山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

渋沢栄一翁から紐解く、山形の『寒河江大江氏一族』と由来。

2019-04-25 17:19:57 | Weblog
「日本の資本主義の父」として知られる実業家・渋沢栄一翁の肖像画が、2024年度から発行予定の新一万円札に採用されることが発表された。

渋沢は、約500社にのぼる企業の設立育成、福祉や教育などの社会事業にも熱心に取り組み、600余りの社会事業にも尽力された。

山形県内に直接設立に関係した企業は見当たらないが、意外なところで渋沢翁との些かな所縁を感じ取れることがある。

徳川15代将軍・慶喜公に仕えた旧幕臣の渋沢を、明治新政府に登用すべき有為な人材であると、伊藤博文や大隈重信らに強く働きかけたのが、美濃国出身(岐阜市)の郷純造(後の初代大蔵次官、貴族院議員)であるとされる。

この郷純造・誠之助(次男)父子を抜きにして、「日本資本主義の父」渋沢栄一翁を語ることは出来ない。

美濃国黒野の郷家系譜として、郷家は「大江廣元の後裔を称し、先祖は出羽国村山郡左沢(現山形県大江町大字左沢)に居住し、後に室町時代末期に、美濃国方縣郡(岐阜市)に遷住し、江(ごう)氏を名乗ったという。」(明治の華族の呈譜)

大江廣元→大江親廣(出羽国寒河江荘)→・・・・江氏(美濃国黒野)→郷氏一族、の系流となろうか。

大江氏分家の長州藩毛利家臣の伊藤博文らに、大江氏末裔系譜の郷純造が、渋沢の登用働きかけは、維新政府が駆け上る「坂の上の雲」を見る思いがする。

渋沢翁は、昭和6年(1931)に満90歳で最期を迎えるが、「(死)後は、郷(誠之助)さんにお願いします。」と言い残したと言う。

後事を託された郷誠之助は、東京株式取引所(東京証券取引所の前身)理事長、日本商工会議所会頭など、日本資本主義の要職を歴任した。

また、郷誠之助の兄弟(姉妹)が、三菱財閥の岩崎家、川崎財閥の川崎家などに繋がる華麗なる閨閥を形成している。

首相在任日数歴代一位の桂太郎(桂清澄)、明治の元勲・木戸孝允(桂小五郎)も、大江氏系譜の後裔になる。

鎌倉幕府(源頼朝政権)の初代政所別当・大江廣元家系が、800余年を経た現在にも足跡を残している。

渋沢栄一翁から紐解く、『寒河江大江氏一族』の阿弥陀堂・墓所は、西川町吉川の地に佇んでいる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本ハウズイング㈱のフロン... | トップ | 衆参同日選が燻ぶる中、急ぐ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事