雫石鉄也の
とつぜんブログ
とつぜんコラム№125 変革本番の年
新しい年を迎えた。おめでたいことであるそうだが、艱難辛苦を乗り越え、人智を尽くして、全知全能を傾注して、年を越えたのならば、めでたいことである。まことに慶賀に値する。
ところが年というものは、人間が何もしなくても、かってに改まるものである。大晦日に、飲んだくれて、酔いつぶれて寝ていても正月になる。だれも正月にしようとして労働していない。と、いうか時の流れには区切りはない。今は2012年だが、2011年と違いはない。大晦日だの正月だの彼岸だの、2011年だの、2012年だのは、人間が勝手に目盛を刻んでいるだけで、時の流れにはなんら影響は及ぼさない。
とは、いいつつも、人間の目から見て、時の流れに色を付けるのは人間である。そいう視点で見ると2011年は「変革」の年といっていいだろう。日本では東日本大震災が起こり、人間が「想定」した文明がいかに脆弱であったかを見せつけられた。そして、この大震災に伴って起きた福島第1原発の事故は、日本のエネルギー政策そのものを根本から見直す必要性を問いかけた。この便利で快適な生活の大きな部分が、危険なエネルギー源に支えられていたことが、あらためて認識させられたわけだ。
人智を尽くして築いた人類の文明は、自然の営みの前では無力であったわけだ。私たちが住む星この地球は生きている。生きているから呼吸もするしくっしゃみもする。それは地球の生理現象にすぎない。その生理現象は人間の都合など、まったく斟酌しない。人間として地球とのつきあい方を考えさせられた年だ。
世界では独裁者が次々に倒れた。いわゆる「中東の春」といわれる一連の民主化運動だ。怒った民衆に独裁者が倒された。そして、年も押しつまった12月には「北」の独裁者が死んだ。北の独裁者は病死だが、後継者が単なるお飾りだから、今後、かの国がどうなるか判らない。民衆に自由に認めない、社会主義国そのものは世界では今は、絶滅危惧種にさえなっている。ソ連の崩壊を見て、「北」のかの国を見れば、社会主義国の末路は決して民衆を幸せにはしないことが判った。これは真の意味での「共産主義」を達成することは、我欲を持つ人間には不可能であることが判った。文字通りの「共産主義」人民がともに産みともに生きる。こんなことは無理だ。人間は、人の幸せよりも自分の幸せを優先するからだ。
一方、ギリシャ、イタリア、スペインといったヨーロッパのラテン諸国で経済危機が深刻化した。これらの国は、ある意味、上記、社会主義国や、独裁国とは違い、徹底的に全体よりも個人が優先される国だ。だからギリシャ政府がドイツの支援策を頼り、緊縮財政を施行しようとすると、国民は怒ってデモをする。これらラテン諸国は、国<わが州<わが村<わが家<私、という構造だ。私がまずあって、わが家があって、村、州があって国は一番最後だ。したがって、国民の我慢を強いる緊縮財政は困難だろう。
全体と個人をいかにバランスよく高めていくかが肝要だ。だとする政治と経済を分離した政策が、ベターな選択ではないか。ベターである、ベストではない。と、なると、政治は社会主義、経済は自由主義の中国がベターに見えるが、外からかの国を見ると、自国民に対する人権の扱い、南シナ海での拡張路線、また軍備の様子を見ると危険な中華思想、帝国主義的な側面が見える。
東日本大震災が想起した、人類の文明の脆弱さ、社会主義国、独裁国といった全体主義国家の末路、「個」を優先するヨーロッパの国が陥った危機。これらのこと見るに、当初の記述と違うが、2011年は「変革」の年ではなく「変革の予兆」にすぎなかったのではないか。「変革」本番は今年2012年かも知れない。
ところが年というものは、人間が何もしなくても、かってに改まるものである。大晦日に、飲んだくれて、酔いつぶれて寝ていても正月になる。だれも正月にしようとして労働していない。と、いうか時の流れには区切りはない。今は2012年だが、2011年と違いはない。大晦日だの正月だの彼岸だの、2011年だの、2012年だのは、人間が勝手に目盛を刻んでいるだけで、時の流れにはなんら影響は及ぼさない。
とは、いいつつも、人間の目から見て、時の流れに色を付けるのは人間である。そいう視点で見ると2011年は「変革」の年といっていいだろう。日本では東日本大震災が起こり、人間が「想定」した文明がいかに脆弱であったかを見せつけられた。そして、この大震災に伴って起きた福島第1原発の事故は、日本のエネルギー政策そのものを根本から見直す必要性を問いかけた。この便利で快適な生活の大きな部分が、危険なエネルギー源に支えられていたことが、あらためて認識させられたわけだ。
人智を尽くして築いた人類の文明は、自然の営みの前では無力であったわけだ。私たちが住む星この地球は生きている。生きているから呼吸もするしくっしゃみもする。それは地球の生理現象にすぎない。その生理現象は人間の都合など、まったく斟酌しない。人間として地球とのつきあい方を考えさせられた年だ。
世界では独裁者が次々に倒れた。いわゆる「中東の春」といわれる一連の民主化運動だ。怒った民衆に独裁者が倒された。そして、年も押しつまった12月には「北」の独裁者が死んだ。北の独裁者は病死だが、後継者が単なるお飾りだから、今後、かの国がどうなるか判らない。民衆に自由に認めない、社会主義国そのものは世界では今は、絶滅危惧種にさえなっている。ソ連の崩壊を見て、「北」のかの国を見れば、社会主義国の末路は決して民衆を幸せにはしないことが判った。これは真の意味での「共産主義」を達成することは、我欲を持つ人間には不可能であることが判った。文字通りの「共産主義」人民がともに産みともに生きる。こんなことは無理だ。人間は、人の幸せよりも自分の幸せを優先するからだ。
一方、ギリシャ、イタリア、スペインといったヨーロッパのラテン諸国で経済危機が深刻化した。これらの国は、ある意味、上記、社会主義国や、独裁国とは違い、徹底的に全体よりも個人が優先される国だ。だからギリシャ政府がドイツの支援策を頼り、緊縮財政を施行しようとすると、国民は怒ってデモをする。これらラテン諸国は、国<わが州<わが村<わが家<私、という構造だ。私がまずあって、わが家があって、村、州があって国は一番最後だ。したがって、国民の我慢を強いる緊縮財政は困難だろう。
全体と個人をいかにバランスよく高めていくかが肝要だ。だとする政治と経済を分離した政策が、ベターな選択ではないか。ベターである、ベストではない。と、なると、政治は社会主義、経済は自由主義の中国がベターに見えるが、外からかの国を見ると、自国民に対する人権の扱い、南シナ海での拡張路線、また軍備の様子を見ると危険な中華思想、帝国主義的な側面が見える。
東日本大震災が想起した、人類の文明の脆弱さ、社会主義国、独裁国といった全体主義国家の末路、「個」を優先するヨーロッパの国が陥った危機。これらのこと見るに、当初の記述と違うが、2011年は「変革」の年ではなく「変革の予兆」にすぎなかったのではないか。「変革」本番は今年2012年かも知れない。
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コマンドー
監督 マーク・L・レスター
出演 アーノルド・シュワルツネッガー、レイ・ドーン・チョン
お正月だから、なんか派手で陽気でワーとした映画を観たい。で、観たのがこれ。久しぶりに観たが、いやあ、お正月に観るにふさわしい、ご陽気な映画だ。
いちおうストーリーはある。南米かどこやらの、追放された悪い元大統領一味に娘を誘拐された元特殊部隊のメイトリックス大佐は、娘の命と引き換えに、現大統領の暗殺を強要される。悪もん元大統領のいうことを聞くわけにはいかん。メイトリックスは飛行機の中で見張りを殺し、滑走中の飛行機を脱出。騒ぎに巻き込んだスチュワーデスとともに悪もん元大統領一味がたてこもるアジトをたった一人で急襲する。
なんとも潔い映画であることか。すべてはシュワちゃんが筋肉ムキムキを見せびらかせつつ、大暴れするの見せるための映画である。
離陸直前の飛行機から飛び降りる。ただの行ずりのスチュワーデスが親身になって助けてくれる。悪もん元大統領一味で一番強いベネット大尉がメイトリックの娘を殺すのに手を取られる。元大統領のそばを離れないで護衛に専念すべきだろう。元大統領もそれを命じるべきだろう。それよりも、なによりも敵の弾がぜんぜん当たらないのに、メイトリックスの弾は百発百中。
そんなことはどうでもいいのである。シュワちゃんが撃ちまくり、斬りまくり、どつきまくるのを観る映画なのだから。
もうむちゃくちゃ強いのである。なんでも力づく。なんでも強引。公衆電話ボックスを持ち上げ投げ捨てる。鎖なんざクリッパーは不要。腕力で引きちぎる。大勢の警官やガードマンに押さえつけられても一発ではねのける。こうなると歌舞伎に出てくる弁慶である。ちぎっては投げちぎっては投げ。上に投げられたヤツが下に落ちる時、次に投げられたヤツと空中であいさつしとる。「やあ貴殿はお上がりか」「貴殿はお下りか」
ロケットランチャー、UZI、HK91、パルメM78、M60、ポンプ式ショットガン、スペッナズナイフと、使う武器も次々とお色直しで楽しませてくれる。
愉快、痛快、爽快、豪快な映画である。
最後にお気に入りのセリフをひとつ。
「これで腐ったガスも抜けるだろう」
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