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2013.山形県知事選挙、この時期に県内市町村長挙っての支援表明に異見

2012-07-10 14:15:26 | Weblog
明年(2013)1月施行予定の山形県知事選挙。
まだ半年先のことで候補予定者も揃わない時期、中央政局がらみの紆余曲折もありうる政治状況のなかで、県内市町村長が挙って現職吉村知事の支援を表明した。
個人の立場とはいえ、それぞれ数千、数万の自治体代表であり、その言動責任は重い。
対立候補擁立が見えないうちにとする陣営の選挙戦略上のことはあれど、市町村長の拙速行動としては如何なものかと奇異に感じる。
1955.2(昭30)の県知事選挙は、3選を目指す(主流派自由党)村山道雄知事に対し、非主流派・日本民主党(社会党と反村山共闘)が担ぐ安孫子藤吉元食料庁長官が、一ヶ月前になって急遽出馬表明。
村山知事の優位に運ぼうとする繰上げ辞職、繰上げ知事選も選挙戦に火をつけた。
多くの市町村長が現職村山支持に傾くなかで、安孫子にはせめて出身地寒河江市のW市長には支援願えるものとの縋る期待があった。
が、安孫子の出馬表明が遅れたこともあり、支援を得られないままに知事選は終了する。
反村山共闘は功を奏して安孫子は当選、1973.10まで5選18年の県政運営を務めた。
1974.6参議院議員に転身、1980.12(鈴木善幸内閣)には自治大臣・国家公安委員長となった。
寒河江市は初の市出身大臣誕生に沸き、市挙げての就任祝賀会を催して名誉市民の称号を授与した。
祝賀会には歴代市長を始め、市内各界代表が参加され盛大なものとなった。
その終了後の直会の中で安孫子大臣は親しい関係者に「Wには来て欲しくなかった」と吐露したと言う。
挨拶で述べたものでもなく内々の会話の中での一言だったそうだ。
30年余の長い政治生活を経てのなかでも失せない怨念の情とでも言おうか。
このことを市町村長の行動に絡めるつもりもないのだが、現段階における対立候補の可能性が薄いとはいえ、市町村長挙っての統一行動とも見える短絡さにいささか驚くばかりである。
市町村長にはそれぞれの自治体(出身)関係者に有為な人材がいない諦めとも聞こえる。
美栄子知事とてイベント・コンパニオン役で満足している女史ではないはずだ。
モアモア・ベター山形。安孫子藤吉先生は1992.4.6死去、88歳だった。
当日、訃報を聞いて世田谷区東玉川の自宅に弔問に伺ったことを思いだした。

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