山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

上海万国博の日本産業館館長・秋岡榮子は、あの秋岡家榮・元朝日新聞北京支局長の娘だ!

2010-04-30 21:52:15 | Weblog
明5.1に開幕する上海万国博の日本産業館館長として、(4.30付)産経新聞の座談会「日本産業館を語る」で秋岡榮子館長が紹介されていた。
その名を見てすぐに秋岡家榮・元朝日新聞北京支局長の娘では(?)と思い、ネットで調べたらズバリであった。
個々人は別の人格であるから、たとえ親子であっても逆目で見るものではないが、こと朝日新聞の秋岡家榮となればそうもいくまい。
中国の文化大革命時に北京支局長として、散々虚偽報道を垂れ流し、ペテン紙朝日新聞の(広岡)親中左翼体制を形成してきた、朝日の社史にも永久に残る「アサヒるメディア」のA級戦犯であろう。
1981.4に朝日新聞社は朝日中国文化学院を開設、帰任後の秋岡は(報道工作の論功として)初代の学院長に就いている。
朝日退職後には、「人民日報」海外版の日本代理人となって対日メディア工作を公然とサポートした人物こそ秋岡家榮その人である。
文革礼賛報道で国内左翼勢力を煽動し、日本革命を目論んだ公然スパイと呼んでもオカシクはない。
文化大革命(1966~76)は、中国政府自体が1981.6の中共中央全会で全面否定の歴史決議(毛沢東の極左的誤謬)を行っているにもかかわらず、朝日新聞から過去報道の訂正・謝罪の弁明を聞くことは現在に至るも一切ない。
跋扈する「左翼ペテン紙」たる所以である。
秋岡の娘が上海万国博日本産業館館長(代表・堺屋太一)に就任していることに、中国政府との変わらぬ怪しい関係を感じられずにはいられない。
開幕直前になって上海万国博公式PRソングで岡本真夜の曲「そのままの君でいて」のパクリ問題が起こった。
秋岡榮子館長はこのような問題にも中国側の立場で、関わっているものだろうか。
いずれにしても榮子館長就任は日本側が忖度依頼したのか、中国側のご指名なのか、中共の公然工作員の娘だけに、日本人目線としてはスッキリするものではない。
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検察審査会(検審)の鳩山由紀夫が「不起訴相当」、小沢一郎が「起訴相当」の裏読み

2010-04-28 20:56:53 | Weblog
検察審査会(検審)の議決で鳩山首相が「不起訴相当」、小沢幹事長が「起訴相当」となった。
検察調書の検分結果としての総合判断であるわけだが、裏読みのひとつとして、愚かな鳩山(LOOPY)には共謀する能力もない丸投げのバカボンだから(知らなかった)、「不起訴相当」でいいだろう。
一方、狡猾で決して気を許さない一郎のことだから、共謀は確実で「起訴相当」の先に真実あり。と国民感覚(審査会委員)には写ったものだろう。
検察における再捜査は、参議院選挙を挟んだ3ヶ月以内に求められている。
4.27の改正刑事訴訟法・改正刑法の成立・施行(時効廃止など)のひと段落で、懸案の検察最高幹部の人事異動は連休明けにも発表されることだろう。
昨年の政権交代以降、陰に陽に民主党政権の人事権(検事総長の民間登用論)や指揮権発動をチラつかせた圧力が法務・検察当局になされていた。
東京高検検事長の検事総長昇任を前提に、鳩山・小沢両人の捜査に検察当局が慎重になっていたことは否めない。
これで5月にも首脳人事の異動がなされ、検察の捜査判断と決着は次期体制に委ねられることになったと見られる。
そのなかで、小沢の政治資金疑惑の起訴に強い意欲を示していた最高検検事(地検担当)の大鶴基成元特捜部長が東京地検次席検事として、先行して3月1日に移動していることが捜査の新たな進展を予感させる。
4.28のテロ朝(テレビ朝日)の小沢擁護のコメント続出には、いつもながらあきれ果てて見ていた。
大谷昭宏、鳥越俊太郎、落合恵子、森永卓郎、川村晃司の必死の小沢擁護コメントには、(特亜工作かと)見ている方が恥ずかしさを覚えてしまうほどだ。
メディアに見識があるのなら、(8割ほどの)多くの国民から理解を得られない小沢一郎の疑惑に十分な説明を求めるのが先ではないのか。
あらためて「テロASA」の「アサヒる」全開模様を感じ取った。
法治国家の結論として小沢が確実にクロとは言えないかもしれないが、公人としての説明責任は政治家ゆえに大きいはずだ。
それを擁護にはしる赤化コメンテーターは、公然スパイと見なされてもしかたないだろう。
番組進行の台本に目を落としながら語るだけに、テレビ朝日自体の制作意図が反映された組織的偏向放送とみられる。
BPOも内輪の都合良い議論にしないで、検察審査会のようなメディア審査会を立ち上げて国民一般の視聴者目線の意見を取り入れたら健全な報道として評価されるだろうに。
デジタル化を控えて左翼メディアは奈落に向かって突き進んでいるようだ。 
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斎藤茂吉作・1952年の講和祝典歌「日本のあさあけ」

2010-04-28 16:37:50 | Weblog
4.28は58年前の1952年に講和条約が発効した、敗戦後の占領下(6年8ヶ月)からの独立記念日でもある。
この記念すべき講和条約発効を祝した講和祝典歌「日本のあさあけ」が、山形県が誇る歌人斎藤茂吉によって作られている。
前年の秋(1951.11)に文化勲章を受章した茂吉であったが、新宿区大京町の自宅で病に伏せる身の中で、天野貞祐文相の依頼に応えて書き上げたのが、講和祝典歌「日本のあさあけ」であった。
作曲は「海ゆかば」(1937)の作でも知られる信時潔である。
茂吉は翌年の2.25に心臓喘息で亡くなっているので、私的な歌以外では晩年最後の労作であったことであろう。
この講和祝典歌は、(1952)5.3の講和条約発効の独立式典と新憲法施行5周年記念式典の共催として、昭和天皇の詔書を戴いて、皇居前広場で披露された。
事前に朝日新聞が祝典歌の記事を掲載したことで、社会・共産両党などから「言葉の意味が難解だ。復古調である。」などと国会の場で議論(4.3参・文部委員会)にもなった。
そしていわゆる先頃までの「君が代」と同様に、国民に歌うことを強制はしないなどとの言質をたてに、奉祝式典の披露歌としてのみで収束してしまったようだ。
最近になって、講和発効の意義と国家の独立の認識を新たに、(4.28を)主権回復記念日とする国民運動が、ささやかながら展開されてきている。
多くの国民が、茂吉作の講和祝典歌「日本のあさあけ」を理解し、歌えるようになることが、さらなる国民運動の推進につながるものと考える。
また、この4.28こそ、先の大戦で散華された英霊に敬礼し、日本国首相が靖国神社に参拝すべき日ではなかろうかと思う。
講和条約と日米安保条約の調印は1951.9.8~9であるが、この条約締結の承認を得る国会(10.18講和・安保特別委員会)で、吉田首相は「いつまでも外国によって、その安全を守ることは国民のプライドが許さない。国力が許せば、将来は自ら守る力を持つことは当然である」と述べた。
この委員会終了後に、吉田首相は各閣僚・衆参両院議長とともに、戦後初の靖国神社例大祭に赴き、首相として6年ぶりに公式参拝を果たし、英霊に講和の報告を行ったのである。
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「日本創新党」の山田宏・杉並区長には期待したいのだが・・・・

2010-04-28 13:31:04 | Weblog
首長新党として結成が待たれていた「日本創新党」(代表・山田宏杉並区長)の、結党が発表された。
自民党歴が長いブログ子であるが、松下政経塾出身でこれまでの言行から期待したい政治家として、野田佳彦財務副大臣と山田宏杉並区長には注目していたものである。
ともに民主党に所属歴があるが、いまの日本人に最も求められるべき保守の国家観・歴史観を持ち合わせているからである。
かつて会田雄次京大名誉教授が、講演で憂慮していたとする「宗教観・道徳・歴史」を学ばなかった世代が国家の中枢となる現在、鳩山内閣誕生で一気に噴き出したような憂悶の感がする。
会田教授の指摘はGHQの占領政策(敗戦日本の国力解体、日本人の思想改造)に阿た政治家・知識人、重ねてそれを利用して浸透工作に入った社会主義・共産主義勢力に任せるままに、戦後民主主義(赤化工作)の美名のもとに是認してきた60年余の日本人精神の腐敗と堕落を指しているものと思われる。
(対日占領政策基本方針に基づいた)1945.12.15の「神道指令」、12.31の「修身・日本歴史・地理」の授業禁止と教科書の回収指令は、日本人から「宗教観・道徳・歴史」を喪失させる去勢策(隷従化)そのものであろう。
野田財務副大臣は政府側の立場として自由な振る舞いを制限される身であるが、山田区長は中核派(新左翼)の拠点の一つでもある杉並区で、堂々と左翼勢力と対峙してきた10年余の経験と実績がある。
これほどのブレのない保守性観を持ち合わせた政治家は、自民党内にもほとんどいない。
そのうえで財政構造改革もしっかりと進めてきている。 いまこそ求められる保守政治家像である。
鳩山政権に入った前原国交相は、メディア登場から評価する向きもあるが、「永田虚偽メール」問題でも露呈したことだが、八ツ場ダム建設中止・JAL再建問題など前後を考えない言行が多く、トップリーダーとしての器量不足がまたも浮き彫りとなった。
松下政経塾出身者でも個人の資質が色濃くでてくるなかで、数合わせの政党・政治集団を急がずに、個別政策の前に個々の政治理念・信条を基軸に「日本創新党」の結集を計って行って欲しいものだ。
斎藤弘前山形県知事も結党に参加しているが、彼から山田と同様な確固たる保守の理念を感じ取れるものではない。
5年余りに亘り観察してきたブログ子の見立てである。
「日本創新党」の山田宏・杉並区長に期待するものは大きいのだが・・・・、そのためにも、参加メンバーの理念仕分けを精査すべきである。
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公然反日プロパガンダ機関の朝日新聞グループとNHK

2010-04-22 16:36:41 | Weblog
品性の無さを省みないテレメディアの男芸者・田原総一朗が、テレ朝のサンプロから消えた。
後継番組の「サンデー・フロントライン」開始で、多少は品格のあるものに改善なるのかと思っていたが、レギュラーコメンテーターが、坂本義和の弟子藤原帰一と在日の姜尚中が出てきた。
 これってNHKとキャスティングが同じパターンですね。
背後につながる特定アジア勢力の工作番組として、朝日とNHKに連関するものが明確に見えてきた。
朝日新聞グループ、NHKに巣食う左翼腐敗勢力が特亜機関と結託して、偏向プロパガンダ工作をこれからも実行していくことになる。
1971.に中国がニクソン政権に接触をはかり、キッシンジャー補佐官の隠密訪中を導いた。
連動するように同じく北朝鮮による対南(韓国)、対日国交正常化工作がペースアップする。
1971.5の北朝鮮帰国事業の再開(1968.から中断)、田中内閣誕生を機に、在日朝鮮人への再入国査証発給が緩和されることになる。
いまになって振り返ると、この発給緩和措置が拉致工作員の活動を容認するような「まねき猫」にもなった感がする。
1971.9、北朝鮮は朝鮮総連を通じて、朝日新聞に金日成との会見を持ち掛け、応じた後藤基夫編集局長訪朝団一行は、帰国後に北朝鮮礼賛記事を連載して、(日中に続く)日朝国交正常化を煽る。その陰で、次々と日本人拉致事件が行われていたのである。
坂本義和は、拉致事件が北朝鮮によるものと判明した今日になっても、(事件解決を)棚上げして人道的援助が必要などと述べている。
加藤紘一も藤原帰一も坂本に忠実な教え子である。 
所詮、朝日の左翼報道のこととなるが、最近のテレビ朝日と週刊朝日の酷さは特に目がつく。
姜尚中は1972年夏の訪韓から、日本名・永野鉄男を捨て、韓国名を名乗り始めた。 
ちょうど、1972.7に「南北朝鮮共同声明」が発表されたときからである。
北朝鮮は統一に向けた共同声明の裏で、金大中を使って朴政権の転覆密議を日本を舞台に行っていたわけである。
金大中事件はこのような中で発生した。 自民党内でも北朝鮮シンパとして支援していたのが宇都宮徳馬(河野洋平)である。
金日成ともつながる公然スパイの何物でもないだろう。
その自民党よりはるかに腐った民主党政権となって、全共闘の機関紙と揶揄された朝日ジャーナルの回収事件に及んだ、1971.3の「朝日は赤くなければ朝日じゃない」の再来を彷彿とさせる“左翼ガン細胞”が、日本壊死に向かって破壊活動の転移拡大に励んでいるようだ。
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日本の鳩山首相は、「クルクルパー(LOOPY)」

2010-04-19 14:20:32 | Weblog
日本の鳩山首相は、「クルクルパー(LOOPY)」。
オバマ政権の高官たちが、鳩山首相に対し、心からの軽蔑を感じている表現として「ルーピーハトヤマ」と評した。
ルーピーの和訳は「狂気の」「ばかな」「湾曲した」・・・などがあるが、幼児語の「クルクルパー(LOOPY)」と呼びたい。
鳩山が首相に就任するにあたっては、アタリハズレの抽選で偶然になった訳でもない。
民主党衆議院議員の300余人の中から、党代表として選出され、そのうえで国会において内閣総理大臣に指名されたものである。
政治歴も23年に及び、与党経験(自民党・さきがけ)も官邸勤務(細川内閣の官房副長官)もある。
最高学府(東京大)を経て、成長過程の家庭環境もあらゆる面で恵まれた「名門鳩山家」のなかで育ってきている。
還暦を迎え人生経験も豊富であるはずだが、その完成度が「クルクルパー(LOOPY)」である。
そのルーピー鳩山の称号を戴くリーダーを抱えることで、現在の日本は国家全体が沈没に向かう危機的状況であり、その(選出)反省と不幸は全国民が共有しなければならないものであろう。言葉が軽いではすまされない。
やはり、頭そのものが軽い「クルクルパー(LOOPY)」と外国人たちは見ている。
王様に「王様、裸ですよ」と伝える従者のごとく、「総理はパー(バカ)なんですよ」と、だれか側近が直ぐにも伝えるべきである。
戦後民主主義、団塊世代が歩んだ戦後教育“ダメ日本”の象徴が、鳩山由紀夫であったのかも知れない。
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今年の流行語大賞は、「ユキオくん(いかれた奴・LOOPY)」で決めたいものだ。

2010-04-16 12:45:20 | Weblog
米紙ワシントン・ポストは4.14日付コラムで、核安全保障サミットに参加したものの、オバマ米大統領と公式の首脳会談を行えなかった日本の鳩山由紀夫首相を、「いかれた奴(LOOPY)」と皮肉った。平野官房長官は記者会見で、(WP紙が)酷評するコラムを掲載したことについて、「一国の首脳に対する表現として、いささか非礼な面があるのではないか」と不快感を示した。さらに米側関係者の話として、「オバマ米大統領は、鳩山(いかれた奴)と会談するのは本当に嫌だ、顔も見たくないというような表現までしたそうだ」との情報もある。日本人として恥ずかしい限りであるが、間接的とは言え、選んだのは国民有権者だ。一日も早く自決して欲しいものだが、公邸の女帝・幸は「ゼッタイ辞めさせない」と連日ネジを巻いているそうだ。辞めたりすれば、機密費使っての浴室改造のウソがばれてしまう。尻に敷かれっぱなしの「哀れな『いかれた奴』」は、豆のえさを与えられてただ従うばかり。コラムは「いかれた首相」とオバマ米大統領との非公式会談(10分の隣席機会)について「慰めとして与えられた」と指摘。各国首脳外交の総括で、「LOOPYハトヤマが最大の敗北者」と結んでいる。ワシントン・ポストによって、世界中に紹介された「バカな日本の首相」。今年の(国際)流行語大賞は、広く子供たちにも使える「ユキオくん(いかれた奴)」で決めたいものだ。なお、「いかれたメディア」は、「アサヒるメディア」で変わり無し。
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保守政党期待で巡らすこと。中朝の内政干渉に与する行為は、公然の「スパイ活動」

2010-04-10 18:57:26 | Weblog
平沼・与謝野新党「たちあがれ!日本」に対するメディアの扱いが、ふたりの政治理念が違う集合体であると否定的である。
たしかに平沼・与謝野のこれまでの政治行動から政策の相違はあるが、決して交わらないものではない。
郵政問題に関しては小泉政局のなかで、民営化が是か非かとなったもので、いまになっても民営化そのものに反対であれば困りものだが、民営化のもとで修正論点を議論すればそう大したことでもなく、郵政職員労組の視点よりも国民本位の制度改正を念頭にすれば収まり所は容易に見えてくるであろう。
財政再建、経済対策は相関する政策課題であり、直近政策として経済安定化策、その推移のなかで財政再建問題を確実に計画実行に移していくもので、(計画策定を何年にするかなどの合意で)なんら大きく対立するものでもないだろう。
もっとも基軸とすべきことは、外交・安全保障政策のスタンスで、政治家個人の国家観、歴史観こそが政党結集の支柱になるべきであろう。
新党は、自主憲法制定を挙げているが、これは自民党結党の党是でもある。
自主憲法と謳う通りに、条文以前の問題として、GHQによる「占領(下)憲法」を日本人の手で制定するという政治目標が基本にある。
それすらも否定するものであれば、自民党議員を名乗ることも逸脱する政治信条の持ち主として、すぐにほかの政党に移籍すべきである。
独立国家の政治家として(中韓朝などの)内政干渉に応える政治家も、それだけで(保守)自民党議員失格である。憲法改正は現行憲法上極めて条件が厳しいものであるが、法律上のテクニカルな解釈によっては別の局面もでてくるであろう。
思想信条の自由が認められている日本人の行動として、内政干渉に屈せずに粛々と靖国神社参拝を実行できる議員のみを、新党「たちあがれ!日本」の基軸にすれば、自民党ほかの政党の保守系議員との連携は極めて国民に解かりやすい政治結集の核となる。
保守再生を掲げる国家観重視の平沼赳夫と消費税増税を中心に国家財政の再建を主張する与謝野馨とは、だいぶ肌合いが違うなどと、メディア解釈が散乱しているが、これなどは批判派に乗った短絡な報道姿勢である。
ブログ子の意見としては、自主憲法制定は当然として、郵政民営化は賛成で金融安全保障策に限定的措置を考える。
財政再建も当然に喫緊の課題とするが、まずは経済安定策を図り、そのうえで出来るだけ早期に財政再建策を実行せしめることとするものである。
議員個々が身近な日常行動として靖国神社参拝の一点を基軸にすれば再建保守政党が見えてくる。
議員は同時に靖国参拝に異議のある有権者に対して説得する理論武装が求められることになる(歴史教育不在の戦後教育が問われる)。
逆にこの一点行動をクリアできない議員は保守にあらずのレッテルを張る格好の仕分け作業(踏み絵)となる。
理不尽な内政干渉に屈しない政党こそ、「真の保守政党」の証しである。保守政党期待で想い巡らすこと。
他国による内政干渉に与する行為は、公然の「スパイ活動」であり、諸国では安全保障上から処罰対象になるもので、隣りの中国などでは死刑が免れないだろうに、日本では議論にすらならない「スパイ天国」が実態である。
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第三極新党構想が入り乱れる中で、政界再編に期待。

2010-04-10 12:41:15 | Weblog
第三極新党構想が入り乱れる中で、いま冷静に振り返って見ると、自民党政治(日本政界事情)の劣化崩壊は約20年前から始まっていたんだな、と深く感じ入っている。
繰り返される「政治とカネ」の問題が起きるたびに、(選挙・政治資金の)制度論にすり替えて小手先の改正で政権延命を図ってきた。
もっとも無責任野党などは、話の端にもならないものなのだが・・・。
とくに、1993.7の野党転落時に、河野洋平を総裁に選出したことは、いま振りかえると自民党にとって致命的であった。
この野党に下った時こそ、保守政党の再構築をすべきチャンスであったのに、政治改革優先の美名のもとに「選挙制度論」に舵を切り、政治家自身の信条・理念による政治結集論議がまったくなかったことである。
むしろ、宮沢・後藤田などのリベラル派は、小沢一郎が憲法と自衛隊の海外派遣を整合させる「小沢調査会」の報告書答申、自署「日本改造計画」で発表された、安全保障基本法構想などに対して、(河野自民党が)対抗軸として、より左に路線を修正したことで、現在の(社会主義)民主党政策にすぐに反応できる保守思想を喪失した党現状を作りだしてしまった要因となっている。
先頃の人事で河野太郎を幹事長代理に起用したが、谷垣禎一(要職ならまだしも)を党総裁に選んだことや、河野太郎が(20人の推薦人を以って)総裁選挙に挑戦できる党内事情は、もはや保守政党とは言えない状況である。
河野一族について述べてみると、河野一郎(当時農相)は己の北方漁業利権を優先させて北方領土問題を棚上げさせた。 戦後60余年、いまだに解決をみていない。
田川誠一(元朝日記者)は中国の言うがままに日中記者交換協定(1964.4)を取り決め、親中議員として従兄弟の河野洋平と被対日工作ルートとして国交回復以前から活動している。
伊藤忠兵衛の娘を娶った、洋平と(伊藤忠商事の)親中売国行為はいまさら言うまでもないだろう。
吉田茂はガンで病床にあった池田首相に、「河野(一郎)のような容共政治家を許すな」と書簡で説き、後継禅譲(1964.10)を佐藤栄作に導いている。
河野一族が三代にわたり行ってきた国を売る政治行動に対して、何の指摘することもなく容認し、勝手な言動を許しているのは保守政党の自壊を表すものである。
宮沢喜一は資本主義体制を維持することを、自身の「保守政党(観)」と述べ、歴史や伝統による総体的な国家観を備えた保守には一切言及していない。
宮沢は、戦後政治のなかでもっとも長く与党政治の中枢で与してきた政治家であるが、大平首相急逝で誕生した鈴木善幸内閣(1980.7)の官房長官となったときから、自民党政治は軸足が左に少しづつ移動してきたように思われる。
リベラル派は、戦後日本の永劫指針として「吉田ドクトリン」を持ち出し、軽武装(米国依存)で経済優先策を自民党の中心に据えようとの論調(朝日新聞や岩波など)を定着させようとしてきた。
吉田自身が反省の弁として述べているが、「吉田ドクトリン」は経済復興までの当面の政策指針であって、長期的展望を論じてきたものではない。
吉田は佐藤内閣誕生(1964.11.9)にあたって、自らが安全保障政策課題に十分に取り組んでこなかった責任を痛感して、直弟子の佐藤に「再軍備問題や憲法改正を政治課題にする必要性」を申し伝えている。
(翌1965の日米協会での晩餐会挨拶で、吉田は核武装検討の問題提起発言もしている)
中国が初の原爆実験成功(10.16)、米の原潜シードラゴン号が佐世保に入港(11.12)し、左翼の抗議行動に覆われていた時期である。
日本共産党は、中国の原爆実験直後の第9回党大会(11.24)で、臆面もなく中国共産党路線(毛沢東思想)を確認しているのだから、(共産党が)核廃絶運動などと言い張るのはペテン紙朝日新聞と同じ狂った思考集団(単に反米親中)と言える。
11.17、朝日新聞は広岡知男が代取専務となり、中共の対日工作紙としてアクセルは全開過程に入る。
このような中で、黄砂ならぬ赤化に塗られたスパイもどきの親中リベラル議員が、自民党に正面玄関から次々と侵入してきたわけである。
いま日本人としての誇りと矜持を以って行動できる政治家がどれだけいることだろう。
馬鹿ポッポ首相はすでに浸透工作完了のように思えてならない。蘆武鉉のように自殺する覚悟さえ持ち合わせていないだろう。
新党「たちあがれ!日本」は齢70歳の政党として、国民の受け取りはあまり芳しくない。
ただ、全学連~全共闘世代に重なる60歳代の左傾化した体たらく議員(鳩山兄弟・小沢・菅・加藤・中川秀・・)に引導を渡し、人生最後に立ち上がれの気概を示し、講和後の若い世代にカツを入れ呼び掛けていることには違いない。
(みんなの党・首長新党との)第三極の争奪合戦が政界再編につながっていくように思えてならない。
民主党の中には与党の一員として口を噤んでいるが、正常な安保感覚を持った議員は半数ぐらいはいるはずである。
幾ばくかの期待感を持って見つめていたい。
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新党報道で、山形県も渦中入り。

2010-04-10 09:03:33 | Weblog
昨8日は、記者や友人から多くの電話をいただいた。
新党結成に湧く政界事情のなかで、前山形県知事の斎藤弘が、“首長新党”に参加表明の一部報道がなされたことによる。
さしずめ党名は(山田・中田・斎藤で)「新党HIROSI」では、などと洒落た思いをうかべたのだが。斎藤と初めて相対したのは、平成16.11.25である。
「やまがた夢未来機構」代表と名うったパソコンでの手作り名刺を(いま手元で)見ながら思い起こしている。
10日ほど前(11.14)の自民県連選対会議(グランドホテル)で、加藤紘一は「かならず、良い知事選の候補者が出てくるから(それまで)期待しよう」と言い切った。
そして突如の出馬表明したのが斎藤弘であり、加藤が背景にあるとのこと。
機を狙った隠し玉であろうと素直に期待したもので、「それでは、逢ってみたいものだ」となったのが、11.25であった。
以後数日間、斎藤との遣り取りのなかで、「チョッと、おかしいな。本当にこの人物で大丈夫なのか?」との思いがつのり、加藤系県議に「加藤代議士は、しっかり人物評価したのか?」と問えば、「ダメだったら、4年で代えればいいじゃないか」と言う。
某代議士秘書にも同様に懸念を訴えたら、(加藤に任せきりで、斎藤をよく知らないのに)「すでにうちの先生は、『すばらしい人物が名乗り上げた』と後援会に告げてある。支援集会の計画も進めてある。いまさら、待ったは掛けられない」と言う有様。
さらに判明したのは、今井幹事長は2ヶ月以上前から(それも県外で)密会し、出馬潰しに(断念を勧め、現職サイドで)動いていたことである。
そのうえで「斎藤なる人物が名乗りあげたようだが、まったく知らないことだ」と、約3ヶ月間も知らぬ存ぜぬを通していたのである。
ブログ子は当時のA記者にその情報を与え、詰問した結果、しぶしぶ密会を認めたと報告を受けた。
県民の知らないなかでの130万県民のトップリーダーを選ぶ選挙戦前での(現職4選派と、(この際)だれでもいいから擁立派の)ふざけた内輪の舞台裏模様であった。
結果は現職批判の風が功を奏し、新人斎藤の僅差での勝利となったが、再選を目指した平成21.1の知事選では、攻守立場が代わり現職批判に晒されて吉村女史に敗れた。
斎藤陣営は財政健全化などの政策は評価されていると県政運営の実績を訴えたが、県民過半の理解は得られなかった。
斎藤の言行を見てきているものとして、「政策は評価されたが、性格(手法)が否定された結果」と見ている。
このたびの行動も、解からないものではないが、先にやるべき手順が蔑ろにされている感がする。
性格(人間性)はそう変わるものではないものだ。
斎藤はジュンズ・ホプキンス大に学んでいるが、新渡戸稲造の「武士道」への理解は薄いようだ。
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メディア工作の「政権交代、ええじゃないか」報道、鳩山迷走で失う有形無形の国家益

2010-04-06 22:49:54 | Weblog
明治維新が成された直後(1868.5)、後の東京日日新聞社長・福地源一郎は江戸で創刊した「江湖新聞」で、「ええじゃないか、とか明治維新というが、ただ政権が幕府から薩長(薩摩藩と長州藩)に変わっただけではないか。ただ、幕府が倒れて薩長を中心とした幕府が生まれただけだ」と厳しく述べた。
これが新政府側の怒りを買い、新聞は発禁処分、福地は逮捕された。明治時代初の言論弾圧事件である。
1917(大正6)9.8、原敬政友会総裁(首相就任は(1918)翌年9月)は、生地・盛岡報恩寺での『戊辰戦争殉難者50年祭』の祭文奉読で「戊辰戦争は即ち政権の移動のみ。当時は勝てば官軍、負ければ賊軍との俗論あり」と述べ明治維新の欺瞞性を呈した。
これに先立つ(大正3)1914.3に原内務相(山本権兵衛内閣)は、山本首相宛て上奏書で「文久2年4.23の寺田屋事件、元治元年7.19の禁門の変」での死者の靖国神社合祀を問い願う。
翌1915.4.27第39回招魂式で明治維新(会津藩士など禁門の変の天皇方61名)の合祀がなされた。
実に半世紀近く経っての合祀判断であった。(それほど靖国合祀は、明治新政府(薩長)のご都合判断だった)
先の総選挙では、“アサヒる”メディアは見識を横に置き「政権交代、ええじゃないか」の報道を捲し立て、鳩山民主党政権誕生を後押ししたが、結果として今日の内閣迷走で信頼と国益を失い、メディアの信頼性も奈落に堕ちた。
福地源一郎の正常観な明治新政府批判と昨今の左翼工作メディアの「政権交代、ええじゃないか」の煽動報道姿勢は、まったく違うものだろう。
鳩山迷走で失う有形無形の国益損失は、必ず売国メディアの業失死を以って返さなければならない。
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『平沼新党』の立ち上げ、まずは靖国神社参拝の仕分けから!

2010-04-06 20:44:06 | Weblog
百貨店業界の売り上げ現象傾向は止まる気配も無く、生き残りを賭けた経営統合、増床・リニューアル実施など手を尽くしても、本格的な回復予測などまったく見えてこない。
大手の経営幹部は「消費者のライフスタイルや購買行動が激変している。」と述べ、消費者の変化に対応した百貨店作りを急ぐ考えを示している。
日本の中央政界現状 も同様の感がする。
これも既載していることであるが、昨年総選挙後の県連総括会議(9.12)で、ブログ子は「今の自民党はなんでも揃い(保守からリベラルまで)の旧い百貨店の様相で、有権者に解かり易い専門店化(家電量販店・ユニクロ・ニトリなど)に業態転換が必要だ。 それには自民党を分党すべきである」との主旨を述べた。
ここ数日「新党結成報道」がなされているが、はたして有権者が驚くほどの業態転換(新党結成)であろうか実に疑わしい。
民主党の支持率が落ちながらも自民党に還ってこないのは、国民からそんなに両党の違いが見えてこないところにある。
政策・理念の違いが有る、無しをメディアは報じるがそれでも議員個々の発言と行動が合致するものとは言い難い。
今国会で提出遡上に上がっている重要法案(国家破壊法)で、地方参政権法案、夫婦別姓法案など、各議員の国家観を問うものがあるが、このような国家観の理念を凝縮した賛否理解と歴史観・安全保障観の絡んだ政治家行動こそ、日本人としてどのような立場であろうとも粛々と靖国神社参拝を行う姿勢ではないのかと考え至るのである。
それは(個人完結主義に対する)祖先を敬い、現生に課せられた義務と責任を誓う(家族主義の)儀式のような思いがする。
その支柱を以ったうえで、その先の道を選択する議論は、国民に見えるなかで民主的に大いに行えばいいことだろう。
ただ支柱の無い「方便政党」では困りものだ。
保守政党期待派からすれば、“赤(左翼リベラル)と黒(疑惑政治家)からの脱却”が、直近旗揚げ成功の最低条件だ。
経済政策はタイムラグの相違で説明できようが、新党参加を取り沙汰されている鳩山邦夫・橋本大二郎などは論外である。
『平沼新党』の立ち上げ、まずは靖国神社への参拝是非の仕分けから始めよ!
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古川貞二郎元官房副長官の「霞が関半生記」を読んで・・・

2010-04-02 12:11:40 | Weblog
官僚のトップとして5人の総理に仕え、在任8年7ヶ月の歴代最長期間にわたり日本の政治に参画してきた古川貞二郎元官房副長官(事務担当、1995.2~2003.9)の「霞が関半生記」を読んだ。
その中で気に留めたフレーズがあった。
古川が副長官在任中に早稲田大学から請われて、大学院公共経営研究科の客員教授として講義に臨んだ初日(2003.4.19)のこととして、「ある学生が、『先生(古川)が今、日本で一番重要と思うことは?』との質問に対して、即座に『権限と責任が乖離している。その結果、言葉が軽くなっているのが一番の問題』と日ごろの考えを述べた。自分が深く心に思い、努力しようという気持ちもなしに、その場に合わせて発言する言葉は軽いということだ。多くの学生が深くうなずいていた。」と記している。
普通目線でみても至極当然にも思えることであるが、政治の中枢にいた古川には、この著しい現状風景の問題として感じとっていたので、とっさに反応するように答えたのであろう。
政治家・官僚共々に及ぶ思いであろうが、国家の最高指導者である鳩山総理の発言を聞くたびに、内閣崩壊、国家沈没とも危惧されよう連日の報道にさらされている。
鳩山周辺に古川のような適任助言者がいないのか。それとも政治主導を旗印に、夢遊病の暴走ハトとして勝手気ままに飛んでいるものなのか。
このままでは鳩山由紀夫が政権退陣、議員辞職したとしても、失われた国政の正常化には相当な時間がかかることだろう。
せめてもこのような愚(マザコン総理)を二度と迎えないためにも、国民は政治史に最低な暗愚首相“ハトヤマ”として永久に語り継ぐことを刻み込むべきではないのか。
5月末の普天間問題の解決期限に際しても自ら決断することもできないだろう。
鈴を着けられるのは、安子ママと妻の幸しかいないのではないのか。
辞め方すらも解からない呆言三昧の“馬鹿凡首相”でしかない。
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