山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

小沢民主党は、朝鮮労働党並みの民主不在・全体主義と化している

2008-08-24 22:24:09 | Weblog
ブログ子は(30年近く)自民党員である。
長らく自民党員であるのは、本来政権交代あるべきと思えど、自民党の現実的政策提示・実効性(期待感)において、これまでの無責任野党に対して常に比較ベターであったことにある。
このたびの民主党代表選、野田佳彦(松下政経塾出)は民主党の少数支持派ではあるが、確かな国家観と歴史観を持った極めて貴重な将来の逸材であると予てから注目していた(自民党のリベラル・ノンポリ議員とトレードしたいほど)。
それだけに野田が党首選に出ることで、たとえ小沢に敗れるにしても(左右寄せ集めの)民主党で、どの程度の結果支持を得られるものか期待していた。
が、小沢周辺チンピラの旧田中派倣いのヤクザ紛い恫喝工作で出馬断念に追込まれようだ。
このような内情から、仮に来る総選挙で自公連立与党が敗れたとしても小沢民主党が、そのまま非自公政権を作れることはあり得ないと断言できる。
小沢の政権獲得の策謀ではあっても単純に小沢民主党政権とはならない。
陰湿な闇将軍小沢を容易に受入れるほど、日本国民全体は野暮ではないだろうし、自民党にも過去の野党経験(細川・羽田)がある。
小沢は壊し屋の悪坊主ではあっても日本人的・情温和に浸る政権執行には異質の悪魔でしかない。
こうした小沢一郎の存在に依拠して膠着している国民に対しての民主党内民主活動の偽善こそ問われるものである。
いまの小沢民主党は朝鮮労働党(金正日)並みの民主不在・全体主義と化しているのが現状だ。
それだけに福田無策の与党政権と相まって国民の政治家不信は募るばかりだ。
不毛の選択を求められる国民にはどうしようもない。
国家としての外交・安全保障政策の基本コンセンサスがあれば政権交代は容易であろうが、かといって、売国政党・反日組織との連携を取る現民主党に日本人として国政全般を委ねることはできない。
永田町の論理から距離を置いた日本国民のマクロ目線の確固たる国家観と歴史観が、何処にあるのかがいま求められている。
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“人間の機微に触れる言葉の無い”、最低な福田康夫首相と最悪な小沢一郎民主党代表

2008-08-24 19:30:05 | Weblog
政治家にとって最も必要な技量の一つが挨拶・演説・討論などの言葉使いの妙技であろう。
福田首相については、これまでも他人事発言が多いと指摘されている通り、先の北京五輪日本選手団に対する挨拶でも、「せいぜいガンバッテください。せいぜいネ!」との(珍妙な)言葉を吐いた。
北島耕介選手に国民栄誉賞の授与期待の報道がなされているが、授与が現実となったら、北島には「首相の言葉通り、“せいぜいのガンバリでした”」と嫌味のコメントでも言って欲しいものだ。
70歳を過ぎた前期高齢者の福田康夫に、いまさら人情の機微に触れる言葉を求めることは不可能なのだろうが。
対する66歳の民主党代表・小沢一郎。政治家歴は40年近くになるが、朴訥とした語り口に「東北人の口下手で・・・」と言い訳したことがあったが、実際は(東京生れで)岩手での実生活は小学校と中学途中で転向するまでの10年余しかない。
あくまでも本人の器量の問題であるはずだが、発言下手から討論嫌いで、党首討論を国対・議運に命じてあらゆる回避策を講じて、やらずじまいの討論拒否でサボリの連続(さらに本会議の欠席常習犯)。
このたびの民主党代表選挙にあたっても、討論を避けたい小沢周辺のチンピラ議員が非小沢系を恫喝して代表選回避を弄している。
小沢の人間性や行動については、与野党問わずに永田町住民であれば十分すぎるほど解かっているだろうに、いまの民主党は粗暴者に諫言もできない軟い現代日本人の当らず触らずの現状民を投影しているようだ。
ともあれ、両人とも政治家二世として地盤・看板・カバンを引継いだゆえの世襲政治家としての態勢しか見えないだけ。
「言葉を忘れたカナリヤ」ならぬ“言葉の見えない政治家”をリーダーに戴いている日本政治の怠惰の現状。
いまさら「言論のすすめ」の指導をすべきでもなかろうが、いま国民は最低と最悪のなかでの選択を求められている。“さァ、どっちだ!”と・・・。
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国益喪失三昧の宮沢元首相にも及ばない“福田康夫首相”

2008-08-15 11:15:29 | Weblog
国家観を持ち合わせない福田首相は、8月15日の靖国神社への参拝について聞かれて「私の過去の行動を見てください」と述べ、参拝しないことを示唆している。8月15日の参拝については、議論のあるところだろうが、はたして福田は、それ以外の日に靖国神社に参拝したことがあるのだろうか。そもそも1975(昭50)に三木首相が、例大祭(参拝)は宗教行事であるとの本人の理屈から、現職首相として初めて所謂終戦記念日(8.15)に靖国神社参拝して、大東亜戦争に遷化した国民視点を位置付けたのが始まりである。さらには、私的参拝を表明して、その後の公私論議の火種をつくり、天皇陛下の親拝(天皇に公私の別は見いだせないのに)をとどめる愚を犯した。1985.8.15中曽根首相と閣僚18人が行った靖国神社初の公式参拝を、(当時)朝日新聞中国特派員の加藤千洋(現報ステキャスター)が反日のネガティブキャンペーンを展開、8.26社会党の田辺誠訪中団が中国側に注進するに及び、その後に靖国神社問題が日中間で外交カードのきっかけとなったのである。1991.11に首相となった宮沢喜一は公式には靖国参拝の記録はないが、ブログ子のメモから複数回参拝したと見られる。92.11に宮沢首相は、加藤官房長官に参拝を伝えている。「宮沢さんに『参拝してきたので遺族会に言ってくれ』と言われ、『いつ行かれたのか?』と聞いたら、『あなたに言うことではない』と言われ、苦労した」と靖国参拝の事実を加藤が著書で触れている。さらに、93.4.23宮沢首相は板垣正参院議員に「靖国神社に参拝しました」と明言している。これらから、宮沢は93春の例大祭前後にも靖国参拝されたことがうかがえる。ともあれ、家長の先祖墓参とも言えよう国権の代表たる福田首相が戦陣の霊に参拝しないようでは、天国と現世双方から天誅の矢が舞い込むことは必死だ。遊就館に反日ネタ捜しに通う売国スパイの加藤紘一とドッコイ、ドッコイだ。
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“山口小夜子”没一周年で、想起する「我が青春」の瞬

2008-08-14 22:40:37 | Weblog
昨年の(2007)8.14に、世界的トップモデルだった「山口小夜子」が死去、死後一周年との記事が、08.8.14産経新聞に載った。
かつて、山口小夜子と出会ったことを私事ながら思い起したことがある。
1975(昭50)、いまは亡き東由多加率いる「東京キッドブラザース」で、民音が後援した「十月は黄昏の国」の公演(6.12~7.読売ホール・郵便貯金ホール)の事前ポスター撮りで一緒したことだ。
75初春あたりだったと記憶するが、東さんの劇団運営に両腕的存在の(静岡・清水市出の)山田姉妹がいて、(山田さんの)母上から「Mさん、普段着でいいから(ポスター撮影に)お願いできないかしら」と言われ、上下デニム地(ジーンズ姿)の様相で六本木スタジオに出向いた。
被写体6~7人でポスター撮影を終えた後、六本木交差点近くのパブで確か?「カンタベリーハウス」と記憶するが、“お疲れさま”の一席があった。
被写体側にどんなメンバーが居たか、いまでは定かではないが、主演の加川良・山口小夜子・国谷扶美子・(東由多加)・・・などは記憶にあるが、柴田恭平(山田姉妹の同郷)が居たのかは記憶にない。
東さんは、その後も私の部屋(当時オーディオに凝っていた)を訪れ、丸山明宏の「メケメケ」のLP盤を持って(次の企画中だから)視聴させて、と見えたことがある。
それ以上のことはないが、いま、東由多加・山口小夜子の死を現実に受け止めると、旧き青春期の瞬を思い出す。
1975「十月は黄昏の国」の公演ポスターをお持ちの方、コピーでも頂けないだろうか。
歳を重ねると若かりしころの身を思い出すことしきりとなる。
(清水市)山田のオバチャンは今も元気だろうか。

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北島康介が口ずさむ“君が代”で、溜飲が下がる「ガンバレ!ニッポン」

2008-08-14 21:08:11 | Weblog
北島康介の五輪大会連続2冠は、日本人魂を彷彿させる瞬間をしっかりと刻んでくれた。
表彰台での国旗掲揚、優勝国の国歌演奏で“君が代”を口ずさむ“康介の唇”の動きは、はっきりと見えた。
昨7月、北京五輪選手団壮行式の皇太子殿下を迎えての国歌(君が代)斉唱の式典のなかで、朝日新聞の岩井克巳だけが、ただ一人着席のまま起立せずに居たそうな。
「アサヒる」朝日らしい光景だったようで、戦後長らく国旗・国歌を否定してきた「共産(中共)プロパガンダ朝日新聞」のエリート記者(?)そのものの態様である。
翻って、中国選手は表彰台でしっかりと中国国歌を唄っているようだ。
今後、日本派遣選手団には、結団式に臨み、国歌「君が代」斉唱の基本的な指導教育を徹底したらいかがだろうか。
ブラックバス日教組(民主・社民)・ピラニア全教(共産)に蝕まれた戦後教育人には、国旗・国歌の否定教育を受けてきた選手が多いことだろう。
偽善に満ちた北京五輪をきっかけに、国家の誇りを背負った切磋琢磨(国を愛し、誇りを胸に競うこと)がオリンピックと世界の普遍的現実であることを眞摯に受け留めて欲しい。
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虚飾の“ペテン五輪”に、毅然と参加拒否した「日本の鉄人」

2008-08-06 12:39:30 | Weblog
虚飾に塗れた“ペテン五輪”が愈々開幕するが、蛮国の祭典に毅然と参加拒否した「鉄人」が日本にいる。
埼玉県富士見市にある有限会社・辻谷工業、昭和33年に設立された従業員10名の町工場。
1996年アトランタから2004年アテネまで、3大会連続の金銀銅メダルで表彰台を独占してきた五輪種目・陸上男子砲丸投げの“魔法の砲丸”である。
辻谷社長は、04年8月、サッカーのアジアカップが中国・重慶で開かれた際、現地サポーターが見せた日本に対するむき出しの反日憎悪が気がかりとなった。
去年の11月、悩みに悩んだ末、4大会連続メダル独占の偉業を断念し、砲丸の卸先の運動具メーカー(ニシスポーツ)に北京五輪用は作らないと伝えた。 
「砲丸は私の分身です。とても(反日を鼓舞する)中国には出せない。大事に使ってくれる選手には申し訳ないが、日本職人としての意地があります」と、北京での中国国民の反日感情やスポーツ観戦のマナーに疑問を持ち、“魔法の砲丸”を送ることを拒んだ。
スポーツマンシップに抱く真摯な姿勢から産み出される職人技とそのプライドに、邪心の入る隙はない。
世界に誇れる“日本の鉄人”の重い決断。シッポを振りながら支那に向かう媚中政治家どもに鉄槌の投擲を浴びせたいものだ。 
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新政権による、明年の通常国会冒頭解散が見えてきた

2008-08-06 11:24:11 | Weblog
「人事はつくづく大変だ・・・。 二度としたくないもんだなァ」、党役員人事と内閣改造を終えた福田首相のぼやきとも思えるつぶやきだった。
「相手の嫌がることはしない」と相通じる、懸案に距離を置く姿勢で通してきた(タダの)跡目相続二世議員の本音が口を突いたと言える。
福田はいまでも「オレは推されたから、(首相に)なったまで、それにしてもしんどいばかりだなァ」と考えている。
これが、「首相としての権力の源泉は“人事権と解散権”」と言い切る小泉元首相なら、多少思い悩むにしても「人事って、本当に楽しいもんだねッ。ワッハッハ」と派閥の抗議など気にせずスッキリ爽やかに押し通してしまうことだろう。
改造結果の見栄えからすると、麻生取り込みを果たした総力戦の脱小泉路線に見えるが、真相は首相自身の政策指針、政局意図など不在のままに行われた結果オーライ絡めての派閥人事復活そのものである。
赳夫首相の秘書官、18年の議員歴からすると期待はずれで、少なくともトップリーダーとしての適性を欠いているように思われる。
国民目線の政治指導者としてのメッセージが見えないのは、至極当然の帰結だ。
麻生幹事長取り込みで、体制を整えたことは事実だが、「人事は、・・・二度としたくない」の本心を読み取れば、福田の手による解散の可能性はほとんど無いだろう。
森元首相と麻生幹事長の連携で(康っさんプライドを損ねない)幕引き舞台のシナリオをどう進めていくかがカギとなる。
まず、公明党が反対していた8月末の臨時国会召集時期が、麻生幹事長誕生で北側公明党幹事長が撤回して呑めば、福田年内退陣、自民党総裁選挙を経て、新政権による明年の通常国会冒頭解散の可能性が見えてくる。


    
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