山形の森 保守醒論

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忍耐男の両雄、「直紀と正輝」

2012-02-03 12:51:12 | Weblog
揶揄した表現で20年ほど前になるのだが、(政界・芸能界に詳しい)親しい友人から「(当時)日本男児で、妻の自由奔放な発言行動を容認している(?出来た)寛容な2人の日本男児がいる、それは誰だと思うか!。」と問われたことがある。
答えは、田中真紀子の夫田中直紀、松田聖子の夫神田正輝であった。
このたびの野田政権内閣改造で、田中直紀は防衛相に就任した。
(一川)素人から(田中)ど素人へと言われるほどに、お粗末な適材適所人事は政治的任命にしか当たらないことを証明しているようだ。
政治的任命が的を得ればそれも良しとなるのだが、田中防衛相は的外れのブーメランとして「NOだ!政権」の野党口実を与えてしまっている。
もっとも防衛問題に疎い田中直紀議員程度の国会議員(採決要員)は全体の半数はいるのでは無いのか。
ブログ子の経験則からすれば、閣僚資質能力を備えているのは半数程度、さらに首相として担えるのは5%(2~30人)ほどでは無いのか。
ところが身の程知らずの「なりたがり」の集まりであるのも事実である。
自らの行動ですら場あたりケセラセラで、手順を踏まえて対応策を練り、準備万端備え満を持して行動することは社会行動の基本的なものであろうことが、全然出来てなく成り行きで行動してしまい、その戦後処理すらお座成りなことがある。
側近やらに指示すれば良いのだが、頭の中で整理付かないからその事さえ及ばない。そんな政治家が多い。
「なりたがり」は大臣どころか、首相にもなろうかと云う党首選(代表選)にも平気で手を上げるのだから、日本の政治は「(赤子)ゴッコ政治」かと思いたくなる。
神田正輝は、12年余(1985~97)で松田聖子と離婚に至る。
角栄に見込まれた(旧姓鈴木)直紀大臣は忍耐男の横綱として踏ん張っている。
田中家の入り婿として及第点でも、国会25年生にもなる議員としての政治家資質は問われるものだ。
果して直紀大臣は「じゃじゃ馬真紀子号」を調教して乗りこなしているものか、真紀子騎手にムチで尻を叩かれる牡馬役に徹しているのだろうか、目白田中邸の「婦唱夫随」の伏魔殿に野次馬の関心は尽きない。
コメント
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