山形の森 保守醒論

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阿信県行旅、(1984.9)シンガポールでの海外初放映が、「おしんブーム」の先駆けとなった。

2015-03-25 00:49:43 | Weblog
   
     1983.1.18、「おしん」の筏下り撮影ロケ地・左沢(大明神淵)

3.23、「(昭南島)シンガポール建国の父」リー・クアンユー元首相(1959.6~1990.11、初代首相)が死去した。
リー元首相の在任終盤に、国家元首にあたるシンガポール大統領(1985.9~1993.8)に就任していたのが、ウイ・キムウイ氏であった。
ウイ・キムウイ氏は、1980年から駐日シンガポール大使として赴任、1984.4末の帰国後に、シンガポール放送協会経営委員長に就くことから、当時のNHK川原正人会長へ離日挨拶に訪れた。
ウイ大使は、朝ドラ「おしん」の大ファンだったことから、川原会長にシンガポールでの「おしん」放送の提供の申し入れを行った。
NHKは予想もしない申し出に、国際交流基金から(文化普及)資金協力を得て、「おしん」の国際版を制作、提供することになった。
これが、視聴率80%に達する大ヒットになったことで、NHKも予期せぬ国際展開となり、世界中から愛される「おしんブーム」となって行くのである。
シンガポールでの海外初放映(全297回)が、「世界のおしん」の先駆けであった。
1991.2、国際シンポジウム「世界はおしんをどう見たか」を開催(NHKインターナショナル主催)、東京経団連国際会議場で、「おしん」を放送した世界各国の関係者が集まった。
山形県が舞台だけに、原作シナリオを深読みすると、多くの素材が詰まっている。
国際的知名度を誇る「おしん」を、上手く活かしているとは言い難い。
「おしん」は、シンガポールの首相、大統領までも魅了させたのだから、共通する民族性があるのかも知れない。
リー・クアンユー元首相の訃報に接し、「おしんブーム」の先駆け、親日のシンガポールを思い出して見た。

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