して、押尾は事件現場となった六本木ヒルズレジデンスB棟2307号室は、(野口美佳から)「平成21年6月ころから同室を使わせてもらっていた」、女性(田中香織)との肉体関係は「(8.2)事件の3ヶ月ぐらい前(5月)からで、細かい回数までは覚えていないが10回ぐらい」と言っている。
取調べの供述通りであれば、(2008.11銀座「ジュリア」にフィールズ山本英俊会長と押尾が来店)田中香織との肉体関係は5月からで、6月から野口所有のヒルズ2307号室を使用した。
7月中(7.3~28)はアメリカに滞在しているので、5~6月のほぼ2ヶ月で10回程度の関係を持ったことになる。
週2回平均の逢瀬も若者の熱く燃えた恋愛の成行きであれば不自然でもないが、MDMA服用による「エクスタシープレー」に陥っていたとは、事件後になって悔やまれるものである。
押尾はアメリカでも、「MDMAが大好きなだけでファックしたい女はいないか」と友人にメールを送り、相手を求めていた。
『MDMA』に浸ってしまった押尾には限りない満足感を求めて、「まだまだ(MADAMADA)」と模索、六本木ヒルズの「(享楽)プレールーム」を得て、プレー相手を探していたのかも知れない。
美佳社長は再開ブログで、インターネットなどでは押尾学と愛人関係にあったなどと書かれたが「ネット上に出現したわたしに関する良くない噂は、どれもが嘘」と否定。
野口美佳の元夫が(元暴力団で)AV制作会社社長だという説には「全く見ず知らずの人物を元夫としてあげられていることには最も困惑しています」としている。
ブログ子も(元夫に関する虚報・誤報)ネット書込みで拝見したが、たしかに誤りであって、元夫の野口正二は山形南高校(第19回)S44.3卒→埼玉大のようである。
(お会いしたことがないので、断定出来ないが間違いない)宮城県出身の(宮城学院・旧姓)成田美佳と隣県山形の野口正二が東京で出会った“みちのく同志”の愛の芽ばえ、二人のピーチ・ジョン立上げが大成功してオオバケ成金、いまや、ポッポの親鳩・鳩山安子さんに匹敵する所有資産200億円にもならんとすれば、限りある人生を華やかにと騒ぐ気持ちもよく解かる。
私生活を問うつもりはないが、資産家になったら「社会的貢献」を考える余裕を持てれば、後世に人物的高評価されることと思う。
「押尾学事件」のピーチ・ジョン野口美佳社長と山形県の関係!、野口正二はミカジョンと違って普通の素朴な山形県人のようである。
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「山形の森」が読み解く、鳩山友愛家族の“子鳩手当て”問題の真相

2009-12-06 19:33:52 | Weblog
「恵まれたので・・・」と自認する鳩山友愛家族の“子鳩手当て”問題のプロセスを、「山形の森」視線で読み解いて見る。
2001.4、自民党総裁選挙(橋本・小泉・麻生・亀井)は、都道府県連独自の党員党友による予備選挙が実施された結果、橋本龍太郎優位の永田町評を覆す結果となり、小泉純一郎総裁の誕生を見た。
この自民党員に限る内輪の選出方法・過程ながら、メディアに乗った広報戦術から国民にも身近な関心を呼び党勢回復に繋がることとなった。
これを見た民主党も野党ではあれ、党員及びサポーター登録制度(千円で登録)を取り入れて、2002.9の党代表選挙(鳩山・菅・横路・野田)を行うことになる。
接戦を制したのは党員・サポーターポイント票の優勢による鳩山由紀夫代表の僅差の逃げ切り3選であった。
由紀夫陣営は、この党代表選挙で広報物量戦術を駆使したために多大な資金を投入した。
代表選後、鳩山は民主党と(小沢)自由党との合併構想発言に対する批判をうけて、わずか3ヶ月で代表を辞任することになる。
由紀夫は復権を目指して、翌2003.2に議員会館裏手の十全ビル(永田町2)に個人事務所(176㎡・友愛政経懇話会)を構える。
これまでも景気低迷による献金減少分を(由紀夫の)個人資金を充て偽装報告書としていたが、今後の政治活動でのさらなる政治資金確保には無理がでてくると憂慮した会計担当の勝場啓二秘書(森ビル勤務から鳩山威一郎秘書→由紀夫秘書)は(政策秘書で会計責任者・芳賀大輔(民主党秘書会長)と由紀夫に報告・了解のうえ)、(財)日本友愛青年協会(鳩山安子名誉理事長・由紀夫理事長)の川手正一郎常務理事(鳩山一郎以来の鳩山家側近)に相談する。
川手常務は鳩山安子と思案して(2002.時点で安子も80歳になることから)、母安子の資産から相続対策として生前贈与する形で、弟邦夫にも(姉和子にも)同様に月々1500万円ずつ分与することにする。
鳩山安子は(川手常務)との経緯を、(鳩山・石橋両家のブリジストン関係)資産管理会社「六幸商会」の小野寺重穂社長に伝える。
以降、川手常務理事の指示を受けた(鳩山邦夫の元政策秘書で、(財)日本友愛青年協会理事の)武田紀念男が毎月「六幸商会」を訪れ、(安子の口座資金から)換金された現金3000万円を受け取り、1500万円ずつを由紀夫・邦夫の両経理担当秘書に届けた。
この(銀行口座)振込でなく現金授受で処理したところにも脱税偽装工作の意図が窺える。
由紀夫首相は、実母らの多額の献金を政治資金収支報告書に記載していなかった問題について、「(親族からの資金提供はないと)信じていたし、今でも信じたい。私の知らないところで何が行われていたのか。私自身、大変驚いている」と述べ、献金偽装発覚の際に弟邦夫は、「兄の(献金偽装)問題は、簡単に言えば、表にできない裏献金ばっかりいっぱい受けていることだ」と兄を非難、自らを「白い鳩」、兄由紀夫を「黒い鳩」とメディアに大口を開いていた。
今次になっても、「兄と同じで、(実母の資金提供など)見たことも聞いたこともない」と白を付いている。
首相自ら脱税行為を行い知らぬ存ぜぬで通して、見つかったら(認定されたら)納税すればよいでは、国民感覚からも納得いくものではない。
鳩山家身内の資産移動だから悪質ではないとの声もあるが、政治資金の量的制限は「資金の無い人でも政治家になれる(立候補できる)」と機会の平等を基本に立法されている。
首相が個人資産を私的生活上で如何様に豪華に使う分にはなんら問題にされるものではないが、政治資金法上(政治活動)の脱法フィルターを通すことで、優遇税制等を利用すれば、脱税行為と取られても仕方ない行動である。
鳩山友愛家族の“子鳩手当て”問題を「山形の森」が遠目で読み解く“推理”ではあるが、ほとんど間違いないことだろう。
政治資金報告書の最後に「宣誓書」頁があり、会計責任者の自署名捺印が求められている。
会計職務代行者(勝場秘書)だけが係わり、会計責任者(芳賀)・代表者(由紀夫)がまったく知らないなどとは有りえないことである。
仮に(芳賀がすべき)署名捺印を勝場が勝手に行っていたとすれば、有印私文書偽造・同行使にもなろう(提出公文書にあたるのかも?)。
それにしても、芳賀チャンの実家は(北海道内有数の)生コン会社「ホッコン」と聞く。
民主党が「コンクリートから人へ」と叫び、公共事業削減の仕分け作業、(献金偽装発覚で)目の前の首相秘書官にも成り損ねて踏んだり蹴ったりの鳩山友愛政権では、チョっと気の毒にもなる。
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