山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

憂うる国情方程式に見る、「鳩山兄弟家」-「資産(カネ)」=「社会バカ」≒「国賊」

2010-03-30 19:08:03 | Weblog
3.29(昨日)、谷垣禎一自民党総裁が来県。
これが総裁就任以来の全国行脚の最後として、山形・福島両県訪問で全47都道府県を渡り歩いたとされる。
売れない歌手のドサ回りと揶揄する声もあるが、まずは御苦労さまと申し上げるも、支持率上がらずで敗戦処理投手(党首)の消化試合の感がする。
同日、東京地裁での鳩山首相元秘書・勝場啓二被告(業際研事件の矢田弁護士が弁護人)の偽装献金事件初公判で、検察側は毎月1500万円を提供していた首相の母安子による上申書を証拠提出。「資金を提供していたことは由紀夫には話していない。親がお腹を痛めて産んだ我が子を助けるのは当たり前で、話せば恩着せがましくなると思った。本人は知らないはずです」、などとする内容を読み上げた(弁護側からではない・・・?)。
それでは弟の鳩山邦夫、さらには姉(井上)和子にも同期間同様の資金提供をしていたことも、当人知らずの「親バト勝手手当」と言い張るのだろうか。
ブログ子はこれまでも鳩山由紀夫の政治家不適性を論じてきたものだが、今日の首相言行による揺らぎ政情を踏まえて鳩山シンパの議員は、由紀夫の政治器量を評価したものではなく、単に「鳩山マネー」に群がっていた「集り構図」だけではなかったかのではと検めて疑わざるを得ない。
鳩山邦夫にしても、相変わらずの新党結成などと遠吠えを吹いているが、「鳩山マネー」在りきの“エサ金”を振りかざしている愚かな行動としか見えない。
政治活動にカネはかかるが、カネで政治を買えるようでは民主主義の本旨をはずれている。
3.28、鳩山夫妻は早春のバカンスとばかりに南房総の静養に訪れた。普天間、郵政見直し、子供手当問題など国民生活に直結する難問が降りかかる年度末に、プライベート行動をさらす感覚は国民意識から乖離しているとしか思えない。
鳩山思考に見える国情方程式は、「鳩山家」-「資産(カネ)」=「社会バカ」≒「国賊」。首相令夫人・鳩山幸が宋慶齢(孫文夫人で反日、最後は中共副主席)の再来でないことを祈りたい。
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政治の信頼回復に、「現議員と新人候補者の適正仕分け」から始めよ!。

2010-03-25 22:01:49 | Weblog
鳩山民主党、谷垣自民党ともに国民有権者からの信頼を取り戻せていない。 
一度失った信頼回復はこれからも容易ではないだろう。
民主党は政権発足当初には、自民党(自由民主党)から自由を無くした政党だと言われたが、どうやら小沢一郎独裁体制で、党内民主主義も無いタダの「党」だけだとも言われる。
さらに、党綱領さえないのだから「政党」とは言えないとの声もあり。 結局、民主党は「○○○○」のユーレイ(幽霊)の存在となる。
さすれば、根なし草のように地に足が着いてないのだから鳩山首相の「揺れる」「ブレる」は、人間世界と異にした当然の超常現象となって当たり前、鳩ママ(鳩山安子)がホウキに乗って幾らでもゼニを運んで来てくれるから財政赤字など何の心配も無いニッポンなのだな。
などと、呆れ笑いででも不満を吹き飛ばすしかないものかと、途方に暮れる今日の政情である。
テレメディアなどの発言で、「自民党は歴史的使命を終えた」「冷戦構造が崩壊して(反共政党の)存在意義が無くなった」などで括った言葉がよく使われる。
加藤紘一などもその例である(1960.安保反対運動をやり、東大で坂本義和ゼミを受け、ハーバードの修士論文は「盧溝橋事件が起きるまでの一年」の加藤が自民党議員で居ることこそが、雑種政党に成り下がった証明)。
が、(1955.11)結党からの政治史を見れば、数合わせを優先したために、立党精神の保守理念からかけ離れた雑種思想が交り過ぎて、血統書付きの(真正保守)自民党議員が少なくなってきた現状にこそ、民主党の連続自失に際しても、野党からの失地回復が出来得ない大きな問題があろうと感じている。
立党の使命を忘れた、或いは外れた護憲派リベラルを仕分けすることから始めることが、信頼回復の第一歩であろう。
護憲派・反靖国派・媚中朝派(公然スパイ)などは、自民党として議員仕分けの対象にすべきで、民主党内保守系議員とトレードすればいい。
新人候補者選定では、思想理念を確認してゼミの指導教授・卒論内容なども精査して、政党の基本政策(縦軸)との整合性を以って選考を行うべきである。
経済財政政策(横軸)はアクセルとブレーキの両用操作のようなものだから、時宜にあった党内論議をいくらでも深めればよいだろうが、国家観・歴史観はできるだけ明確(タイト)にした方が国民への揺るぎない基本理念の政党アピールとなる。 その揺るぎない基本姿勢・発言こそが政治家との強い信頼につながる。
政治の信頼回復には(民主・自民)両党とも恐れずに、まずは「現議員と新人候補者の適正仕分け」から始めよ!。
自己の過去行動を総括し、転向声明して新たな政治活動をするのであれば国民理解もできようが、理念不在の出たり入ったりの渡り鳥が常態化している。
それだけに、議員個々の思想理念の生の声が求められる。
最初にすべきことは、自らが政治家たりうる人物なのか、鏡に向かって「自分仕分け」から入るべし。
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亀井郵政改革担当相の、郵政改革法案に国家的戦略などあるのか?。

2010-03-25 19:46:06 | Weblog
3.23、亀井静香・郵政改革担当相は、郵政民営化路線を転換する郵政改革法案が固まったと発表した。
ゆうちょ銀行の預け入れ限度額、かんぽ生命の保険金上限額をそれぞれ引き上げる内容となっており、巨大官営企業の“肥大化”による「民業圧迫」と、閣内からも批判の声がでている。
1992.12月の初旬、キャピトル東急ホテルで金融問題関係団体との朝食会があった。
座長は小泉純一郎で、銀行協会を始めとする各金融団体の代表が、(当時も)議論の的となっていた郵便貯金の預け入れ限度額の引上げに対し総じて、「官業による民業圧迫」との反対の声を上げていた。
小泉座長は、団体総意の申し入れに対して、郵貯の限度額引上げ論を歯切れよく非難して、異見に沿うように党内で議論していく旨を述べて散会した。
その3~4日後くらいだったと記憶するが、宮沢改造内閣が発足し、小泉は郵政大臣として入閣(12.11、宮沢首相の深謀があったと思われるが)する。
小泉と郵政族議員(郵政省)との『郵政改革戦争』が勃発することになる。
たいていの政治家は立場を異にすると持論を控え、折合いをつけて要領良く立ち回るのが常であるが、小泉純一郎に限っては敵陣に単騎で乗り込んだ風でも、決して自論を曲げなかったことに、ブログ子も正直驚いたものである。
飯島秘書官とのタッグで、郵政官僚と対峙できたのも強烈な個性によるものであろう。
郵政民営化論議は小泉内閣誕生まで鎮静化するが、(2001.4)内閣発足と同時に、不良債権の最終処理と財政構造改革のなかで、郵政民営化は小泉政権の最重要課題として浮上することになるが。
この直前に、現大臣・亀井静香との総裁選挙での、その後の長い命運をかけた政治家同士の絡み合いがあった。
亀井は総裁選挙に臨んだが、予備選後に本選を辞退して小泉に協力することで(小泉総裁誕生で)自身の有力ポストを期待した。
ところが、小泉が一本釣りしようと声をかけたのは、亀井の片腕・平沼赳夫の三役入り(政調会長)であった。平沼は兄貴分亀井の手前辞退する。
政調会長ポストは麻生太郎に流れて、当時最大派閥であった橋本派(経世会)も党三役を外れる人事となった。
これが、結果として小泉による「旧田中派(経世会)つぶし」の始まりとも言われるようになる。
その後の経緯を見れば、この人事の発端から、麻生は政権に辿りつき、亀井に気を使った平沼(亀井自身も)は郵政選挙で離党を余儀なくされた。
亀井としては、小泉の郵政解散は積年怨讐の思いがあるのだろう。
現在の郵政改革担当相として、郵政改革見直しは私怨を持って臨んでいるように感じる。
攘夷か開国かで争った明治維新の様相でもあるが、民営化と金融安全保障をリンクさせようとしている論には違和感を感じている。
民営化(開国維新)で、漸進開国を具申した長井雅樂(長州)、吉田東洋(土佐)、佐久間象山(松代)などは、攘夷論噴出のなかで自刃、暗殺によって死を迎えた。
徳川倒幕時に生き残ったものだけが、結果オーライの維新達成で論功行賞を得て現在の評価に至っている。
勝者の歴史のみが謳われることにスッキリしないものがある。
金融安全保障策は別途に講じることで、資源少国の日本はグローバル時代に対処すべきものと思う。
亀井の郵政改革見直し法案が、国家的戦略に基づいた国益に沿い後世に語れるものとはとても思えない。
国民資産の官権による利権争奪の様相だけが見えてくる。
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朝鮮学校の無償化対象問題、「朝鮮戦争勃発」の教科書記述に唖然!

2010-03-18 21:40:01 | Weblog
「高校授業料の無償化」法案成立で、朝鮮学校も無償化の対象に含めるかどうかの結果が、文科省の省令による検討に委ねられた。
ある文科省幹部は「教育行政として、省令の基準を検討している。外交上どうだとかという世界ではない」と困惑しながら答えた。
まず文科省官僚の発言としてそのことは正しい。
そのうえで行政事務方の精査内容をそのままの決定とするのか、最終的に政府方針として判断するのかは鳩山首相にあり、それこそ政治主導による政治決断となる。
ブログ子は、朝鮮学校の教科書で「朝鮮戦争勃発」の記述内容に唖然とした。
世界的普遍な歴史上の正しい記録として、「朝鮮戦争勃発」は、1950.6.25に北朝鮮軍が韓国を侵略行動(ソ中朝の共同謀議による南侵)したことが史実とされている。
が、朝鮮学校の教科書には(二日前の)6.23に米・韓国軍(李承晩政権)が先に戦争を仕掛け、6.25に南北全面展開したと記述され、北侵が先と教えているとされる。
むしろ実際には(二日前の)6.23に、南侵奇襲作戦を偽装するために、北朝鮮は「平和統一使節団」を韓国に送っている。
これだけ見てもなんと言う「ペテン国家」であろう。  日本共産党が1988年まで主張してきた北進論(9.8見直し見解発表)とまったく同じである。
反日工作紙の朝日新聞でも、これほど見え見えの「アサヒる」はやらないだろう。
日本共産党は米・韓国軍(李承晩政権)の先戦説を、戦後の日本人オルグに用いたが、朝鮮労働党との対立後(1968.8)はなりをひそめていた。
日本共産党が朝鮮戦争の見直し見解を発表したのは、1988.9.8であり(1988.6不破哲三が委員長復帰)、38年間も虚偽の南による北侵略説を党見解としていたわけである。
それと同じ虚偽内容を教えている朝鮮学校が、文科省の学習指導要領に合致しているとは思えず、とても無償化対象になるとは考えられないのだが・・・。
そもそも拉致問題は、全体主義国家の北朝鮮による組織的・継続的に実行された国家犯罪のテロ行為(主権侵害)であり、国家間の戦争状態と解することが適切ではないのか。
日米戦争開戦により、在米の日本邦人は収容所に入れられ隔離された。国家間の戦争とは、そこまで行きつく国際的な非常事態の現実の姿であろう。
朝鮮学校の授業料無償化問題は、国会議員(日本人全般)の日本人拉致問題に対する基本認識と、国家としての安全保障観が個々に問われる極めて身近な事案でもある。
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鳩山一族に政界退場勧告!、民主も自民も脱(税)鳩山で国政正常化へ・・・

2010-03-14 20:06:10 | Weblog
呆れたばかりの鳩山政権が続いている。
既載していることだが、ブログ子は約20年ほど前に、電話受信で鳩山由紀夫と1~2分ではあるが直接話したことがある。
謙る丁寧な言葉使いから、「良家の坊っちゃん育ちは違うもんだな、でも海千山千の政界でやって行けるものなのか」と器量不安に感じた。
以後、今日までそれなりの経験を積み重ね成長して来ているはずだが、とても一国の首相たりうる人物になったとは受け取れない。
むしろ政治家になったことが間違いであったのではと思い巡らし、「山形の森ウォッチャー」として鳩山家を元とする由紀夫・邦夫兄弟周辺に関する過去調査を行ってみた。
母の鳩山安子が過去のインタビューで述べているが、「由紀夫が政治家になると言い出した時はビックリした。鳩山家としては、邦夫が政治家になり、由紀夫が一生を学者として通し、(由紀夫が鳩山家の)金銭面で弟(邦夫)を支える。これが鳩山家の理想です」と。
当初から鳩山家(石橋の相続資産)の潤沢な財産を使って政治活動をすることが想定されている。
さらに鳩山由紀夫は一貫して、「 僕は政治家にはなりたくなかった。アメリカに留学していなかったら、また、女房(当時・田浦幸)と出会っていなかったら――。この二つのどちらかが欠けていたら、私は絶対にこの世界に入っていなかった」と公言している。
(1976.7の紀一郎出産後に帰国)が、政界挑戦に向けた動きは1983年になってから起きる。
1983.12のロッキード選挙と言われた第37回総選挙で落選した、三枝三郎(北海道4区)の慰労懇談会が、年末に旧知の鳩山威一郎・相沢英之と赤坂の料亭で行われ、その席で(三枝引退後の)後継者として由紀夫の出馬希望の話が初めて出されたと言われている。
翌年4月に三枝三郎の正式引退表明、三枝後援会は後継に由紀夫を承認する。
しかし、由紀夫の選挙区(道4区)が決まる以前の話として、東京2区(居住の田園調布駅前に事務所も設けた)を模索したことも伝えられている。
選挙区確定の経緯はあるが、由紀夫が望まなかった政界進出に転換するキッカケがポイントと思う。
ブログ子の結論として、(政治家適正に無能な)由紀夫を政治家に駆り立てたのは妻・幸(嫡子の嫁)の求めであり、その根底にあるものは“鳩山家の嫁の家訓”に由来する、『嫁同士の確執』が最大の要因ではないのか。
家訓とも言えよう一つめに、鳩山家の政治家夫を支え(夫の甲斐性を捌く)良妻の姿であり、二つに教育熱心な母親として(男)子供を東京大学に入学させる教育家庭をつくる賢母の姿であったと考えられる。
実際に表舞台の政治家夫より、裏で(影ではない)支えた強力な妻があってこその鳩山家四代の歴史でもある。
鳩山和夫の妻・春子に始まり、薫(一郎)、安子(威一郎)と引き継がれてきたとも言える“鳩山家の嫁の家訓”に、最初に突き付けられたのは、結婚も政界進出も早かった邦夫の妻・エミリーであったろう。
(周囲の反対を乗越え18で結婚、19で長男太郎を出産の)エミリーもそのことは十分わきまえ、鳩山家伝統に沿う様に努力したものだろうが、子供の出来は芳しくない。
1983年4月、二つ年下の由紀夫の長男紀一郎が学習院初等科に入学(邦夫の長男太郎は3年生)、(義妹エミリーとの対抗心と)鳩山ブランドへの周囲からの期待する声もあり、この時点で(由紀夫の)妻・幸は、「あなただって、政治家・鳩山血筋の長男でしょ、紀一郎も鳩山家に相応しく(邦夫の息子太郎より優秀に)育っている。(鳩山家の財産を邦夫の政治活動にだけ使うことはオカシイじゃないの)あなただって立派な政治家になれるわよ!」と口説き落としたのではないのか。
鳩山家のふたりの嫁「幸とエミリーの嫁対決(宝塚VSハーフモデル)」が、今日の国政を「マザコン鳩山遊園地」に擬した愚かな舞台にしてしまっている。
鳩山邦夫は“親バカ”ぶりを発揮して長男のダメ太郎を参院選の比例区出馬を望み支援者などに自らの署名入りで手紙を送っているとのこと、脱税容疑は兄由紀夫だけでなく邦夫にも同様にあり「脱税議員」の称号を共有していることを忘れてはならない。
それにしても「新党結成に強い意欲」とか言い立てる邦夫本人はもとよりであるが、一緒に騒ぎ立てる政治家諸兄は鳩山家のマザコン手当を目当てに群がるカラスのようである。
鳩山家は石橋家からの相続資産を別にすれば、児玉機関(児玉誉士夫)の提供資金もあったことを忘れては困る。
鳩山首相は、祖父鳩山一郎元首相の命日(3.7)に、台東区の谷中霊園を訪れ、「鳩山の名に恥じない仕事をやらせてもらいたいという思いと、先祖のおかげでこの立場に立たせてもらっていることの感謝を申し上げた」と語った。
これ以上の国益喪失と汚名を考えれば、鳩山一族揃っての政界退場を勧告する!、民主も自民も脱(税)鳩山で国政正常化へ舵を切れと叫びたい。
2.21、由紀夫首相は都内で開かれた「こども食料セッション」で、「この世界から足を洗ったら、農業をやりたい」と政界引退後の夢の一端を明らかにした。
(厳寒の鳩山農場で)一日も早い夢の実現を果たして、こどもへ発言の大切さを伝えていただきたいものだ。が、それも舐めた口先放言だったりして・・・。
邦夫も南方のジャングルにでも行って、アルカイダの友達と蝶の収集にでも精だせばいいだろう。
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テレビ朝日の不遜報道姿勢は、田原総一朗ひとりに非ず。

2010-03-10 19:42:29 | Weblog
3.10、田原総一朗の、昨年4.24深夜のテレ朝「朝まで生テレビ!」放送での不遜発言に対して、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会に申し立てていた問題で、「発言は配慮を欠き不適切で、放送後の対応も放送倫理上の問題があった」との見解をまとめ、テレビ朝日に決定趣旨の放送などを求めた。
BPOは、田原の発言を「根拠を示すことなく断定した」と批判。
テレ朝の責任については、発言のあった放送中に適切な対応が行われなかったことや、翌5.29の番組内での「おわび」も、真摯さに疑問を感じさせると指摘、人権侵害の有無については「言論の自由の範囲内」と判断、家族会が求めたさらなる謝罪や発言の撤回などは認めなかった。
田原の品性に欠けた不遜発言については、これまでも多くの批判があったにも拘わらず、構わずに起用してきたテレビ朝日の製作側責任に注視したい。
ジャーナリズムの自由と責任のバランスを欠いた傲慢な報道スタンスには常々嫌悪感をもって見ている。
田原に限らず筑紫哲也・久米宏など、オレこそジャーナリズム然とした報道演出には、占領期に赤化された偏向史観が跋扈している不正常さをいまさらに感じる。
特にTBS・テレビ朝日はこれまでも左傾化(中朝化)が顕著であったが、最近のテレ朝は朝スーパーモーニング・昼スクランブル・夜報道ステーションと(出演のコメンテーターが)束ねて酷いオンパレード。
(中共の工作ペテン紙)朝日新聞系列局であることも関係しているのだろうが、昨日(3.9)発表された、外務省の「核密約問題」調査報告について、(朝日新聞・テレビ朝日が)今後どう報道していくものか気になるものである。
1969.10.7の東郷局長ら外務省幹部との会議で、佐藤首相は「『持ち込ませず』は誤りであったと反省している。非武装だからどうすべきかと言うことを、もっと明らかにすべきであろう。この苦労は首相になってみないとわからない」との苦渋を吐露している。
朝日新聞はこの(1969)10.1に東京編集局に安保班を発足、10.6に「日米安保条約の早期解消」の社論を決定、『60年安保』と題して(70年)安保継続反対キャンペーンの91回連載をスタート、「革命煽動メディア」を全開させている。
10.21の国際反戦デーで「東京戦争」を叫び、赤軍派が手榴弾を持って新宿でデモ隊が騒乱状態になった時代背景のころである。
この時の朝日・編集局長は田代喜久雄であり、後にテレビ朝日社長として、1985.10、久米宏(社青同解放派、大谷昭弘も早大解放派)を起用したニュースステーションを社長決裁で開始させた。
ニューステの初代PD・早河洋が現在のテレ朝社長になって、さらに先鋭化した左傾報道がなされているとすれば、田原の起用(サンプロ・朝生)、鳥越俊太郎を始めとするコメンテーターの偏向発言はテレ朝全体の報道姿勢と受け止めざるを得ない。
1993.9には椿貞良報道局長の、反自民「久米・田原連立政権」誕生を誘導する趣旨の電波法に抵触する発言問題もあった。
売国メディアに翻弄される国民を前に、苦渋の公開秘匿を決断した佐藤首相と外務省幹部の思いを推し量る国家安全保障の理解など、持ち合わせていないものだろう。
テレビ朝日は「委員会の決定内容を真摯に受け止め、今後も放送倫理に十分配慮した放送に努めてまいります」とコメント。
腐敗菌「アサヒる」の淘汰には、CMスポンサー商品の不買運動しかないのかな。
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国民もヤッと気がついた、『ハト小屋に潜んだカラス』

2010-03-08 14:15:08 | Weblog
自民党大敗、野党転落となった昨年晩夏(8.30)の総選挙。敗北感覚めやらぬ間の9.12、自民党山形県連の戦後総括会議があった。
ブログ子はその質疑のなかで、鳩山民主党を『ハト小屋に潜んだカラス』との同居状態であり、早晩、異種相違の対立が起こり自壊に進んでいくものとの表現内容を述べた。
「ハト小屋(民主党)」に潜んだ「カラス(小沢一郎及び小沢的なるもの)」との混在を揶揄したものである。
メディア関係者はもちろんのこと、小沢を知る政治家、政治に関心を寄せる国民も、小沢一郎の人間性は十分知りつくされているのに、“政権交代”を奏でるマスコミと非自民工作組織の煽動に喝采を送り、地滑り的な選挙結果をもたらした。
もっとも自民党にも永らく膠着した事なかれの党内事情など、多くの問題を抱えていたことは論じるまでもない。
政権与党と言う権力維持のために自身のポリシーを変え、カラスをハトと言い、黒をシロと平気に言い張ることも厭わない。
保守政党と言いながらリベラル議員を抱えて、党内派閥間の政権交代を計りながら長きにわたり安住政権の座に就いてきた自民党。
政策の違いで政権交代できる二大政党勢力を創るべきと政治改革を叫んで、小選挙区制を導入したが基本政策、政治家個人の政治思想を横に置き、これまで数合わせの合従連衡に明け暮れてきた。
マスメディアも広汎な見識など持ち合わせることなく、政争ゲームを面白おかしくワイドショー的報道に終始し、占領期に形作られた左傾メディア論を振り翳して偽善報道を繰り返してきた。
権力に対する監視機関などと抗弁をたれながら、編集権・編成権を以って偏向報道を正当化してきた欺瞞が、はからずもこのたびの政権交代で国民に見えてきたことも皮肉なものである。
メディアに巣食う「アサヒる勢力(歴史捏造派)」の視聴者による淘汰が、ネット普及とデジタル化で目前に迫りつつある。
ハト(鳩山政権)がカモに見える中国、チキンに見える米国相手では国民のためのわずかな食用鳩・サギの焼き鳥にもならない。
先の大東亜戦争を自衛戦争と見るか、侵略戦争と見るかで二大政党ガラガラポンをやってはいかがだろうか。
夏の参議院選挙は、占領史観を引きずるものと講和独立再建派(自主独立)で堂々のガチンコと行きたいものだ。
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