山形の森 保守醒論

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阿信県行旅、山寺・立石寺に蝉の啼き声を聞きに行く。 松尾芭蕉と325年を経た心の邂逅。

2014-07-15 19:54:29 | Weblog


7.15、山寺・立石寺に蝉の声を聞きに行く。
毎年一度は、山寺に登っている。 体力維持の目安にもなるから。
今年は、芭蕉の「(1689.7)奥の細道」行脚に合わせて、7月13日(旧暦5.27)に登拝しようと考えていたのだが、(7.13)あいにくの雨模様となり、2日遅れとなった。
たしか芭蕉は、当日に尾花沢を出立して、午後に山寺を登坂したと記憶していたのでそれに合わせた。
午後1時ころから登り始めたのだが、蝉の啼き声は聞こえない。 蝉は休憩しているのか。
芭蕉が「静かさや、岩にしみいる蝉の声」を詠んだ、蝉塚(立石寺)に着いて、耳を澄ましてもまったく聞こえない。
大仏殿、五大堂とひと通り廻って、「芭蕉が来たときにも、(今日と同じように)蝉が啼かなかったなら、あの句は生まれていなかったろうにな!。」などと残念な思いで降りてきた。
ところが、降り立った2時半ころになって、突然、蝉の啼く声が聞こえてきたのである。
土産物屋の店員さんが、夕方に啼くことがあると言っていたが・・・。
たしか芭蕉の記述に、「日いまだ暮れず、麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る・・・」とあったことを思い出した。
芭蕉は、宿坊に「(現代風の)チェックイン」をしてから、登坂しているのだから、夕方にかけての午後と解されようか。 納得、ナットク!。
勝手な解釈ながら、芭蕉は、4~6時ころにかけて登拝したものであろうと考えられる。 
来年はこの時間帯で行こう。
立石寺参拝ののち、宿坊に一泊して、翌日に大石田に戻っている。
芭蕉は本合海で乗船、最上川を庄内へと下り、出羽三山詣りへと行脚は続いてゆく。
山寺大仏殿から五大堂へと進む途中に、東宮殿下(大正天皇)が、東北行幸時の山寺行啓行在所(1908.9.18記念殿)がある。
真正面には、急峻な(修行者の)修業の岩場が位置している。
この東宮殿下の巡幸記念事業として、おしんの里(モデル地、鮎貝村栃窪)では、翌1909.5に日の出公園を造成、虚空蔵菩薩像5体・桜樹を配置した眼下に最上川を望む公園を完成させている。
乙羽おしんが、(第3回放送)吊り橋から最上川上流を眺めたところに位置することになる。
阿信県行旅、山寺・立石寺に蝉の啼き声を聞きに行く。 
(伊賀の忍者俳人)松尾芭蕉と325年を経た邂逅の想い。

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