山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

谷垣禎一自民党総裁の靖国参拝、その信条は如何に?

2009-10-19 22:44:24 | Weblog
10.19、自民党の谷垣禎一総裁が、東京・九段の靖国神社を秋季例大祭に合わせて参拝、石原伸晃組織運動本部長も同行した。
来年夏の参院選をにらみ、支持団体の日本遺族会に配慮したものとのメディア報道。
谷垣は(2006)平成18年9月の総裁選では、首相に就任した場合は“参拝を自粛する”と表明していた。
そのことの問いにたいして、「自民党総裁だから参拝した。(首相であれば参拝しない旨)」と答え、そのうえで、「日本の近代史の中で、この前の戦争に限らず亡くなった方がたくさんおられる。その霊をなぐさめる気持ちだ」と語った。
谷垣総裁の思いとブログ子の思考はまったく反対であるので残念に思う。
どのような立場の日本人であろうと靖国参拝を望むものではあるが、日本国を代表する総理大臣こそ、個人の信条(たとえ参拝反対であっても)を超えて靖国神社に参拝すべき責任と義務があろうと考えている。
それが独立国家としての国家意思の正常な表明であり、首相に課せられた責任行動であるものと断じたい。
2001.4発足した小泉純一郎内閣で小泉首相は在任の6ヶ年中毎年の靖国参拝を続けたが、総裁選の公約であった(2001.8)最初の参拝期日は二日前倒し(8.13)となり、公約通りの8.15参拝は在任最終年の2006.8.15であった。
小泉に(本物の)揺るぎない国家観と歴史観があったなら、2002.2のブッシュ大統領来日での「(米政府)ブッシュ大統領の靖国神社参拝申し入れ」を受け入れていたことであろう。
なしえなかったことは日本政府(外務省)の大失態で、実に悔やまれてならない。
さらにブッシュ大統領は訪日後に中国を訪問、江沢民国家主席との会談に臨んだスケジュールであったわけであるから、ブッシュ・小泉両首脳揃っての靖国神社参拝は、戦後60年の愚かな呪縛(東京裁判史観)から、国民を一瞬に覚醒させる歴史的絶好のチャンスであった。
反骨で屈しない小泉純一郎にも戦後の日教組教育の誤った歴史観が入っていたようである。
2005当時、売国メディアは小泉首相の靖国参拝が(特亜との)外交問題化して日本の国益を損ねるような報道を重ね、親中政治家・評論家も同様に叫びたてた。
しかし実際に困りはてていたのは、中国の方で(上海株が底値記録、対中投資控えなど)深刻な経済状況下にあったことが判明している。
北京に工作された日本の堕メディア、報道内容を信用するに値しない証左である。
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加藤紘一の盟友工作員・張香山元中共対外連絡副部長が死去した。

2009-10-14 18:28:30 | Weblog
10.10、加藤紘一が盟友として公言憚らない張香山元中共対外連絡副部長が死去した。
戦前の日本留学経験から、1949.10の建国以来、知日派として(公然・非公然の)対日工作を指揮してきた張香山。
朝鮮戦争勃発(1950.6.25)では、前日までに日本共産党に対して(北朝鮮の南進に合わせ、進駐米軍足止め撹乱に)武装蜂起の指令文書を書き、地下潜行した徳田球一書記長らの中国亡命を支援、「(日共)北京機関」とともに、共産革命対日工作に深く係わってきた中心人物である。
張死去の報に訪中した河野洋平前衆院議長は北京で「非常に重要な人だった。訪中のたびに長い講義(張の工作)を受けたことを思い出す」と呆れたコメントを述べている。
張香山の経歴から中共による対日工作の推移が見えてくる。
鳩山一郎首相の中ソとの国交回復方針の「招き鳩」表明に呼応した、中共政治局で(第一次)対日工作要綱が採択された1955.に中央対外連絡部秘書長に就く。
田中内閣の日中国交正常化(1972.9)を受けた後の「第二次対日工作要綱」に応じて、1973.に中央対外連絡部副部長に昇進(中日友好協会副会長)。
(1976.10文化大革命の終焉、小平復権で4つの近代化政策決定、日中平和友好条約締結で円借款・対中投資策狙いで)1977.中央宣伝部副部長就任と続く。
1992年宮沢内閣(加藤紘一官房長官)で、日中関係の発展への貢献が評価されたとして、日本政府から勲一等瑞宝章が贈られた。
中国の国益を求めた工作外交官・張香山を批難するものではなく、日本人(の国家益)を捨てたような売国振舞いの河野洋平や加藤紘一にこそ矛先を向けたい。
1964.9.9、東京オリンピックの直前に、池田首相は喉頭がんで国立がんセンターに入院、10.25に辞意を表明する。
後継首相が取り沙汰されるなか、吉田茂元首相は池田に「河野のような容共政治家を許すな。(後継首相に河野一郎はダメだぞ)」との書簡を送り、さらにがんセンターを見舞って、後継に佐藤栄作指名を決定付けている。
吉田にとって反吉田の行動よりも、(日本として)中ソ両国との容共関係(売国利権)を深める河野一郎を首相に戴くわけには行かぬ、との判断とされる。
張香山元中共対外連絡副部長が死去したことで、盟友関係の加藤紘一工作員も10.16の葬儀参列に訪中することだろう。
2007.6に中曽根元首相が訪中した際に、首相在任中に親交のあった故胡耀邦元総書記の墓参(1989.4.15没、江西省共青城)を希望したが、(胡耀邦・小平に抜擢されてきた)胡錦涛政権さえにも受け入れて貰えなかった中共政府の対応姿勢。
日本ではどこの誰の墓参をしようが(たとえ犯罪者の墓でも)誰からも問われることなどはない。
いつもながら中国を見るときに、お隣さんの(地勢上の)中国大陸、中華思想・易姓革命の中国人、中国共産党支配体制の現中国、の三つの視点を持たなければと感じてしまう。
先の連休(10.11)に“山形の森(県民の森)”でも散策にとドライブ、ついでに作谷沢(山形市隣の山辺町)に足を伸ばし、「上海ガニ」の養殖池を見てきた。
目視で稚ガニは確認できなかったが、どうも(繁殖力は旺盛だが)共食いが激しく、出荷できる「上海ガニ」までに成長するのはごく一部で、採算性に問題ありと聞く。
なんとなく中国共産党の権力闘争(中国4千年の残虐な粛清史)の歴史に似たものを感じてしまう。
張香山の武装蜂起指令を受けながらも、日本共産党は朝鮮戦争の先制攻撃を(北朝鮮の先制南進ではなく)、南朝鮮(韓国)が侵略戦争を仕掛けたもの、とする党決定を38年間も言い続けてきた訳で(1988.9.8、やっと見直し見解発表)、なんとも頭が狂っているとしか思えないもんだ。
もっとも、共産党以上に狂っているのが(1970.8)日本社会党第3次訪朝(成田知巳委員長)で、金日成主席に「友党的関係締結」(日本共産党に代わって社会党と付き合うから)と言われて、「(朝鮮戦争は)北朝鮮の南進ではなく、韓国軍の北進侵略でございます」と(世界中普遍の)歴史的事実を変えたわけであるから、なんとも呆れて言いようがない。
これらのDNAを持った狂人議員どもが、民主党の仮面を被り(?)国民の支持を得て鳩山政権に就いているのだから・・・。
これこそ“アっと驚く、タメゴ~ロー”って言うんだろうな。
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鳩山由紀夫の「楽しむ外交」は、「友愛ままごと(鳩ゴッコ)」でしかない。

2009-10-12 22:18:11 | Weblog
10.9、鳩山首相が日中韓首脳会談に出発する際、記者の「総理、(首脳会談に臨む)一言を!」の問いに、「楽しんできます」と答えた。1996.7のアトランタオリンピックに向かう、日本代表の期待を背負った水泳選手・千葉すずも「楽しんできま~す」との声を発して出立した。結果は大惨敗で水泳競技全体に及ぶ国民の期待ははずれた。戦後のテレビインタビューでの「オリンピックは楽しむつもりで出た」との千葉発言はさらに論議を呼んだ。この時、ブログ子は1936.8のベルリンオリンピックに出場した前畑秀子の物語が思い浮かんだ。(1932.前ロサンゼルス大会で銀メダルの)前畑は、「(この大会で)絶対に金メダルを取る。取れなかったら生きて日本に帰らない」との悲壮な決意を持って臨んだとされる。念願の優勝シーンはNHK河西アナウンサーの「前畑ガンバレ」の連呼放送で日本国民を歓喜させた。もちろん、時代環境も違い一律に述べるつもりもないが、少なくとも(国費を以って参加する選抜選手)国家の代表たる認識があれば、「全力で・・・、悔いのないように・・・とか、国民の代表として・・・」などの言葉が、出てくるものではないか。およそ「楽しんできます」などの発言を聞くと、これも(赤化)戦後教育の「マルクス主義思想」が蔓延した結果だな、と思い及ぶ。鳩山由紀夫には、日本国の首相になった重要性(重任)が解っていないのだろう。「外交は武器を使わない戦争、戦争は武器を使う外交」と言われ、現実の国際外交では双方国益を背に抱えながらの常に表裏一体の緊張関係にある。鳩山の祖父一郎は、1955.1.10の首相会見で「私の内閣では中ソとの国交回復と憲法改正に取組みたい」と述べた。ともに、(反吉田勢力として)吉田内閣で果たせなかった政治案件を掲げたものだ。しかし、中ソとの国交回復宣言は反吉田・容共勢力に担がれた感があり、鳩山一郎にとっては病状と政治家終焉の中途半端な時限的妥協外交であったと思われる。(1956.10)日ソ国交回復宣言は、一郎首相による(占領)憲法改正が先に出来ていたなら、米国からの自立をもたらし、ソ連との外交交渉でも対等に近づけた結果が期待できたのではないかと考えられる。病状を抱えた鳩山一郎には、占領憲法の改正が出来なかった後悔の思いがあったものと推察する。孫の由紀夫首相には、重任がまったく感じ取れなく「楽しむ外交」は、「友愛ままごと(鳩ゴッコ)」でしかない。鳩山首相・岡田外相の坊ちゃん二世に、普通の政治家資質さえ感じ取れない。前原国交相は未熟で稚拙。マルクス汚染の反日大臣へのダメ押し批判は言うに及ばず、改革漸進を怠り安楽し過ぎた自民党の野党転落責任はさらに重い。(親子)家族崩壊を招来する社会主義推進政策「子ども手当・高校無償化」の3兆円捻出に盲進する民主党議員に、鉄槌を下す人神はいないものかと眠れない夜を過ごすばかりなり。由紀夫首相に祖父一郎の「友愛精神」が、深く刻み込まれているのなら、一郎首相が成し得なかったもうひとつの「占領憲法の改正」の思いは何処にいってしまったのか?。保守思想を忘れた「鳩ポッポ」に問いたい。
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遠藤利明の政治資金、「たたき上げ」ならぬ、“政資・巻き上げ”の実態。

2009-10-12 17:40:08 | Weblog
政治資金規正法に基づき、政治家の政治資金収支報告書の(前年度分1~12月)内容が毎年10月初めに公表される。
先頃の(2008年度)報道で本県選挙区の衆議院・遠藤利明の政治資金報告・関係団体総額で、7百余名の現職国会議員中で堂々の17位(約1億7千万円)にランクされた。
景気後退、企業倒産(リストラ失職)が日々溢れる経済事情のなかで、大物重鎮議員なみの集金力である。
閣僚未経験議員で遠藤より上位にいるのは、業界紙発行経営の実業家を父に持つ民主党・松木謙公と故竹下元首相の後継となった実弟竹下亘のふたりしかいない。
それだけに政治的世襲議員と一線を画す、裸一本の「たたき上げ」代議士を宣言する遠利の多額な政治資金には、興味を注がれるものだ。
丁度、4年前の今頃になる。
某政党の県連幹部から、「これ見て、どう思う」と示されたのが、遠利議員の収支報告書(関連団体総額で2億円余が公表されていた)であった。
そのときにもある程度の(献金元傾向の)理解はあったのだが、このたびの公開を受け4年を経たいま、中3年と比較すると、その実状がはっきりと浮かび上がってきた。
遠利は(斎藤弘候補支援の)山形県知事選に乗じて、自らの政治団体で政治資金を集めていたものとの結論である。
特に選挙区外の建設関連業者が多く目につくのは、(斎藤知事再選ならずで)公共事業削減と自民党の野党転落によって、(遠利に)期待した見返りが外れた訳で業界関係者からは、「やらず、ボッタクリに等しい」と嘆く顔が浮かぶようである。
ブログ子の経験上からの推量ではあるが、現在の経済状況から閣僚経験豊富な与党実力者でやっと1億超(加藤紘一で1億4千万ほど)、閣僚未経験議員では、とてもままならず政治活動に四苦八苦が現状であろう。
遠利が国政に名乗り挙げた時は、(中選挙区制で)竹下派経世会の支援を受けて出馬に向け活動していた。
(1993.6.18、宮沢内閣不信任可決で解散)6.30に、自民党離党届、同日に日本新党に推薦申請し、推薦決定の離れ技をやってのけた。
落選中の6年前(2003.9)には、(何にでもなれればと)吉村市長死去後の山形市長選に自ら意欲を示し、党支部内を混乱させ自民勢力復活の芽を摘む結果となった。
小泉郵政解散総選挙で当選後の、公共事業の口利き利権に精出す議員活動には、経世会前身の(田中派)角栄仕込みの傲慢小沢一郎と変わりないようだ。
政治権力に政治資金は付きものであるが、政治力に応じて善意の浄財は「集まる」ものであって「集める」ものであっては如何なものか?、が国民の素朴な思いではないか。
それも他人の選挙に乗じて「資金集め」に走るとは、“盗人猛々しい”との厳しい声さえ聞かれよう。
山形広域ゴミ処理施設建設事業(上山市柏木)で、反対運動も活発化している。
受益者の純粋な環境保全活動と見たいが、ウラでイト引く賛否双方の利権政治賊団の「関係業者担ぎ(HとS)」の思惑が見え隠れしている。
知らぬは、政治視点を単眼視する清き民なり。
遠藤利明の「たたき上げ」ならぬ、政治資金“?巻き上げ”の実態。
正直に収支報告をしていた結果(だろう)と評価する一定部分はあるが、政治行動を共にする(県市町)地方議員への活動費分配は如何に?。
まさかまさか己の蓄財ではあるまいに・・・。
政治権力の印籠をかざす「古~い悪徳政治家?」、闇のウォッチャーが取材に走っている。
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亀井発言「家族間の殺人は大企業の責任」はお門違い。根源は“脱家族(脱親子)”の日本社会主義化

2009-10-08 08:07:06 | Weblog
亀井静香金融・郵政担当相が、日本経団連の御手洗冨士夫会長と面談した際、「日本で家族間の殺人事件が増えたのは、(大企業が)日本型経営を捨てて人間を人間として扱わなくなったからだ」などと批判、「統計的にも増えている。(大企業の責任)発言は取り消さない」と吠えている。いつもの亀井の暴言だけと聞き流すわけにはいかない大きな問題が孕んでいる。「統計的にも増えている。」とのことだから増加傾向にあることは事実であろう。ブログ子はこういった風潮の根源こそ、日教組による戦後教育「マルクス・レーニン主義教育」の結実であり、日本の“脱家族(脱親子)”・社会主義化進行の現象ではなかろうかと憂慮するものである。他人に刃を向けることの否定は当然であるが、最も身近な血族間にまで凶悪犯罪が及んできていることこそ、家族関係が断ち切られる現在の社会全体で賄う(育てる)「社会主義化」(依存主義・寄生主義)が深く浸透していることを再認識させられる。鳩山民主党政権の「子ども手当、高校無償化」は、さらに促進させる“脱家族(脱親子)”社会主義政策(家族解体)に他ならない。1848年、マルクスの「共産主義宣言」発表は、自由を希求する資本主義に対する妖怪(悪魔)の出没と呼んだ。「平等」と言う名の妖怪は固有の人間性(個性・能力)を否定して、囲碁の碁石の如く同質の“無機な物体(モノ)”に似せて行く。日本発祥の将棋は歩から王将までそれぞれ固有の役割がある。社会主義者はそれを“差別”と呼ぶことだろうが、歩はト金に出世して大暴れできるルールでもある(努力は報われる)。授けられた天運のなかで利き術(長所)を以って人生を全うしてこそ、喜ぶべきことではないか。生きる人生であって、生かされる人生では本当の天命ではないような気がする。予てより、(ブログ子の勝手な)「社会主義施策は(魔)薬」論を感じている。誰しも病気になり、加齢とともに衰えてくる。その処方として薬は絶対必要であるが、できる限り自己治癒(自立)を模索すべきで、投薬(社会主義施策)に頼っていては免疫力は低下し、薬常用の体質(薬漬け)となり健常者としての復帰は望めなく、延命で死を待つだけのものとなる。こう言った自論から、社会主義施策は質・量とも、できるだけ限定的適正(無償でなく貸与など)に行われるべきものと考える。民主党が政権公約として、(前麻生内閣策定の)補正予算の執行停止で捻出しようとしている「子ども手当、高校無償化」支給施策は“脱家族(脱親子)”を促進させ、亀井が指摘する統計数値をさらに高めていくことになる。マルクスは社会主義優等生として自壊していく日本の現状を、天空の何処かから眺めながら、ほくそ笑んでいることだろう。それにしてもこの種の「(直接支給の)バラ撒き」施策には、自民党議員にもあまり批判の声が聞かれない。政治家全体にマクロな哲学が無いとしか思えない。国民にとっても、「いただけるものは有り難い」ていどの無責任な“権利要求体質”が浸透蔓延している。マルクス主義工作員による社会主義急進政権が、我が身(日本)をさらに蝕んでいることに気付くこともなく、日本の死期が足音を立てて近づいてくるようだ。
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鳩山政権の麻生・補正予算停止措置の政治的思惑では景気浮揚のアダになる。

2009-10-05 17:46:48 | Weblog
1954.12、吉田内閣の総辞職を受けて鳩山一郎内閣が発足した。
吉田内閣の社会主義陣営を除く親米・(資本主義陣営)多数講和路線に対抗して、(反吉田の)鳩山は中ソ両国との国交回復を目指すことを表明する。
この「招き鳩」の声明に呼応するかのように、翌年初の1.7に共同通信記者の手引きでソ連駐日代表部のドムツキーが文京区音羽の鳩山邸に勝手口から来訪、日ソ間の懸案解決と国交回復の意思表明を述べ交渉開始の端緒となる。
1.10、鳩山首相は会見で「私の内閣では中ソとの国交回復と憲法改正に取り組みたい」との方針を語る。
3.1、中共政治局は王稼祥・対外連絡部長起草の「対日政策並びに対日活動方針及び計画」を採択、「日本解放第1期工作要綱」として日中国交回復に向けた対日工作に入る。
(日中共同声明調印の1972年から「日本解放第2期工作要綱」に基づく工作に切換え)脳梗塞を抱えた病後の鳩山には、先に呼応したソ連との国交回復が在任中の最大目的化となり病状との戦いでもあった。
1956.8.10、鳩山首相は党幹部を招集、日ソ交渉妥結の決意と妥結後の引退意向を表明。
9.6には石坂経団連会長・藤山日商会頭ら財界有志が、自民三役に鳩山訪ソの取止めと政界引退を申入れる。
(交渉内容より)訪ソ調印することが政治家鳩山の(政界人生終焉の)個人的面子と化してしまった感がある。
親ソに走る河野一郎農相は漁業交渉と絡め(河野の北方漁業利権)、北方領土問題を棚上げしての、10.19鳩山訪ソ、「日ソ国交回復に関する共同宣言」となった。
たしかに前進ではあるが、平和条約締結は継続協議となり、半世紀を経ていまだに領土問題の解決をみていない。
政権の政治的思惑と病状から急がざるを得なかった日ソ交渉の調印劇、このたびの鳩山民主党政権にも同様のきらい(政権党の面子優先)が見えてくる。
鳩山政権の前麻生内閣策定の補正予算執行停止の政治的思惑では景気浮揚のアダになる。
ムダを省くことはもっともだが、緊急性があるかないかの議論は景気対策の(自民党の)補正予算か(民主党の)明年度本予算かの違いだけで、(民主党政権による予算策定のための執行先送りで)ただの引き揚げ停止措置では前倒しの実行計画と浮揚期待のマインドを損ねるばかりだ。
いま国民に応える必要なことは景気対策によるより早い雇用の安定確保であり、永田町の縄張り争いを見守るほどの余裕はない。
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中川昭一の訃報を聞き一瞬、「まさか、親父(一郎)と同じか!」と過ぎる。

2009-10-05 12:06:22 | Weblog
中川昭一の訃報を聞き一瞬、「まさか、親父(一郎)と同じか!」との思いが過ぎった。
1983.1.9の中川一郎死去の報は、某新年会の最中で日曜日だったと記憶している。
親子ともどもに、けれんみのない保守派議員として期待していただけに残念でならない。
中川の祖母は東根市神町(小関家)から北海道開拓に赴いたもので、1/4は山形県の血を引く関係になる。
小泉政権5年間の政治的評価は(一定の年次範囲を踏まえて)後世明らかにされるだろうが、中川昭一を始めとして、安倍晋三・麻生太郎・谷垣禎一・平沼赳夫を重用、後継育成に努めたことは事実で、谷垣を除く4人は歴史文化を尊重する結党本流の伝統保守派と言えよう。
歴史観・国家観が決してバランスされているとは言えない小泉元首相ではあるが、中川に次代を担う政治家として期待していたことは強くうかがえる。
自民党再生にあたって、保守の理念構築がいまさらながら叫ばれているが、あえて考えるまでもなく基本は「国家の自立」であり、「国民の安全確保」であろう。
北朝鮮による拉致問題で、自然と反射的に「国家の安全保障問題」を一義に感じ取れる、中川昭一のような安全保障感覚こそ「真の保守DNA」ではなかろうか。
自民党が新総裁に選出した谷垣禎一は、小泉が育てた5人のなかでもっとも「保守DNA」が希薄な人物。左翼民主党との違いを比較できないリベラル派に、積極的な自民党再建策が見いだせるわけはなく、ただ敵失を待つだけである。
安倍・麻生はすでに首相(総裁)経験者、平沼は党外にある。
それだけに中川昭一の黄泉への旅立ちは、腐敗侵攻中の日本にとって大きな痛手である。憂国に暮れまどう“おくりびと”の合掌。
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