山形の森 保守醒論

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田中角栄が永田町に遺した負の遺産、「真紀子と一郎」

2008-12-24 13:57:06 | Weblog
田中角栄元首相が逮捕されるに至ったロッキード事件のコーチャン証言。
そのコーチャン氏が最近死去されたことや、未曾有の経済不況から田中内閣時の経済成長路線の懐かしさなのか、最近、田中角栄を取上げた記事が見られると言う。
政権発足時には“今太閤”と囃された田中内閣、「日本列島改造論」を引っさげた“イケイケドンドン”土建国家成長路線は土地バブル・物価高騰を招き、(中東戦争勃発による)オイルショックと相まって2年余で退陣を余儀なくされた。
昭和40年、自民党本部の幹事長室創設以来、幹事長室長として平成11年に定年退職するまでの35年余、一貫して歴代22人の自民党幹事長に仕え身近に接してきた奥島貞雄氏による政治家の力量・素養からの見立てによると、ナンバーワン幹事長は田中角栄でワーストワンは小沢一郎だと言う。
小沢の問題行動として、二日酔いで(幹事長名の召集ながら)全国幹事長会議をすっぽかしたことなどいくつかのデタラメ勝手行動を書している。
小沢は昭和44年の初当選以来、角栄の秘蔵っ子として田中派(竹下派経世会)を通して日陰知らずの自民党主流畑を歩んできた。
金丸信の引退表明後の(平成4)「経世会」会長(派閥領袖)争いに敗れ、翌年に自民離党、新生党結成に至るわけだが、良くも悪くも角栄政治のDNAを最も引継いでいる政治家と言えよう。
田中真紀子と小沢一郎共通の性格性は「傍若無人」にある。
角栄自身には(目下の相手にも)多様な気配りこそあれ、そのような性格性は決して無いが、自らと対極のような「真紀子と一郎」を遺したのも異人“田中角栄”ゆえのことなのか・・・。
100年に一度招来の経済不況時の今、もし、角栄であったなら対野党・与党であれ、「いまこそ、オールジャパン(全日本)緊急経済対策のときだ!」とばかりに、説諭・行動、政権抗争を棚上げ(政治休戦)して取組んでいるに違いないと考える。
昭和48年のオイルショック後の内閣改造で、政敵福田赳夫に「財政政策の一切を任すから」と蔵相入閣を要請して、自ら進めてきた積極財政から総需要抑制策への政策転換を図りながら乗り切る国民一義の現状対応政治を行った。
ここに、奥島氏見立ての政局最優先の小沢一郎に欠けている政治家素養が窺える。

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