山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

山形県産米「つや姫」も喰いついた、李春光駐日一等書記官のスパイ工作騒動

2012-06-17 16:21:17 | Weblog
2010.9、菅直人内閣が発足、本県選出の鹿野道彦農相が誕生した。直後の臨時国会、(10.1)菅首相は所信表明演説でTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への交渉参加の検討を表明した。鳩山前政権の中国を軸とした東アジア共同体構想に踏み込んだ外交通商政策から、アメリカ・オーストラリアなど環太平洋地域との経済連携への転換を意味するものだ。
中国抜きのTPP参加への切り返しに「TPP参加潰し」の対日工作が、今回発覚した李春光一等書記官(人民解放軍総参謀部)による民主党農林族へのスパイ工作活動である。
李は農林水産物等の対中輸出促進を目指す農林族議員にはお誂え向きの餌として、TPP阻止で「コメ100万トンの輸入」の(対中利権)条件を提示、さらに中国農業部(日本の農水省に相当)傘下の国有企業「中国農業発展集団」と覚書を交わして、北京に日本の農産物の展示場を設け、その農産物に限って検疫免除の特別措置を実施すると謳い、対中輸出ビジネスに関心のある日本企業から出資金を募る策だった。
中国には煩雑な検疫制度があり、これが実現されれば輸出促進につながるとばかりに国内関係者は喰いついた。
2010年10月に本格デビューした山形県産米「つや姫」には絶妙のタイミングでもあった。
「つや姫」を持つ山形の鹿野農相、「コシヒカリ」を抱える新潟の筒井副農相にも対中利権となるこの提案に乗らない術はなかった。
が、「農林水産物等中国輸出促進協議会」を立ち上げ(2011.7)たものの、東日本大震災による対日輸入規制、設立までの経緯などから運営が滞る状態に。
李春光書記官の警視庁公安部による出頭要請を拒否しての中国への帰国となって、スパイ工作の全容がどこまで解明されるものか。
さて、「つや姫」の「艶」は「男女の情事に関すること、妖艶」などと解され、「艶姫」は中国では売春婦を意味するものとされる。
対中経済交流を図るべく吉村知事は訪中(香港・ハルビン・・)の最中である。
山形県産米「つや姫」を売り込むトップセールスの意欲は評価できるものだが、美栄子知事、くれぐれも「艶姫(売春婦)」営業の女郎屋「山形楼」の女将などと誤解されないよう切に願いたい。
民主党鹿野グループ(農林族議員)と山形県産米「つや姫」も喰いついた、李春光駐日一等書記官のスパイ騒動。内閣改造(更迭人事)で一件顛末か。
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阿信県行旅、「本当のおしんの生家」は何処?、「おしんの生家・撮影地」が「おしんの家」となった怪!。

2012-06-12 02:21:22 | Weblog

   崩落過程の「おしん記念館」中山町岩谷

「『おしんの生家解体』、庄内映画村へ移築」との報道がなされて約一ヶ月。  全国に配信報道もされた。
4月初旬に豪雪の影響で、かやぶき屋根が崩落している現状を見ていたので、その後、どうなったものかと去る休日に現地を訪れてみた。
解体途中で支柱・梁だけが残っている状態であった。
自称『おしん研究家(オタク)』として、もうひとつの拘りは「本当のおしんの生家」は何処(位置)にあったのかを検証したいことだった。
広く「おしんの家」として知られる「おしん記念館」は、撮影で生家モデルとされた「本物」ではない。
中山町観光協会ホームページには『おしんの生家撮影地』として、「NHK連続テレビ小説「おしん」(1983年4月から84年3月に初回放送)が中山町岩谷地区で撮影されました。 ドラマで「生家」として使われた家はすでにありませんが、保存会の人達が「おしんの生家」と呼ぶこの家は、出演者やスタッフの控室として使用されたほか、セットの囲炉裏のモデルになっており撮影地の記念に保存されております。 この家は建てられてから150年ほどたっていて昔の農家の生活が感じられます。 この家は平成12年の大雪で倒壊寸前になり、平成13年8月に町の有志がテレビのクイズ番組に出演し修繕費を獲得、平成14年に現在の状態に修復しております。」との正確な記述がなされている。
さすがに中山町としても「撮影地(域)」であって、「本当のおしんの生家」とする虚偽記載などはしていない。
記念館の二箇所の掛け看板も「『おしんの生家』撮影地」とし、「おしんの生家」の大きな文字の下に小さく「撮影地」と付記されている。
が、世間一般の風評として「おしんの生家」として知られ報道もなされて、全国から「おしん」に魅せられた観光客が訪れると言う。
当日にも群馬ナンバーの車が見られた。さて「本当のおしんの生家(モデル)」は、正確にはどの場所にあったのだろう。
それが知りたくて所蔵のDVDを見直した。
第4回放送(1983.4.7)、おしん(乙羽信子)が、雪道を八代圭(加代の実孫)におぶさりながら廃村に辿りつく。
「あっ、見えた見えたっ」と叫び、生家にズーミングアップされ、やがて回想編につながる涙に濡れてゆくシーンがある。
このシーンのコピーを手に現場検証と相成った。
実際に岩谷地区の現場を訪れないと想像も出来ないことであるが、(「おしんの家」とされてきた)記念館に向かう直ぐ手前が緩やかなS字カーブとなっている。
その左側に大きな杉木が2~3本立っている。実はそこが「本当のおしんの生家モデル」の立地場所であった。
放送シーンを見直すと、生家とされた家の前に(当時の)小さな杉木が写っている。
撮影から30年も経過するとこれだけの大木になるんだなと検めて思い知らされ、ここに(本当の)家が建っていたことさえ想像できない変わりようであった。
NHKロケハンが多くの廃村を巡り、立ち枯れたような崩落寸前の撮影用の「おしんの生家」モデルを、中山町岩谷地区に見つけたものとうかがえる。
それゆえ現在に残るまでもなく撮影後まもなくに崩壊したことだろう。
国内放送後の海外放送展開で、「国際的おしんブーム」の到来から地元保存会が立ち上がり、「おしんの生家撮影地(2001.おしん記念館)」となった。
「おしんの生家解体工事中」との工事看板を掲げ、県費(山形県)を使って庄内映画村への移築搬送中とされる。
はたして庄内映画村では、この移築物(古民家)に、なんと名付けるのだろうか気になるところである。
「本当のおしんの生家(モデル)」でもなく、「『おしんの生家』撮影地」でもなくなる。
移築後の中山町岩谷地区には跡地の案内版等を立てる計画のようであるが、『おしんの生家撮影地』とともに、「本当の『おしんの生家』モデル」の位置図・撮影時の本物写真などを掲示されたらと考える。
現在と隔たる時の流れを感じ取るのも原作者橋田壽賀子が「ドラマおしん」で描きたかった狙いでもあることだから。
先般県庁(観光交流課)に、これらのことを愚見しに赴いたが、知ってか知らずか反応は薄い。
橋田は「おしんドローム」と評された爆発的ブームに、「辛抱ドラマ」として筋書きばかりが面白がられた。
膨れすぎると日本も危ない。(人は身の丈)身のほどを知るべきだということの警告が「隠れたテーマ」だと述べている。
最高視聴率62.9%を記録し日本中を感動させた朝ドラ「おしん」。
日本人は橋田の秘めた想いも空しく、その後約10年、浮遊の膨張を続けて崩落。
バブル崩壊後の日本は失われた20年と揶揄される脱け出せない暗く長いトンネルの中にある。
深読み出来ない情緒的な表層だけの日本人軽薄化は、いまや政界にまで及んでいる。
明2013年は「『おしん』放送30周年」、ちょうど一世代経過の時となった。
「ドラマおしん」の「隠れたテーマ」を再確認する絶好の機会ではなかろうか。
なお、(橋田の)原作上のおしんの生誕地イメージは、西置賜郡白鷹町鮎貝の旧栃窪地区(最上川上流の廃村設定、生家周辺地として西川町大井沢・寒河江川でロケ)で、奉公先中川材木店(大江町左沢)、母ふじの出稼ぎ先(尾花沢市銀山温泉)、米問屋加賀屋(酒田市)となるドラマは、最上川伝いに置賜・村山・最上・庄内と山形県4地域を距てる全県構成となっている。
それだけに行政当局・関係者にこそしっかりと、国民を魅了した(山形主要舞台の)ドラマの真髄を精確に深読みして頂きたいものだ。
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