山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

週刊文春の、2.26事件『重臣たちの惨殺写真』から想い起こした海軍人脈

2006-02-28 21:05:26 | Weblog
今週の週刊文春に、70年目の初公開・2.26事件『重臣たちの惨殺写真』として、衝撃写真が掲載されている。
昭和日本の運命を決定づけた2.26事件(昭和11年2月26日)。陸軍の青年将校が決起、重臣たちを殺害、軍主導の政権を作ろうとした、近代日本最大のクーデター未遂事件である。
当時の岡田啓介内閣で、首相秘書官だった娘婿の迫水久常が事件を回想した証言テープも、近年・国会図書館から公開された。
そこには迫水が30年後の公開を条件に語った、岡田首相救出の舞台裏や、事件勃発直後、事態収拾に右往左往する軍首脳部の混乱振りなど、事件の渦中にいた当事者ならではの、貴重な証言が残されている。
迫水は、終戦時の鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長(現官房長官)としても、歴史的内幕の貴重な証言者として、戦後(衆参議員・閣僚就任)も注目された人物である。
ここで、想い起こしたのは、海軍人脈である。
迫水は、大蔵官僚であるが、岳父岡田は海軍大将(海兵15期)鈴木貫太郎は同(海兵14期)で、鈴木が首相秘書官として官邸経験のある、後輩岡田の娘婿を内閣書記官長として、取り立てたと推察する。
鈴木と海兵14期で同期の、佐藤鐵太郎中将(鶴岡出身)は同期小笠原長生中将の妹と結婚している。
さらに、佐藤の娘が岡田の長男・貞外茂(海兵55期・海軍大佐、マニラで戦死)に嫁ぎ、親族関係になっているのだ。まさに“同期の桜”を彷彿させる。
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自決も出来ない問題未熟児・永田寿康を抱え続ける、前原・瀕死党

2006-02-28 17:08:49 | Weblog
自らを処することも出来ない、未熟児・永田寿康を抱え続ける、前原民主党は瀕死の状態で、秋まで這い蹲って行くのか。
よくも、国民を舐めたもんだ。
メディアにも、「危機管理がなってない」とか、「若気の暴走、間違いは誰にでもあるから」とか、専門考察や寛容な意見もあるようだが。
これまで5回も懲罰動議に掛けられてきた問題児が、議員活動の基本行動(充分なウラ取り)も怠り、委員会質問で私人を誹謗中傷のパフォーマンス。
適性に欠けた社会バカが民主党国会議員にいたと言う、極めて単純なお騒がせ事件である。
衆院議員を代議士とも言う。
士は“もののふ”で、民の上に立つ者、独立の男子、発言と行動には責任を負い、選良として、自らを処する国民への義務がある。
多くの真っ当な議員のためにも、民主党のためにも、このたびの政治混乱の責任として、議員不適格・自決を勧告したい。
前原誠司の器量も見えた。
最も期待したかった野田佳彦が、失態に順じたことが残念である。
これでは、日本の政治は停滞する。
未熟者は出直せ。 無能者は消え失せろ。
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山形が世界に誇れる、石原莞爾と「日本のマハン」佐藤鐵太郎海軍中将

2006-02-28 12:35:21 | Weblog
山形県遊佐町にある、石原莞爾の墓所を3ヶ月ぶりで訪れた。
墓所のプレハブの中にある備え付けの記帳簿を見ると、さすがに冬場の参拝は少ない。
春から秋にかけては、県外からの訪問者が半数を超えて、石原信奉者が全国に居られることを示している。
最近某テレビ番組の中で、日本帝国海軍の調査研究書なる『KAIGUN』と言う米国書籍があるそうで、米海軍関係者の購読必須書として高く評価されているとのこと。
その中には、2人の日本軍人が大きく取り上げられており、海軍創設の父・山本権兵衛元帥と「日本のマハン」と称された、鶴岡出身の佐藤鐵太郎海軍中将だと言う。
佐藤は、著した『帝国国防論』で海主陸従論を展開、(当時の)山本海相を通して天皇へ献上されたほど、戦史の大家と評されている。
日本海海戦では、第二艦隊参謀として、露旗艦スワロフの回頭を舵の故障と見抜き、バルチック艦隊の逃走を阻止、結果として、艦隊撃滅・海戦勝利に繋がった鋭い判断として、語り継がれている。
石原莞爾は、陸軍士官学校時代に郷土鶴岡の先輩になる、(当時)海大教官佐藤鐵太郎と親交を深めていく。
共に遠慮なく上官に具申する気の強さがあったようだが、石原は東條英機と佐藤は加藤友三郎と対立、予備役に追い込まれていく。
陸軍の石原莞爾・海軍の佐藤鐵太郎は、日本が世界に誇れる軍事戦略家として、山形県鶴岡市から輩出された逸材である。
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堀江メールから見える、へたり牛・民主党のオソマツ

2006-02-22 18:17:46 | Weblog
お騒がせの「ホリエモン・メール」問題は、怪文書の域を出ることなく、政局には遠いようである。
前原民主党が発足して、小泉自民党と切磋琢磨の改革競争で、後世に「2005年体制」の始まりだった、と評価されることを期待したものだが、メール問題は、ツメが甘く、オソマツとしか言いようが無い。
前原誠司は、京大で高坂正堯ゼミ・松下政経塾出身の経歴で、まともな国家観・歴史観と、確かな政治判断能力を持ち合わせていると思っていたが、いささか買い被りかと思えてきた。
それ以上に、「堀江メール」問題で、露呈したことは、民主党自体が稚拙で、全党的体制を取り得ない未熟政党だということ。
予算委員会はテレビ中継される花形委員会で、その丁丁発止は質疑の当事者のみならず、与野党の組織を挙げての総力戦の舞台である。
事案に対する真偽の基本的精査も不十分なまま、質問に臨む姿勢は、狼チルドレンそのものだ。
質問を容認した野田国対委員長・前原代表を含めて、“責任”の行く末が危惧されよう。
さらに子が深刻にならざることは、質問したオソマツ君・永田寿康議員が、東大・大蔵省(現財務省)出身のキャリア官僚の経歴であることに、驚いてしまう。
筆記試験上位者から、幾度もの面接を重ねて採用される財務省官僚は、霞ヶ関でも極めてバランス感覚を備えた官僚の中の官僚と評され、最も優秀な人材の宝庫とされている。
社会常識の欠けた語学官僚の外務省などとは、問題にならない。
その財務省が、「へたりチルドレン」並みの人物を抱えるほどに、落ちてしまったのだろうか。
永田は、昭和44年生れで平成5年入省、両親は、戦後教育世代と思われる。
国会議員が「オッチョコチョイの勇み足」だけでは済むまい。
子供議会ではないのだ。戦後ゆるみ教育の体たらくも、ここまで来たかの感がよぎる。

 
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不遜な官僚による皇室典範改正の策謀

2006-02-22 14:43:21 | Weblog
不遜な官僚による、皇室典範改正の策謀が見えてきた。
小泉政権を揺るがしかねない、第2の郵政政局到来か、ともみられた皇室典範改正問題。
秋篠宮妃紀子さまの第3子御懐妊発表を受けて、一次沈静化となってはいるが、非公式検討会発足時の橋本龍太郎元首相は16日までに産経新聞のインタビューに答え、二度にわたって政府の「皇室典範に関する有識者会議」に皇族方の意見を聴くよう求めたが、聞き入れられなかったことを明らかにした。
橋本氏との一問一答は次の通り。
 --首相在任中に古川貞二郎官房副長官(当時)に皇位継承問題の検討を指示したのか
 「必ずしも(女性・女系容認などと)方向を決めてではなく、広く検討してほしい、どういうケースが起こるか分からないから研究しておいてくれと話したことはある」
 --有識者会議の議論をどう見るか
 「プロセス、手順に非常に不満を持っている。私は皇室の中にもいくつかの意見があることを知っていたので、古川君に皇族方の意見を聴くよう勧めたが、答えは『ノー』だった。私はあきらめが悪いので、さらに『(皇室の)全員から聴けなんて言っていない。しかし、せめて皇室の最長老の三笠宮さまからぐらいは聴くべきではないか』と勧めたが、聞き入れられなかった。三笠宮さまは戦前の皇室も、占領行政下の皇室も、(旧11宮家の)臣籍降下も知っておられ、今日までずっと皇室を見ておられた。少なくとも三笠宮さまのご意見はうかがっておくべきだったと思う」 「私だったら、あんな見え見えの形で有識者会議をつくり、座長に『皇室の意見は聴かない』なんて言わせない。無礼であり、少なくとも非礼だ。果たしてあの人たちが本当に国民を代表する人選だろうか」
 --女性・女系天皇容認、長子優先の結論については
 「私は女性天皇は否定しない。しかし、女系天皇を認めるべきかどうかはもっと時間をかけて考えるべきことだと思う。同じ結論に達するにしろ、少なくとももっと慎重さが必要だ」
  産経新聞2月17日付
 鼻っ柱の強い橋龍に対して、無視する不遜の態度はどこから出てくるのか。
九大出(S35入省)の官僚としては、異例の官房副長官への栄達、向坂逸郎ゼミで社会主義に、のめり込んだ結果の天皇制度の終焉を策謀した、こだわりの「女系天皇容認論」なのだろうか。
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御皇室にお薦めしたい、高木酒造の銘酒「十四代・龍泉」

2006-02-22 14:26:22 | Weblog
山形県村山市の高木酒造の銘酒「十四代」は、全国に名だたるブランドで、左党にも、なかなか手に入れることが出来ない、憧れの一品である。
現社長の高木辰五郎氏が高木家第14代当主であることから、「十四代」と命名された銘柄だ。
高木社長は、旧家出の有為な人物として、地元政財界でも要職を歴任、家長名・辰五郎を襲名されて、家督を代々引継いでいくことに、その責任を抱えてこられたと聞く。
伝えによれば、高木家は、源氏の流れを汲む家系とされ、古くから土地の盟主として、郷土の繁栄に指導的立場で多大な貢献をされてきた。
時あたかも、御皇室での天皇継嗣問題が、国民の大きな関心事として、クローズアップされている。
高木社長によれば、高木家14代はすべて嫡男子直系で継嗣相続されて来ているそうだ。
さらに、子息で杜氏の顕統氏、そして孫にも恵まれ、高木家は、すでに16代までが嫡男子直系で安泰だと言われる。
葉山山系を源とする自然湧水・桜清水と、「龍の落とし子」という原料米を使用した「十四代・龍泉(大吟醸)」は、品薄で幻の銘酒とされている。
この「龍の子」は、天子さまの子にも通じる。
山形県が全国に誇れる、高木酒造の銘酒「十四代」を御皇室でも嗜んでいただき、天子さまの子に恵まれ、天皇家の継嗣問題の安寧に繋がるものなら、と左党の一人として期待したいものである。

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加藤紘一という、よく判らない政治家?。

2006-02-21 17:59:19 | Weblog
政治指導者の必須条件として、先見性(政局観)・決断力・実行力、とされることに、異論はないだろう。
また、政治家に限らず組織の長なり、グループを率いる者には必要とされる器量であろうし、それを受けて困難に対しても逃げることなく、結果の責任を取る覚悟も要素である。
その意味で、加藤紘一は、それらを持ち合わせているのか?。
政治家としての資質があるのだろうか?、山形県民として実に悩ましい。
平成12年11月20日の、森内閣不信任案をめぐる自民党内の抗争について、マスコミは「加藤の乱」と名付けた。
が、加藤の行動に期待した者からすると、結果は「国民への政治的裏切り」と、政治家としての資質の無さを露呈させることに終止したと言える。
利権と票だけを求める理念なき政治家が多いこの日本でも、これほど国民を愚弄した政治家はないと思う。
国民は、二度と加藤紘一という人間を信用することはないだろうと思わせた。
当の加藤自身は、何とも言えない屈辱感と無念さをいっぱい抱えたであろうが、最近の反小泉に沿う一連の発言を聞くと、政局観の疎い加藤が政局にしたいが為に、イジマシイほどに努力(?)している様は迷妄ドンキホーテか。
マスコミもピエロの如く取り上げているが、ネチネチと小泉降ろしに執念するも、厚顔無恥も政治家の素養とすれば、さもありなんか。
ブログ子は加藤紘一という人間がよく判らない。
庄内藩の魂が根付いているとは、とても思えないのだが。
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渡部昇一・加藤紘一・佐高信に見る左傾化の時代変遷

2006-02-17 21:45:01 | Weblog
渡部昇一(昭5生)・加藤紘一(昭14生)・佐高信(昭20生)の3氏は、共に庄内地方出身でメディアを通して著名な人物である。
渡部は保守派の論客として、内外の歴史的経緯から、白人の時代に伍して、近代日本が明治維新後に繁栄の歴史を築いてきたことを高く評価している。
敗戦後、東京裁判史観に呪縛された現状からの脱却こそ、日本文明の再興に必要だ、と論じる。
加藤と佐高は、その東京裁判史観に呪縛された、戦後民主主義の象徴とされる戦後教育に浸る世代である。
加藤は、昭和21年に鶴岡2小入学であるので、戦後占領下教育の一期生と言える。
佐高の入学は、日教組が教育労働者宣言を打ち上げ、政治闘争を繰り広げ始めて、共産党の武装化暴動が破防法提出に繋がった頃である。
その後、加藤は、東大生で60年安保反対闘争に参加する過程を辿った。
加藤の結婚式では坂本義和(坂本ゼミからか?)が祝辞を寄せている。
佐高は、自身で久野収との出会いが思想人生を決めたと述べている。
極左雑誌「週間金曜日」の編集委員を創刊当初から、ともに務めている。
坂本義和・久野収ともに保守派からは、「戦後犯罪人」と揶揄されるほどの左翼思想家だ。
渡部昇一・加藤紘一・佐高信の庄内人3氏を見つめると、敗戦を境に振子が振れ過ぎて、極左の壁面に張付いてしまった左傾化の時代変遷を見るようだ。
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麻生太郎外相は、初代山形県令三島通庸の玄孫にあたる

2006-02-17 19:43:58 | Weblog
麻生太郎外相が、吉田茂元首相の孫になることは、広く知られるところであるが、明治9年に、現在の山形県の形になった時の、初代県令三島通庸の玄孫にあたることを、どれほどの方がご存知だろうか。
つまり、吉田茂の雪子夫人は三島の孫娘になるという訳である。
さらに、(牧野)雪子は父方の祖父が明治の元勲大久保利通であり、三島と大久保の共通の孫娘を吉田が娶ったことになる。
支那や韓国に、おもねることなく発言する硬骨漢麻生に、『オレには日本国を創り上げて来たDNAが満ちているんだ』とばかりのプライドを感じさせてくれる。
朝日新聞は2月11日の社説で「麻生発言 外交がとても心配だ」との社説を掲げて批判しているが、全共闘世代が跋扈する朝日新聞編集局が親中国路線以外の選択を取れないことに、ご愁傷様の言を捧げたい。
明治20年の保安条例公布時の警視総監でもあった豪腕三島通庸の血に、侮られてきた日本外交の再建を期待したい。

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