山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

恥の文化持つ日本人ではありえない、在日社民党のポスター制作観

2014-07-17 12:22:27 | Weblog
1997年にロシア革命以降の「(世界の)共産主義の犯罪検証」として、仏人ステファヌ・クルトワが「共産主義国書」を刊行した。
それによると、共産主義国の大量虐殺は約1億人にのぼり、ソ連2000万人、中国6500万人、北朝鮮200万人、ベトナム100万人、カンボジア100万人、東欧100万人、ラテンアメリカ15万人、アフリカ170万人、アフガニスタン150万人、(ちなみに、ヒトラー・ナチズムによる犠牲者数150~200万人)などとされている。
さらに同年にモスクワ放送は、「10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の87年の間に6200万人が殺害され、内4000万が強制収容所で死んだ。レーニンは社会主義建設のため国内で400万の命を奪い、スターリンは1260万の命を奪った」と放送した。
共産圏の大量殺戮のほとんどは自国民が対象である。
これに、失政による飢餓死(収容所死)を加えると、概ね旧ソ連が約8000万人超、中国が約1億人超、北朝鮮が約2000万人超ほどになろうか。
社民党は16日、集団的自衛権の行使容認への反対を訴える新しいポスターを発表した。
「あの日から、パパは帰ってこなかった」という少年のつぶやきを載せ、「刺激的かもしれないが、自衛隊員の方々の命、国民の命に関わる問題だと訴える」(党幹部)狙いとされる。
まさに独裁共産国家向けにピッタリのフレーズである。
自国民を粛清、強制収容所送り、飢餓と弾圧を繰り返してきた共産・社民シンパ国の国民が解放を望んで喝采するであろう。
必要なのは日本ではなく、1億人以上を死海の彼方に追いやった社民党(共産党)の友好国であることを知るべきである。
恥の文化持つ日本人ではありえない、在日社民党のポスター制作観。
「あの日から、パパは帰ってこなかった」、「こんな過去はあまりにも悲しい」「今、自国民粛清の共産政権シンパにNO!」がお似合い。

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阿信県行旅、山寺・立石寺に蝉の啼き声を聞きに行く。 松尾芭蕉と325年を経た心の邂逅。

2014-07-15 19:54:29 | Weblog


7.15、山寺・立石寺に蝉の声を聞きに行く。
毎年一度は、山寺に登っている。 体力維持の目安にもなるから。
今年は、芭蕉の「(1689.7)奥の細道」行脚に合わせて、7月13日(旧暦5.27)に登拝しようと考えていたのだが、(7.13)あいにくの雨模様となり、2日遅れとなった。
たしか芭蕉は、当日に尾花沢を出立して、午後に山寺を登坂したと記憶していたのでそれに合わせた。
午後1時ころから登り始めたのだが、蝉の啼き声は聞こえない。 蝉は休憩しているのか。
芭蕉が「静かさや、岩にしみいる蝉の声」を詠んだ、蝉塚(立石寺)に着いて、耳を澄ましてもまったく聞こえない。
大仏殿、五大堂とひと通り廻って、「芭蕉が来たときにも、(今日と同じように)蝉が啼かなかったなら、あの句は生まれていなかったろうにな!。」などと残念な思いで降りてきた。
ところが、降り立った2時半ころになって、突然、蝉の啼く声が聞こえてきたのである。
土産物屋の店員さんが、夕方に啼くことがあると言っていたが・・・。
たしか芭蕉の記述に、「日いまだ暮れず、麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る・・・」とあったことを思い出した。
芭蕉は、宿坊に「(現代風の)チェックイン」をしてから、登坂しているのだから、夕方にかけての午後と解されようか。 納得、ナットク!。
勝手な解釈ながら、芭蕉は、4~6時ころにかけて登拝したものであろうと考えられる。 
来年はこの時間帯で行こう。
立石寺参拝ののち、宿坊に一泊して、翌日に大石田に戻っている。
芭蕉は本合海で乗船、最上川を庄内へと下り、出羽三山詣りへと行脚は続いてゆく。
山寺大仏殿から五大堂へと進む途中に、東宮殿下(大正天皇)が、東北行幸時の山寺行啓行在所(1908.9.18記念殿)がある。
真正面には、急峻な(修行者の)修業の岩場が位置している。
この東宮殿下の巡幸記念事業として、おしんの里(モデル地、鮎貝村栃窪)では、翌1909.5に日の出公園を造成、虚空蔵菩薩像5体・桜樹を配置した眼下に最上川を望む公園を完成させている。
乙羽おしんが、(第3回放送)吊り橋から最上川上流を眺めたところに位置することになる。
阿信県行旅、山寺・立石寺に蝉の啼き声を聞きに行く。 
(伊賀の忍者俳人)松尾芭蕉と325年を経た邂逅の想い。
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日経新聞を使う、北朝鮮の深謀なる「拉致等包括的全面調査」の情報戦

2014-07-10 21:02:14 | Weblog
政府は(菅官房長官が記者会見で)、北朝鮮が日朝協議で日本人拉致被害者の生存者リストを提示したとの日経新聞の報道について、「事実と全く異なる」として同社に抗議し、速やかに訂正するよう求めた。
7.1の日朝局長級協議直後の「二桁の生存者リスト」、さらに「約30人の生存者リスト」と重ねての日経報道に抗議の異を示したものだ。
リストの真偽はともかくも、北朝鮮サイドによる日経新聞を使ったリーク報道であることは間違いない。
反日報道機関トリオ(朝日・毎日・共同)を避けて日経を使ったところに、これまでと違う北朝鮮の深謀が覗える。
交渉協議を進める一方で、日本海に向けてスカッドミサイルをぶっ放して、恫喝、動揺を誘う相変わらずのキチガイ国家である。
いや、むしろこれがナイーブな日本人には判りえない(握手の一方で棍棒を片手にする)普段の国際外交バトルなのかもしれない。
本来、人質救出は犯人との交渉と並行して実力奪還のシュミレーションを進めるものであるが、現在の日本にはその備えがない。
長らく(国家テロの)拉致問題を無視し続けてきた大きな足枷は、在日朝鮮人のパチンコマネー工作による日本の政界(献金)・警察当局(業界関連天下り)などとの構造的な癒着関係にあり、それは左翼野党政治家、地方議員(地方警察)にまで及んでいる。
これらの経緯資料(証拠資料)が、現在も暴露脅しの材料となっているのである。
60年代の反安保闘争、ベ平連はソ連KGBの工作資金を得て躍った。
70年代、全共闘時代の闘争資金は(毛沢東派)日中友好商社から回っていた。
資金手当を受けた闘争幹部がその後、国会議員となり、いまでも親中(特亜)の走狗となって活動している。
1974.6の横浜地裁・日立就職差別事件(1970.12日立戸塚工場(横浜市)・日本国籍虚偽応募で就職差別事件)の判決以後、在日・左翼マスコミによる対決的な反日権利獲得運動(日立闘争組織「民族差別と闘う全国協議会(民闘連)」結成)が展開される。
特に、毎日新聞、TBSなどは労組圧力による在日朝鮮人採用(?枠)が多くみられるようになる。
山形市でも(最近は見えなくなったが)「山形日中貿易」なる看板が市内西田町にあった。
その名の通り、日中貿易商社として、県自治労・県教祖幹部の天下り会社で、中国当局の管理下の延長上に置かれた。
「でん六豆」の中国からのピーナッツ輸入は「山形日中貿易」を介して成り立ち、収益は社会党(社民党)、左翼労組の反日活動資金となった。
さように、これらの経緯経過は工作記録として残され、(中朝の)関係者に対する組織的な永遠の恐喝材料となっている。
「反戦平和」「人類平等」など、パラダイスの甘い言葉を囁く御仁組織にこそ疑いを持って見なければならない。
日経新聞を使う、北朝鮮の深謀なる「拉致等包括的全面調査」の情報戦。 
売国、反日スパイ(メディア)が公然と目白押しの日本実情。
弘法大師曰く、「朝日(ペテン紙)を読めばアカになる。 朱に交わればバカになる。」
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