山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

抗日工作員・若宮啓文(元朝日新聞主筆)が死去、謹んで慶賀の至り。 「邪魔リスト」の一人が消えた。

2016-04-30 11:30:02 | Weblog
元朝日新聞主筆の若宮啓文(68)が、北京市内のホテル「」で客死した。
東京生まれで、駒場細胞の全共闘(団塊世代)。  1970年朝日新聞社入社、1975年に政治部配属(宏地会担当)、政治部長、2002~08論説主幹、2011~13主筆を務めた。
経歴からも、1970年安保後の(1972.9日中国交正常化)、朝日新聞の中国による対日工作に嵌め込まれた、世論扇動工作員として過ごした抗日人生の終焉と言えよう。
折しも、いまや斜陽産業と化した新聞業界の落日の節目を、自ら示した最期なのかも知れない。
戦前、コミンテルンと通じた朝日新聞記者・尾崎秀実が、近衛文麿首相の懐に入り込み、南進論(対ロ回避で対米戦争開戦)を説いたときから、朝日新聞(潜入工作員)による売国煽動報道が、明らかにされているのである。
若宮啓文は、朝日新聞社に於ける、宮沢喜一と東京帝大新人会同期で親友の後藤基夫(常務・朝日東京本社代表)人脈に繋がる政治部「宏地会担当」から政治部長、論説主幹と歴任、(左翼)リベラルを保守本流と情報操作する朝日の欺瞞報道を形成してきた。
若宮は、日本国内に居場所を得られず、(2013年1月朝日新聞社退社で)韓国の東西大学碩座教授、3月に国立ソウル大学校日本研究所が客員研究員として赴任後、韓国在住を余儀なくされてきた。
若宮啓文の死去が、朝日新聞社の(長年の反日煽動報道が)免罪符になるものではなく、たとえ倒産廃刊になったとしても、反日工作機関(朝日新聞)の存在が歴史上から消えるものではない。
訪問先(日中韓3ヶ国のシンポジウム出席)の、北京で病死との(㈶日本国際交流センター・東京発)報道であるが、虚偽の国・中国国内の死であるだけにいろんな憶測が考えられよう。
用済みとなった工作員の始末劇、ハニーとの情死、・・・・・まさかの自栽死。
中国共産党の独裁政権が崩壊すれば、ソ連解体後のように、独裁政権時の機密情報流出により驚きの真実が判明することになろう。
そのときに、日本国内に潜んだ売国工作員も明らかになり、朝日新聞の工作事情も白日の下に晒されるはずだ。
戦後の「米国の赤狩り」により、F・ルーズベルト政権内に潜入した「ソ連スパイ」として349名が認定された。
日本の近衛政権(~東條内閣)にも、日米戦争の開戦誘導に同様規模の潜入スパイ工作が行われたはずであるが、未だに検証されることなく敗戦国の結果論だけを下に論じられている。
朝日新聞検証で明らかにすべきことは、朝日新聞グループ各社が、(売国)情報スパイ工作の拠点としての役割を担っていた中枢であって、現在進行形の現状にある。
抗日工作員・若宮啓文(元朝日新聞主筆)が死去、謹んで慶賀の至りだ。
「朝日(売国)批判は、日本人の国是」が道理。  「邪魔リスト」の一人が消えただけで、日本正常化への一理塚の一歩に過ぎない。
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舛添要一都知事の行状批判続出、選んだ都民に「いまさら何だ!」と言いたい。

2016-04-30 09:35:19 | Weblog
舛添都知事に対する、「高額海外出張費」、「都有地の韓国人学校提供」、「毎週末、公用車での湯河原別荘行き」と行状批判が続いている。
舛添要一のこれまで(都知事就任以前)の粗暴、唯我独尊の性格から、公人としては欠格人と見ていたから、都知事選において期待も支持も批判的に捉えていた。
そのような中での、舛添批判続出であるから、容易に予想されたことで、支持した都民には「いまさら何だ!」の感がしている。
舛添の性格判断をすれば、「朝鮮族性」そのものである。  過去に、舛添自身が吐露したことであるが、半島血脈を色濃く引き継いだ特亜系人格なのである。
乱れた私生活、DV性、欺瞞に満ちたTVパフォーマンス、明らかなものだけでも充分に舛添の人間性を推し量れたことだろうに。
それでも、各政党は安易に支持し、当選させてしまった。
政党(都議)はこの責任を、しっかりと踏まえ、速やかな行状是正勧告、2020東京五輪を迎える次期都知事選には、新エンブレム「市松模様」にふさわしい「和性都知事」を選出するべきであろう。
湯河原別荘(神奈川県足柄下郡湯河原町宮上)行きが、首都の危機管理体制上問題があるとの批判の前に、舛添自身にその自覚がないことが最大の問題である。
「動く知事室」を是認すれば、公務範囲が際限なくなる「詭弁都知事」は願い下げだ。
舛添要一都知事の行状批判続出、選んだ都民に「いまさら何だ!」と言いたい。
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北海道5区補選勝利で、ひとまずホッとした安倍自民、清和会(細田派)の総力戦事情。

2016-04-27 20:20:29 | Weblog
熊本県大地震被害に大揺れの中で行われた(町村信孝前衆院議長死去に伴う)北海道5区補選で、自民・公明支援候補(和田義明)が、野党共闘候補(池田まき)に勝利し、潮目政局を乗り切った。
町村前衆院議長の弔い選挙、町村が清和会(細田派)前会長であるとして、安倍首相個人に取っても政権政局の帰趨を決める重大な補選であった。
選挙戦前に頭を過ったのは、(2006)平成18年4月の衆院千葉7区補選のことである。
このとき千葉補選で敗れた自民党は、敗退を機に、野党民主党政権樹立に突き進んだ政局転換の潮目となった。
ブログ子がこの補選で記憶しているのは、武部勤幹事長が演じた「ジャンケンパフォーマンス」という、(愚民狙いの)軽いお遊び戦術に、強く違和感を感じたものである。(ジャンケン・ポン、(自民候補の)斎藤健!。)
この時の、野党民主党候補は、小沢一郎手駒の「太田和美(小沢ガールズ)」で、このたびの5区補選の野党共闘候補(池田)が、同様に小沢一郎・志位委員長(共産党)のトンデモ野合政党候補の結果であろうと考えたからである。   元キャバクラ嬢、シングルマザーと足下民主主義に訴える小沢戦術であろう。
幸い、北海道5区の有権者に愚衆は及ばなかったし、自民党の正面からの正当選挙戦が受け入れられての良い結果が出たものであろう。
一万票余の僅差勝利ではあるが、安倍自民、清和会(細田派)としては、ひとまずホッとしたのが総力戦事情の本音であろう。
小沢一郎は、志位共産党委員長とも胸襟しあえる。  それが政治だと言えばそうなのかもしれない。
が、永年の政治ウォッチャーのブログ子から見れば、小沢一郎のその政治行動(自民党から共産党までの自己変遷主義)こそ、政治不信の最たるものとの結論である。
北海道5区補選勝利で、ひとまずホッとした安倍自民、清和会(細田派)の総力戦事情。
元清和会秘書会の一員として、反日メディアに対抗して、今の日本丸の舵取り出来るのは「晋三さん(安倍)」しか居ない。
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戸川昌子の死去で、シャンソニエ「青い部屋」に行ったことを微かに懐古。

2016-04-27 19:02:00 | Weblog
4月26日、シャンソン歌手で推理作家の戸川昌子(85歳)が、胃がんのため静岡県内の病院で亡くなった。
特別なことではないが、戸川が、1967年に東京・渋谷二丁目に開いたシャンソンバー「青い部屋」に、二度ほど行ったことを思い出している。
青山学院にほど近い「六本木通り」沿いのビル地下、すぐ先で「246号」に合流となる位置にあった。
確かな時期、誰と御一緒したのかも、よく思い出せないのに・・・・。
だが、戸川昌子(オーナーママ)が、我々のテーブル席に付き、親しく会話が弾んだことは記憶にある。
タニマチ社長が、常連さんだったからであろう。
有名人を前にしての酒席であるから、気持ちよく過ごしたことは違いない。
三島由紀夫ら文人に愛されたお店であったそうだが、私が訪れたのは、三島が亡くなったずっと後なので、偶然にも触れることは出来なかったが、三島史観の感慨に耽ることは出来る。
戸川昌子の死去で、シャンソニエ「青い部屋」に行ったことを微かに懐古して見る。
華麗な内に逞しく生きた母性信仰の、戸川女史に合掌!。
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