晴天に恵まれた過日、「おしん」原作上の出生地イメージの故郷・(白鷹町)旧栃窪集落を訪れて見た。
以前に訪ねたときはまだ残雪があり、旧集落入口の栃窪分校跡地から深入りしないで帰ってきたものである。
紅葉の時期にでもなったら再度訪れようと考えていたのだが、近日の友人との「おしん」談議から、おしんマニアとしてはさらなる探究を進めたいとの思いにかられ、意を決したのである。
向かう途中でもあるので、中山町岩谷(おしんの生家撮影地)にも立ち寄ることにした。
DVDで繰返し観て見ると、「乙羽おしん」が(孫の八代)圭におぶさりながら辿りついた生家集落を目にして、「見えた、見えた!」と叫ぶシーン(第4回1983.4.7)からクローズアップされる「おしんの生家」は、岩谷観音堂側の本道から見えるシーンである。
が、撮影構成上の実際の「乙羽おしん」の入村位置は、反対側になる(大寺側からの)昇り道から、集落の生家に駆け付ける撮影構図となっている。
何度か見ているなかで気が付いたものである。
既載しているが、本年10月公開予定の映画「おしん」撮影に先立ち、中山町岩谷から移設されたとされる(所謂)「おしんの生家」は、NHKドラマで実際に撮影された本物(ロケ後5年ほどで倒壊・所有者鈴木さん談)ではなく、道路向かいにあった別の残存古民家である。
さらに、移設後の写真を見ると、屋根作り、入口の位置(内部の間取り)などまったく違う外観である。
話題作りと、目先の関心を呼ぶためにと県費支出を企てた制作サイドの戦術だったのであろう。
ともあれ、映画のヒットを望むものだが、日本国内(最高視聴率)の視聴率を超えるほどの「おしん」の国際的評価を地元山形県民が知らないことでは、山形県成長戦略「オシンノミクス」の発信には容易ではない。
まず、県民は「灯台下暗し」に気付くことである。「おしん」の故郷を訪ね歩いて、新たな確認(大寺側からの入村)ができた一言。
以前に訪ねたときはまだ残雪があり、旧集落入口の栃窪分校跡地から深入りしないで帰ってきたものである。
紅葉の時期にでもなったら再度訪れようと考えていたのだが、近日の友人との「おしん」談議から、おしんマニアとしてはさらなる探究を進めたいとの思いにかられ、意を決したのである。
向かう途中でもあるので、中山町岩谷(おしんの生家撮影地)にも立ち寄ることにした。
DVDで繰返し観て見ると、「乙羽おしん」が(孫の八代)圭におぶさりながら辿りついた生家集落を目にして、「見えた、見えた!」と叫ぶシーン(第4回1983.4.7)からクローズアップされる「おしんの生家」は、岩谷観音堂側の本道から見えるシーンである。
が、撮影構成上の実際の「乙羽おしん」の入村位置は、反対側になる(大寺側からの)昇り道から、集落の生家に駆け付ける撮影構図となっている。
何度か見ているなかで気が付いたものである。
既載しているが、本年10月公開予定の映画「おしん」撮影に先立ち、中山町岩谷から移設されたとされる(所謂)「おしんの生家」は、NHKドラマで実際に撮影された本物(ロケ後5年ほどで倒壊・所有者鈴木さん談)ではなく、道路向かいにあった別の残存古民家である。
さらに、移設後の写真を見ると、屋根作り、入口の位置(内部の間取り)などまったく違う外観である。
話題作りと、目先の関心を呼ぶためにと県費支出を企てた制作サイドの戦術だったのであろう。
ともあれ、映画のヒットを望むものだが、日本国内(最高視聴率)の視聴率を超えるほどの「おしん」の国際的評価を地元山形県民が知らないことでは、山形県成長戦略「オシンノミクス」の発信には容易ではない。
まず、県民は「灯台下暗し」に気付くことである。「おしん」の故郷を訪ね歩いて、新たな確認(大寺側からの入村)ができた一言。
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